言合
着替えだの何だのの準備を終えた俺たちは、相変わらずトーマスの運転で城にまでやって来ていた。
蒼龍とフレイアはお留守番だ。
約束どおりにルネが選んでくれた衣装は、俺は洒落た感じのスーツで、姉は紺色と白のリボンモチーフのドレスを着ている。
俺はともかく、姉のアレはいいのだろうか。
似っているのは似合っているのだが、ドレスを着る前に着けたというコルセットというものは大丈夫かと心配になる。
どう考えても治りかけの傷を締め上げるとか、怪我に良くない気がする。
だが本人は「ほぼ治ってるから無問題」とか「寧ろ包帯と何が違うの?」だのと言っていたから、心配は心配だがどうせ何言っても聞かないだろうと思いそれ以上は何も言わなかった。
トーマスも普通に洒落たスーツだが、ちょっと驚いたのはルネの格好だ。
晩餐会は国際的な催し物だと聞いているのだが、今日も今日とて男装している。
俺は構わないと思うのだが、世間一般的にはあれで大丈夫なのだろうか。
…いや、俺よりルネの方がしっかりしてるし、この世界の常識だって分かっている。
その上であの燕尾服を着ているなら、あれはきっとアリなんだろう。
そんな感じで着付け終えた俺たちは、4人揃って廊下を歩いていた。
ルネに先導される形で歩いていると、ふと見知った顔を見つけた。
この間まで家に居たデレクだ。
デレクはこちらに気づくとあからさまにあわあわと狼狽え出した。
その横には1人の中年男性がいる。
草臥れた様子の、小柄でずんぐりむっくりな黒髪の男だ。
彼はデレクの異様な様子に気づくと、その視線を追った。
追って、こっちを見て、ハッとする。
"こっちを"というよりは"姉を"見ているようだ。
彼に続いて視線を動かし姉を見て、思わずたじろいだ。
…姉が壮絶に微笑んでいたからである。
何がどうしたのかは分からないが、あれはキレてる。ヤバイ。
そして姉を挟んだ向こう側でトーマスがデレク以上に狼狽えているのが目の端に映る。
先に声を掛けたのは姉だった。
「お久しぶりでございます」
姉はその場に立ち止まると、優雅に腰を落とした。
友好的な雰囲気のまるでない笑顔のままだが仕草だけは酷く丁寧だ。
一方お辞儀された側はグッと何とも言えない顔をした。
そしてスタスタと早足で歩み寄って来たかと思うと、勢いよく頭を下げた。
俺は少しギョッとして彼を見た。
「っすみませんでした」
頭を下げると共に謝罪の言葉を述べた。
かなり切羽詰まった感じの謝罪を見た姉はサッと無表情になった。
キレた顔から無表情になったと言うことは、いよいよ何かやらかしそうだ。
とりあえずは様子見しよう。
ただし姉が横暴に振舞ってもすぐ様止められるように、と少し身構えた。
「謝罪は不用です。
顔を上げてください。
私が望むのは貴方が早急に息子さんの元へ行き、あの子とお話しなさる事です」
「…」
"息子さん"というのは蒼龍の事だろう。
「息子に随分良くしていただいているとデレクや息子から聞いています。
ありがとうございます」
「御礼も不用です。
貴方がお忙しいのは理解出来ます。
ですが、貴方はあの子の父親でしょう?
仕事と息子のどちらが大切なのかなど問われるまでもない事と存じます。
然るべき行動をお願いします。
領地に帰る前に息子さんの元へ行き、あの子とお話しなさってください」
「…私には、その資格がありません」
「知ったことか!」
急に姉が叫んだ。
今までの慇懃無礼な態度から一変したことで、その場に居合わせた他4名がビクッとして姉を見た。
勿論その中には俺も含まれている。
「資格が無い?そんなものなどどうでもいい!
貴方が聖人君主だろうがクズだろうが関係ない!
私が言いたいのは!
貴方があの子の父親であるならば、会って、触れて、愛していると言えと、そう言っているんだ!
必要なのは紙の上の言葉じゃない!お金でもない!
貴方だ!」
「…っうるさい!
知ったような口を利くな!
私がどれだけっ、どんなふうにあの子に接してきたか!
私はっ!…私は、あの子の父親を名乗る、価値もない」
「うるせぇっ!このハゲ!」
なっ!?心許ない頭部の人に向かってなんて事を!
「"知ったような口を利くな"だと!?
それはこちらのセリフだ!
貴方に分かるか!
"親に話し掛けてもらいたい"
ただそれだけを望む子供の気持ちが!
絶対に帰る前に息子に会いに来い!
でなければ私が貴様に地獄をみせてくれるわ!覚悟しろ!死ね!」
「ちょっ、おい、姉…、姉ちゃんっ!」
姉は吐き捨てるように怒鳴り終えると、肩を怒らせて相手の横を通り、早足で歩き去った。
俺は一瞬の戸惑いの後に慌てて姉を追いかける。
立ち尽くしていた面々も俺が歩き出したすぐ後にハッとしたらしく、背後からバタバタと付いて来た。
背後の様子を音と気配で察しながらも、立ち止まれなかった。
姉には声もかけ辛いし、窘めようとも思えない。
だからといって追いかけない訳にもいかなかったからだ。
ただ黙って姉の後ろを歩く。
かなり早めにやって来ていた為に他者とはまるですれ違わなかった。
怒鳴り合いとかしないでくれよと切に思うが、あれだけ騒いだのに衆目を集めずに済んだのはせめてもの救いか。
曲がり角に差し掛かったあたりで気になって一度だけ振り返る。
こちらに駆け寄って来る2人の向こうでは、オロオロするデレクとそのままの姿勢で立ち尽くしている男の後ろ姿が見えた。