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ペルシアンラヴ   作者: 藤原去鬼(ふじわらさき)
19/27

ペルシアンラヴ 19

マンションはセキュリティもちゃんとしていて、荒木がルームナンバーを押すと、ペルシャ語でのやりとりがあって、入り口が自動で開いた。それから荒木は、皆にエレベーターに乗るように促した。

 「朗報だ。マリヤムがもう先に着いている。ファーテメより、彼女の見立てのほうが鋭いことがよくあるからな。マリヤムには見料とかは一切いらない」

 エレベーターで上がって着いたのは、なんの変哲もないマンションの一室。チャイムを押すと、スカーフをつけていない三十代だろうか、セーターにスラックスという普段着のままで女性が現れた。目鼻立ちが色濃く、笑顔になると大輪の花のようだった。

 荒木と軽くハグした。

 「ファーテメさんだ」

 「こんばんは。ワタシ、少し日本語できます。少しだけね」

 すぐにリビングに通された。絨毯が何重にも敷かれているが、普通の部屋である。ヴェールかマントを被った高齢の女性と水晶玉なんて想像をしていたが、まったく違っていた。 

      

リビングの中央には、薄いグレーのチャドルを着たマリヤムが目を瞑って座っていた。

 彼女は皆の気配を感じると、目を開いてゆっくりと微笑した。

 なんという微笑みだろう。

 清楚な花が少しずつ開くようで、部屋全体が彼女の微笑みで好ましいものに変わったようだった。

 女王みたいにも思えたけれど、権高なところはまったくない。なんでも優しく聞いてくれそうだ。陽一は、実家に帰った時の母親の笑顔を思い出した。

 マリヤムは立ち上がると、荒木とハグしあった。そして佐々木、加奈子、優、陽一の順でハグを続けた。香水ではないようだが、マリヤムらしい品のよい、どこか懐かしさも覚える香りが陽一の鼻腔を満たした。

 「初めまして。マリヤムです。ごめんなさいね、さっきなぜだか急に不安になって、それを抑えるために瞑想していました。もう大丈夫です」

 皆の顔をゆっくりと見渡しながら彼女が、まったく無理のない日本語で言った。位の高い尼僧をも思わせたが、それには艶やか過ぎた。荒木から聞いた年齢とは、とても思えない。また、あの大柄なアリの母親とも思えない。

 「実は、もう皆のホロスコープを作成してあります」

 マリヤムが何枚かの紙をファーテメから手渡されて言った。

 「申し訳ない。生年月日の個人情報を勝手に教えてしまった。ワシの責任です」

 荒木が深々と頭を下げたが、三人は異口同音にかまわないと答えた。

 

 「では、まずカップルのおふたりから」

「どうしますか。ほかの人には、別の部屋に行ってもらいますか? でも、ほかの方の意見も聞けたほうがいいのならば、ご一緒でもいいです」マリヤムが言った。

 加奈子がちょっとうつむき加減となったが、優が佐々木と陽一のほうを見ながら、はっきりと「一緒にいてください…荒木さんも」と頼んだ。

 「うん、僕の時もおふたりにいて欲しい」と陽一も答えた。


 「では、楽にして座ってください」

 ファーテメがチャイをそれぞれの前に置いた。そして、ファーテメはマリヤムの隣に座った。ふたりで、しばらくペルシャ語でやりとりすると、おもむろに日本語で話し始めた。

 「おふたりのホロスコープを見ると、とてもよく似ています。同一のものと言ってもよいくらい…もっとも、ファーテメには悪いけれど、ホロスコープだけでは判断できません。こうして、おふたりと直に会わないとダメです。また、荒木さんから、おふたりのこれまでのことも聞いています。では、ご本人たちからもあらましを話してください」

 優がふたりの出会いとそれからの顛末について、淡々と話し続けた。マリヤムは、時たま相槌を打ちながら、にこやかに話を聞いていた。そして、話が一段落すると、おもむろに切り出した。

 「まず、ふたりで泣き出した時の気持ちを教えてください。どんな気持ちになりましたか。言葉をつくらなくてよいです。その時の気分そのままに話してください」

 「…なぜか、ふたりであの宮殿にいたことがあったと思えました。そして、そう感じると、うれしい反面、とても悲しい気分にもなりました。そして、すごく辛くなったのです」

 意外にも、加奈子から話し出した

 「不思議なんですが、昔に海外赴任でイランに来た時も、初めて来たという感じがありませんでした。どうしてだか『帰って来た』と思いました。そして結婚前でしたが、夢に何度か、ペルシャ人らしい若い男性が現れました。その彼は優に似ています。だから、優に初めて会った時は驚きました。」

 「そうそう…あの宮殿でおかしくなったきっかけは、宮殿の中で宴会が描かれている絵を見て『ふたりに似たカップルが絵の中にいるね』と話してからなんです」

 優が言った。

 「…でも、あの日の午後、橋に行ったときは、とても幸せに感じました。欄干にふたりで座っていると、昔にずっとこうしていたことがあった、と思えました。イスファハンで最後の日に自由行動をした時も、どこを歩いていても初めてという気がしなかったです。そして、昔出来なかったことを、ふたりでしているという充実感がありました」

 さらに優が続けた。

 「…これも荒木さんから聞きましたが、おふたりとも、なぜかイラン、と言うよりペルシャに憧れの気持ちが強いようですね」

 マリヤムが言った。

 「ええ。なぜなのか分かりませんが、特にサファビー朝のペルシャに惹かれてしまうんです。とても懐かしく感じる」加奈子が答えた。

 「僕も同じです。サファビー朝とは最初は分からなかったけれど、ただペルシャなのではなく、あの時代に強く反応してしまうようです」

 「夕食の時、ふたりで床に座って食べ始めたのを覚えていますか」荒木が聞いた。

 「はい。自分でも何をやっているんだか、とも思いましたが、自然にからだが動いてしまったと言うか…」加奈子が言った。


 「輪廻転生」

 マリヤムが小さな声で言った。

 「…とても珍しいケースです。もしかしたら、ただの思い込みかもしれないとも思うけれど、似たような例はいくつも聞いたことがあります。イスラームの徒である私が、仏教みたいなことを言うとおかしいかもしれませんが、日本で密教の研究もして、その結果、輪廻転生は信じざるをえません。普通は前世の記憶は消えてしまうのだけれど、強烈過ぎる悲劇に遭って死んだりすると、どうしても残ってしまうことがあるようです。チェヘル・ストーン宮殿の絵を詳しく調べたら、もっといろいろなことが分かるかも知れません」

 「たぶん、あなた方はふたりともサファビー朝の宮廷にいた。そして相思相愛だったのに、引き離されて、もしかしたら処刑されてしまったのかも知れない」

 ここで、ふたりともわっと泣き始めた。

 しばらく、マリヤムはなにも話さず、ふたりを微笑んで見つめていた。そして、

 「これはあくまで仮定のことです。本当のことは誰にも分からない。そして、大事なのはこれからです。あなた方の周囲の人に『輪廻転生』だと言っても、信じてもらえないでしょう。これからどうしますか」

 「…もう、優ちゃんとは離れられないから…でも、妻でも母でもあるわけですし、優ちゃんのこと以外では、どんなに自分が損をしようと、酷い目に遭おうとも、話し合いでなんとか解決したいと思います」

 「僕も力を尽くします」

 ふたりとも、力を振り絞って答えた。

 「アッラーは、時に試練を人々に与えます。それを耐え難いと思うこともよくあるでしょう。でも『超えられない試練』が与えられることはありません。でも、ただ『宿命』や『運命』だと、徒に考えるのもよくありません。おふたりが出会って、普通はありえないほどの強い結びつきを得た。それはアッラーの慈悲の賜物ですから、大事にしたほうがいい。でも、それを人に対して振りかざしてはいけない。むしろ、そのことで人に優しくなれなければいけない」

 マリヤムの言葉の調子は、子どもに優しく言い聞かせているようだった。彼女は誰に対しても「母」なのだろう。荒木が話した言葉を陽一は思い出した。

 「さあ、おふたりはどう思いましたか? 」

 マリヤムは佐々木と陽一のほうを向いた。


 「正直、私は輪廻転生なんて信じられません。私たちが生きていて大事なのは『今』だけです。そこでどうするかは、その人次第。その時に逃げてしまったり、いい加減にしておくと、後で仕返しを受けたりするでしょうけれどね。でも、おふたりには『現実』との折りあいをなんとかつけて欲しいです。がんばって。応援します。」

 佐々木が言った。マリヤムは楽しそうな笑顔となり、陽一の方を見た。

 「…聞いていると不思議でしょうがないです。そんなこともあるのかと…でも、もしも本当にそうだとしても、それだけで片づけてしまうのは、僕もよくないと思います。与えられたら、それに報いなければ…」

 自分でそう答えたのだが、別人が言っているようにも感じた。

 「そうね。与えられたら報いなければ。また、辛くとも歩み続ければ報いは必ず得られます。それがどんな報いかは誰にも分からないけれど」

陽一の言葉にマリヤムが静かに答えた。

「もうひとつ。これは占いでもなんでもないけれど、加奈子さん、妊娠していますね」

「…はい」


皆が一斉に驚いた。

「驚くことではありません。アダムとイブの頃から、男女が愛し合えば子どもができるのは当然です。もちろん、どのカップルも絶対にそうではないでしょうけれど。今の世の中は、そんなことも当たり前でなくなっていて、おかしくなっているのでしょう」

「新しい命…それを喜びましょう。それのどこに悪いことがあるのでしょう」

 優が呟いた。

「…そうか、それで倒れていた時に、お腹を抱えて…」

優は加奈子の腰に腕を巻きつけ、額を押し当てた。

「おふたりとも、その新しい命を大事にしてください…これはお願いです」

 ふたりが静かに頷いた。


 「さあ、次はあなたね」

 マリヤムが陽一の目をじっと見た。


 その時、マリヤムの携帯に着信音が鳴った。

 「あら、ごめんなさいね」

 そう言ってマリヤムはスマホを取り出すと、耳に当てた。

 「バレ。ああ、麻子さん…」

 え、麻子から? なんだろう。

 「なにかしら? よく聞こえない」

「えっ? アリが死んだ…」

 

禍々しい暗闇が急速に広がった。(つづく)

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