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無能賢者と魔法と剣  作者: 秋空春風
第1章 プロローグ
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交通事故

それは旅行の帰り道、バスが山道の中程に差し掛かった時だった。


突然タイヤが金切り声を上げ、乗客達の悲鳴と共鳴した。

と同時に前の背もたれに体が叩きつけられる。

バスが急ブレーキを掛けたのだ。

いや、今もなお掛け続けている。


状況が分からず混乱する頭に少しでも情報を与えようと無理矢理身を捩る。

慣性に抗いながら伺ったフロントガラスの向こうにはガードレール。

その先には道はなく、青空と目下には森が広がっている。


曲がりきれなかったのかスリップしたのかはわからないが、このままだと崖下に真っ逆さまだ!

思わず顔が引きつる。

あまりの状況に思考は停止し、次の事態に対応する余裕などない。


凄まじい音と共に、受け身も取れぬまま今度は反対方向にむけた衝撃が全身を襲う。

次の瞬間、味わう無重力が前後上下の感覚を狂わせる。

まるで理解出来ない混乱と絶対的な死の恐怖から逃避し、情けなくも泣きながら椅子に縋り付く。

もうダメだ、もうーー、


「大丈夫だよ」


そんな俺を正気付かせたのは、場違いなほど穏やかな姉の声だった。


「舌を噛んだらいけないからしっかり歯を噛み締めておいで」


あまりに静かで落ち着いた具体的な警告。


ハッと我に返って顔を上げる。

視界に入ったのは姉の姿。

幼い妹を庇うように右腕で抱き寄せ、いかな衝撃も通すまいと身体で抱え込んでおり、左手と足は少しでも体勢を安定させようと肌が白くなるほど力が込められていた。


「お姉ちゃんが守っているからね。大丈夫だよ。」


そうだ、俺は、俺達は妹を守らなければならない。

自分を取り戻すとともに湧き上がった使命感に駆られ、がむしゃらに2人を抱き寄せる。

すると姉が顔を上げた。


「大丈夫だよ。」


ああ、これは俺に言っているのだ。

少しでも俺達の不安を拭う為に全力で自分の感情を押し殺し、落ち着いた声を用意している。


「大丈夫」


この言葉にはなんの根拠もない。

姉自身そんなこと分かりきっているだろうと思う。


「大丈夫」


ふと目をやった肩越しに針葉樹の先端が見えた。

窓ガラスを突き破って姉の背中に迫り来る鋭利なソレ。


このままじゃ死ぬ!


そう思うや否や俺は咄嗟に2人を引き剥がし、枝の猛威を避けさせるべく椅子の背もたれに押し付けた。


次の刹那味わった衝撃と激痛は人生最大のそれだった。


視界が暗転し、それでいて赤い光が目の中でチカチカと瞬いた。

全力全霊で込めた力が圧倒的な不可視の何かに難なく奪われる。

手足は投げ出され取りつく島もないにも関わらず、身体はどこかに固定され身動きが出来ない。

腹の痛みは凄まじいのに、それを上回る熱さで霞む。


まるで余裕のない不快感の嵐に見舞われつつも、見失った姉妹の所在を確認しようとやけになる。

そう、ヤケになっているだけなんだ。

分かっている。

これは現実逃避だ。

自分はもう助からないという現実と向き合いたくなくて、それとは関係ないことに必死になって正気を保とうと試みる以外出来ないのだ。


ぼやけた視界をなんとか宥めて目の前光景に刮目する。

まず見えたのは緑と赤。

腹に刺さった木とそこから溢れる自身の血液だ。

食い込んで離れないおかげで出血量は多くない。

多くない、が、


あー、こりゃもうダメだな。


他人ごとのような感想が漏れる。

もう俺のことはどうでもいい。

もう俺ははダメだ。

姉ちゃんと遥香は?

2人はどこだ?


動くと痛い。

痛みが最小限で済むように、目の動きだけで求めビトを探す。

沢山の緑の間に、沢山の赤の中に見慣れた人影を探す。

そして見つけた。


「…っ」


ガラス片らしきものが沢山刺さった姉を。

即死したのであろう、その酷く破損した姿を。


「…あ」


そして気づく。

気づいてしまった。


「…」


自分達が座っていたのはバスの最後尾だったと。

姉に刺さっているガラスの殆どは後部ガラスによるものだ。

姉をそこに押しやったのは、姉を殺したのは、自分だ、と。


冷水を浴びせられたようにサッと身体が冷える。

再び暗転しかける視界を引き止めたのは弱々しい啜り泣きだ。


「…ねぇ、ちゃん?」

「…遥香?」

「にぃちゃん!」


嬉しそうな妹の声。

死してなお抱かれた姉の腕から這い出してきた妹は大した怪我もなさそうだった。

それを見て少しだけ安堵する。

妹は、守れた。

もう、それだけでいい。


妹の姿を見て少し救われた俺とは対照的に、俺の姿を見た妹は小さく悲鳴をあげた。

木によって天井に縫い付けられた姿はさぞ怖かろう。

振り返って姉を見て、更に泣き怯える。

当たり前だ。

まだ妹は5歳なのだから。

意識を完全に手放す前に、最低限の指示を出してやらなくてはならないだろう。


痛いから喋りたくない。

動きたくもない。

もう何も見たくない。

でもそういう訳にもいかない。


「誰でもいい、電話しろ。

少しずつ食え。

少しずつ飲め。

あまり動くな。

いいな?」


そう言って3人の鞄を順に指指す。

妹1人なら一週間は余裕で持つだけの飲食物がある。


「やだ、やだ、1人にしないで…」

「…わるい。無理だ。」


縋る震え声に謝罪でしか答えてやれない。


「いいか、俺も姉ちゃんもお前が好きだ。

後悔なんてしてない。」


もう、何もみえない。

聞こえない。

俺の言葉は届いているだろうか?


「お前を守れて、良かった」


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