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無能賢者と魔法と剣  作者: 秋空春風
第6章 賢者と祭典
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『ユージン・エルパッソについての人物考察』


今まで俺と親友を同時に目の前にした人物は数あれど、ここまで平然としていられる人間は初めてかもしれない。

前々から大物だとは思っていたが、やはり彼女は相当肝が座っている。


俺は改めて賢者殿を見た。


ところどころに血の滲む包帯や痛々しい傷痕。

右眼には眼帯をつけている。

それでもその顔は痛みに歪む事はなく、いつものように笑ってーーいない。

まるで微笑んでいないが、かと言って無表情でもない。

その顔はただただ面倒くさそうだ。

いや、顔だけではない。

彼女は我々の前であっても当然のように足を組んでソファに両手を付き、少し俯き加減で偶に溜め息を吐いている。

時折虚空を眺めては考え込んでいるようだ。


訪問してきた我々に不満があるというよりも我々に対して興味がないように見える。

それくらい気もそぞろでいるのだ。


俺はその態度に少なからぬ衝撃を受けていた。

俺は貴族として生まれ、嫡男として育ち、騎士として生きてきた。

そして今や俺は民間人でも見知っている者も多いこの地位にいる。

正直、ここまでどうでもいいという態度を取られたのは生まれて初めてだ。

無礼だと思うよりも先に困惑してしまう。


隣りの親友も俺と似たような境遇だと思うのだが何故か楽しそうだ。

実に解せない。


入室してから着席してしばらくの間そのまま互いに無言でいたのだが、獣人の少女が茶と茶請けを置いて退室したタイミングで賢者殿がこちらを見上げた。

そのまま首を傾げじっと我々の目を覗き込んできた。

いったい何がしたいのか分からず、ただ見返す。

ややあって彼女は急にフッと微笑んで姿勢を正した。

いったいどのような心境の変化があったかは知らないが、まともに対応する気になったようだ。


「本日はお加減も優れないなかお見舞いに来てくださりありがとうございます」

「いえ、こちらこそ押し掛けてしまって…。

先日はお招きした席でお騒がせしてしまい申し訳ありませんでした。

貴女の御助力により、お陰様で私は全快しております。

御心配には及びません。

その節はありがとうございました」

「微力ながら、お役に立てたのならば光栄です。

宜しゅうございました。

ですが、万が一ということもございます。

どうかご無理をなさいませんようご自愛くださいませ」

「お気遣いありがとうございます」


言葉の上では通常通りなのだな。

どちらも先程までの無為なやり取りについては全く言及しない。

目の前で示し合わせたかのように繰り広げられる社交辞令の応酬にある意味感心する。

2人の様子を見るに、互いに観察し合っているのだろうというのは俺でもわかる。

分かるが、俺としてはそんなやり取りにあまり意味は感じないので無駄な牽制はやめて普通に話をして欲しいのだが、きっと彼らに言っても無駄であろう事は親友との長い付き合いで理解している。

ともかく、事前に決めていた通り黙って聞いている事にした。


「それで、本日の御用件は何ですか?」

「お見舞いですよ。

それと、貴女とお話がしたかったというのもあります」

「なるほど?」

「胸を割ってお話がしたいですね。

どうかご遠慮なさらず忌憚ない意見を聞かせてください。

貴女にはご不満が多々おありでしょう?」

「ふむ、不満ですか?

特に思い当たりませんが…?」


賢者殿は目を細めて再度首を傾げた。

口ではああ言っているが、含みのある笑みは明らかに心当たりがあることを示していた。

勿論あって当然だ。

先日の食事会で起きた事件は突発的なものだったが、それ以外でハミルトンが何かと彼女を利用しているのは無関係の俺でさえ察している。

況してや彼女は当事者である。

彼女とてバカではない。

全てとは言わずともある程度は理解しているだろう。


「ええ。

投獄を防げなかったこと、対応の悪さ、傷害事件、会議での騒ぎ、先日の食事会、反抗的な貴族のあぶり出しと制裁にあなたを利用したこともそうですね」

「お前…」


楽しそうに指折り数える親友にドン引きする。

挙げられたものの数が知っていたものより多く、端的に示された事象の内容が悪質だと察したからだ。

さぞ賢者殿も怒っているだろうと思いきや、そちらはそちらで微笑んでいる。

その顔は寧ろ先程までよりも機嫌が良さそうだ。

気分が上向いた理由がまるで分からないが、この様子だと今挙げられた内容は全て既知なのだろう。


「ふふ、そんなことで怒ったりしませんよ。

だって大人の方って皆さんそんなものでしょう?

好きになさったらいいわ。

私も好きにさせていただきますもの」


そう言ってころころと笑った。

ぱっと見とても楽しそうだが目が笑っていない。

…前言撤回、彼女はもしかしたらとても怒っているのかもしれない。


「そう仰らず。

私も何かお詫びとお礼をしようと思っているのですよ」

「いりませんね」

「即答ですか」

「はい、これ以上疑われるのは御免ですので」

「おや、私達はもう貴女の事を疑っていませんよ?」

「私も今は貴方の事を疑っていませんわ」


2人して互いに観察し合いながら微笑んでいる。


俺たちは当初、彼女のあまりの手際の良さにこちらに恩を売るための自作自演の可能性も無くは無いと考えていたが、なるほど、彼女の方もこちらを疑っていたのか。

確かに彼女が疑われうるなら、こちらがそれを盾にするために自作自演をする可能性もあるか。


「ふふ、疑っていたのはお互い様ということで、水に流しませんか?」

「何をです?

先ほども申しました通り、私、怒っていませんの。

貴方のおっしゃることも疑ってはいませんわ。

私が辞退しているのは、他の方に疑念を抱かれないためです。

それと後々役立ちそうじゃありません?

身を挺して無償で宰相様のことをお助けしたという事実は」

「ああ、成程。

立場の優位性をお望みですか」

「いえ?ただ面倒なだけです。

今私が他者に望むものは何もありません。

何も。

欲しくもない身の丈に合わない物を頂くよりも、将来困った時に多少は役立つ言い訳が欲しいだけですわ」

「それなら、どうです?

貴女が将来困った時に手を貸す、というお約束をするというのは」

「あら、そのようなことを提案してしまってよろしいのですか?」

「勿論です」

「ふむ」


賢者殿は顎に手を添えて探るような目を向けた。

その満更でもなさそうな様子を見て、悪戯を思い付いたとハミルトンは笑みを深める。


「『何か困った事があったら何でも言ってくださいね』」


息子の口調を真似て微笑む男を俺と賢者殿とで微妙な気持ちで眺める。

今この瞬間だけは心が通じ合った気がする。


その目は年甲斐もなくふざけるおっさんに対する生温かい気持ちとオーランシュ家きっての問題児デリックの行く末を心底慮る気持ちとを綯い交ぜに宿していた。


それを証明するかの様に賢者殿が口を開く。


「貴方は分かっていて言っていると思いますが、彼は大丈夫ですか?

誰かに取り入られたりしないか心配です」

「あー…」


やはり考えている事は同じだったようだ。

とはいえ俺と彼女では心配のニュアンスが違うだろうが。


「少々能天気ですが警戒心がないわけではないのですよ。

どうぞお気になさらず」

「…そうですか? 」

「ええ」

「本当に心配しなくてもいい。

アレは賢者殿が思っているより数倍たちの悪い男だ。

何かあっても大体の事ならば自分で何とかしてしまうだろう。

伊達にオーランシュ伯爵領を一人で預けられている訳ではない」

「おや?」


尚も心配げな雰囲気を察して俺がフォローを入れると、賢者殿は愉快そうに眉を上げた。


「…ふむ、なるほど?」

「ーーああ、そうでした。

貴女にお渡ししなければならないものがあるのですよ」


俺の言葉を噛み砕いている賢者殿の横からハミルトンが入ってきた。

この話をさっさと切り上げたいという気持ちをありありと浮かべている。

「そうやって甘やかすからあんな問題児に育ったんだろうが」と言ってやりたいのをグッと堪えた。


取り出されたのは小綺麗な箱だ。


「何でしょうか?」

「こちらです」


箱を賢者殿の方へと向けてぱっと中身を開いて見せると、彼女がハッと息を飲んだ。


「あの、見せていただいても…?」

「ええ勿論」


割れ物を扱うように箱を受け取り、恐る恐る納められていたものを取り出す。

広げられたそれは彼女が先日着用していた衣服だ。

目の前に広げ、目を丸くして矯めつ眇めつ眺めるが、そこには血の跡や斬り裂かれた跡はおろか綻びひとつ見られない。


ハミルトンが手を尽くして修復させたのだ。

そんなものあるはずがない。


呆然と布地を撫でていた賢者殿は、暫くの後に俄かに破顔した。

パッと咲いた笑顔は子供らしく無邪気で、ただただ嬉しさを表している。

そのまま愛しそうに服を抱き締めると心から幸せそうに目を細めて、その瞳をこちらに向けた。


先程までの探り合いがバカらしくなるほどの真っ直ぐな喜びようは、彼女が我々に初めて見せた年相応の反応だった。


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