画策
そっと触れられ抱き寄せられたが、ここに甘い雰囲気など微塵も無い。
あたりまえだ。
そんなもの有りよう筈がない。
何せ私の首元には刃物が突きつけられているのだから。
ピリリとした違和感を伴って喉元に痛みを感じる。
「全員動くな」
「「「!?」」」
背後から女性の声がした。
途端、周りからは息を呑む音や衣擦れの音、時に恨み節やうめき声などが聞こえた。
ユージンは驚いて振り返っている。
使用人の一部は困惑を、そして殆どは怯えや怒りを含んだ視線を私の背後へ送っていた。
雪久達の様子は私からは見えない。
動揺してハミルトンの手当てが覚束ない、なんてことになっていないと良いが。
どうにも気になったので確認しようと首を後ろに捻ったら、掴まれている手と首元の刃物にギリと力を込められた。
動くなという意思表示だろう。
溜め息を吐いて素直に従う。
何かが私の首元を伝っていったのを感じたが、これは血だろうか、汗だろうか。
この刃物は恐らく魔力ナイフだ。
魔道具を使っているのでなければ、背後のセクハラちゃんは魔力を刃物状に実体化出来る魔法使いなのだろう。
このタイプだと、投げナイフのように飛ばす事も可能かもしれない。
こんなに接近されるまで気づけなかった事を鑑みるにスキルの方は隠密系だろう。
私は再び溜め息を吐いた。
やれやれ、探偵役かと思いきや今度はか弱い人質役か。
残念ながらどっちも柄じゃない。
他所の子に頼んでくれ。
ほら、もっと小さくて愛らしく、すぐに震え上がってしまうような、そういう非力な美少女なんかが適役なのではないだろうか。
…。
あれ?それ、フレイアじゃね?
あ、やっぱり今のナシナシ。
私が大人しく人質役をやります。
思い直した私はキリリと立って人質役を甘受する事にした。
敬礼でもしてやりたかったが、流石にやめておこう。
後から雪久に怒られるどころの騒ぎじゃすまない。
さて、背後の彼女はどうしたいのかな?
どっちにしろ物凄く酷い目に遭わせてやるからな!
そう思うと、なんだかちょっと楽しくなってきた。
私の生死を他人が分ける瀬戸際なのだという状況について意識すると少々愉快な気持ちになるが、そんなこと考えている場合じゃない。
背後の彼女は何やら色々と要求しているようだ。
この状況でよく頑張るなぁとは思うが、内容が私にとっては至極どうでも良いものばかりだったので無視する事にした。
時々ヒートアップするようで、私の首元を何かが摩っていく。
"何か"というか、例の魔力ナイフだ。
私に触れて刃がなくなってしまったので今となっては無害になっている。
とはいえ、最初に傷付けられた所を通過して行くのだけは痛いからやめて欲しいんだけどね。
まあ、私がその気になればナイフをそっくり消してしまえるのだが、敢えて刃を無くすだけに留めている。
自分が持つそれがただの棒と成り果てていることに、彼女はーーというか全員気づいていない。
よしよしと私はほくそ笑んだ。
私は己が今日までに磨いてきた技術がこの状況に刺さった事に御満悦なのである。
その技術とは、"自分の体質を多少制御出来る"と言うものだ。
試み始めた当初は可能かどうかすら不明だったが、各種実験と訓練を経て現在では少しだけ加減が出来るようになった。
ゆくゆくは完全制御出来るようになり、私のこの"油断すると魔道具を壊してしまう"という困った体質をどうにかしたい。
一体何回翻訳魔道具を壊したと思っているんだよ!
マジでなんとかしたい…。
閑話休題。
この状況を打開する手立てを考えよう。
まず思うのが、彼女は何故出て来たのか、という事だ。
隠密系のスキルがあるなら、私を人質にするよりも隙をついて逃げた方が勝率は高いのではないだろうか。
そう出来るのにしなかったというのであるならば、何か理由があるという事だ。
態々出て来たことによるメリット、それは何か。
…もしかすると、衆目を集めることが目的、か?
仮に彼女に共犯者がいる場合、ここで周りの気を引けば共犯者は格段に動き易くなる。
少なくとも先程までの、全員が各方位に注意を払っている状態よりかは動きやすいだろう。
そう考えてからハタと気づく。
…いや待て、共犯者の存在はこの際彼女には必要ないのではないか?
彼女の魔法は容易に相手の背後を取れるのだ。
陽動も攻撃も一人で賄えるのである。
となれば狙いは大虐殺か、若しくはどさくさ紛れにハミルトンを殺すことか。
どちらもあり得るが、感覚で言えば後者っぽい。
現在ハミルトンの周囲はガチガチに防衛されている。
魔力過多の魔法使いが2人に心理読みの元看守、歴戦の女兵士に極めつけは勇者様である。
どうにかして隙を作りたかった心理は分かる。
…この密室で無差別に多量のナイフを斉射するとか笑えないぞ。
私以外でこのことに思い至っている者がいるかどうかは分からないが、不確定な人間に頼る訳にはいかない。
他者に期待しない以上私が何とかしなければなるまい。
いやはや、まったくやれやれだ。
次に対策を考える。
思ったのが、彼女の魔法と私の体質は相性が良いのではないだろうかということだ。
私は炎だの氷だのを出されてしまってはどうしようも出来ないが、彼女のように魔力を集めるタイプの魔法なら単純に散らしてやれば無力化出来ると思われる。
とはいえ、私はある程度制御出来るだけで使いこなせている訳ではないし、あまり沢山魔力を出力されると完全には消せない。
だが、その時は私が己が身で止めればいい。
刃もなく威力を大幅に削がれたナイフなどでは死にはしないだろう。
別に死んだらまあ、そん時はそん時だ。
とどのつまり、私は雪久達さえ無事であれば良いのである。
最悪それ以外はどうでも良い。
最後に、彼女を無力化する方法について考える。
正直殺せば手っ取り早いとは思うが、その手段はなるべくなら避けたいところだ。
問題となっている彼女の魔法だが、聞くところによると魔力を物質化する系統の魔法というのは、魔力を集める場所を明確に意識する必要があるのだという。
私は色んな人から魔法の話を聞きたがるので、そういう話をよく聞く。
曰く、発動する際求められるのは正確な空間把握と、そこに存在するという確かなイメージが必要なのだとか。
その為発動させる際は良く周りを見て、特に発動させる場所を強く一点を凝視する。
「周りを見るのか一点を見るのかどっちだよ、わけわからん」と私なんかは思うのだが、類似魔法使い達はこの説明に皆さん肯定的な反応を示していた。
私にはよく分からないが、つまり彼らにとって視力というのは魔法を発動する上で相当重要なファクターであると言える。
それならば、或いはそれさえ潰せれば殺さずに彼女を無力化出来るかもしれない。
やってみる価値はある。
幸いにも、私はまだスプーンを握ったままだ。
私はスプーンの柄を親指の腹で撫でながら、無沙汰で暇そうな仕草を装って行動を起こすタイミングを窺った。
耳元で何事か喚き始めた途端に同時に僅かな違和感を感じ取った。
魔法を使う前のあの感じである。
奴はヤル気だ、ここしかない。
そう判断した瞬間、私は自分を掴む腕の手首を左手で捻り上げ、右手に握っているスプーンを相手の左目に突き立てた。