考えたこともないイランの旅で、陽一は思ってもみない不思議な出逢いを経験する
ときはながれわたしはのこるときはながれわたしはきえるときはながれみなきえるときはながれときどきとまる
ペルシアンラヴ
…さっきから、ずっと同じ眺めだ。
砂漠、とまではいかないけれど土だらけの世界。固くて埃っぽい大地が延々とつづく。少しは草も生えているが、すっかり白い土にまみれていて、半分枯れているようだ。バスから降りたときにさわってみたら、たくさんの棘があった。ラクダ草と呼ばれているらしい。ラクダはこんな草を食べるのか。「人」のよさそうな顔をしているのに、それであんなに怒りっぽいのか。汚い唾を人に向かって吐き散らすのか。テレビでラクダの生態について見たときのことを思い出した。
まだ三月なのに気温も高い。直射日光下では三十度以上だろう。じりじりと焼かれるように感じる。一転して、日陰に入ると急にひんやりとする。太陽の光が矢のように降り、角度のついた強い影をつくり出す。
ときどき人も見る。
男も女も、衣服には白っぽい土が部分的にまぶされていて、どこか非難がましい目をしているように見える。恨みを込めて見つめているようにさえも思える。特に、黒い「チャドル」だったか、民族衣装を頭からすっぽりと身につけた女性の視線は痛いようにさえ感じる。目が合うとバスの中まで届き、針みたいに突き刺さる。
なぜあんなに目ぢからが強いのか。若い女性だけでなく、ふっくらとした輪郭の高齢の女性さえ、強い目の光を放っている。なにに怒っているのだろう。観光客であるバスとオレたちに怒っているのか。
まったく、とんでもない国に来てしまったよ。
じりじりとした落ち着かない気分になる。来たばかりなのに早く日本へ帰りたくなる。
いつだったか、テレビのBS放送でタヒチの特集を見た。ホテルは海の集落風ながら、センスのよいリゾートの雰囲気にあふれ、食事は洗練されたフレンチ。なにより海は宝石のように輝く。山の緑は原色のように濃い。
そしてなにより褐色の肌の若い女性。そのしなやかさ。それに引き換え、この国の女性は、頭からの黒い民族衣装をみんな着ていて、太った黒いこけしのようにしか見えない。色気もなにもない。それでいてあの目つきだ。早く帰りたい、本当に。
「あと、もう少しでゴムに到着します」
添乗員の女性がアナウンスした。
あ~別にどうでもいい。
麻子がこの国へ来たと知らなかったら、こんなところには来ないのに。
受験も就活も乗り越え、入社した大手銀行の勤務は退屈極まりない。研修の後に「君の判断力の速さと正確さは素晴らしい」と言われて、配属されたのはデータ処理に明け暮れる顧客係。
職務内容は膨大な顧客データから、どの顧客が会社のためになるのか、ならないのか、決められた無数のデータをベースとして仕分けすること。それを元に、実際に営業するおっさんたちがすべてを最終的に決める。でも、データの世界よりも彼らはずっと酷薄だ。結局残るのは彼らが経験から選別した利潤最優先の判断だけ。…でも、不思議なことに、どんなに損失を出していても、消されない顧客がいる。…なぜだろう。でも、訳は聞けなかった。
…入社後五年くらい経ってから、営業部のあるおっさんが残業している時に来た。酒を呑んでいるような、よれっとした感じだった。もう夜の一〇時前だったから、正直言って迷惑だった。しかし、眉が寄った洋一の表情を見ても委細構わず話しかけてきた。
「あのなあ、君は知らないだろうから教えておく。
ある一定以上の財を持つ財産家層は固定・保護されていて、彼らとの関係はほぼ永遠。もちつもたれつが続くんだよ。君がいくら分析して報告をしても、変わらない部分があるだろう? 彼らは大損失を出しても、実はそれは表向きだけだ。トータルで必ず利益を出すようにしている。それは極秘だから、君のところにデータは来ないがね。資産の額が一般人とは桁違いなんだ」
「でもな、そのレベルにまで至らない連中については、世界の誰であっても、どんな企業であっても、損得勘定だけで判断される。事業の内容が社会的に有用であるかどうかは関係ない。大事なのはウチの損得だけ。データ上のお金が増えるか減るか。増えれば優遇。利益が見込めなくなれば断絶。誰が相手でも同じなんだよ」
「たかだか年収二~三千万円の奴らが、経済格差是正というと、たくさん税金を取られると思うのか嫌がるが、そんな程度の連中は大勢にはまったく影響ない。重要な、もっと巨大な資産を持った層のほとんどは、表社会では隠然として目立たずに、しかし、はるかな昔からずっと存在している。『目立つ金持ち』なんて、所詮馬鹿な成り上がりだけさ。本当の金持ちは長年の経験から、目立たないよう、人の恨みを買わないようにする術に長けている」
「今の経済、社会のシステムを変えてはいけない。ある一定の規模を越えた大企業や富裕層が安定した状態にあれば、銀行も国家も安泰さ。国全体で貧困層が増えたって、経済格差が酷くなったって、貧乏をこじらせたのが多少死ぬような世の中であっても、全体的によけりゃいいじゃないか。多くの人が無事に生きられればいいだろう」
「時には戦争も大不況や経済格差などを背景に起きるが、
結果として大企業や富裕層はますますそれで肥え太る。価格が下がったところで買い占めればいい、破壊されたところを最低価格で買収し、彼らにしたら僅かな資金を投入して新しく築けばいい。戦争や恐慌は彼らにとって刈り入れ時だからな。一種の『リセット』なんだよ。『決算』と言い換えてもいい。でも、そうだったって世の中だいたい治まりゃいいんだよ。そうだろ? 昔からずっと、これの繰り返しさ」
…なにか理屈をつけながら、そう説明してきた。仕方なく、仕事の手を休めずに聞いた。それが事実ならとんでもない世界に生きているような気もするが、まあ、どうでもいいさ、自分には関係ない。
ふっ、とため息をついたら、もうおっさんはいなかった。
…気づいたら、がらんとした広いフロアに残っているのは自分ひとりだった。
二階の大きなフロア。人のまなざしは明るくなくとも、灯りだけはいつも明るい。帰宅時には机の上のものはきれいに整理されて、生産の終わった工場の現場みたいになる。墓のような机の列と妙に瑞々しい観葉植物が残るだけ。陽一はむしろ、みんなが朝に出社して机の上が乱雑になっていくのを見るのが好きだったけれど。
コーナーの、密閉されてはいないが、個人情報保護の観点からも、仕切りをされたスペースが自分の部署。毎日、セーフティボックスとPCを上役ふたりの立ち会いの下、認証コードでログインし、帰りには個人情報のある書類を必ずセーフティボックスに入れてログアウト。用のない人間はむやみにここへ来てはいけない。逆に離席も頻繁にはできない。担当の二名が昼食や外出などでどちらも離席する際には、近くの上司に必ずその旨を告げる。もちろん監視カメラ付き。
なんだか毎日、ずっと少しずつ消耗し続けている。もうひとりの同じ部署のおっさんは、このところ判断能力がかなり落ちている。IT業界から来た契約社員で、データ処理の能力はあるが、四十代初めなのに覇気のない表情と薄い頭髪でずっと年上に見える。いつも仕事がひと段落すると「あ~しんど」と言うだけ。
ある真夏の盛り、どうしても仕事のことで、ふたりで外出しなければならないことがあった。その帰りに一緒に喫茶店に入った以外、まったくプライベートでの接点はなし。喫茶店でも、ほとんど会話は成り立たなかった。最後には、アイスコーヒーの残りをクラッシュアイスとともに、胃に流しこんで外へ出た。お陰で頭が痛くなった。七年間一緒に働いていて一度も呑みに行ったこともない。昼はいつも、彼の食べるのは三八〇円のから揚げ弁当。ほかには会社の備え付けのお茶を飲むだけ。子供がふたりいるらしいが、尊敬されてはいないだろうな。
そのおっさんが契約期間満了で、突然出社しなくなった代わりに、四月に入って来たのが浅田麻子だった。
新卒の女性と組んで仕事できるなんてと、同期の男の社員は羨ましがっていたが、別にそんなにうれしくもなかった。単調な仕事のせいか、なにもかもが麻痺していた。ただ、前の同僚の「あ~しんど」という、日に何度も繰り返された脱力感たっぷりのセリフを聞かずに済むのがうれしかった。いつも机の上にのせていた、元々は白だが、日に日に汚くなって、全体が黒ずんだ頃にやっと換えられる、汗ふきのためのタオルがなくなったのもよかった。いきなり契約期間満了で退社となって、ふたりの子供を抱えた前任者の苦難なんて、正直考えもしなかった。
やって来た麻子は誰もが振り返る美人ではなかった。でも、ちょっとクセのある長い髪から始まるシルエットは女性らしかった。すごく手足が細いということもなかったけれど、指は細くて白かった。
…仕事は毎日、とにかく朝から「しまくらない」と終わらない。そういう風に上司が仕事量を調整しているのだろうか。しゃかりきになってPCで作業を続ければ、もう夕方。前のおっさんと仕事をしているといつもそうだった。七年間、それに明け暮れた…
ところが麻子が来てからは、朝に「こんなの出来るかよ」と思っていた仕事の山が、いつの間にか消えている。初めの頃は「女のくせに…」。それが「女でも、こんなに仕事が出来るヤツがいる」に変わった。ひと息つけるようになった。自然に会話をするようになった。
…ある日のお昼前のことだった。
「みんな、
やっておいでよ。
さすらう人も…」
麻子はそんな詩のようなものを何度か呟いていた。仕事中だったので、ちょっと驚いて彼女のほうを見ると、顔が白っぽく透けて見えて汗が横顔に滲んでいた。言葉もカゲロウのようだった。
「どうしたの? 気分が悪いの?」
「…ごめんなさい。ちょっと貧血気味で…」
「ちょっと休んだほうがいいよ。でなければ病院に行くとかさ」
具合の悪そうな麻子を見たのは初めてだったので、陽一は少し慌てた。
「すいません…そうします。午後は半休にさせてください」
「立てるかい? 病院まで付き添おうか?}
「そんな…大丈夫です。ご迷惑だし…」
少しよろけながら、席を立った麻子を思わず支えようとしたら、手を突き出して頑なにこばんだ。いつもソフトな対応だった麻子にしては珍しい意思表示だった。多少、強引にでも病院に付き添おうとした陽一だったが、女性特有の体調不良だと失礼かなとも思った。
…会社からの帰り道、麻子の呟いていた詩のような言葉を、どこかで聞いたような気がして、何度か思い出そうとしたが、どうしても分からなかった。
翌日、麻子はいつものように笑顔でやって来た。そんな麻子を見て、胸の奥がちょっと疼いた。
「大丈夫?」
「はい。ご心配かけてすいません」
「君が昨日呟いていた詩みたいなヤツ。どこかで聞いた覚えがあるんだけど…」
「え? なんか言っていました? 私」
「みんなおいで…とか」
「池谷さん、知っているんですか?」
麻子の眼の輝きが少し強くなった。
「いや、なんだかどこかで…って程度だけど…」
「…そうですか」
ちょっと麻子は視線を下に落としたが、それっきりだった。
麻子が職場にやって来てから一か月経って…自分ではまったく気がつかなかったけれど、同期の同僚に言われた。
「なんかお前さあ、すっかり表情が明るくなったなあ。今までは、目がちょっと吊り上っていて、なんか敵意とか面倒くさいって気分がモロだったけど、最近は人の話を笑顔でよく聞くし、何より明るいよなあ」
「浅田さんとつきあいでも始めたか?」
「馬鹿言え! 社内恋愛はダメだって、さんざん研修でも言われているだろう」
誰との間にも壁を感じる会社だったが、同期の同僚にだけは少しは本音で話せた。ときたま飲み会では年齢相応に弾けたが、それがなければ以前はとても耐えられなかった。社内恋愛厳禁というのは、銀行という組織のなかで恋愛などすると、ときにとんでもないことが起きるためだ。二十年前の巨額の横領事件が「恋愛禁制」の社則の決定打となったらしい。社内で交際しているのが露見したら、どちらかひとりはすぐ退社しなければならない。
まあ、いずれにしても彼女とつきあっていないのは事実だ。
麻子と話していて、少しずつ思い出したのは、ひとつには小学生の頃だった。陽一は幼い頃は、妖怪とか怪獣とかSFとか、空想的なものが大好きだった。そういう本を買ってもらうと、擦り切れるまで読んだものだ。
…あれは小学五年の時だったか…ともだち五人と連れ立って、都心から郊外へ「妖怪探索」に行った。春に、偶然進学塾が休講となったときだった。少ない所持金でどこまで行けるか協議した結果だった。
駅から降りると、薄い雲が青空に溶け込んでいた。
入ろうとする森は、正面に立つと奥へ行くほど暗く見えて、違う世界への入り口と見えた。大きな森自体が蠢いているように思えた。恐る恐る入って行って、最初に声を出してしまったのは陽一だった。なにかが足元で動いた。飛び上がって声にならない声を出してしまった…でも、それは野良猫だった。そのことをずっと後まで言われた。でも、そのことさえ今は懐かしい。
「いる」と聞いていたのは「小豆はかり」。小豆の音をしゃかしゃかとさせるらしい。森の中へみんなで入って、耳も目も大きくなった。いや、からだ全体で何かを感じようとしていた。
ふと、ひとりが言い出した。
「おい、聞こえないか」
「なにが」
「『しゃかしゃか』って聞こえたろう? 」
「聞こえないよ」
「もっと耳を澄ませろよ」
そいつの語尾が震えているので、「なにか」を感得しているのだとは思った。
「なあ、小豆はかりって、だるまみたいな形していたよなあ」
「うん」
「だったら、あれはなんだ…」
指さす向こうの木の下に、だるまみたいなものがあった。
「出た―」
みんな全速で森の外に出た。
動悸を感じながらも、みんな目が輝いていた。帰りに買って食べた、アイスキャンデーの味さえすぐに思い出せる、今も。
…中学二年になって、もう一度、陽一は行ってみたが、木の根元に、だるまの人形が捨てられているだけだった…
しかし、思い出すと笑顔になれる。
しかし、小学校も高学年になってくると、両親が勧めた進学塾と身体鍛錬のクラブ活動で忙しくなり、中学・高校でも同じだった。無事入学した志望大学では、就職に有利とのことで経済研究会に入った。メンバーは最悪だった。普段は経済だの政治だのについて、偉そうに断定的に話すが、飲み会でちょっとでも魅力的な女性がいると、すぐにでれでれと軽い話しかしなくなった。でも、自分も大差なかった。
「我慢していれば、いずれすべてはよくなる」
…はずだった。
あらゆる点で両親はサポートをしてくれていた。建築資材会社で事務をしていた父は、課長止まりだったが、自分の小遣いを減らしてまで、いい進学塾に行かせてくれた。趣味の釣りも止めてしまった。それまで、休日にいなかったと思うと、喜々として釣果を持って帰った笑顔が見られなくなった。
でも、なにかずっと「休み」がないままに過ごしてきたような気がする…。多少長い休みを取っても、小学校四年の頃まで、夏休みの初日に感じたような喜びは感じない。五年生からは夏休みは進学塾通いでほぼ埋まっていた。たまに家族や友人と旅行しても、いつも頭のなかではどこか「早く終わって欲しい」と思っていた。就職後は会社の研修以外、少し時間ができても、流行の音楽や映画を聴いたり、観たりするのがせいぜいだった。でも、高給と安定は手に入れた。
今は、ちっともそのことをうれしくは感じないけれど…
「映画になるとダメですよね。『指輪物語』はまあまあ観られたけれど、『ナルニア』なんかはヒドイです。悔しいです。ほぼ原作の通りに映画化しているのに、ちっとも感動できない。子どもの頃は読んであれだけ感動して泣いたのに…。ある巻の映画化では、最後のテロップで慣れ親しんだイラストを観たときに、やっと涙が出ました」
「『ナルニア』だったっけ。リーピチープっていう生意気なネズミが出てくるのは」
「あらいやだ。リーピチープは大好きです。あんないいネズミはいませんよ」
「いや、僕も昔は大好きだったよ。特に戦いで重傷を負ったリーピチープが尻尾をなくして、その隊長リーピチープへの忠誠から、周りに仲間たちが集まって、自分たちも尻尾を切り落とそうとしていた場面なんかよく覚えているよ」
麻子がうれしそうに笑った。
「『指輪物語』のカッコいいところは、苦難に満ちた旅が続いて、絶望的な戦いが何度あっても挫けないところだよね。子どもの頃は絶体絶命の『望みなき戦い』へ向かう自分なんて想像をよくしたっけなあ」
また、麻子の口元に白い歯がこぼれた。
…しかし、こんなことを話しているところを、同期の連中に見られたら、徹底的に馬鹿にされるな。ファンタジーや童話…。ましてや、それを好きな自分なんて…。
二ヵ月くらい経ってから、いつの間にか、週に一回、そして二回とふたりだけで昼食へ行くことがふえた。
社則の「社内恋愛厳禁」に、少し後ろめたさを感じながら、ちょっと会社からは離れたところで待ち合わせした。
いつも、待っていて彼女の姿を認める度に、まるで初めてのようにときめいた。ああ、また会えた。仕事場でいつも一緒にいても、それとはまったく違った時間だった…
麻子とふたりでいると、異性とふたりでいるというどきどき感はあまりないのだが、とても満たされて穏やかな気持ちになる。なにより彼女の笑顔が本当にうれしい。彼女の笑顔を見るためだけに生きているような気がしてくる。
帰りにバーで飲んで話すようになり、初めて休日に誘ったときには、電話をするだけなのにずいぶん身支度を整えてしまったが、あっけなくオーケーの返事をもらって昼食を一緒に食べて、映画を観た。少しずつ会う回数はふえ、からだにふれあう回数もふえ、最初の外泊も自然にそうなった。そんなことはしないお嬢様だと思っていたけれど「両親には友だちのところに泊るって言ってあるから。もちろん友だちにも言ってあるし」と悪戯っぽく笑った。
高校時代から、通算して三人の女性と恋愛らしきものをしていた。
それぞれいい思い出を遺してくれた。でも、なんとなく三人とも別れてしまった。麻子と会う以前は、あと何年かで見合いで結婚かな、とうっすらと思っていた。
ところが麻子は前の三人とは違っている。高価なものを自分から要求したことは一度もないし、高額なプレゼントや豪華なホテルやディナーも喜ばない。
つきあい始めて最初のクリスマスでも、世のカップルが一年以上前から予約するロマンティックなホテルでの高価なディナーと宿泊の予約が取れた、と言っても麻子は喜ばなかった。むしろ、そんなにお金を使うのなら、これに寄付しない? と難民サポートのパンフレットを見せられた。
そういうタイプの女かよ、と思った。正直、ちょっと興醒めした。しかし、大きな駅の構内で、たくさんの人々が往来していたが、瞳を潤ませて切々と訴えられた。
「ね、お願い。クリスマスって、みんながその日だけは神さまのことを思い出して、ちょっとだけでもみんなが幸せになれる、そんなことを考えられる数少ない日でもあると思うの。…だから、辛い、悲しい思いをずっとしている人たちにも、少しだけ分けて上げましょうよ。分けられるものがあるのなら」
すぐに、弾かれたピンボールのように言い返してしまった。
「…なんかさあ、募金とかってウソも多いらしいし、なんか偽善ぽくってイヤなんだよな」
「そんなこと言わないで。このパレスチナの難民支援の団体は、友だちが関わっているのだけれど、ちゃんとしたところなの」
「パレスチナ? テロリストがたくさんいるところだろ?」
「あなた本当のことを知っていて、言ってるの?」
「もういい。クリスマスはおひとりでどうぞ!」
ヒールの音を高くさせながら、身を翻し、駅の構内をつかつかと彼女は遠ざかって行く。ああ、もう、仕方がない。後を追わないと。しかし、こんなに怒った彼女は初めて見た。そんな支援とかに関わっているとは知らなかった。今まで、そんな話は今まで一度もしなかったのに…
追いかけて、やっと彼女の肩を捉まえたら、にっこりと笑って振り向いた。
「実は…このホテルを予約してあるの。そんなに豪華じゃないけど。ちょっとお洒落よ。だから差額は寄付しましょう! 」
と言って、パンフレットを差し出した。
…幸い、それからは「その手」の話はなかった。優しいからたまたまそんな気分になったのだろう。
デートのときも割り勘にしましょうよって言われることが今でもけっこうある。前の三人は、当然のように、すべて陽一に払わせた。また、ファッションなどすべての流行に敏感だったが、麻子は、化粧は控え目で、服も地味な紺やグレーしか着ない。でも、どこか仕草などが華やかな雰囲気を時に感じさせた。そんな瞬間をほかの男が見ていないかと、いつも警戒してしまう。
彼女が椅子から優雅に立ち上がるとき、足を組みながらにっこりするとき、仕事の話を、髪をかき上げながら真剣に聞くとき…。
だめだ、完全に惚れちまったな。
麻子といると、ずっと昔から一緒にいたような安らぎを感じる。それも互いにだと思う。喜怒哀楽も一緒だ。そのことを話したわけではないがなぜかそう確信できる。ときめきには欠けたつきあいかも知れないが不満にはまったく思わない。自然で素直で幸福な時間が積み重ねられた。夫婦になるにはよいのだろうと思った。
幸せになれるのだろうと思っていた。
しかし…翌年の二月の中旬だった…
月曜の朝、陽一が会社へ来てから、いつも来る時間になっても彼女は現れなかった。体調が悪くて会社を休む時には、いつもスマホにメールをくれたのに。どうしたのだろうと思いながら電話してみようとした。すると、総務部長がどたどたとした足取りで陽一のほうへやって来た。
「池谷君、君はなにか知っているかね?」
眼鏡の奥には少し歪んだ光も見えた。安い油っぽい、整髪料の臭いが近つく。
「は? なんのことですか?」
「何も知らないのか? 浅田君から総務宛に辞表が添付メールで来たんだよ」
「ええっ本当ですか」
「君、何かしたんじゃないのか? 子どもができて堕ろさせたとか? 今どきの若いのはそれくらい平気でやるからなあ」
いきなりどぎつい話をしてくる。濁った目に好奇が宿る。
つい陽一は反応してしまった。
「そんなことありません! 真面目です僕は」
「ほう…では交際しているのか? 社則は知っているはずだが? 」
不快な暗いにやにや笑いが拡大していく。
「それどころじゃないでしょう! とにかく彼女と連絡つけないと…仕事が困ります」
辞表…なにかの間違いだと思いながら、陽一は廊下へ出ると震える指先でスマホにタッチしようとしたが、なかなかうまくいかなかった。
土曜の夜、笑顔で別れてから、昨日の日曜の昼にメールしたときも「家で本を読んでいる」と返信してきた。夜に「おやすみなさい」のメールは来なかったが、彼女はときに音楽を聴いたり、本を読んだりしながら、そのまま寝ることがあるので不審には思わなかった。
ただ不安だけが黒く深く広がっていた。スマホはなんとかつながったが「お客様のご都合で通話ができません」と繰り返されるだけだった。いったいなにがどうしたのか、どんな心当たりもなかった。怒らせたことは、少しくらいはあったかもしれないけれど…。
まるで飼い主に急に捨てられた子犬のような気分だった。「ボク、可愛がられてずっと安心して甘えていたのに、愛されていると思っていたのに、なんで突然捨てられたの?」
「総務部長! 浅田さんの家に行ってみます」
廊下からとって返すと、総務部長に言った。
「だって君、今日の仕事はどうするんだ?」
「すいません。後で帰社して残業してでも片付けます。上司の栗原さんにも伝えてください」
なにか自分のなかから、大事ななにかがこぼれていくような、すごく空虚になっていく感じがしながらも、陽一はそれをひきとめようと必死になった。
…外へ出ると、曇天の重苦しい圧力を感じた。まるで空にも大陸があるようだ。
彼女の家は大きな家ばかりが並ぶ大田区の北にある。父親は西洋史専門の大学教授で、母親も高校の歴史の教師だった。最初に訪ねたときには、馬鹿なことを言ってはいけないと、強く思い込んで固くなり、敬語の使い方が滅茶苦茶になってずいぶん笑われたものだった。しかし、そんな陽一にご両親はかえって親しみをもってくれたようだ。なによりもひとり娘をよほど愛しているらしく、そんな娘が連れてきた彼氏に問題などなかろうと、最初から無条件に好意を持ってくれているようなところがあった。
「すいませーん、池谷です!」
赤い煉瓦づくりの壁に、どっしりとした木のドアのある玄関の前で、二度チャイムを押すと、重ねて陽一は大声を出した。
「はい、今開けますよ」
父親の声だった。大学ではかなりの数の講座を受け持っているようだったが、今日は休みなのだろうか。
「おお、君か。君はなにか知らないか? 」
麻子の父親は、鷲鼻で濃い色の眼鏡がよく似合った。厳しそうに見えるのだが、親しい相手には優しい笑みがすぐに浮かんだ。学生にも人気があるらしい。しかし、今は顔全体に暗い陰影が感じられた。
「僕も何が何だか…麻子さんはいないんですか? いったい、なにが起きたんですか?」
「それが…いきなり、昨日の午後に夕食の買い物から帰るなり、旅の支度を始めてな、イランへ行くと言い出したんだ」
「イラン? なんでイランなんですか?」
「私たちにも、まったく見当がつかない。秘密を持つ子ではないので、私たちが知らないことはないはずなのだが…何度聞いてもまったく訳を話してくれなかった。ただ、断固たる、といった表情をしながら『イランに行きます。理由は後で説明します。私を信じてください』の一点張りだった…なんでも今日の乗り継ぎ便で空きがあるから、すぐに航空機に乗れると言っていた。朝早く出て行ったよ。娘があんなに思いつめた表情をしたのは初めてだ。…いや、二回目かな…」
「一回目のときは?」
「…昔、高校三年生の夏に夜遅く、制服が少し破れて、手足に擦り傷をつくって帰って来たことがあった」
「聞くと、人気のない道で暴走してきた自動車に接触され、倒れてしばらく気を失っていたと言うんだ。自分で気がついて、やっと帰れたと弱々しい笑みを浮かべた。私たちはすぐに警察に通報しようと言ったのだが、自動車のナンバーも車種も覚えていないという。病院に行って検査してもらおうと言っても、「もう大丈夫だから」と断った。でも、ショックだったのだろう、翌日は学校を休んで一日自室に閉じこもってしまった。心配したが、夜にはともだちのところへ行くと外出した。次の日には元気に学校に行った。
その後、何日間かはクラブ活動でまた遅くなると言って、帰りが遅く、私も妻もまた心配したが、明るくはつらつとした顔で毎日帰ってきた。…ところが、一週間くらい経ってから、悄然とした様子で帰って来て、また一日部屋に閉じこもってしまった。聞くと、しばらくして今度は親友と大げんかして…と答えた。今度は憂鬱な表情が一か月は続いた。
妻と私はふたりでいろいろ話したが、なにせ生まれたときから親の私たちから見ても、いい子過ぎる性格で、悪いところを見たことがなかったので、かえってそれを心配していたくらいだった。だから、こういうことも一度くらいはあったほうが、むしろ娘の人間形成にはよいのではないかとも思った。暗い部分がまったくないように思える人間というのは怖いからねえ。
それで注意深く見ながらも、なにも言わないでおいた。それまでと同じく、なにか話して来たらなんでも相談にはのるよ、という気持ちだけは抱きながら。
彼女の自立を妨げてはいけないと思ったのだ。でも、徐々に明るい表情になって、すっかり以前の娘に戻ったし、しばらくして親友とも仲直りしたと言ってきて、本当によかったと思った。それからは人間としても、少し大人びてきた感じがあった。
もう六年前のことだが、そのときくらいだな、あれの思いつめた表情を見たのは」
「会社にもメールで辞表が届いたんです」
「…だとすると長く行くということか…」
がっくりと麻子の父親は肩を落とした。
「麻子さんの部屋へ入れてもらえませんか? なにか手がかりがあるかもしれないと思うのですが…」
コートの裾を手で抑えながら陽一は言った。急に寒さが押し寄せてきた。
「…そうだな。ああ、玄関先でずっと話していたのか。悪かったねえ。寒いだろう。入りなさい」
「失礼します」
玄関を入ってすぐ右、明るいグレーのカーペットを敷いた二階への木の階段を上る。上がって、突き当りが彼女の部屋だ。日当たりのよい廊下を進むと、彼女のバラのパヒュームの香りが強くなる。開ければ彼女がいそうな気がする。つい、勢い込んでドアを開ける…しかし、カーテンを閉めたままの部屋は薄暗く、寒くてしんとしていた。
涙が出そうなのを堪えながら、何度も周囲を見渡す。クローゼットは開けっぱなしで、衣類が多少散乱していた。両親もまだ、片づけることができていなかった。ごめん、と言いながら、アンティーク調の机の開いたままの引き出しを見る。ほかの引き出しも開けてみた、特に変わったものはない。パソコンは起動してみたが、ロックがかかっていてパスワードが分からなかった。
次に本棚に視線を移した。ファンタジーや童話がぎっしり並び、父親の影響もあってか、西洋史関係の書籍もある。もっとも端には、二十代の女性らしい雑誌も積んであった。付箋が貼ってあったのでページをめくると、星座占いのページで、自分のさそり座のところと、陽一のかに座のところに丸がしてあった。それを見ただけで、胸に熱いものがまた込み上げてきた。
なんとか我慢して、雑誌を元の位置に戻すと、その後ろで本棚が二重になっていて、少し後ろの棚が見えていた。ゆっくりと開けると、意外なタイトルの書籍が並んでいた。イスラーム関係の本、イラン関係の本、それにパレスチナ関係の本やスーフィという言葉がタイトルの一部となっている本があった。洋書も何冊かあった。
思わず、『RUMI』というタイトルの洋書を手に取り、パラパラとめくってみた。イスラーム系らしき絵画が続き、英語で詩のような文章がつけられている。
真ん中辺りに、古い写真がはさまっていた。
…そこには、高校の制服を着た麻子とひげもじゃで優しい目をした外国人の男が写っていた。病院のベッドらしく、男はベッドに寝ていて上半身を起こしていた。麻子は、すぐ隣で寄り添うようにベッドの端に腰掛けていた。
「誰だ?」
ふたりとも、心の底からの笑顔と見えた。男は明らかに中年以降の年齢で、見ようによっては親子みたいにも見えたけれど、ふたりの笑みの屈託のなさは心が通じ合っているように見えた。切り込まれたかのように胸が痛くなった。
写真のウラも見たが、なにも書いていなかった。
…片っ端からほかの本も調べて見たが、もうなにも出てこなかった。
なんとか書棚にすべての本を収めると、陽一は写真の入った本を後ろ手に持ちながら一階へ戻って行った
階段を下りて、右へ行くとリビングだった。ノックをして入ると、麻子のご両親がソファに座り込んでいた。暖かい部屋の中で視線が中空に向いていた。
「すいません。なにもなかったです」
「そうだろうなあ…実は、私たちも何度か調べてみたのだけれど、何も出てこなかった」
父親は視線を陽一に向けずに答えて、ゆっくりと紅茶のカップを持ち上げて、少し飲んだ。
「困ったわ…麻子のお友だちに電話してみようかとも思ったのだけれど、いきなり電話しても驚かせてしまうしねえ。…陽一さんがなにも知らないのに、ほかのお友だちが知っているとは思えないし…」
いつも陽一が来る度に、お菓子を焼いてくれた母親も学校を休んでいた。
「すいません…」
「あなたがあやまることはないでしょう」
視線を下に向けていた母親が優しく微笑んだ。
「なんにせよ、連絡すると言ったからには、必ず連絡が来るはずだ。待ってみよう」
「…分かりました。もしも麻子さんから連絡があったら、僕にも教えてください。もし僕に連絡があったら、僕もご両親にお知らせします」
「そうしてくれるか…来てくれて本当にありがとう」
やっと弱々しい笑みを浮かべて父親が陽一のほうを向いた。
「もう昼時だから昼食を一緒に取らないか?」
「そうよ、食べていきなさい。大したものはないけれど」
「ありがとうございます。でも、オフィスに戻らないと…」
「じゃあ、お茶だけでも飲んでいったら…」
「いや、今日のところはこれで…」
「無理に引き止めてもいかんな」
「ごめんなさいね、陽一さん」
母親も手を組んだまま陽一に声をかけた。
「いいえ。…事情が分からないのは困りましたけれど…では、失礼します」
後ろ手に持った本の存在を気づかれないように、頭を下げた陽一はドアからそのまま後退った。
…会社に戻った陽一は、総務部長からすぐに男性の契約社員が補充されることを告げられたが、上の空で聞いていた。社則のことも意地悪く告げられたが、既に片方が退社しているからお構いなしと尊大に宣告された。なんとかその日の最低限のノルマは終えたが、どうやって帰ったのか記憶がないまま、気がついたらマンションの自分の部屋にいて、写真をずっと見つめていた。
手をつないだときの麻子の手のひらの感触が突然感じられた。ちょっとひんやりしていて、今では宝物のような…もう一度それを感じられるだけでもいい、と思った。
不思議だったのは、敵意と憎悪を込めて見つめていたはずの外国人の男の顔が、見れば見るほどに親しいものに感じることだった。それには、まったく理由が分からず困惑した。
部屋にあった、麻子に関係したものは、すべて丁寧に袋に入れて押し入れに入れた。麻子との思い出に関わるものは目に見えるところにおいていられなかった…でも、見る度に困惑と動揺を感じさせる外国人の男と一緒の写真は、なぜか捨てることもできなかった。
…それからは毎日、目いっぱいのスピードで仕事を処理し、夜はマンションの自室で、コンビニ弁当をお茶で流し込むと、買い込んだ酒を流しこむように呑んで寝た。あまりに苦しくて寂しくて、同僚や友人と話したり、また家族の元に戻ろうかとも思ったりしたけれども、この寂しさはそんなことでは解消されないと分かっていたので、必死で我慢した。新しい契約社員は四十代の実直そうな男性だったが、必要以上に相手をしている余裕はまったくなかった。
…一週間後、会社の個人用メールボックスを開いたら、日本時間の深夜に出されたメールがあった。タイトルは「ごめんなさい」。すぐには開封できず、震える手でコーヒーを淹れ、何度かゆっくり飲んでからクリックした。
「ごめんなさい。どう言っても許してもらえないと覚悟しています。新しいひとを見つけてください。あなたの幸せを本当に心から祈っています。麻子」
しばらくの間、すべてが凍りついた。
やっと我に返ったときには、ずいぶん時間が経ったように思ったが、十分ほどしか経っていなかった。メールのアドレスは、今まで麻子のものとしては見たことのないフリーメールのアドレスだった。
「許すもなにも、訳が知りたい。それだけだ」
何べんも、何べんも書き直した後、やっと返信を送ったが、返事は決して来ないだろうと心の底で分かっていた。
そんなメールが届いたと、麻子の両親に電話で連絡したら、つい、さきほど電話が来たと、父親が上ずった口調で話した。
「心配していると思うけれど、私は元気です。今はまだ詳しいことは話せませんが、いずれ必ずちゃんと話します」と一方的に言われて通話を切られてしまったとのことだった。
それから陽一が麻子探しのために始めたのは、まずネットでイラン在住の日本人のブログなどを探し出し、片っ端からコンタクトを取ることだった。「ともだちですが、今度イランに行くことが決まったので、びっくりさせたいんです」と添えて。
イラン在住の日本人のブログは意外と多く、何人かは親切に「もしも浅田麻子さんについて何か分かったら連絡しましょう」とメールで返事をくれた。女性のブロガーがほとんどで、多くはイラン人の男性と結婚していた。皆、大事にされているようで、愛情のある夫婦の日常が書かれたブログの文章を見ると、写真のイラン人を思いだして嫉妬の炎が黒く燃えた。
…二週間が過ぎた。イラン人と結婚しているある女性からメールが来た。
「今日、あなたの探している麻子さんで間違いないと思うけれど、バザールで日本人の女性と会いました。声をかけたら、チャイハネ(イランの喫茶店)でチャイ(お茶。通常は紅茶)を飲もうということになって、小一時間ほど話しました。ロスタミーというイラン人の家にいるようです。あまり個人的なことは話してくれませんでしたが、イランでずっと暮らしたいと言っていました。元気そうでした。連絡先は聞いてありますよ」
心からの感謝をこめてまず返信した。
しかし…イラン人の家で暮らしている…同棲しているのか? ずっと暮らしたいということは「結婚」して?
渦巻くようにそんなことが浮かんだが、ただ考えていてもなにも分からない。そこまでいきなり聞けないし…
…この女性はシラーズというイランの古都に住んでいる。ということは、麻子がいるのもシラーズか…しかし…
イランへ行くには、とてもひとりでは行けない。なにせペルシャ語ができないと現地での会話はほぼ不可能のようだし、アラビア語と似たペルシャ語の文字はとても読めない。それに厳格なイスラームの国らしく、守らねばならないことも多いらしい…ツアーで行くしかないだろう。
でも、アメリカと敵対していて、テロリストのたくさんいる物騒な国だと言うし…大丈夫かなあ。
幸いシラーズは、日程の短いイランの旅でも必ず立ち寄る都市だから、シラーズへ行くツアーを探すことは難しくはなかった。ただし、一泊だけだと麻子に会える確率が分からないから、せめてシラーズに二日以上宿泊するツアーでないと…でも、一日はペルセポリスとかの遺跡に行って、もう一日はシラーズの観光と二日間宿泊するツアーがほとんどなようだ。
だとすると次は、確実に出発するツアーを選ばないと。
シラーズでは一日観光に行かないで自由行動にさせてもらえばいい。訪れる日に、麻子がいるかどうかの確認は本人にはできないだろう。前もって連絡したら、逃げられてしまうかもしれない。そんな気がした。…もしも、麻子が不在だったら、ツアーから離団させてもらって、できるだけシラーズに滞在しよう。その後のことはそのときまた考える。シラーズ在住の日本人女性に相談もできるだろう。
…海外旅行は、グァムとハワイと香港にしか行ったことがない。ほとんど知らない国に行くのは初めてだ。どんなところなのだろう、どんなものがあるんだろう、どんな人がいるんだろう。
そう考えるとほんの少しだがわくわくする気分も感じてきた。麻子のことを思い続けている暗い泥沼から、少し浮いた。
どのツアーを選ぶか、ネットで調べつつ、パンフレットも請求した。ツアーの数は決して多くはない。イランについての情報もいろいろと探ってみた。
幸い、三月中旬から九日間のイラン周遊でシラーズに連泊するツアーを見つけた。既に一四名が集まり、必ず出発する。
土日、祭日を別にして六日間の休暇申請も大学の恩師が引退するので、その記念旅行と偽り「盆暮れでもないどころか決算時期に休むのか?」と一度は上司に頭から拒否されたが「前後で絶対にシゴトのノルマは果たします。恩師は高齢で最後の機会かも知れないのでお願いします」と土下座に近い真似までした。あまりの陽一の勢いに押されて、上司はつい渋々と承認した。出世には確実に響くだろう。
後は新しく入った契約社員に任せるしかない。マニュアルを必死で作成して渡し、迷惑をかけるからと商品券を無理矢理に握らせた。
まだ出発まで一〇日以上あったがすぐに準備を始めた。衣服などはどうでもよかった。適当に日数に合っていると思われる点数をスーツケースに放り込んだ。
後は、一心腐乱に休みの分も含め仕事を片付けるだけだ…。
そんな日々は、スローモーションをかけた白日夢のように過ぎた。夜寝ているときは何度も夢を見てうなされた。最も多いパターンは写真の男と麻子が連れ立って幸せそうに笑っていて、こちらがいくらもがこうと気づいてくれない、というものだった。…しかし、稀に三人でなぜか仲良く話している夢も見た。そんな夢を見た後は、不思議に心が安らかだった。
麻子の両親にもイランに麻子を探しに行くと伝えた。両親は、そんなことをさせるわけにはいかないと反対したが、最後には娘のために申し訳ないと何度も繰り返して終わった。旅費を出させてくれとも言われたが丁重にお断りした。なにか分かったらコレクトコールでかまわないので現地から連絡をしてほしいと言われ、それはすぐに承諾した。自分の両親には、会社の研修で海外へ行くとだけ言っておいた。
…出発の日の数日前、麻子の部屋から持ってきた『RUMI』というタイトルの本を何気なくぱらぱらとめくった。ふと目が止まった。
「Come, Come whoever you are…」
え、これは麻子が呟いていた…
「Wanderer, worshipper, lover of leaving,
It doesn’t matter.
Ours is not a caravan of despair.
Come, even if you have broken your heart
a tousand times.
Come, yet again, come, come.」
おいで、おいで
あなたがさすらい人、崇める人、学問の恋人、
だれであろうといい
わたしたちのキャラバンは絶望のキャラバンではない
たとえあなたが自分の誓いを
千回破ったとしても
おいで
おいで、おいで、それでもおいで
頭の中で訳しながら、
どこかで聞いた、という気がまた強くした、切なくさえなった。
…でも、やっぱりどうしても思い出せなかった…
出発の日の朝が来た。
航空機が成田から出発するのは夜遅く。アラブ首長国のエミレーツ航空で行く。
当日の朝になると、もう頭の中は麻子のことだけでいっぱいで、マンションを出る時間まで、何をしていたかもよく覚えていない。カギの確認で二度部屋の前まで戻った。冷蔵庫の中で腐る食べ物もあるだろう。パスポートやらドルの現金なども忘れそうになったくらいだった。
日が暮れる中、成田空港への列車の中でも、脳裏の麻子の笑顔だけが頼りだった。
成田空港の集合場所へ。エスカレーターを歩きながら上って、指定された航空会社のカウンターの前に着いた。
同じツアーのメンバーらしき人たちがたむろしている。
少しすると、添乗員が挨拶した。
「添乗員の佐々木高子です。中近東は三十数回行っておりますので、いろいろとご案内できるかと思います。ご出発前でばたばたしておりますので、また現地で改めてご挨拶いたします。パスポートを確認させていただいたら、搭乗券をお渡ししますので、搭乗口へお進みください、搭乗ゲートは…飛行の所要時間は…」
笑顔が、あまり営業的ではなく、素であるように感じた。穏やかで優しそうでもある。とりあえずはよかった。からだもこころもがちがちだったが、少しだけ緩んだ。
グループは、高齢の人ばかりだろうと思っていたが、三人若い男女がいた。ひとりは髪が半分くらい白髪になった女性と一緒で、常にまっすぐに前を向いている、黒いジャケットと白いセーターを着た若い男性。親子だろうか。
そして、もうひとりとその連れは完全に場違いというか…
「わーい。ペルシャに行くんだ、ペルシャに行くんだ! ねえ、たっちゃん、ペルシャだぞお」
まるで女子高生のようなミニスカート。顔にはラメがいっぱい。胸のふくらみを強調するような、タイトな銀色のセーター。傍にいるのは好対照な若いと言っても三十代後半と思しき男。からだは大きいがずんぐりむっくりで猫背。ブランドものらしい黒いレザーのパンツやジャケットがまったく似合っていない。髪の毛はボサボサで、顔はほおの上あたりが油っぽく光っている。やはり、まったく似合っていないブランドものらしい眼鏡の奥で、小さな目がとろんとしている。
「宮本さんですか?」
添乗員のほかにいた。旅行社の係らしき女性が、派手な服装の若い女性に尋ねた。
「そうだよ、みゆだよ」
「あの…その服装ではイランに入国できないので…」
「え゛~、これでイランの男の子をノウサツしちゃうんだぞー」
「本当にそのままでは入国拒否されますので…」
「じゃ、どんな服装だったらいいのか、オレに教えてくれよ。一緒に空港の店に行って買って来るから」
傍にいた男が、見かけより甲高い声で言った。
「はい。女性の肌の露出や、からだの輪郭のはっきり分かる服装はできるだけ避けて幅のあるスラックス、ゆったりとした長袖のシャツやトレーナーが必要です。また、スカーフも要ります」
「ほら買いに行くぞ! 入国できなかったらつまらないじゃん」
「だって…」
中年男は、がっしりと腕をつかむと、みゆを引きずるように歩き出した。
「いった、い~」
「じゃ、自分でちゃんと歩けよ」
こんなカップルが一緒かよ、と陽一は不安になった。彼の目的は麻子と会うことだけで、ツアーのメンバーと仲良くなるとかは、まったく考えていなかった。かまう気もなく、かまわれたくもなかった。こいつらのせいで、なにかトラブルに巻き込まれたらいい迷惑だ。
…しかし、しばらくして黒いトレーナーとジーンズといういでたちで、みゆは中年男と現れた。
それなら手に持った長めのグレーのジャケットを着て、航空機から降りる前にスカーフをすればオーケーで、グレーのゆったりとしたジャケットを着さえすれば、見えないその下は派手でもいいとも係員に言われていた。本人は見事なまでに、ハリセンボンのように頬を膨らませていて、明らかに不満そうだったが。
そのとき、別のごま塩頭の男性が声を上げた。六〇歳くらいだろうか。
「おい。早くしてくれよ。ビジネスクラスのラウンジに行けないじゃないか。ラウンジに行く時間がなくなったら、クレームにするぞ」
女性の係員が慌てて駆け寄った。
「申し訳ありません、田中様。出発のゲートは…」
「そんなことは分かってる、いいから早く搭乗券!」
男はもぎとるように搭乗券を手に取ると、妻らしき濃い化粧の女性と足早に立ち去っていった。
イヤな感じだ。こんなのもグループにいるのか…
それから陽一も搭乗券を渡された。陽一はすぐに出国審査、そして航空機の搭乗口へと向かった。免税店では、寝るためのウイスキーを三本買った。持ち込みは禁止と言われているが、イランの空港に着いたら、バゲージクレイム(機内預けの荷物の受け取り場所)でスーツケースに入れてしまおう。見つかったら没収されるだけだ。袋を二重に被せて、中身が見えないようにした。
そして、実際の搭乗口近くに人の少ない別の搭乗口を見つけると、座って出発時刻を待った。
「二ヵ月前はこんなことになるなんて、思いもしなかった…」
そんな言葉が何度もループした。誰も答えはくれないが、なぜ? と心のなかで問いが執拗に繰り返された。
…搭乗時刻になると、永遠に続くかと思われた待ち時間を一転して短く感じた。遠い異国にひとりで行くかと思うと、会社のオフィスでさえ懐かしく思えた。
「…まるで、絶望的な戦いに赴く前の戦士みたいだな…そんな気持ちに昔は憧れていたけれど、絶対的な悪と戦うわけでもないし…」
航空機の座席は左の三席並んだ席の窓側で、同じツアーの穏やかそうな年配のご夫婦が相席だった。できるだけの笑顔で挨拶した後、「会社の仕事で疲れていますので、すぐ休みますので失礼します。飲み物や機内食は要りませんので、申し訳ありませんがアテンダントが来たら、そう話していただけますか」と言って、耳栓とアイマスクをして寝る態勢に入った。軽い睡眠導入剤を搭乗の少し前に飲んでいた。ご夫婦は笑顔で頷いてくれた。
航空機はエアバス社のA380という超大型機で、海外旅行をする人には大人気らしい。また、搭乗したエミレーツ航空はサービスがよいので有名らしいが、そんなことはどうでもよかった。無事、イランに着けさえすればそれでいい。
ご夫婦は到着の寸前には起こしてくれた、寝ぼけ眼をこすりながら、何度も頭を下げた。
乗り継ぎのドバイの空港に到着して、とにかく派手なつくりの施設にはみとれてしまった。モダーンなデザインの限りを尽くしていて、ありあまるお金を注ぎ込んだのだろうと思わずにはいられない。照明のひとつひとつでさえ目を引く。免税店にはさまざまな高級ブランド品があふれかえっている。
その後、案内されていたテヘランへの乗り継ぎ便のゲートへ急いだ。今度は大きな航空機ではなく、右側のふたり席で相席はアラブ人らしき外国人だったから、最初から会話をせずに済んだ。ただし、強烈なオーデコロンの香りに苛まれ
た。
席が窓側だったために、夜が明けてくると窓からの景色をずっと見ていた。テヘラン到着の二十分ほど前には、大きな山脈が見えてきた。富士山に似た、裾野の長い山が印象的だった。後で聞いたら、山脈はエルボルズ、富士山に似た山はダマーヴァントというらしい。
到着したテヘランの空港は、こちらも意外とモダーンなつくりだった。経済制裁をされている国の空港とは思えない。黒い、頭からすっぽりかぶる、民族衣装だろうか、そんな服装の女性はドバイの空港でも見たが、割合がぐんとふえた気がする。ツアーの一行の女性も、みんな頭にはスカーフを被っている。宮本みゆは白いスカーフをして相変わらずふくれ顔だった。
朝の一〇時前で、日本とは五時間半の時差だ。日本では朝の四時半だから、時差ボケで頭の芯がちょっとふらついているのも仕方ない。
添乗員に導かれるままに、荷物の受け取り場所に行き、荷物を全員が受け取ったら、空港を出てバスに乗りますと案内された。さっと手持ちのウイスキーの袋をスーツケースに入れて、見つかったらそのときと堂々と税関に進んだら、スーツケースを開けてのチェックはなく拍子抜けした。
外は晴天。もっとも雨はこの時季はまず降らないらしいから、これが普通だろう。太陽の光はかあっと圧力を感じさせるが、風が吹き抜けていくと、ちょうどよいような気温に感じた。
バスの待っているパーキングまで行くと、妙な男が待っていた。身長は優に百八十センチはある。アラブ風の頭から被る薄い水色の民族服を着ていて、顔は髭の中に顔があるといった具合だが、どうやら日本人のようだ。はっきりとは聞こえないが、にこにこ顔でなにやら唸るような声で唄っている。近くで聞くと、どうやら日本語の演歌のようだ。
「サラーム。こんにちは。ようこそイランへ」
ツアーのメンバーがやって来る毎に、大きな声で挨拶をする。力強さと陽気さが少し離れていても強く感じられる。乗り込もうとする男性のメンバーが「痛い!」と叫んでいたが、その訳は自分の番になって分かった。大男は握手を求めてくるのだが、手を差し出すと思いっきり力をこめてくるのだ。陽一も思わず「いってえ!」と叫んだが、大男は満面の笑みのままで「イラン式の握手です」と言った。えっ、じゃあイランでは、握手をする度に、こんな痛い思いをするのか、と思った。女性添乗員とはハグして親しげに話している。どうやら旧知の仲のようだ。
人のよさそうな笑みを浮かべているバスの運転手に「こんにちは」と声をかけると、子どものようなイラン人も一緒だった。親子かな?
後部座席に、ほかのメンバーと距離を空けて座った。バスは意外にもベンツの新しい型で、シートもふんわりとしている。
「さあ、みなさんお揃いですね。改めて自己紹介をいたします。添乗員の佐々木です。そして運転手はホセインさんです。そして助手のハミッド君です。イランやトルコでは、ツアーのバスの運転者さんに助手がつくことが多いです。アシスタントというより、日本でいう見習いに近いでしょうか。ハミッド君はまだ一六歳です」
人のよさそうな運転手と、まだ子どもっぽい助手が笑顔で頭を下げた。
拍手がメンバーから起きた。
「そして、みなさんはとてもラッキーです。これからずっとガイドとして同行していただくのは荒木さんです。中近東の人みたいですが、日本人です。ベテランでイランに住んでいます」
また、拍手が起きた。
大男がマイクを添乗員から受け取った。
「どうも。初めまして。荒木です。もうイランに二十年近く住んでいます。今はテヘランにいます。みなさんもこれからイランを旅すると、住みたくなるかもしれませんよ。イラン人はみんなとてもいい人ばかりです」
ガイドの荒木の声には、どこか懐かしい響きがあった。低い、太い声だが、親しみを感じずにはいられない。なんだか昔、小学生、中学生だった頃に、好きだった先生が話すときに似ているように感じた。
「よく、職業は? と聞かれますが、普段は学校で教えています。イスラームの宗教について教えています。たまにツアーのガイドもします。イランのこと、イスラームのことについては、なんでも質問してください。これからテヘランを車窓から見て、お昼ご飯を食べて、それから途中ゴムというところに寄りながら、イスファハンへ行きます。イスファハンは中近東で最も美しい都市のひとつです。今回のツアーでは三連泊ですから、たっぷりお楽しみいただけることでしょう」
そう荒木に言われると、イスファハンは本当に素晴らしいところなのだろうと思えた。
テヘランは巨大な都市だった。
都市部に入って行くとアザディタワーという、モニュメントとなっている巨大な建築物を見た。ちょっと古臭さは感じさせるものの、高層ビルもたくさんあった。高速道路も整備されている。行き交う乗用車も新しい型のものが見られた。…しかし、かなり古い型の乗用車も多く、排気ガスを大量に出している車も目についた。
空港からテヘランの市街へ向かい、ざっと車窓から観光すると、とある街角で降ろされた。レストランの多い一角らしく、あちこちに飲食店らしい建物があった。ほとんどの看板がペルシャ語で書かれているために、なんの料理の店だとは分からなかったが、ニワトリのキャラクターが描かれている店は、チキン料理の店なのだろうとは分かった。あれ? イスラームでは偶像禁止のはずだけど、マンガみたいな絵はいいのだろうか。
あるビルの二階に導かれ、レストランの中に入ると赤い装飾が目についた。ガラス窓の枠も赤く、水パイプがずらりと置かれている。装飾に使われているのはプラスチックの素材が多いようで、日本でパキスタン人がやっている気軽なインド料理のレストランと似た雰囲気があった。違っているのは、荒木から説明された、目つきの鋭いイラン革命の立役者ホメイニ師と、現在の最高宗教指導者、眼鏡をかけたハメネイ師の写真が並んで飾られていることだった。この後も、あちこちでふたりの写真を見かけた。
…ツアーの人たちとは、あまり仲良くしたくないが、食事のときは仕方ない。高齢の人たちと一緒になるようにテーブルを選んだ。宮本みゆと一緒のテーブルだけはごめんだ。ドバイまでのフライトで相席になったご夫婦と一緒に座るようにした。四人掛けのテーブルだから、ほかの人は入ってこないだろう。
全員が席に着いたところ改めて見渡すと、宮本みゆと中年男のカップルのほか、親子らしき男女と自分を除くと、後の五組はすべて年配のご夫婦だった。なんとなくほっとした。ゴマ塩頭の男も今は笑顔になっていた。添乗員の佐々木が人数確認した後、説明を始めた。
「今日の食事はいきなりですが、イラン名物のケバブです。チェローケバブとも言います。串焼きの羊肉です」
「わーい、ししかばぶ。やったあ~。原宿でしか食べたことないけど、本場のよね~。ペルシャのだ~」
宮本みゆが頭のてっぺんから突き抜けるような声を出した。また陽一は少し憂鬱になった。
ガイドの荒木が補足した。
「最初はご飯だけだと思うでしょうが、ご飯のなかにちゃんと串焼き肉があります。テーブルにはスマッグという香辛料が置いてありますから、ぜひ、ふりかけてください。肉によく合います。また、玉ねぎが生で付いてきますが、苦手な人は食べなくていいです。いきなり、イランの旅が涙で始まってしまいます」
「お飲み物ですが、残念ながら、これからずっとアルコール類はありません。チャイと呼ばれるお茶、紅茶ですが、これがいちばん飲まれています。ほかはアラビア風のコーヒー、果物のジュース類になります。ジュースはいろいろあります。リンゴやブドウなどのほか、ザクロのジュースがおすすめです。飲み物のお金は別となりますが、ご出発前に『旅のしおり』でご案内したように、アメリカドルでお支払い可能です」
そう佐々木が言うと、ザクロのジュースに注文が殺到した。みんなイランの旅を楽しみたい、という気持ちが当然ながらあるようだ。陽一はチャイを頼んだ。
添乗員の佐々木とガイドの荒木、そして運転手のホサインと助手のハミッドは、一緒のテーブルにつくかと思ったら、ガイドの荒木が陽一のいるテーブルにやって来た。
「お邪魔してよろしいかな?」
それに答える間もなく、荒木は陽一の隣に座ってしまった。
「アラーフアクバル。青年よ元気か?」
そう言いながら、荒木は陽一の背中を強くどやした。思わず前のめりになった。すぐに荒木の方を向いたが、もう荒木はご夫婦と会話を始めていた。
「イランに二十年近く住んでらっしゃるんですよね? ご結婚は?」
品の良さそうな奥様が尋ねた。
「いや~、一応聖職者みたいなものですし」
「あら、日本の一部のお坊様と同じで、結婚してはいけないのですか?」
「いや、そうでもないですが、アッラーへの愛のほうが強くて。もう、六十になりましたし」
「え、とてもそうは見えないわ。四十歳くらいにしか見えませんよ」
「うれしいです。ありがとうございます」
「しかし…日本人でイスラームのことを、しかもイランで教えているなんて、ほかにいないでしょう」
ご主人のほうが尋ねた。
「そうですね。日本人でイスラームについて教える人には、まだイランでは会ったことがありません。でも、日本のイスラーム学の先達、亡くなりましたが井筒俊彦先生は、トルコなどで尊敬されています。私など及びもつきません」
「井筒さんね…私も著作を読みました」
吉田さんのご主人がにこにこしながら言った。
「ご存知ですか。クルアーン、いやコーランの日本語訳は、日本人のムスリムの間では、ちょっと評判が悪いですがね。『こら、お前たち』で始まる独特の調子の日本語訳は、先生が広く読んでもらいたいという気持ちの表れから来ているので、仕方ありませんね」
「荒木さんもイスラム教徒? 」
奥様が聞いた。
「はい、そうです。こちらではイスラーム教徒の男性は『ムスリム』と言います。私もムスリムです。もっともイランでは、ほとんど全員がそうですね」
「イスラームの先生をしながら、ガイドもできるんですか?」
また、奥様が聞いた。きれいな白髪の方で、和服を着られたら似合いそうだな、と洋一は思った。
「ええまあ。各地を回って用も済ませられますしね。日本の先生よりはずっとゆるい環境にあります。学校では『客分』みたい身分ですしね」
「でも、イランに住んでいるとご苦労も多いでしょう」ご主人が聞いた。
「核開発疑惑と経済封鎖のことですか?」
「うん。日本でもよく報道されていますからね」
「あれはまったくの濡れ衣です。イランが核兵器を造って、どこかの国を攻撃することなんかないですよ。原子力発電のほか、癌患者のために放射線を出す物質がある程度必要だということはありますが。だからイラン人はなんでこんなに苛められるのかと思っています。イスラエルは小型核爆弾を六百発持っているらしいけど不思議に誰も責めない。でも、このところの情勢ではイランはようやく誤解が晴れそうです」
「日本のマスコミでは、イランとイスラエルが犬猿の中だから、いつ戦争が始まってもおかしくないってまで言っていることもありますよ」
「そうらしいですね。どうしても戦争させたい連中がいるようですねえ。でも、これからイランの人たちにもっと会うと、戦争したいと思っていないって分かりますよ。一部、困った人たちもいますが…。基本的には本当にいい人たちです。たくさんの人が日本と日本人のことを好きですしね」
笑顔は変わらないが、荒木の瞳が強い光を放ち出した。
しかし料理が来て、話はいったん終わった。
「羊肉」と言うことから、添乗員の案内で少しイヤな顔をしたメンバーもいたが、みんな食べ始めると口々に「美味しい」と言いだした。スマッグを、ひき肉を帯状にした串焼き肉に、荒木からたっぷりかけられた陽一も「美味い」と思わず声を出した。
ちょっと酸っぱいけれど、肉に本当に合う香辛料だった。ご飯の米は以前海外で食べた、固くて長細いものではなく、日本の米に近く、柔らかかった。香港の米の飯より美味しかった。荒木の言うままに、生の紫色の玉ねぎと串焼き肉を交互に食べると、今まで未経験の味わいがあった。玉ねぎの風味と肉の旨味が相乗効果となっている。
少しだけ黄色っぽい部分のあるご飯は、本当はサフランで色づけするのだが、サフランは高いので普通はターメリックを使っていると言われた。でも、美味しかった。
「羊肉は、肉はなんでもそうですが、腐るちょっと前くらいのがいちばん美味しいんです。田舎へ行って、蠅がブンブン飛んでいるような店のケバブは最高に美味いですよ」
「あらやだ」
奥様が顔をしかめた。
「そうそう、私は吉田です、家内です。よろしくお願いします」
とりなすようにご主人が言った。
「あ、僕は池谷です。よろしくお願いします。」
ご夫婦と荒木を均等に見ながら陽一も言った。
「はい。どうぞよろしく」
荒木は笑顔で答えた。そして、次の瞬間、陽一の耳元で囁いた。
「悩みがあれば、いつでも聞いてやるぞ。いつでもおいで」
「では失礼します。また後ほど」
えっ? と思ったが、もう、既に荒木は席を立っていた。
運ばれたチャイを飲むのも忘れて、しばらく陽一は考え込んでしまった。
…そんなに悩みが顔に出ているのだろうか? 陽一は面食らったが、皆の食事が終わって店の外へ出ると、荒木はまた鼻で演歌のようなメロディーを唄いながら、バスへと急いでいた。
今日はこれからイスファハンまで、五時間を越えるドライブだ。途中、ゴムというところでイスラームの廟に立ち寄るというから、ホテルへの到着は夜七時くらいだろうか。
テヘランから高速道路に乗ると、あっと言う間に市街地は後方へ消え去り、荒れた土だらけの土地が延々と広がっていた。こんなところでもずっと住んでいる人がいるのだろうか。
少し経つと、荒木が車内でマイクを持ってガイドを始めた。
「はい。それではまず、イスラームについての説明をします。イスラーム…キリスト教とは異なって、イスラーム教とは言いません。なぜならイスラームはただ宗教というだけでなく、生き方いろいろに関わっているからです」
「イスラームというと、まず皆さまはいろいろな戒律のことを思い出されるでしょう。お酒はだめとか、豚肉は食べてはいけない、女性はヴェールとかスカーフをしないといけないなど」
「それも確かにあります。イランの女性が着る、頭から被る黒い服はチャドルと言います。最初は、なんかイヤ~な感じを持たれるかも知れません。でも、強制されて着ている人は少ないです。ほとんどの人は自分から着ています。…まあ、それはそれとして、いろいろ実際に見ていただきたいと思います。現地の人たちと交流をすると『宗教でがんじがらめの国』という印象はなくなってくると思います」
「イスラーム(イスラームの意味は『神への絶対帰依』です)には大別してふたつの宗派があります。キリスト教のカトリックとプロテスタントとは、成立の事情が違いますが、圧倒的に多いのは、預言者ムハンマド(マホメットと言うのはフランスなど西欧での呼び方で、ムハンマドが本来の発音に近いです)から始まっているスンニ派です。現在、イスラーム世界の十数パーセントの勢力となっている、イランでも多いシーア派は、第四代カリフのアリから始まりました。
『カリフ』というのは、みなさんも聞いたことがあると思いますが、イスラームで政治と宗教を兼ねた指導者です。預言者ムハンマドは、カリフとは呼ばれません。カリフとしては、ムハンマドの跡継ぎとなったアブー・バクルが初代となり、ウマル、ウスマーンと続いて、第四代が預言者ムハンマドの女婿であったアリになります。
このアリは理想を持った、正義を愛する激しい性格の人でした。しかし、そのことから敵も多く、当時勢力を伸ばしつつあったウマイヤ家によって暗殺されてしまいました。そして、ふたりの息子もカルバラーという地で惨殺されてしまいます」
「シーア派は、このアリを初代イマームとしています。イマームというのは、カリフと似たような存在で宗教指導者であり、ウンマと呼ばれるムスリム(イスラームの教えに従う男たちのことをこう呼びます。女性はムスリマです)の集まり全体の政治指導者でもあるべき存在です。残念ながら、アリを信奉する人たちは当時も全体から見たら少数でした。
やがてアリから始まるイマームを奉ずる人たちは、『アリの党派』の人たちと呼ばれ、党派のことを『シーア』とアラビア語で言うためにシーア派と呼ばれるようになりました。イラン人はほとんどシーア派です。イラクにもたくさんいます。ほかにもイエメンとか、シリアとかレバノンにもいます。私もシーア派ですが、スンニ派のともだちもたくさんいます」
荒木は、朗々たる声でゆっくり説明するので、イスラームについて、ほとんど下調べをしていない陽一でも理解できたと思えた。
「スンニ派とシーア派はどう違うんですか?」
吉田さんのご主人が笑顔で質問した。
「いちばん大きく違うのは、シーア派にはイマームと呼ばれる宗教指導者がはっきりといるのに、スンニ派には正式にはいない、ということですね。
昔はカリフ、そしてトルコのオスマンの時代にはスルタンが、一応スンニ全体のリーダーでした。一方、アリからの正統的なイマームの血統は途切れていますが、イランでは、例えばホメイニさんもイマームです。大アーヤットラーとも呼ばれます。アーヤットラーとは、イスラームの法学者ウラマーの中でも、最高位にある人たちのことです。『大』の付くのは、さらに偉い人ということです。
レストランでホメイニさんの隣に写真があったのが、現在イランで最も偉いハメネイさんです。スンニ派には、イスラームの神学者や法学者などはたくさんいますが、特に宗教指導者というのは、現在はいません。…残酷なことばかりしている酷い連中のリーダーがカリフとか言っていますが、あれはでたらめです。まあ、その件はまたいずれ」
最近話題のイスラーム国ISのことだな、と陽一にも分かった。
「信仰の形態としては、スンニ派は一日五回礼拝しますが、シーア派は三回です。もちろん、祈るのが面倒くさいから回数が少ないのではありませんよ」
「朝からバスの外を見ていても、祈っている人を見かけないけど」
質問が出た。
「外で祈る人は今では少ないですね。工事現場でずっと仕事をしている人が、その場で祈るようなことはたまにあります。でも、ほとんどの人はモスク=ペルシャ語ではジャーメまたはマスジェデですが、イスラームの寺院であるモスクへ行くか、室内で祈ります。昔の映画やマンガで、なにかをしていても、祈りの時間になるとムスリムが慌てて祈りを始める様子が滑稽に描かれていますが、飛行機の操縦をしている途中や、手術の最中に医者がそんなことするわけがないでしょう? 祈りの時間は目安ですから、例えば早めにしてもよいのです。私も礼拝は欠かしませんが、朝や夜にひとりでいるときにしています」
「…皆さん、イスラームについて誤解が多いと思います。日本人はイスラームと聞くと、髭もじゃで民族服を着たテロリストを思い浮かべるみたいですね。アル=カイダのビン・ラディンみたいな。私もそうかな~」
「実は…私は原理主義者でテロリストです。これから皆さんを誘拐しま~す
…なんちゃって」
凄みのある目つきを一瞬して見せたので、陽一さえどきっとしたが、荒木はすぐに満面の笑顔に戻った。しかし…
「イスラームはテロリストばっかりだなんて…嘘八百ですよ。例えば、皆さんもよくご存知のビン・ラディンは元々、アメリカのCIAに援助されてアフガニスタンでソ連と戦っていました。911のとき、ビン=ラディンは重い腎臓病を患っていて、アメリカ系の病院に入っていました。そして、あの後二年か三年で死にました。それが正しいと思います。
でも、その後も何度も映像で登場しましたよね? あれ、よく比べると面白いんですよ。911の頃と、ブッシュ氏の二回目の大統領選挙のときで、ずいぶん映像の顔が違います。別人としか思えない。何年か前にアメリカに『暗殺』されたことになりましたが、あれも本人だったという証拠は何もない。こういうのはよく『陰謀論』と言われます。私は難しいことは分かりません。でも帰ったら、ぜひネットで調べてください。『ビン・ラディンは別人』などで検索すると、たくさんサイトが出てきますよ」
「911も本当は誰がやったのか、それも調べると面白いですよ。世界中の国会でも、かなり議題にされていますが、ヨーロッパの首脳でも、陰謀だとはっきり言っている人が何人もいます。日本の国会ではちょっと話が出ただけみたいですね。
…確かなのは、戦争してお金を儲けたい人が世界にいっぱいいるということです。戦争をでっち上げては、兵器を売ったり、軍隊に関連した仕事でお金儲けしたり、戦争の結果、石油の利権を奪ったりします。人が何人殺されてもおかまいなしに」
…話の展開がおかしい方向に向かっているようで、皆ざわざわとした。なんで「ガイド」が政治的な話をするのかということだろう。日本のテレビで、出演者がこんな話をしだしたら「放送事故」だ。
少し驚いた顔をして、何人か質問をしたそうにしていたが、荒木はここで話をいったん終えた。
「今日は到着した日で、皆さまお疲れでしょうから、これから少し休んでくださいね、まだドライブは続きます」
佐々木がマイクを受け取った。
「重要な、トイレのご案内をします。緊急の場合、このバスにはトイレがあります。でも、早めに言っていただければ、バスを止めて外のトイレにもご案内します。どんなときでも、我慢はされないでください。手遅れになるとたいへんです。また、イランのトイレはアラブ式トイレと似ています。基本、紙がありません。だから気になる方は、濡れティッシュやティッシュを携帯してください。
一般的なイランのトイレは、漏斗とシャワーみたいなものがあるだけで、水ですべて洗って流します。日本みたいにトイレットペーパーがあることはなく、便器自体に水を流す機能はありません。…でもご安心を。ホテルは基本的に洋式です」
「トイレ」の話で、荒木の言ったことは、意識から遠くなった。しかし、ガイドというのは、普通はこんなことは話さないはずでは…いったい、この人は何者なんだろう?
車窓からは、単調な高速道路からの眺めが続いていた。それにしても荒れ地のような土地がよく続くものだ…
一時間ほど、陽一はバスの車窓からの眺めをぼんやりと見ていた。
ゴムへと向かうために高速道路を降りると、土のレンガで築かれた農家が視界に現れ、鋭い目つきの人々を見かけるようになった。そして、陽一はさまざまなことを脳裏で問いかけていた…。
「…こんな土地でずっと生きていると、ああいう目つきになるんだろう」。面倒臭いのでそう結論付けた。
そんな大人たちと異なって、やはり白っぽく土で汚れた服を着ているが、子どもたちは元気そうだった。目が野生動物のように輝いていた。
ゴムでは、シーア派の第八代イマームのレザーの妹ファティマの霊廟を訪ねると聞いていた。
「はい、皆さん到着です。ここから歩きましょう」荒木が声を上げた。
「バスのなかに貴重品は置かないでくださいね。バッグなどは椅子の下に置いてください。盗難が多いということではありませんが、これは海外どこでも共通の心得です。だいたい一時間くらいの観光になります」
添乗員の佐々木が言い添えた。
埃っぽい道へ降りてみると、行き交う人々には黒っぽい衣装の人が多いように思えた。テヘランに比べてずっと地味な感じだ。
下車すると、歩いている女性は全員黒装束だった。テヘランではスカーフは色とりどりで、かなり派手な場合もあったし、チャドルも必ずしも黒ではなかったけれど、ここではすべてが黒という女性が多く、しかも頭髪の隠し方はより深くなっていた。男性では、白いターバンまたは黒いターバンを頭に巻いたひげ面の男性を多く見た、ムッラー(聖職者)だそうだ。黒いターバンをしたムッラーは、ムハンマドの子孫だという。ずいぶんたくさんいる。なんだか宗教臭いというか少し息がつまるようだ。
荒木の説明によると、第八代のイマームだったレザーの妹だというファティマが、八世紀の初めにここで客死し、その廟となったというバズラテ・マーアスーメ廟に到着した。高く細い尖塔ミナレットは、イスラーム圏の地域毎に形が違うが、イスラームの祈りの呼びかけアザーンはここから発せられるそうだ。
建物の中心は黄金のドームとなっていて、泉水のブールを中心に内部は中庭のようになっている。夏の暑さを避けるために、イランにはこういう形式の建物が多いとのこと。南スペインの家の中庭パティオと同じ目的(中庭は四方を囲まれ影ができる。そこへさらに木々を植え木陰もつくる。湿度の高い日本と異なり、影が出来るだけでずいぶん涼しく過ごせる。スペインのパティオも、元はイスラーム勢力が支配していた時代から築かれたものの継承と聞いた)で、イランの個人宅も地方ほど中庭のあるつくりの比率が高くなる(都市部では近代的な高層マンションが今はふえているそうだ)。
建物に近寄っていくと、黄色と青を基調としたタイル装飾が素晴らしかった。荒木が、イスラームでは偶像崇拝が固く禁じられているため、人物や動物など具象的な装飾が使えないから、幾何学模様と草花の文様が進歩したと言った。日本にまでその影響は及んでいると言う。「花鳥風月」的な装飾には、その面影があると言う。
驚いたのは、正面入り口の上部にある「ムカルナス」と呼ばれる装飾だ。まるで蜂の巣のように立体的な造形となったところに、さまざまな彩色がなされている。これはレンガとタイルとで、はりぼてのような構造となっているらしい。
陽一にとっては、見るもの聞くものすべてが初体験。物珍しさでほかのことは忘れて見入ってしまった。
霊廟内へ入るためには、皆スリッパに履き替え、女性は頭からすっぽりと黒いチャドルを被らなければいけない。例によってみゆは不満を口にしていた。
「こんなの着たらー、脱ぐときに髪の毛がぐちゃぐちゃになっちゃうー」
…どうにか、全員で無事廟内に入ると、内部の装飾にも目を奪われた。やはり細かい幾何学的な装飾タイルとペルシャ文字をデザイン化したような部分が見られる。根拠不明のまま、陽一は「イスラーム」というと正直、欧米に比べて「下等」という意識があったが、イスラーム文化というのが、思っていたよりもかなり高度なものだと分かって、新鮮な驚きを感じた。
そんな陽一の意識を読み取ったかのように、荒木が話し始めた。
「皆さんは『イスラーム』というと野蛮で時代遅れの印象があるかと思います。でも、実際にはいかがですか。西洋文明と比較しても、独自の美の世界を感じませんか? そもそもルネッサンスの前の時代までは、イスラーム文明・文化のほうがヨーロッパをずっと上回っていたのです。少なくとも十字軍が遠征した時代は、ヨーロッパのキリスト教の文明・文化はイスラームの文明・文化と比べると、野蛮で無知にあふれたものでした」
「でも、今は欧米のほうが、どう見てもすべての面で上だろう。石油成金の国以外は、貧困で内戦やテロばっかりじゃないか」
ごま塩頭の田中が言い返した。うすら笑いを浮かべている。
「確かに今はそうかもしれませんね。でも、これから先はまた分かりませんよ。世界の国々は、どの国も一度は威勢を誇った時期があるものです。しかし、よい時期があれば、悪い時期もある。ローマ帝国だって、一時はたいへんな勢いでしたが、結局は滅亡してしまいました。『千年帝国』と呼ばれたビザンチン帝国だって滅びてしまいました。今は、さしずめ『アメリカ帝国』の時代ですが、それだっていつまでもは続かないでしょう。逆に、これからイスラーム世界が再び勢いを取り戻すこともあるかもしれない。
でも、そのことと関係なく過去の栄華を誇っていた頃のイスラーム文明・文化には、今でも感じられる素晴らしい魅力があると思います。実際、この廟をご覧になっていかがですか。イスラームの美術に初めてふれる人には、かなり印象が強かったと思います」荒木は淡々と話した。
ほとんどの人が頷いた。田中はイヤな顔をしてそっぽを向いた。
廟を出ると、再び黒一色の服を着た地元の女性たちに出会った。観光が終わって、ほぐれた気分になると、多くの女性がこちらを笑顔で見ていることに気づいた。よく顔を見ると、若い女性も多い。女性の写真を撮るときは、必ず許可を得てからでないとダメだと、ガイドブックには書かれていた。でも、一行の高齢者の男性のひとりが「カメラ、オーケー?」とある女性のグループに尋ねると、意外にも笑顔で簡単に「オーケー」の返事が返ってきた。そして、全員明るい笑顔で撮影に応じていた。
公園のような緑地の近くでは、シートを広げてお茶を飲んでいる中年の夫婦がいた。男性のほうが「日本の人ですか?」と日本語で一行に声をかけてきた。
「私、名古屋にいたことがあります」
グループの何組かの高齢者の夫婦が、立ち止まって話を始めると、イラン人の男性はチャイを紙コップに入れて差し出していた。人々は皆、フレンドリーな感じだ。「テロリスト」ばかりの危険な国という雰囲気はどこにもない。
むしろ、大勢の人間が他者を避けるかのように視線を合わさずに足早に行き交う、日本の都会のほうがはるかに冷たく感じる。
バスの中で、今度は添乗員の佐々木が話し始めた。
佐々木は、メッシュのような白髪の入った長い髪の女性で、地味なグレーのパンタロンスーツを着て、薄い紫のスプリングコートをその上に着ていた。スカーフは落ち着いた花柄のもので、いつも穏やかな笑顔がその中にくるまっていた。もっとはっきりした笑顔になると、意外なほどに可愛らしく見えた。
「…今回のツアーは申し訳ありません。初日は強行軍の日程となってしまいました。日本から着いたばかりで長距離移動となりましたが、またドライブ中にお休みいただきたいと思います。その前に少しだけ今度は私、添乗員の佐々木高子がご案内します。年齢は聞かないでくださいね~まだ独身ですから。アラフォーとしておきましょうか。え? それでもサバよんでる? 失礼ですね。そんなことはありませんよ。イワシくらいなものです」
「…つまらないオバサンジョークですいません。さて、もう十年くらいイスラーム系の国の添乗を主にやっています。残念ながら大酒呑みなのでムスリマではありませーん。今回は、出発前にたっぷり呑んで我慢してまーす(笑)。
実は、私も昔はイスラームの国って怖かったです。髭面の男性が大声で怒鳴るって印象でした。初めて、シリアとヨルダンに行ったときも、イヤだったですね。
でも、シリアのある街でスーク、つまり市場をひとりで歩いていたら、突然気持ちが変わりました。スークは異国情緒たっぷりで、スパイスの強い香りが漂ってきたり、羊の肉がぶら下がっていたり、その頭が置いてあったり、そういうのを見るだけでくらくらとしましたが、しばらくすると、東京の中央線沿線のアーケードの商店街と変わらなく見えてきました。スカーフをしたおばさんは、その日の家族の夕食のために買い物をしているのだし、店先で立ち話をしてさぼっているおじさんたちも、なんだ落ち着いてみると日本の商店街のおじさんと同じじゃないって。そう思ったら、なにか途端に愛着を感じてしまって…
まあ、添乗員なんかやっていますと、世界中のどこへ行っても、いるのは同じ人間で、ただ肌の色とか見かけとか、服装とか、習慣や風俗がちょっと違っているだけで、基本は同じ人間だなって思うようになります」
「…そうなっちゃうと、つまらないっちゃあ、つまらないんですけど、どこへ行ってもなじめちゃうようになりました。だけど、どうもイスラームの国が性に合うみたいです。女性だともてることも多いですし(笑)。でも、皆さまはイランの…と言うよりペルシャのほうがロマンティックかな、異国情緒をたっぷりと楽しんでください。でも『同じ人間』と思っていただくと、また視点が変わって面白いときもあると思います」
ツアーの一行の何人かから拍手が出た。陽一もちょっといい話だと思った。
「ええと、少しペルシャ語もお教えします…と言っても、ムズカシイでしょう。私も正直なところ、あまり読めもしません。でも、これだけはどこへ行っても現地の言葉で言うといいのが「ありがとう」ですね。日本でも、外国人に日本語で『ありがとう』と言われると、うれしいですよね。ペルシャ語では、ありがとうは『モトケッシャラム』ですが、ちょっと発音が難しい。ですが、実は『メルシー』でも大丈夫です。なぜかと言うと、一九世紀からしばらく、フランス語学習がイランで流行ったためです。それからの習慣のようです。日本で『サンキュー』が定着しているのと、似たようなことですね」
…それから、気がついたら二時間以上寝ていた。ほかのメンバーも寝ているようだ。テヘランで一泊すれば疲れもとれたろうに…。ツアーの日数を短くして、代金を安くするために一日短縮したのだろうか。
前方を見ると、荒木が立ち上がっていた。
「皆さま、よくお休みになりましたか? そろそろ到着の三〇分ほど前なので、少しイランの歴史についてお話しましょう」
目を覚ましたばかりの人たちが、しっかりと起きるまで荒木は待っていた。
「イランは、はるか紀元前二〇世紀頃に南ロシアのほうからやって来たアーリア系の人たちが先祖となっています。現在の『イラン』という国名も『アーリア人の国』という意味です。最初にやって来たアーリア系の人たちは、メディアという国を築きましたが、アケメネス朝ペルシャがとって代わり、アレクサンダー大王に滅ぼされてからは、遊牧民族のパルティアという国ができます。しかし、三世紀にはササン朝ペルシャが誕生します。このアケメネス朝とササン朝ペルシャの時代がイランの黄金時代でしょう。この辺りについては、ペルセポリスを観光する日にまたお話しします」
「ササン朝は七世紀にイスラームの勢力に滅ぼされました。しかし、長い栄光の歴史を持っていたペルシャは征服されても、逆に文化的にはイスラームに大きな影響を与えました。あらゆるイスラーム文化の根底にはペルシャ文化が息づいています。
また、ササン朝最後の王ヤズダギルド三世の娘ジャハーン・シャーは、シーア派の第四代イマームのアリ・ザイヌルアービディーンに嫁いだと言われていて、だからシーア派のイマームにはササン朝ペルシャの血も流れているとされています。ペルシャの栄光もイラン人は忘れたくないのです」
「さて、征服された後には、何度も王朝が変わっていきますが、これから訪れるイスファハンを首都とした一六世紀のサファビー朝の時代にイランは再び隆盛します。しかし、サファビー朝も一八世紀に倒れ、また混乱状態となります。一八世紀末にはガジャール朝が再びイランを統一しますが、この王朝は徐々に、英国やロシアなどの傀儡となってしまいました。
そんなガジャール朝を倒したのが、イラン最後のパフラヴィー王朝(日本ではパーレビ王朝と呼ぶことが多いようですね)を樹立したレザー・シャーでした。一九二五年です。レザー・シャーは、欧米の支配から逃れるために、同じアーリア人の国ということで、急速に勢力をのばしていた、ヒトラーのナチスドイツに接近したために英国から一九四一年に強制的に退位させられ、息子のムハンマド・レザー・シャーが跡を継ぎます」
「しかし、ずっと欧米の搾取は続き、イランの石油会社アングロ・イラニアン石油は英国などの思いのままになっていました。ずっと続いた西欧社会からの支配に怒っていたイラン国民の反抗心は、やがてモサデク首相の時代に強く現れます。モサデク首相は圧倒的な国民の支持の下、一九五一年にアングロ・イラニアン石油の国営化を宣言し、親ソ連の政策を取ります。やがてシャーも亡命します。
しかし、イランの豊富な石油資源を黙って見逃すわけはなく、欧米、特にアメリカが秘密作戦を展開しモサデクを失脚させます。そしてシャーは復帰し、また石油利権は欧米へ。そして英国に代わって、アメリカが後ろ盾に立つようになり、シャー自身は贅沢三昧を続け、秘密警察サヴァクで国民を弾圧します。シャーの豪奢な生活については、テヘランに戻った時に宮殿や宝石博物館などで見られます」
「皆さんは、今イランとアメリカの仲が悪いのは、イラン革命のときにイランがアメリカ大使館を占拠して人質を取り、その後もテロをするからアメリカが怒っているのだと思っているでしょう。でも、ずっと長い間欧米やロシアなどに搾取され、真の独立を果たそうとしたらアメリカの陰謀でダメにされた。だから、イラン国民が欧米、特にアメリカに怒るのは当然と思います」
「一九七九年のイスラーム革命の時には、そんなイラン国民の怒りが爆発したわけです。自分たちだけがとんでもない贅沢をして、宗教弾圧もした、そんなシャーが亡命しても、アメリカは匿ってシャーの財産もイランに返しませんでした。もっともイスラーム革命のときには、アメリカ大使館の人質事件のほか、イラン人のアメリカ支持者や関わりのあった人が相当に酷い目にあっていて、これは私もよいとは思っていません。ようやく最近、アメリカも入った六か国核開発協議が合意に達したので、これからはイランとアメリカの関係もよくなるとは思いますがね」
「でも昔は酷かった。イスラーム革命後イラン・イラク戦争が始まったのも、イラクのフセインの背後に英米が付いたからです。膨大な軍事援助をして、フセインにイラン革命政府を潰す戦争をさせたんです。フセインは、この戦争で、イラク北部でクルド人が蜂起したときに、毒ガスで虐殺をしたと言われていますが、この毒ガスはアメリカ製です。こんなことは報道されていないでしょう? 全部事実なのですが。
モサデク首相のことなんか、今は日本人もアメリカ人も一般の人はまず知らない。そして、イランは危ないテロリストのたくさんいる国だと思われています、ぜひ、そうではないことを、皆さまよくご覧になってください」
参加者全員が、荒木の勢いに押されて沈黙していた。
「イランはイラクとの戦争で、最初はイラク軍に圧倒されましたが、国民一丸となって戦い、イラク軍を押し戻しました、八年に渡る長い戦争はこう着状態が長く、「イライラ」戦争とも呼ばれましたが、休戦した後、イランとイラクは国交を回復しています。この戦争では不思議なことも起きています。なんと今は犬猿の仲と言われるイスラエルが、イランを支援していますし、またアメリカの企業がイランに武器をこっそり売るという『コントラ事件』と言う、アメリカにとって恥さらしなことも起きています。イスラエルはイラクが強くなり過ぎることを恐れてイランを支援したわけですが、コントラ事件はただ金儲けのためにしたことです」
「フセインはイラン・イラク戦争後、もてあました軍事力でクウェートに侵攻し、これが湾岸戦争となりました。アメリカはクウェート侵攻を事前に知っていたのにフセインを止めませんでした。
アメリカはイラクの石油利権がどうしても欲しかったので、911の後、もう一度イラクに戦争を仕掛けて、結局イラクの石油利権は、今は欧米のものです。911の後のアフガニスタン侵攻は、アフガニスタンに天然ガスという資源はあるんですが、それよりも石油のパイプラインを通す中継地としてのアフガニスタンの価値が高かったので、そのための戦争です。これもいわば石油利権のためにタリバーンを追い出したと言えるでしょう。そして、一般の人々が今も治安悪化のためのテロや、時に空爆によってアフガニスタンやイラクで殺されています。アメリカの前のブッシュ政権の閣僚などは、戦争関係の企業と関わりがあってイラク戦争でも大儲けしたらしいですけどね」
次第に強くなっていく荒木の言葉に、全員黙ったままだったが、ゴマ塩頭が声を張り上げた。
「なんだか君は日本のサヨクみたいなことを言うねえ。私は政府関係の仕事をしているんだけど、君みたいに正義漢ぶったって世界はなんにも変らないよ。ほかの国に干渉されたくなかったら、強くなればいいんだ。だらしないからやられっぱなしになるんだよ。日本はどこにも苛められてないじゃないか。それにブッシュ元大統領には、私は直接お会いしたことがあるが立派な方だぞ。失礼なことを言うな」
荒木は反論するかと思ったが、満面の笑顔で答えた。
「はい、そうですねえ。皆さんご存じないかと思って少しお話しましたが、弱いと思ったら強くならなければいけないですねえ。まったくおっしゃる通りです。国際政治のことをよく知っていらっしゃる。また、ブッシュさんが悪いと申し上げたのではないので、ご勘弁ください。閣僚についての話ですから」
「おっしゃる通り」と言われてゴマ塩頭も返答せずに黙った。しかし、ゴマ塩頭の毒のある言い方には、なんかイヤな気分になった人が多そうに見えた。
…ホテルに着いたのは、すっかり辺りが暗くなった七時過ぎだった。ホテルに着くまでの間、町へ入ってザーヤンデという川の畔をドライブすると、照明が当てられた古い石づくりの橋が見えた。たくさんの橋げたがあって、日本では見られないような不思議なつくりだった。
「きれいでしょう? 明日はここにもまいります」佐々木が言った。
ホテルに着くと、添乗員が代表となってレセプションでチェックインした。「アッバーシーホテル」は古い建物を改装したようなつくりで、昼間バズラテ・マーアスーメ廟で見たような、イスラーム装飾がそこかしこで見られた。建物自体はかなり古いようだが、あちこちに手入れがなされていて、ホテルとしての機能は充分に果たされているようだ。
「これからの予定ですが、皆さまがお部屋へ入られ
まして、お荷物が届いたのを確認してから、少し忙しいですが七時半にご夕食です。場所は二階ですが、ちょっと分かりにくいので、こちらのロビーにもう一度お集まりください。朝食は夕食と同じレストランで…」
「…それでは、皆さまにお部屋の鍵をお配りします。カード式なんですが、うまく作動しないこともあるかもれません。
明日はモスクの観光で上履きを靴の上から履いたり、履き替えたりすることもありますから、そのおつもりでご準備ください。女性の方はスカーフを忘れずに。明日はチャドルを着る必要はございません。では○○様…」
「それから村中様、宮本様…」
みゆの前に中年男がカードを受け取ると、次にみゆもカードを受け取っていた。不思議にも、あの妙なカップルはそれぞれ別の部屋のようだ。なぜだろう? とりあえずは二人で旅行に参加したけれど、まだ、そういう仲ではない? でも、一緒に海外の旅に来るくらいなのに…
「森村様…」
あの母息子だ。受け取った母親は心なしか緊張しているようにも見える。息子が母親の荷物もまとめて持ち上げた。こちらは笑顔が顔いっぱいに広がっている。
そこまで見てから、陽一は自分の部屋へと向かった。
ホテルの回廊では、あちこちで調子の悪いカードキーの扱いに悪戦苦闘しているツアーの人たちの姿を見かけた。でも、陽一は難なく鍵を開けることができた。
部屋に入ると、ベッドの木枠などは歳月を感じさせたが、カーテンも明るい色で、全体的に清潔感があった。デラックスではないけれど、まあまあ落ち着ける雰囲気だ。壁には部分的にイスラーム装飾も施されている。別に旅行自体を楽しむつもりもなかったが、居心地のよい部屋であることに越したことはない。
荷物の受け取りを済ませると、レセプションへ向かった。もう、ほとんどの人たちは集まっていたが、「あの」カップルだけがまだだった。五分くらい過ぎてから、中年男に引っ張られるようにみゆが、どたどたと足音をさせながらエレベーターから降りてきた。今度は、金切り声は上げなかったが、中年男の手を振り払って、口を尖らせていた。
レストランに着くと、華やかな照明とイスラーム装飾とに目を奪われた。イスラームの貴族が宴会をする姿が見えてくるようだ。今夜の夕食はバイキング形式だと言われた。穏やかそうな雰囲気の親子と一緒に座ろうかと思った。もう、ふたりとも席についていたので「お邪魔してよろしいですか?」と尋ねたら、揃ってにっこりと笑ってくれた。
「池谷です。よろしくお願いします」
「森山です…息子の優です」
「よろしくお願いします」
男にしてはちょっと細いが凛とした声で優が答えた。髪はちょっと長めでふんわりとカールがかかっているようだが、パーマをかけたのではなく天然のようだ。まつげが長く、ちょっと女性的な感じもある。美青年というほどではないが、異性の注目を浴びそうなタイプではある。終始笑顔で本当にうれしそうに見える。
対照的に母親のほうは、笑顔のときもあるが、ときどき視線が遠くを向いていることがあった。そして、ちょっと辛そうに顔を歪める瞬間もある。体調でもよくないのだろうか。
「すんません、ここお邪魔していいですか?」
中年男がひとりでやって来た。みゆと喧嘩でもしたのか。心なしか肩が少し落ちているような気がする。
「僕は村中と言います。よろしくお願いします」
テーブルにいた三人もそれぞれ名乗った。
どうしてみゆと別々の席なのか、聞いてみたくはあったが、まだ人柄もよく分からないし、無表情ながらいささか憮然とした村中の顔を見るとできなかった。
「皆さんはなんでイランへ来たのですか? 僕はペルシャの歴史の特集をテレビで偶然見て、なぜか来たくてたまらなくなったんです。入社した会社は研修が終わったところで、勤め始めたらいつ海外へ行けるか分からないし…それで母を誘って、親孝行のつもりもあって…」
優が言った。ということは今年の新卒か。若いわけだ。
「私はもう、ずいぶん前ですが、仕事でテヘランに三年間駐在していたことがあるんです。だから懐かしい気持ちもありました」
母親が話した。…しかし、親子にしては似ていないなあと正面から見て陽一は思った。息子は母親に似ることが多いと言うが、母親は髪の毛はさらりとしたストレートヘアーのショートカットで色白。しかし、優はふんわりとした髪で、ちょっと浅黒い肌をしている。まあ、似てない親子もいるからな、とは思ったが。…ただ、黒目がちでちょっとウェットな感じの瞳はよく似ている。
「僕は同行者が古いマンガを読んで、どうしても来たいと言ったので仕方なくですね。僕はアメリカの西海岸へ行きたかった。格闘技の大会があるし。僕自身格闘技をずっとやっていて、たまに前座ですが日本の大きな会場での試合にも出てます。仕事はコンピューターのプログラマーですが、室内にこもっているだけなのはイヤで」
抑揚の少ない小さな声で村中は話した。
「へえ、格闘技やっているんですか。すごいですねえ。僕なんか特技はピアノが少しできるくらいです」
優が素直に答えた。
村中は唇の端を少し緩ませた。実はかなり自慢にしたいようだ。
「マンガってあれかしらね? 若い頃読んだけど子猫の出てくる少女マンガでしょう」
母親が話した。
「そうです。『綿の国星』ってマンガです。主人公は人間の女の子のような姿で描かれていますが、ペルシャ猫みたいな子猫で、あるエピソードで突然、ペルシャを目指して旅立つってのがあります。それを読んだら同行者がどうしても行きたいって言いだしてしまったもんで…僕はマンガが大好きで、ひと部屋マンガで埋まっています」
やっぱり村中はオタクっぽいな、と陽一は思った。おそらくマンガの本とアニメのDVDに囲まれて暮らしているのだろう。
「池谷さんはなぜイランへ? またひとりで」
さっきからどう答えようかと迷っていたが、陽一は優にそう聞かれて、考えた通りに答えた。
「いや僕もホントはタヒチなんかに行きたいなあ、と思っていんだけど、彼女に突然外せない仕事が入っちゃって、ひとりでタヒチ行くのもつまらないから、いっそ変わったところへ行こうと思って…」
「タヒチから、いきなりイランってすごいですねえ」
優が無邪気に声を上げた。
「いや、たまたまこのツアーが催行確実で予定とぴったり合っていたし」
「…でも、彼女と離れて寂しくないですか?」
そう言って、優は母親と顔を合わせた。母親は少し慌ててにっこり笑った。
「電話で話せるから…」
天真爛漫そうなのはいいけれど、けっこうずけずけ聞くヤツだなあ。思わず、ずきっとした胸の痛みを感じながらも陽一は答えた。
「池谷さんは、お仕事は?」
「銀行員です」
「いいなあ、高給取りですね。僕は四月から広告代理店に勤務します」
「料理を取りに行きます」
村中がいきなり席を立った。
「残っていますから、お先にどうぞ」
陽一は親子に告げた。親子も軽く会釈して立ち上がった。すぐに村中は料理が山盛りになった皿をふたつ持って戻って来たので、入れ替わって陽一も料理を取りに行った。料理は生野菜も豊富で、肉料理もケバブからハンバーグのようなものまでいろいろだった。香辛料が抑えめなので、食べにくさもなかった。村中はすごい量を黙々と食べていた。
その後は、みな疲れからか特に会話らしい会話もなく、チャイを飲んで「おやすみなさい」と言ってレストランを後にした。
成田空港から、いや自室のマンションからだと一日半くらいの長い、長い旅を終えて、疲れているはずなのに、疲れよりも高揚感のほうが強かった。部屋に戻っても、すぐに寝る気になれず、窓から夜空を見上げてみると、細い三日月が優しく銀色に輝いていた。…麻子と海に行って、夜空を見上げたときのことを思い出してしまった。
夜も九時を過ぎて中庭はあまり人がいず、照明で照らされた泉水や石、緑がぼんやりと浮かんでいる。このまま客室にいても寝られない気がして、中庭へ出てみることにした。
乾燥した気候のせいだろうか、日が落ちると気温がどんどん下がっているようだ。トレーナーの上からジャケットを着たが、それでも少しぞくぞくする。
内側に向いた大小たくさんの窓のある建物は、これもイスラーム風なのか、部分的に細かな装飾もなされている。中庭は、石と緑とが組み合わされて、あちこちで座って寛げるようになっている。下から当てられる照明で、すべてが浮かび上がって見える。夢の中にいるようだ。
…どこからか、歌声が聞こえてきた。スピーカーから流れているらしい。ギターに似た弦楽器が掻きならされ、フルートのような、尺八のような笛の音が虚空に響く。暗い調子ではなく、月光のような優しさを感じさせる。そして、笛の音の合間には、男の歌声が入る。ときに囁くように、ときに詠じるように。いつの間にか、すっかり聴き惚れていると、後ろから肩を叩かれてびっくりした。
「よう、元気か青年」
荒木だった。
「ここにいると思ったよ」
「なんで分かったんですか?」
「君が悩みを抱えているのは一目瞭然だからな。ほかの人とあまり積極的に関わろうとしていない。でも、普段ふれないようなものにたくさん出会ったから気分が高揚している。寝つきが悪い。こんな月夜の晩であれば、自室にいるのでなく外へ出たくもなるだろう」
…なんで自分のことがそんなに分かるのかと陽一は驚いた。
「このホテルの中庭は素晴らしい雰囲気だしな。
三百年前のサファビー朝の時代には、このホテルはキャラバンサライと呼ばれる隊商宿だった…昔は電気の照明はないが、それでも月明かりや灯火で恋人同士が語らったことだろう」
思わず胸の辺りが痛んだ。
「君の悩みは女性のことだろう」
「…」
「まず、君くらいの年齢であれば、悩みと言えばまず女性だからな。どうだ? ワシに話してみんか。少しは楽になるぞ」
「いや、その…」
また、歌が聞こえてきた。
「…シャジャリアンだな。いい声をしている。イランの伝統的な歌の、優れた歌い手のひとりだ。あの末尾で声を震わせるのが、タハリール唱法というやつだ。独特の哀感があるだろう。彼らが歌う詩の多くは、ペルシャ詩人のものだ。皆、スーフィでもあったが」
スーフィ…
「スーフィってなんですか?」
「一般的には、イスラーム神秘主義者と言うな。イランではダルヴィーシュとも言う。しかし、もちろんそれだけで説明できるものではない。アッラーとひとつになるのが究極の願いだが、多くのスーフィは博愛を目指す者でもある。なにを隠そう、実はワシもスーフィだ。
伝統的なスーフィは、みすぼらしい羊の毛皮スーフを身にまとい、托鉢するのだが、今ではそんなスーフィはほとんどいない。
ワシは天涯孤独の身の上だが、やはりたまには美味いものも食べたいし。俗っ気があり過ぎてスーフィ失格だな」
「荒木さんはずっと独身なんですか。けっこう男前じゃないですか」
「いや、恋人がいたことはあるよ。素晴らしい女性だった」
「結婚しなかったんですか?」
「彼女は死んでしまった。しかも、ワシのためにな…」
荒木が表情を曇らせると同時に、陽一も深い悲しみに包まれた。周囲がすっかり暗くなったように思えた。いきなり個人的な深刻な話となったのも驚きだったが、なんで荒木の悲しみに瞬時に強く影響されるのか不思議だった。しかも、奥底で慟哭するような感情までもが荒木からこちらへ流れてきた。なぜ、荒木にこんなに共感するのだろう。今日初めて会ったのに…
「結婚式を二か月後に予定していた、春のほのぼのと暖かい日の…日本の高速道路だった。運転していた車の調子が悪くて、いったん路肩に停めて、外に降りた。そこへものすごい勢いで暴走車が突っ込んできてな。ワシを突き飛ばして逃した彼女がはねられた。即死だった。もう三十年以上前だが…」
「…お気の毒です」
なんとかそれだけ返した。
「彼女との関係は唯一無比だった。なにも言わずとも、お互いそのときの気分が分かりあえた。ドラマチックなことはなにもないが、自然とふたりで寄り添っていられた。離れていても時折、急に温かい気持ちになった。不思議だったが、後で確認したら、それは彼女がワシのことを想ってくれていた時間だった。逆の時もあった。とにかくふたりでいると、心の底から安らげた。お互いを無理に気遣う必要が何もなかった」
荒木の話はすらすらと頭に入ってきた。思わず陽一は麻子とふたりでいたときを強く思い出した。
「僕もそんな経験があります」
「…やっぱりな。君の表情はワシが彼女を失ったときと似ている。ときどき目が一点を見つめ、すっかり虚ろになっている。どうした? なんで彼女を失った?」
「…分からないんです。だから辛過ぎて…」
頭のなかが突然空っぽになって、その後に、急に陽一は嗚咽がこみ上げてきた。とめどなく涙があふれてきた。
荒木はそんな陽一を抱きしめてくれた。黙って背中を優しくさすってくれた。なんで初対面の人と、こんなにすぐ打ち解けてしまうのだろう。
「何も言うな。想っている人のことで泣くのは、ちっとも恥ずかしいことではない。女々しくなんかないぞ。むしろ、君が男だからこそ泣けるんだ」
しばらく、荒木はハグしてくれた。少しずつ、ほっこりと安らいだ気分になれた。荒木の温かさが伝わってからだ中に広がっていった。
「どうやら…君とワシとはソウルメイトのようだ」
「? なんですか? それは。まさか…同性愛関係ではないですよね?」
ふと、そんな不安? も感じた。
「はっはっは。違うよ。もっともワシはイスラームでは厳禁の同性愛にも理解はあるつもりだが。ソウルメイトには、もっと難しい表現もあるが、日本の占いサイトなどでは気軽にそう呼ばれているらしい。実際にはそんな軽々しいものではなく、とても重要なことだ。
分かりやすいからソウルメイトと言っておくが、日本語で言うと、前世でなんらかの関わりがあった仲間というところかな。親密な仲だったのだ。肉親だったかも知れない。前世の縁があるから、どうしてもお互い惹かれあってしまうのだ。君と握手して、すぐにワシは分かったよ」
「前世とか輪廻って仏教思想でしょう? イスラームにもそんな考え方があるんですか?」
うろ覚えながら言ってみた。
「いや正統的なイスラームではありえないな。イスラームでは現世と来世しかない。でも、ワシは信じている。信じぜざるをえないと言うか…」
「…荒木さんの場合も僕の場合も、相手の女性についてはソウルメイトに出会ったということなんですか?」
「君については、まだ何も聞いていないから分からないが、ワシの場合はな、さらに強い結びつきだ。…男女であまりにも惹かれあってしまうのをツインソウルと言うらしい。これらについては、スーフィズムとの直接の関係はない。マリヤムという女性から聞いたことだ」
「ツインソウルの男女は、元々ひとつの魂であったものがアッラーによって分けられたのだ。別れていろいろな修行を積むようにと。不思議に辿る人生は似ていることが多いようだ。例えばワシと彼女はともに一人っ子で、母親を早くに亡くしていた。
ツインソウルの出会いは宇宙的な確率というぐらい、きわめて稀だが、平坦なものではないことが普通だ。お互い宿命のように惹かれあう。しかし、さまざまな試練が科せられる。辛い別離、嫉妬、現実的な環境からの迷い…あらゆるマイナスの感情を経験する。それを克服しないと結ばれない。しかし、もしも結ばれたならば、ツインソウルには、多くのひとを幸せにする使命がある。結ばれたときに限りない幸せに包まれ、すごいパワーが出せるようになるからな
でも、片方がツインソウルであることに気づいても、片方がなかなか気づかないこともある。年齢差がかなりあったり、お互い既婚者だったりもする。なぜ、出会ってしまったのかと、かえって地獄のような想いをすることもある。でも、それは受け入れるしかないのだ」
「…そんな。なぜ、そんなことが…神様は人間を苛めたいだけなんですか?」
麻子と自分のことも思い出しながら、陽一は理不尽な怒りを感じた。
「アッラーの意志は誰にも分からん。…ただし、試練に会って、力を尽くす者は、必ず報われるという。それがどういう報いかまでは分からんが」
「ワシと彼女とは、何も試練なく結ばれた。友だちとの集まりで出会って、その日にも思いがけなくふたりで話す機会があった。そのときからすぐにお互い意気投合していた。翌日にはもうふたりで会っていた。それからの五年間の素晴らしかったこと…ワシは大学で日本の古典文学研究をする准教授として、彼女はイラストレーターとして、素晴らしい成果を次々に上げていた。そして、自分たちのシアワセを少しでも分かちあいたいと、周りの人たちにも少しでも一緒に楽しく過ごして欲しいと、多くの人たちと一緒にいる機会をなるたけつくった。すばらしい仲間とのすばらしい日々。なにより彼女が一緒だった。いつまでも幸せでいられると思った。ところが…」
「ワシは彼女を亡くして、神を心底呪った。
それはそうだろう。なぜ、彼女と巡り会わせておいて、五年で奪ったのかと。失ってみて初めて分かった二度と得られないほどの幸せから、なぜ奈落の底に突き落とすのかと…。彼女を亡くしてすぐに後を追おうと思ったが、死を決意しようとすると、なぜか彼女が笑顔で脳裏に現れた…。最初は喜んでくれているのだと思った。自分のところに来てくれると。
でも、なぜか彼女の笑顔を思い出すと、逆に死ねなくなってしまう…。目に見えない優しさに包まれて、動けなくなって…。自分では死ねないから、どうか誰か殺してくれと思って、自暴自棄の生活を続けた。大酒を呑み、暴れた。いつの間にか大学を辞め、暴力団関係の組織の仲間になっていた。実はワシは空手も柔道も有段者なんだ」
「しかし…そうした生活をつづけるほどに、彼女の笑顔が思い出せなくなった。昔のワシは彼女の笑顔が見られれば、それだけで幸せだったのに」
「あるときに、荒れた生活のまま、なぜか無性に本が読みたくなって、家の近くの図書館に行った。そのときには宗教関係の本を無差別に選んで借りてみた。仏教、ユダヤ教、キリスト教、ヒンドゥー教、道教、神道、イスラーム…しかし、どんな宗教のどんな教えもワシを救ってはくれなかった。しばらくの間、片っ端から本を読み続け、朝、また深夜には、何度も何度もどんな神でもいいから救ってくださいとずっと涙を流しながら願ったのに…」
「…そんなある日。前日に人を殴ったまま、手に血がついた状態で酔っ払って寝てしまった。ベッドの近くに置いておいた本にさわってしまって、まずいなと思った。近くにあったタオルで手と本を拭き、なにげなく頁をめくってみると、こう書いてあった」
「みんな、やっておいで。さすらい人も…私たちは決して諦めない仲間だ。千回誓いを破ってもいい」
え? それって麻子が口ずさんでいた…
「その詩を目にして、ワシは少しだけ救われたと思った。不思議なことに、すぐに脳裏に人懐っこい笑顔をした、長いあごひげの老人の姿が浮かんだ。それは後になって、その詩を綴った、ペルシャ人のイスラーム神秘主義者ルーミーの肖像に似ていると分かった。
それから図書館が開くのを待って、とっくに貸し出し期限が過ぎていたのを詫びながら、すべての本をいったん返し、ルーミーに関した本を探した。小さな区立の図書館では彼の本はなかったので、国会図書館まで出向いた。そして読んだ何冊かの本でのルーミーの教えには、常に基本として『愛』があった。その『愛』は、男女間に限らず、いろいろな形をしていた…でも、なぜ、そんなにルーミーという人物と、その教えに引き寄せられるのか不思議でならなかった」
ルーミーと麻子にどんな関連があるのだろう…
「調べていくとルーミーには、トルコのコンヤというところに廟があり、トルコでは今も彼の教えを広めている教団がいくつかあると分かった。ワシは誰にも告げずに引っ越して、トルコ語の勉強を始めた。…そして、悪い仲間に居どころを知られないように何度か引っ越しながら、トルコ語とルーミーの教え、スーフィズムの勉強を自分で続け、二か月後に日本から旅だった。冬のさなか、曇天が続く日だった」
「事前に連絡してあった、とある教団のイスタンブール市内の事務所を訪ねると、痩せた髭面の男が出てきて、柔らかく微笑んだ。ワシが簡単に身の上を話すと、黙って聞いてくれた。そして、ついてくるようにうながし、私を車に乗せた。小一時間ほどドライブして、着いたところは美しい庭園のある館だった。
…そこで、ワシは衣類と食事を与えられ、三か月を過ごした。誰もなにも指図しなかった。仕方ないので、庭園の花を愛で、トルコ語の書籍はふんだんにあったからさらにトルコ語を詳しく学習し、ペルシャ語の勉強も始めて、ペルシャ詩人の詩に親しんだ。ルーミーもトルコで一生を終えたが、元々ペルシャ人だ。館には何人かの老若のトルコ人男性がいて、英語でもトルコ語でも質問にはなんでも答えてくれた。でも、自分がどうするべきかは決して教えてはくれなかった。…街に出ることも可能でそう言われたが、ワシは街に出たいとはまったく思わなかった」
「驚いたのは酒の用意さえあって、呑みたければいつでも酒が呑めることだった。ただし酒の置いてある棚には『酔うといえども魂を失うな』とペルシャ語で書いてあったがね」
「ペルシャの詩人ハーフェズ、サアディーの詩をよく読んだ。欧米で知られているペルシャの詩集では『ルバイヤード』というのもある。それらの詩を読み始めて驚いた。描かれているほとんどのことが飲酒と性愛のことのように思えた」
「もちろん、それはそのままではなく、すべて神への愛と陶酔とを分かりやすく置き換えたものだと言われている…でも、ワシは案外そのままではないかとも思っている…今もワシは酒を呑んでいるしな」
荒木が悪戯っぽく笑った。
「えー、いいんですか?」
陽一は思わず声を上げてしまった。
「こら、大きな声を出すな。実はイラン人だって、隠れて酒を飲んでいる者は少なくない。一九七八年にイスラーム革命が起きる前、パーレビ時代のことを知っている者などは当然だ。あの頃は、社会の風俗は西欧と同じで、テヘランでは、多くが酒を呑んでいたからな」
「だって荒木さんはいわば聖職者みたいなものでしょ?」
「はっはっは。バレたらクビだな。…でもな、クルアーン…日本ではコーランか、にも酒はいかんとは書いてあるが、何よりいけないのは『酔っ払って不善をなすこと』とある。だから酒を呑み、憂いを払い、楽しくなるのなら、ワシはそれでいいと思っている…さて、ワシの部屋に来て、少し呑むか? 話の続きもな」
「実は…僕も酒持ってきちゃいました」
「おーそうか。でも、今夜はワシの酒を呑め」
荒木の顔がほころびた。
…もう、夜の十時過ぎだし、最近の陽一の酒は麻子のことを忘れるための酒で、無理やりに呑んでいたので、あまり寛いで呑みたい気はしなかったが、荒木の穏やかな優しさをもう少し身近に感じていたかった。
「ワシのはスコッチだが、ストレートで呑めるか?」
「はい。いただきます」
自分のホテルの部屋で、荒木はガラスのコップにスコッチウイスキーを三分の一くらい淹れて、陽一に渡した。ピート(泥炭)の香りがきつかったが、口に含むと柔らかくほどけた。
「よいか。酔っ払ったら、すぐに寝させるぞ。また、自分の部屋に戻るときには、ほかの人に絶対見つかるなよ」
「さて…教団の研修施設みたいなところに滞在して三か月ほど経った頃、ワシはすっかり穏やかな気分になれていた。いつでも彼女の笑顔がすぐに心の中に浮かんでくるようになって、それだけで幸せになれるようになった。その頃に思うようになったのは『なんでもいいから人の役に立ちたい』ということだった。彼女との幸せな日々の頃とは違ってはいても、なにか人助けがしたくなっていた。暗い表情の人を笑顔にしたいと思っていた。なぜか、そう思うと心の中の彼女がすごくうれしそうに笑うように思えたのだ」
「…そんなある日、ワシは庭園で女性に会った。女性に会うことなんか、イスラーム系の研修施設みたいなところではありえないと思っていたから、酒が施設にあることよりもずっと驚いた。五月になっていて、穏やかな日和だった。庭園のバラはもう満開に近かった。バラの眺めは、ワシも毎日楽しみにしていたので、朝食の後に訪れたのだが、そこに薄いグレーのチャドルを着た、ほっそりとした女性がいたのだ。バラを優しい表情で愛でていた。ワシのほうがびっくりして『失礼』とトルコ語で言って、立ち去ろうとした…」
「荒木さんですね? お会いしたかった」
「なんと日本語で呼びとめられた。そして、振り向いたその女性の微笑みは…すごく懐かしいものに思えた。顔は似ていないし、明らかにワシより年長の女性だったが、なぜかワシの彼女の笑顔を想いだした。それが、世界で二番目に好きなマリヤムの笑顔を初めて見た瞬間だった」
「詳しくは聞いてはおりませんが、ずいぶんお辛い目に遭われたようですね。でも、もう大丈夫でしょう。あなたの心の中には、愛しい人の笑顔があるはず。そして、だれかを助けたいとも思っている」
「なんで分かるんですか?」
「いささか驚いたが、マリヤムはその質問には答えてくれなかった」
「…私が日本語を話すのにも驚かれているようね。私は日本に三年間いたことがあります。宗教学の勉強で若い頃に留学しましたから。日本は不思議な国です…何もかにも受け入れてしまう。鎖国をしていた時代にも、さまざまな海外からの情報を、すべて自分のものとしてアレンジしていた。あらゆることに、たとえ少数であっても熱意を持って受け入れる人たちがいる。世界のいろいろな文化について、分野毎に精通している人がいる。イスラームについてさえも。
地図で見ると日本はシルクロードからの波を受け止めるような弓形をしています。でも、戦争に負けてからは、弓の張った逆側から無理矢理にいろいろなことを受け取らされているようにも見えますね…」
「…もしも、この世に完璧な女性がいるとしたら、それはマリヤムだろう。マリヤムというのは欧米で言えばマリアだが、本当に聖母のような女性だ。俗に言うと、素晴らしい美人でもあるのだが、その美しさは彼女の魂と連動していて、高貴なようで親しみに満ちている。どんな猛り狂った男でも彼女の前では柔和になってしまう。そして若い頃でも、男にヘンな気は起こさせることが不思議になかったらしい。なぜか、女性であると同時に、母でもあることを相手に感じさせるようだ。
今はもう七十くらいの年齢だが、四十くらいにしか見えない。どんな時でも、どんな相手にも優しく、心からのあたたかさで接する。常に穏やかで、からだは小柄なのに、なにもかも受け止めてくれるおおらかさもある。しかし、ただ優しいだけではなく、とてつもなく強い。二十代から世界の紛争地で救護活動をして、生命が危険なほどの事態も何度も経験しているらしい…いや、それらすべてもどうでもよいかも知れない。マリヤムはマリヤムだ。一度、会えばすぐに分かる。唯一無比の女性だということが…今回のツアーで最後にテヘランへ行ったとき、君も会えるかも知れん、いや、ぜひ会わせてやろう。なぜか彼女に近く会えそうな気がする」
陽一はぜひ会ってみたいと思ったが。シラーズで麻子とどうなるか分からないし…
「…実は」
陽一は麻子とのいきさつを訥々と話し始めた。
荒木は一切、批評も説教もしなかった。ただ、共感を持って聞いてくれた。
「…そうか、シラーズにはワシもたくさん友だちがいるから、到着する前に機会をみて連絡してみよう。マリヤムの家もシラーズにあるんだが、世界を飛び回っていて、イランへ戻ってもテヘラン止まりで、すぐにまた国外へ出発することも多く、ほとんどシラーズには帰らない。
でも、息子はいるはずだ。長男のアリは下半身不随の障碍者だが、さすがにマリヤムの息子だけあって立派な男で、やはり世界中で平和運動に関係している。最近はパレスチナへ赴くことが多い…ワシも何度も行っているが、パレスチナは最早、自主独立ということでは絶望的な状況だ。おっと、パレスチナのことなど話し出したら、また時間がかかってしまうな」
「ぜひ、パレスチナのことも、今度教えてください」
麻子とのことを思い出すと、今の陽一はそう言わずにはいられなかった。
「そうだな、いずれ…さて、話を続けよう。
マリヤムはワシの師になるために来たのだった。そのことにも驚いた。スーフィズムを男に教えるのが女性だとは。スーフィはほとんどすべてが男だからな。
ちょうど、その頃にマリヤムはある国での平和活動で、その国の政府に睨まれて国外追放になり、トルコにしばらく足止めになっていた。そこで、昔から世界で平和活動を展開している教団との親交もあったので、ワシのことを聞いて、私なら日本語も話せるし…ということになったようだ」
「彼女から教わったことには、難しいことは何もなかった」
「『神にすべてを委ねてすべてを受け入れること』『あなたが彼女を愛したことを思い出しながら、すべてを愛すること』…このふたつだけだった。マリヤムとは、毎日庭園を散策した。彼女と庭園を散策していると、実際にはさほど大きくない庭園なのに、そこには宇宙とも言えるほどの広大さがあると感じた」
「このバラをご覧なさい。ただ外面を見るだけではなく、花のひとつひとつを、葉のひとつひとつを、枝のひとつひとつを、それぞれじっくりと。
花それぞれの香りをよく嗅いで、葉の瑞々しさを感じて。どんな色をしているか。さらに、どんな細胞で葉脈が成り立っているか。そして、立ち返って一本の木全体がどうあるのかを。朝露に濡れたバラの姿をよく見て。そして、花が開くさま、昼に美しく咲き誇る様子を、夕に花がしぼむさまも。害虫と呼ばれる虫たちの姿もよく見て。そしてふれてごらんなさい」
「彼女がそう話すと、すべてに生命が宿った。バラにたかる害虫でさえも、どれだけ一生懸命に生命にあふれて生きているかが感じられた」
「日本の伝統的な絵画で『九相図』というのがあるでしょう。人が死んで、骸になって、土に還るさまです。それが花の一日のうちにも見られます…花は、繰り返し咲き続けますが、やがて終わりが来る…だから、精いっぱい咲きたいですよね。
みな、あるがままです。だけど神はすべてを知っています。神に抗おうとしても無意味です。抗うから不幸になり、辛くなります」
「こんな言い方をすると-…日本で言うシンコーシューキョーみたいに感じるかしら」
「マリヤムは明るく笑った。彼女が笑う度に、ワシの気持ちもさらに明るくなっていった。亡くした彼女のいちばんの笑顔も想い出した。それは彼女と話していて、ワシが初めて心の中で彼女を愛している、と想ったときだった。突然、彼女が心からうれしそうに笑ったのだ。ワシはびっくりしたが、彼女のあたたかさがとめどなくワシのほうに流れてきて、こんなに幸せになったことはない、と想った…。そのときの笑顔がはっきりと思い出せるようになった」
「それからは不思議なことに、森羅万象が愛おしくて仕方なくなった。強烈な太陽、美しい月だけではなく、荒れた黒い雲も、吹きすさぶ砂塵も…」
「ワシがそうマリヤムに告げると、彼女は輝くような笑顔を見せた」
「…すべて、あなた自身の本当の姿が現れたからよ。私はなにもしていません。本当のあなた自身を引き出すお手伝いをしただけ。もちろん、誰にでもできることではないの。それができたのはあなたが私のソウルメイトだったから」
「ソウルメイトとはなんですか?」
「その頃はそういうことはまるで知らなかった」
「前世でなんらかの関わりがあったということよ。私がそんな話をするとおかしいかしら? 仏教徒でもないのに。…でもね、いろいろ考えると、いいえ、考えるより直感で思うと、魂は何度も生まれ変わるとしか思えなくなる。初めての場所なのにそうは思えなかったり、初めてのことなのにそう感じられなかったり、初めて会ったのに、最初とは思えなかったり。なんらかの記憶が残っているとしか思えない。デジャヴとかで簡単に片づけられないと思う」
「…ソウルメイトと言っても、全員があなたの味方とは限りません。前世で不倶戴天の敵であった者が再び現れることもあります。友人が敵であったり、敵が友人であったりもします。そういう相手とのかかわりは注意が必要です。でも「敵」というのはあなたがそう思うから敵になるのです。
また、ツインソウルという組み合わせもあります。これはひとつの魂が分かれたもので、男女の場合が多いと言います。巡りあうことはたいへん珍しく、何億、何十億にひと組くらいのようです。だから、出会ってしまったらお互いどうしても惹きあってしまう。あなたの場合はそうかもしれない。でも、あなたと彼女のように、ほぼ同年代でお互い未婚の状態で出会うのは、奇跡のなかのさらに奇跡でしょう」
「でも、私には五年間しか与えられませんでした…」
ワシは無償に悲しくなって、涙が次から次へとこぼれおちた。
マリヤムは手を黙って優しく握ってくれた。
「でも、その五年間はこの上なく幸せだったはず。ほとんどの人がそんな時間を一瞬も与えられないのよ。あなたがとても辛いのもよく分かります。でも、与えていただいただけ感謝しないと、それにあなたと彼女はいつも一緒じゃないの」
「そうも感じますが…でも、現実には彼女はもういない…」
「マリヤムはさらに何か言おうとしたが、ワシの手を少し強く握って微笑むだけだった」
「…それから、スーフィズムを中心として、イスラーム神学や歴史を約十年間徹底的に学んだ。そして、二十年ほど前からスーフィズムの源流であるペルシャ、すなわちイランに来てテヘランでイスラーム神学を教えるようになった。もちろん、最初にいた研修施設でとっくにイスラームに入信していた」
「入信には儀式をするんですか? キリスト教だと洗礼とかありますよね」
「いや、イスラームの入信は簡単だ、ふたりの信者の前で『ライラーハイッラーラー ムハンマダンラスールッラー』と言うだけだ。アラビア語で意味は、アッラーは唯一の神なり、ムハンマドはアッラーの使徒なり」
「守ることがいっぱいあるんでしょう」
「六信五行と言われているものがある。六信とは唯一の神アッラー、天使、啓典、預言者、来世、天命を信じることだ。
天使はキリスト教と同じ天使もいる。例えば、イスラームではジブリールと呼ばれるのはガブリエルだ。啓典はクルアーンだけではなく、旧約新約の聖書も含まれる。預言者にはイーサーと呼ばれるイエスも、ムサと呼ばれるモーセも入っている。イエスは神の子ではなく人間とされているけどね。来世と天命は、簡単に言えば善を行って天国へ行けるように努力せいということだ」
「五行は、入信のときの信仰告白。そしてそれを唱える礼拝。有名な断食ラマダーン。それからザカートと呼ばれる貧しい者に与える喜捨。それからこれも有名だがメッカへの巡礼ハッジだ。ワシも一度行ったが、素晴らしい体験だった」
「でも、豚肉を食べないとか、酒を飲まないとか、女性はスカーフとか、ほかにもいろいろあるみたいですが」
「クルアーン以外に、シャリーアというイスラームの法があり、スンナやハディースという預言者ムハンマドの言行録もある。それらに記してあることをすべて守るのはたいへんだ。まあ、人それぞれなので批判はしない。ワシの飲酒はイランでは、たいへんな犯罪的行為だ。だからワシは誰にでも酒を勧めるわけではないし、自分が酒を呑んで乱れたり、だらしなくなったりするようになったらきっぱりと止める。
豚肉のモンダイもそうだが、戒律について取り方は二方向ある。神に対して真剣に信仰するのが第一で、酒や豚肉が大きい問題か、という考え方。そして、逆に神を信仰するのに、豚肉や酒さえ断てないのかという考え方。例外も多いが、ひとつめはスーフィ的、ふたつめは原理主義的と言えるかな。スーフィと原理系はお互い仲は歴史的にも悪い。でもワシは原理系の人と論争する気はまったくない。
論争より大事なことがいくらでもある。スーフィも原理主義者もふれあう人を少しでも愛し、助けることが大事だ。
戒律ということでいえば、例えば女性のスカーフについては、実はクルアーンにはそういう規定はない。なぜかイスラーム全体に広まっているが。
イランの場合は太古の昔からの習慣からということもあるようだ。パルティア時代の遺跡の発掘で、浮彫などでスカーフ姿の女性が見られる。ほかの国でもそうだが、すべてがイスラームからのこととは限らない」
「ジハードなんてこともよく聞いて、イスラームにはコワイ印象が…」
「やたらと戦闘を煽るようなジハードはいかんな。ジハードには大小がある。真に重要な大ジハードは『己に克つ』ことだ。それこそが大事なことだ。一方で家族など、帰属する集団が攻撃されたら反撃はよい。それが小ジハードだ。こっちばかりが今は目立っている。もっともイスラーム側が攻撃されることが現代は多い、多過ぎる。パレスチナ、チェチェン、アフガニスタン、イラク、シリア…」
「だからワシは、ガイドをやりながらでも、少しでも多くの人に訴えるしかないんだ。イスラームの同胞が殺されている、だけではなくて…ときには『オカシイヤツ』と思われてもな。『人殺し』を止めて欲しい…そのためには、あらゆる一般の人への弾圧・虐待を少しでも止めたいのだ。例え、ワシひとりでもそのためには少しでも尽力したい」
荒木の目が暗く霞んだ…
「…この辺にしておこう。君の顔はかなり赤いぞ」
楽しく人と呑む酒は久しぶりだったので、陽一はいつの間にか酔いが回ってきたようだ。椅子から経つにも、ちょっと力が必要だった。午前一時を過ぎていた。
「…ありがとうございました」
黒い塊が、心からだいぶ無くなった気がして、陽一は心から感謝した。
「よければ明日もいろいろ話してあげるよ」
荒木は夜中なのに太陽のような笑顔で言った。
(つづく)