バイト
すっかり客入りも落ち着いた午後。
俺たちはマスターに頭を下げられていた。
「本当に助かりました」
「良いんですよ」
「楽しかったしねー。
こんなん始めてやったよう」
「私らここでいつも騒いじゃって、いつも世話になってるし」
「はい」
「そうですよ、マスター。
貴方には色々と助けられてますもん。
ほら、抽出魔法の検分とか協力してもらったじゃないですか」
「この手伝いだってこっちが勝手にやったんだしな」
皆が笑顔で代わる代わるマスターを宥めた。
口調は軽いけど、本心だ。
「そもそも私が原因みたいなものですし」
「うん。…うん?」
姉の言葉を勢いで肯定したが、よく考えると分からなくて俺は首を傾げた。
「どういうことだ?」
「いやはや、ちょっと事前にこの店を喧伝しすぎちゃったんだよね。
効果が出すぎたみたいで」
「けんでん?
宣伝のことか?
…ああ、そういえばそんなような事を…本当にやってたのか…」
会議の後の打ち上げでそんな事を言っていたなと思い出す。
馬鹿みたいに盛り上がって、トーマスのとこと此処を宣伝するとか何とか。
ノリで言っただけの大言だとおもっていたのだが、知らぬ間にじっこうしていたようだ。
具体的に何をしたのかは知らないが、この混み具合からしてなかなか効果があったとみえる。
姉の言に更に恐縮したマスターが再度頭を下げる。
「重ね重ねありがとうございます。
今日はこの店始まって以来の繁盛でした」
「おー、おめでとー」
「わー」
皆してパチパチと拍手を送ると、マスターは嬉しそうに微笑んだ。
「これからも忙しかったら声かけてくださいね」
「いえそんな…」
「はわ、はいはいっ」
ここまでのやり取りを見ていたフレイアが挙手した。
「私がお店のお手伝いしますよっ」
胸元で両拳を握りしめてキュッと眉尻をあげる。
本人はキリッとした顔をしているつもりなのかもしれないが、残念ながらはたから見る限りはどこまでもゆるふわロリである。
そのままフレイアは俺の方を向き、ウルウルとした目でこちらを見上げた。
「良いですか?ご主人様」
「その呼び方やめろっての。
…何度も言ってるが、お前は自分の好きにすれば良い。
やりたきゃやれ」
「わぁっ。
ありがとうございます!」
ぱあっと明るい笑顔になって言うフレイアに、俺は溜め息を吐いた。
以前フレイアには「奴隷という身分を改善する気は本当に無いのか」と再度真面目に問いかけた事があるのだが、その時にも丁重に辞退されている。
曰く、「もう帰る場所は無いのです」と。
それでも「何も奴隷でいる必要は無いだろう」と食い下がる俺に、横から姉が述べた言葉が効いた。
それ以来俺はこの件に関して口を噤まざるを得なくなった。
何でも、奴隷は所有物としてこの国に入国しているーーもとい、書類の上では搬入されているという形になっているーーので、フレイアから何の対策もせぬまま奴隷という身分を外すと不法入国者という扱いになってしまうらしい。
そうなれば、出身国に強制送還が落ちだ。
ううん、そういう事情ならば無理にとは言えない。
いや、でもなぁ…。
そんな感じでモヤモヤしているのだが、周囲の人間はまるで気にした風ではない。
その態度が更に俺をモヤモヤさせるのだが、対策案も説得する術も持たない俺は引かざるを得ない。
何だかなぁ…。
とりあえず「ご主人様」呼びは勘弁してもらいたいのだが。
まあ、「旦那様」よりかはマシだけど。
とりあえず、フレイアは"昼時の一番混み合う時間帯だけ"、"給料は必ず受け取ること"という条件付きでここで働くことになった。
恐縮しまくるマスターをフレイア自身が説得したのだ。
フレイアは自分のスキルを活かした仕事が出来るのが嬉しいようで、承諾された時はえらくご機嫌だった。
家とこことを通うアシはどうするのかと尋ねると、その役には姉が我こそはと立候補した。
その立候補を見た瞬間に俺は顔を顰めた。
今朝姉が家から外壁門までの道中に何を利用していたか思い出してしまったからである。
姉の長距離移動手段というのが…例の蜘蛛なのだ。
…そりゃあ確かに大きさが変えられるとか何とか言っていたのは認識していた。
だが普通巨大化した蜘蛛の上に乗ろうと思うか!?
蜘蛛だぞ!?
もうやだ勘弁してくれ…。
今日も蜘蛛の後ろを走って視界に入れ続けるのも苦痛なら上に乗るなんて言語道断だと前を走ってここまで来た。
だが後ろから大蜘蛛がやって来ているというのは、それはそれで追い掛けられているような恐怖に駆られた。
思わず全力疾走してしまうくらいに。
あれは逆に物凄いストレスだった…。
次からはもうハナから家を出るタイミングをずらそうと心に決めた。
何はともあれ、今日はもうそろそろ帰らなければならない。
夕方の用事のための準備があるのだ。
面倒だが致し方ない。
俺たちはマスターとミックに別れを告げて帰宅した。