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ペルシアンラヴ   作者: 藤原去鬼(ふじわらさき)
17/27

ペルシアンラヴ 17

 「光栄です」

 優が言った。

 

 「ほら早くメシ食いに行こう。遅れちゃうぞ」

 「はーい」みゆが素直に頷いた。

 ふたりは手をつないで去って行った。


 「あれ?」 

 陽一が見ると優は泣いていた。

 「なんか、とてもうれしいです」

 「そうだな、本当によかった。…正直、うらやましくもあるけれど、心からあのふたりの幸せを願うと、オレも力が湧いてくる気がする」

 「そうですね。みんなでなんとか幸せになりましょう」

 優が澄んだ声で言った。


 …そのとき、カウンターに速足でやって来て、田中が大きな声を出した。そして、奥さんの手を引っ張って、遮二無二ホテルの玄関を出て行った。

 ああいう風にだけはなりたくないな、と二人は顔を見合わせた。

 「…でも、可哀想です。あんな生き方。お金や力がどんなにあったって…」

 「自分で気づくしかないんだよ」

 陽一は静かに言った。

 …そのとき、突然荒木が現れて、田中夫妻のほうへ笑顔で歩み寄った。荒木は夫妻の荷物をタクシーのトランクへ入れるのを手伝うと、何事か田中と話している。最初は険しい顔をしていた田中だったが、驚いたことに最後は荒木と笑顔で握手していた。

 田中夫妻のタクシーで出るのを見送ると、荒木が戻って来たので、洋一は歩み寄っていった。

 「何を話していたんですか? 」

 「ああ、お孫さんに、と小さな人形を渡したんだ。ツアーの最初のほうでお孫さんのことを少し話していて、そのときの彼の顔には善性が現れていた。このツアーでイヤな思いだけを土産として帰国させるのも気の毒だ。それに彼は言わば悪役を演じることで、ほかの人たちの気持ちをひとつにしてくれたしな」

 「心底からの悪人はいない。彼もいつかは気づくと思う。自分が幸せになるにはどうしたらよいか。後で手紙も差し上げようと思う」

 「ぼくにはとてもそんなことできません」

 「ワシにとっては、これも役目だよ。マイナスのものをそのままにしておくと、被害が広がる。さらにマイナスがふえるからな」

 荒木はにやっと笑うと立ち去った。



 九時五分前に、また陽一はロビーへやって来た。

 驚いた。


 麻子がいた。

 もう、当分会えないと思っていたので、拍子抜けした気分もあった。

 小走りで彼女に近づいた。

 「おはよう。考えたらしばらく会えないかもと思って…私、明後日からパレスチナへ行くし…」麻子が先に話した。

 陽一は無言で頷いた。うれしくもあったが、次にいつ会えるかはまったく分からないとも自分も思えた。


 「さあ、皆さん、せっかくですから集合写真撮りませんか。私が後程お送りします、お見送りの方も入ってください」

 佐々木がカメラを持って、皆に呼びかけた。

 ホテルの前で写真撮影が始まった。

 田中夫妻ぬきとなったメンバーは、みんな笑顔でフレイムの中に納まった

 「はい、では、親子の方もいらっしゃるけど、皆さまカップルなので、カップルでも撮りましょうね」

 有無を言わさず、佐々木は夫婦やカップルを並ばせた。カメラは、それぞれのカップルの持っているもので撮った。まず、高齢の夫婦の方々が、にこにこしながら画像のなかに収まった。時武のご主人は、奥さんに向かって唇を突き出して、パチンと叩かれていた。

 村中とみゆは、べったりと。

加奈子はまだ悄然としていたが、彼らは後ろから互いを支えあっていた。…そして、陽一と麻子は手をつないで、からだを寄せ合って…

 「若い方三組も一緒に撮りましょう」

 村中が両手で、森村親子と、陽一と麻子とを引き寄せた。それぞれ三台のカメラの画像で、村中がどや顔で中央に収まった。 

 陽一は、もしかしたら当分、これが麻子と一緒の最後の写真かもと、心のどこかで思った…。

 

 「ではもう一度、おはようございます。これから二〇分くらいで空港に到着します。今日からは最後の首都テヘランの観光です。ご帰国は明日ですが、航空機の発着時間が遅いので、明日も観光の時間があります」

 「テヘランでも、観光はいっぱいありますから、どうぞご期待ください」

 佐々木と荒木がアナウンスした。


 「パレスチナへ行って、何をするんだい? 」

 バスのふたり掛けシートの窓際に麻子を座らせて、陽一は尋ねた。

 「うーん、正直まだよく分からない。もっとアラビア語を勉強しながら、子どもたちや困っている高齢の人たちの面倒を見たり、かな」

 「給料とかもらえるの? 」

 「うん。もちろん会社にいたときみたいな額じゃないけれど、国連の下部組織のメンバー待遇になってる。アパートも用意してくれるの…あ、アリとは別の部屋よ」

 そんなの聞いてないって…ま、いいか。

 「アリは…あのからだで大丈夫? 」

 「彼は全然平気よ。銃弾の飛び交う中にひとりで行ったこともあるらしいし。段差のあるところを通るとか、車に乗ったりするとき以外は介助もいらないの。むしろ、私の方が足手まといかもしれない」

 「危ない目に遭わないようにね」

 「ありがとう。でも意外と安全なのよ。日本人も今まで、かなりの人が現地を訪ねているけれど、死んだ人はいないから。知っている限りで、足を撃たれた女性がひとり、ゴム弾で片目をなくした男性がひとり…」

 「…それは危ないってことだろ」

 「大丈夫だってばー。あなた、私のこと知ってるでしょ? 」

 けっこう強情だな、と思った。それが「つきはなし」なのか「甘え」なのか…

 少し沈黙があった。外で警笛を鳴らす車の音が聞こえた。

 「オレも、そのうち行ってもいいかな? 」

 「『あぶない』ところに来るの? 」

 来られるなら、来てごらん、という気持ちを少し感じた。

 「…いや、マジメな話、荒木さんからいろいろ聞いて、本当のことが知りたくなった」

 「だって、『テロリスト』のいっぱいいるとこよ」

 ちぇっ。皮肉かよ…

 「ごめん。オレはいろいろなことを知らなさ過ぎた」

 「…フツーの人が来るとこじゃないから。私がいるから、だけでは来るのはあなたのためにもいやなの」

 「私も、アリが行くから、だけで行くわけじゃない。でも…」

 「…あなたも『いつか』来て。私に会うだめだけではなく」

 少しの間、ふたりは見つめあった。「交渉成立か」なんて風に陽一は思った。

確かに、単純に「行きたい」「いーよ」というものではないなとは思う。

 …また「何かを間違えた」と言う気もした。いつまで間違え続ければいいのだろう。


 空港の前に着いた。

 「ここで運転手のホセインさんとハミッド君とはお別れです。拍手をお願いします」

 ふたりが愛想のよい笑みを見せた。

 

 空港の前に立って、

 「もうここらでいいよ」と陽一は言ったが、

 「ううん、なかまで見送る。アリの時にも来たので、要領は分かっているし」

 ふたりに同じようにしたい、という麻子の気持ちが分かるように思った。

 「はーい、それではチェックインをいたしますので、皆さまはこの辺りでお待ちください」

 ふたりは椅子に座った。


 「会社、騒ぎになっちゃった? 」

 「総務部長がぎゃあぎゃあ言ってたよ。つきあってた、みたいなこともつい言ってしまって、しまったと思ったけど、麻子が既に退職届出してたからお構いなしだった」

 「本当にごめんね…でも、三月は決算期なのに、よく休みとれたね」

 「まあ、なんとかね。代わりの人もすぐ来たし」

 さすがに土下座までしたとは言えなかった。でも、そんなことはどうでもいいんだ。もっと麻子とは、話さないといけないことがあるはず…


 「…あなたのことは好きよ、今も。一緒にいて、無理に自分をつくらなくていいの、あなたといると。でも…」

 うれしくって飛び上がりたくなったが、なんとか抑えた。

 「いいさ。すべてはなるようになるよ、きっとね」

 え? そうじゃないだろ!

 「そうだね」

明暗が一緒になったような表情で麻子が答えた。


 「では、皆さま、お待たせしました。搭乗券をお渡しします」

 くっそー、佐々木さん、「待って」なんかいなかったよ…

 搭乗券がメンバーに配られた。

 佐々木は陽一のところに来ると、ちょっと目配せした。「いい娘じゃない」と目で言っている。もちろん、と陽一は目で答えた。

 「じゃ、ゲートへの入り口まで…」

 麻子はそう言うと立ち上がった。仕方なく、陽一も立ち上がった。

 …夕べ、そして今日の朝に麻子が来てくれたときの喜びはまったくなくなってしまった、芯がなくなって、ふらふらと陽一は歩いた。

 麻子の表情にも笑みはなかった。

 「どうした? 」

 「うーん、なんかとても不安」

 それはオレたちのこと?

 「…そうじゃないの」

 え? 今の、オレ、口に出していないよな。

 「なにか得体のしれない不安が…」

 実はオレも感じている…

 「明日、出発するからかしら。あなたも明日、日本へ戻るのね…」

 いや、それだけじゃないと思う。

  「じゃあ、また会える日まで元気でね」

 麻子が、なにものかを振り払うように笑顔になって、手を差し出した。

 こわれものを扱うように、陽一は華奢な手を握った。これが麻子との最後の時間かもしれない、と思ってしまい、心の内では激しく否定した。


 「あ、そうそう。あなた今晩、マリヤムに会えると思う。明日、テヘランに着くって言っていたから。素晴らしい人よ。アリより、私好きかもしれない」

 「ああ、会えたらいいなとオレも思ってる」

 麻子はやはり、こちらの姿が見えなくなるまで入り口にいて、手を振ってくれた。

 …まだ、間違えている。なにがよくないのか。…それと確かに「得体のしれない不安」。麻子との別れがやっぱりそれなのか。


 佐々木が傍に来た。

 「どうしたの~、彼女との別れの気分を邪魔されたくないかな」

 「佐々木さん、僕はどうしたらいいんでしょうか」

 強張った表情のまま、立ち止まって佐々木を見た。


「…ごめんね」

佐々木が、真顔になった。

 「そうねえ、私だったら、どんづまった時には、なるたけなにも考えないようにして、とっさに行動する。『死中に活』ってヤツかな」

 「じゃ、シラーズにこのまま残って、彼女と一緒にパレスチナへ行く? 」

 自分でも考えていなかったことを言ってしまった。

 「それが答えだ」と、どこかで声がした。そんな…無理だろ。

 「こらこら。早まるな。よく考えなさい」

 陽一は頷いた。

 「ラッキーが、テヘランに着いたら、アヤシイとこに連れてくって言っているし。それからでも、今後をゆっくり決めたらいいよ」

 「アヤシイとこ? 」

 「占いをするとこみたい。悪徳商法だったりして」

 「そんなことはないでしょう」

 「ほーら、人の言うことにすぐ反応する。しかも、やっぱり『笠さん』だ。切羽つまっていても、切羽つまらない…これは褒めているのよ」

 でもなんか、バカにされている気もする。

 「あ、『バカにされている』って思ったでしょ。そんなことないって。君はすぐ顔に出るのよ」

 まったく。「ねえさん」にゃ敵わないや。そうか「顔に出る」から分かられてしまうんだ。麻子もそれで…

 「…君は自分で思っているより、ずっと大きなところがあるのよ…もっと自分自身を信じなさい」

 高子が真顔で言った。

 …そうかな。でも、姉さんがそう言うなら…いつの日か…


 荒木は村中たちと一緒にいた。三人とも笑顔だった。それを見てよかったなあ、と思った。少し気分も軽くなった。

 国内線に乗る、と聞いていて、とんでもないボロだったらどうしよう、とも思ったが、意外と新しい航空機だった。飛行時間は一時間と少し。テヘランからイスファハンまで、バスであんなにかかったのにひとっ飛びだ。一方で、五日間しか経っていない、というのが不思議でたまらなかった。

 …三人掛けの席で、陽一はひとりだった。佐々木が気をつかってくれたらしい。飛び立つ前に、佐々木は陽一の席まで来た。(つづく)

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