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エンドリア物語

「BDによろしく」<エンドリア物語外伝81>

作者: あまみつ

 それを見つけたのはレイア・サリビーだった。薬になるモンスターを狩るため、パートナーのピーター・スタッブスと、モーブアの森の奥深くに入ったときだ。

 ぬかるんだ湿地にそれはあった。

 真っ白いフワフワの何か。

「モンスターかしら?」

「見たことないな」

 レイアとピーターは、警戒しながら白いフワフワに近づいた。近づくと白いフワフワはある物体の一部で、その先に見慣れた形にあった。

「……子供だわ」

「本当だ」

 レイアとピーターは子供の側に駆け寄った。真っ白い髪の子供。身体は湿地に半分めり込んでおり、服はドロにまみてれ元の形状もわからない。

 ピーターが土から引き抜くと、子供を助け起こした。

「しっかりしろ」

 気を失っているようで、手はダラリと垂れたままだ。

 レイアが子供も身体に触れた。水分の含んだ土は湿って冷たい。長い時間、土にめりこんでいたなら、身体が冷えている恐れがある。

「急いで、暖めた方がいいわ」

「そうだな。先ほど休んだ川辺に戻ろう。あそこなら火を焚ける」

 2人は早足で川辺まで戻った。ピーターが枯れ木で火を起こしている間、レイアは気絶している子供の泥だらけの服を脱がして、川辺で身体を軽く拭くと、持っていた乾いた布で巻いてあげた。

「火がついた」

「お願い」

 ピーターが火の側に子供を移動させ、レイアは子供が着ていたシャツとズボンを川で洗った。そして、泥がしみこんでいて茶色になった服を、たき火にかざした。

「なぜ、モーブアの森に子供がいる?」

 ピーターと同じ疑問をレイアも持っていた。

 モーブアの森は珍しい薬草や薬になるモンスターが多い。だが、取りに来る者は少ない。冒険者でも上級クラスでなければ命が危ないといわれる危険な森だからだ。

 ピーターはロングソードと火の魔法を使う魔法戦士、レイアは木系の魔法を使う魔術師だ。大型のモンスターを狩る腕はないが、モーブアの森を歩く力量はある。

 子供の白い顔が暖まったのか、頬がほんのり赤くなってきた。

「大丈夫?」

 軽く揺らした。

 ゆっくりと目が開いた。

 澄み切った青い瞳。大きくて、強い輝きがある。

「大丈夫?」

 レイアの問いかけに、子供は大きな瞳からポロポロと涙をこぼした。

「どうしたの?」

 慌てて聞いたレイアに子供は言った。

「大変だしゅ」

「何かあったのか?」

 ピーターが鋭い声で聞いた。

 子供はうなずいた。

 そして、言った。

「ボクしゃん、お腹がすいたしゅ」




 子供は『スーちゃん』と名乗った。

 目が覚めてから、ピーターとレイアが持ってきた食料を必死の形相で食べた。『慌てなくても大丈夫だ』と笑っていたピーターも、大人の2倍以上も食べたスーを驚きの目で見ていた。

 食べ終わったところで、レイアが聞いた。

「スーちゃん、お家はどこかな?」

「あっちしゅ」

 北を指した。

 整った理知的な顔立ちから小柄な10歳くらいかと思ったレイアだが、動きと話し方が幼い。6、7歳に思えた。

「家族はどこ?」

「あっちしゅ」

 南を指した。

「お父さんはどこ?」

「どっちしゅ?」

「どっち?ひとりじゃないの?」

 スーはうつむいた。

「スーちゃんの本当のお父しゃん、モンスターに焼かれて死んだしゅ」

 寂しそうなスーの姿に、レイアは声をかけるのをためらった。

「坊主」

 ピーターがスーの肩をたたいた。

「坊主じゃないしゅ。スーちゃんしゅ」

「こんな危ない森に、誰と来たんだ?」

「ウッ……何だったけしゅ」

 首を傾げている。

「ウがつくのか?」

 スーが必死の形相で、首をブンブンと横に振った。

「ヒット」

「ヒットさん?」

「メット」

「メットさん?」

「違うしゅ。ポット」

「ポットさん、ではなさそうね」

「アット、イット、コット、エット……」

 順番に言い出したスーに、ピーターが笑いながら言った。

「オレがワットから言ってやろうか?」

「それしゅ!」

 スーが晴れやか顔をした。

「ワットしゅ。ワットと来たしゅ」

「本当か?」

「はいしゅ。ワットと来たしゅ」

「それで、一緒に来たワットはどこにいるんだ?」

「ワットしゃん、どこしゅ?」

 聞いたピーターが、スーに聞き返された。

「知らないのか?」

「知らないしゅ」

 スーはレイアを真っ直ぐな瞳で見た。

「一緒に来たのよね?」

「来たしゅ」

「どこに行くつもりだったの?」

「モーブアの森しゅ」

 なんでもないことのようにスーが言った。

「モーブアの森のことを知っているの?とても危ない森なのよ?」

「知ってるしゅ。でも、来ないと怒られるしゅ」

「誰に怒られるんだ?」

 ピーターが子供をからかうような口調で聞いた。

「おっかない爺と婆しゅ」

 その時のことを思い出したのかスーは、ブルッと身を震わせた。

「どうする?」

「一度帰るか」

 ピーターとレイアは週に2回、天気の良い日にモーブアの森でモンスター狩りをする。今日も特別な目的があったわけではない。持ってきた食料はスーにほとんど食べられてしまった。

「そうね。戻りましょう」

 2時間ほど歩くと森を抜ける。さらに1時間歩けば、ピーターとレイアが住んでいるキクムの町に着く。

 スーを連れて帰るのはいいいが、ひとつ心配があった。

「ワットさんを置いていって、大丈夫?」

「大丈夫しゅ」

「本当?」

 スーが力強くうなずいた。

 3人で来た道を戻り始めた。

 元気になったスーは、チョウチョを追っかけたり、背の高い草をちぎってふりまわしたりしている。

 ピーターが笑いながら注意した。

「疲れるぞ」

「大丈夫しゅ」

 10分ほど歩いたところで、道の反対側からやってくる男達の集団が見えた。全員、武装している。

「大型モンスターでも出たのかしら?」

「いや、違うな。見ろよ、あの剣」

 ピーターに指摘されてレイアも気づいた。

 剣の刀身が薄い。

 モンスターでは折れてしまう。殺人専用の剣だ。

 会釈をしてすれ違おうとしたとき、男達が足を止めた。

「そいつをこっちに渡してもらおう」

 先頭のリーダーらしい男がスーを指した。

 スーがレイアのローブを握った。

「この子が何かしたのですか?」

「この子だと。おい、聞いたか。この子だとよ」

 10人ほどの男達が一斉に笑った。

 リーダーらしい男が笑い終わると、レイアに言った。

「悪いことは言わない。そいつを俺たちに渡せ」

 スーがレイアの後ろに移動した。

 ピーターがレイアの前に出た。

「知り合いの方ですか?」

「ああ、探していた」

「渡したら、どうなります?」

 男達が一斉に剣を抜いた。

「殺すに決まっているだろ」

 殺意がスーに集まる。

 ピーターは火の魔法を使える。一時的には牽制できるだろう。だが、男達は対人戦のプロだ。すぐに、やられるのは目に見えている。

「スーちゃん、何をしたの?」

「何もしてないしゅ」

 レイアを見上げたスーの顔は、自分がなぜ襲われているのかわからないといった表情をしていた。

 スーが嘘をついているようにはレイアには思えなかった。

 男達の殺意が膨れ上がる。

「俺たちのことを忘れたとは言わせないぞ」

「相棒はどうした?」

「あいつはミジン切りにしても、飽き足りない」

 男達が言う『あいつ』がワットであることはレイアも予想がついた。凶悪な顔をした大男が頭に浮かんだ。

 スーが腕を組んだ。

「うーーん、だしゅ」

 真剣に考えている。

「人違いじゃないのか?」

 ピーターが男達に聞いた。

「バカをいうな」

「こいつ以外にいるかよ」

 男達はスーに剣を向けている。

 スーが首を傾げた。

「どこであったしゅ?」

 男のひとりが切りかかろうとしたのを、リーダーの男が手で制した。

「シェナンの者だ」

 ピーターが驚いた。

「傭兵村のシェナンか?」

「そうだ。いや、そうだったと言うべきかな」

 哀愁を帯びた笑みを男が浮かべた。

 スーがポンと手を打った。

「そうだったしゅか」

「わかったの?」

 スーがうなずいた。

 リーダーの男が一歩前に出た。

「それならば、我らが殺す理由もわかっただろうな?」

 男が剣を振り上げた。

 落ちてくる。

 レイアはとっさにスーを抱え込んだ。

 地面が弾けた。

「そこまでだ」

 上空から声がした。

 見上げたレイアの目に、空中に浮いている20人以上の魔術師が飛び込んできた。

 気がつかなかった。

 気配を感じなかった。

 空中にいたなら、地面に映るはずの影がなかった。

 いまは全員の影が、地面に黒く点在している。

 どのように出現したのか、レイアには想像もつかなかった。

「我々に渡してもらおう」

 中央にいた魔術師が言った。

 リーダーの男が怒鳴り返した。

「俺たちの獲物だ!」

 そうだ、そうだと、叫ぶ男達の真ん中に、魔法弾が打ち込まれた。

「何をする!」

「次は当てる」

 感情のない声。

 厚手のローブに銀の胸甲。腰には短剣。

 胸甲には魔法協会の紋章。

 ピーターが驚きの声を上げた。

「魔法協会の戦闘魔術師か」

 中央で浮いている男の戦闘魔術師と、隣にいたフードを目深に被った魔術師が降りてきた。

「渡してもらおう」

 男の戦闘魔術師がレイアに手を差し伸べた。スーがレイアの足にピタリと張り付いた。

「この子が何をしたというのですか?」

「知る必要はない」

 冷たく言った男の戦闘魔術師は、次の瞬間飛び上がった。

 轟音が響いた。

 目の前の道が消えていた。土がどこまでも真っ直ぐにエグられ、木も草も見あたらない。

 何もない空間がキラキラと光った。

「逃げられはしない。あきらめろ」

 頭上から戦闘魔術師の男が言った。フードを被った魔術師もいつの間にか上空に移動している。

 ピーターが目を細めた。

「結界なのか……?」

「多重結界よ」

 フードを被った魔術師がレイアに言った。

 声で若い女だとわかった。

「このチビ、相棒を置いて逃げる気だったのよ」

「相棒?逃げる?」

「高速飛翔というより、音速飛行。特殊防御結界を張って、吹っ飛ぶのよ。でも、今日は逃げられないわ。多重結界は簡単には抜けられないわ。それに……」

 女の戦闘魔術師がクスクスと笑った。

「……方向指示器がないものね」

 スーが上を向いた。

「どこにいるしゅ」

「隊長と一緒よ」

「チィしゅ」

「あきらめなさい」

「ハゲ婆がうるさいしゅ」

 先ほどスーが言っていた『おっかない爺と婆』の正体がレイアにもわかった。

 男の戦闘魔術師がスーに言った。

「来い」

「イヤしゅ」

「力ずくで連れていくことになる」

「やれるなら、やってみるしゅ」

 男の戦闘魔術師がレイアを見た。

「一瞬で大地をエグる巨大な魔力。こいつが誰だかわかっただろう」

 レイアの視界の遙か先まで、大地がUの字にえぐれている。

 スーは男が降りてくるのを見計らって、準備していた魔法を撃ったのだろう。詠唱はしていなかった。印だけで、これだけの大魔法を撃てるの人間はひとりしか思い浮かばない。

 自分の足にぴったりと寄り添って立っている小さな身体に話しかけた。

「スーちゃんは、ムー・ペトリなの?」

 見上げたスーが、うなずいた。

「ボクしゃん、お父しゃんが死んで養子に行ったしゅ。本当のお父しゃんの名前はバリー・スウィンデルズ。ボクしゃん、ムー・スウィンデルズ、スーちゃんしゅ」

 澄んだ青い瞳がキラキラと輝いている。

「騙されちゃダメよ。そいつはムー・ペトリ。噂通り、人としての常識を持ち合わせない極悪非道の魔術師よ」

 女の戦闘魔術師が言った。

 スーが首をぶんぶんと横に振った。

「そうだ。そいつは悪魔だ」

 周りの茂みが音を立てて揺れた。密集した灌木の間から、擦り傷だらけの男達が現れた。シェナン村の傭兵達だ。スーが放った魔法で消滅したと思っていたレイアは驚いた。

「礼を言ってはくれないの?」

 女の戦闘魔術師が楽しそうに言った。

 シェナン村の男達は不満そうだったが、それでも頭を下げた。

「助けてもらって礼を言う」

「風で飛ばしてもらわなければ、ムー・ペトリの魔法でやられていた」

 女の戦闘魔術師が鈴を鳴らすようにコロコロと笑った。

「そのムー・ペトリにも礼を言った方がいいわよ。あなたたちを殺さないように、撃つのを待ってくれたのだから。レイコンマ、数秒だけどね」

 シェナンの男達はスーを見たが、にらんでいるだけで礼を言う気配はない。

 スーがレイアのローブの膝のあたりをつかんで、ひっぱった。

 レイアが見ると、スーが笑顔になった。

「スーちゃん、いい子しゅ」

 誰も殺さないように撃った、ということらしい。

 行為だけをみると『いい子』なのだが、えぐれた大地を見ると『いい子』と断言していいのかレイアにはわからなかった。

 男の戦闘魔術師がピーターに向かって言った。

「なぜ、モーブアの森にいる?」

 平坦な声だった。

「狩りに来ただけだ」

「モーブアの森に通じる道は3日前から閉鎖されている」

 ピーターは答えなかった。

 キクムの町には、モーブアの森の薬草や薬となる採取して生計を立てている冒険者が20人前後いる。レイア達が今日モーブアの森に入るために使った道は、魔法協会が知らない裏道だ。彼らの為にも話す訳にはいかない。

 男の戦闘魔術師は事情を察したのだろう。ピーターに言った。

「すぐに森から出て行け」

 ピーターがなぜかを問う前に返事をくれた。

「ブラックドラゴンの異種が出た」

「ブラックドラゴンだと」

 シェナン村の男達がざわめいた。

「本当なのか?」

「ブラックドラゴンに異種がいるなど、俺は聞いたことない」

「モーブアの森にドラゴン種はいないはずだ」

 騒ぎだした男達の真ん中に魔法弾が撃ち込まれた。撃ち込んだ戦闘魔術師の男は、抑揚のない声で言った。

「モーブアの森から出て行け。いま、すぐにだ」

 シェナン村の男達は顔を見合わせた。そして、リーダーらしい男が前に進み出た。

「ムー・ペトリを渡してもらいたい」

 声に憎悪がにじみ出ていた。

「ムー・ペトリにはブラックドラゴンを退治させる」

「俺たちはムー・ペトリを殺すために………」

 地面が揺れた。

 足元に振動が伝わってくる。

 ピーターとレイアだけでなく、シェナン村の男達も戸惑っている。

「来るぞ」

 上空にいる男の戦闘魔術師が言った。

 何が、と聞く必要はなかった。

 土が盛り上がり、中から巨大なものが飛び出してきた。

「あれがブラックドラゴン………」

 シェナン村の男のひとりが呟いた。

 ピーターもレイアも見るのは初めてだった。真っ黒い体躯に巨大な翼。鋭い深紅の眼が、そこにいる者達を睥睨した。

「異種だ。通常はあれの半分ほどの大きさだ」

 男の戦闘魔術師が先ほどとは同じように淡々と説明する。

「ブレスが来るぞ」

 静かに言った。

 男の戦闘魔術師が言った意味が理解するより先に、ドラゴンが口を開いた。口の中に渦巻く炎が見えた。

 死ぬんだ。

 レイアは思った。

 そのレイアの前にピーターが立ちはだかった。無駄だとわかっていても嬉しかった。

 深紅の渦が吹き出した。

「…………防御結界?」

 真っ赤な炎がドラゴンの前、5メートルくらいのところで、炎が平らに広がっている。炎の前に透明な板が置かれているかのようだ。

 結界は吹き付ける業火にも揺れもせず、変色していない。完全に防いでいる。耐熱能力に優れた高性能結界。それだけでも驚きなのに、光の反射がわずかに違う部分は上下左右10メートルを越している。巨大な板状の結界はピーターやレイア達だけでなく、シェナン村の男達や、空中にいる魔法協会の戦闘魔術師達もブラックドラゴンの炎から守っている。

「見事だな」

 男の戦闘魔術師が見ていたのは、スーだった。右手を前につきだしている。片手で、全員を守るだけの強固な防御結界を発動させている。

 レイアは左の指は高速で動いていることに気がついた。

「いくしゅ、サンダー!」

 空が裂けた。

 いくつもの巨大な稲妻が、ドラゴンを目がけて落ちてきた。轟く雷鳴、点滅する光、木々が裂ける音、焦げた匂い、何度も何度も繰り返された。

 煙がドラゴンを覆った。だが、風が吹き、煙が薄れるとドラゴンが姿を現した。レイアには無傷に見えた。

「説明を受けなかったのか?」

 男の魔術師はスーに聞いた。

「しもうたしゅ」

「どういうことだ……」

 シェナン村の男のひとりが、男の戦闘魔術師に聞いた。

「異種だと言ったはずだ。通常の魔法攻撃はきかない」

 レイアは思わず叫んでいた。

「あのドラゴンとスーちゃんを戦わせる気なの!」

 ムー・ペトリだというのが本当なら、スーは天才魔術師だ。だが、まだ、子供だ。魔法で傷つけられないドラゴンに、スーが勝てるとは思えない。

 男の戦闘魔術師はレイアを無視した。そして、スーに言った。

「まもなく、隊長が来る」

「ウィルしゃんあげたしゅ!」

「あの状況ではウィル・バーカーでも逃げられはしない」

 男の魔術師が口角をわずかにつり上げた。

「再会を楽しみにしておけ」

「やばしゅ」

 ムーが眉をハの字にした。

 煙が完全に晴れると、ドラゴンはレイア達の方に歩き出した。だが、すぐに結界に阻まれた。軽く肩で結界を押したドラゴンは、次の瞬間体当たりをした。

 ズゥーーン!

 結界が揺れ、地面も波打った。

 逃げなければ。

 レイアは思った。

 スーを置いてはいけない。

 でも、スーと一緒に逃げようとすると、スーが張っている結界が消失してしまう。

 ドラゴンが再び、体当たりをした。壊れるまで、続ける気のようだ。

「くそぉ、逃げるぞ」

 シェナン村の男のリーダーが仲間に声をかけた。男達もうなずく。

「やめておけ」

 上空から男の戦闘魔術師が言った。

「いま逃げたら、確実に死ぬぞ」

 淡々としていたが、実戦をこなしてきた経験からの重みがあった。

 シェナン村の男達は寄せ集まり、困惑している。

 十数回目の体当たりで、結界がわずかに歪んだ。あと数回で結界は壊れる。

 怖いと思ってもおかしくないのに、レイアはそれほど怖いとは思わなかった。

 結界を維持しているスーが、落ち着いているからだろう。

「あと3回といったところね」

 女の戦闘魔術師が楽しそうに言った。

 ズゥーーーーン!

 亀裂が広がった。

 ドラゴンも結界が壊れはじめたのがわかったらしい。壊れた箇所の前に移動した。弾みをつけるために、数歩下がった。

 ズドォーーーーーン!

 ドラゴンの漆黒の巨体が地面を滑っていく。木々をなぎ倒し、30メートルほどしたところで止まった。

「遅くなった」

 ドラゴンを吹っ飛ばした人間が空中にいた。

 紋章のついた銀の胸甲、厚手のローブ、短剣。

 他の戦闘魔術師と変わるところはないのに、その人物の存在は何かが違っていた。

 ピーターもレイアも、会ったことはなかった。

 だが、わかった。

 ブライアン・ロウントゥリー。戦闘魔術師の隊長だ。

 圧倒的な存在感。戦いのカリスマ。戦闘狂。そこにいるだけで見ている者を畏怖させる、はずなのだが、レイアは畏怖できなかった。畏怖しそうになったのだが、あるものがそれ邪魔した。

「放せぇーー!」

 空中に浮かんでいる隊長は、左手に縄を握っている。その縄の先に若者がひとり吊されている。縄は首に巻かれており、若者が握っている縄を放すと、自動的に首吊りになる。

「人殺し!鬼!殺人狂!」

 わめいている若者は首がしまらないように両手で、縄のさがっている部分を握っているのだが、その両手にも鋼鉄製の手カセがはまっている。

 男の戦闘魔術師がロウントゥリー隊長に近づくと、頭を下げた。 

「申し訳ありません。避難が完了していません」

「いるか?」

「はい、あそこに」

 ロウントゥリー隊長が、スーを見た。

 スーは1秒ほど隊長をにらみあうと、右手を下ろした。結界が消える。

 そして、次の瞬間。

「逃げるしゅ!」と、逆方向に走り出した。

「いいぞ、いいぞ」

 隊長が空中をすべるようにして、必死で走っているスーを追い抜いた。

「放せぇーー!」

 吊されている若者がわめている。

「そろそろ、放すか」

 吊されている若者は、地上10メートルほどの高さにいる。

「待て、オレは飛べない!」

 隊長は笑顔になると、手を放した。

「人殺しーーー!」

 若者が落下してくる。地面に激突すると思われた瞬間、ポーンと地面から跳ねた。再び地面に激突。数回転がって停止した。

「奥の手を出したな」

 ロウントゥリー隊長が、スーを見て笑っている。

 若者を弾いた場所から、ピンクの丸いものがポンポンと跳ねてきて、スーの白い髪に埋もれた。

「チェリー、ありがとしゅ」

 ピンク色が髪の間で揺れた。

「チェリースライムだ」

 ピーターが目を見張った。

 モンスターを狩って、生計を立てている者には、夢の獲物だ。捕まえれば一生遊んで暮らせる金が手に入る。だが、魔法も物理攻撃も効かない。ピーターの力量では、捕獲は不可能だ。

「スー、頭にいるモンスターだが………」

 ピーターが言いにくそうに話しかけた。

「チェリーしゅか?」

「そのチェリーが………」

 何かが駆けてきた。

「ムー、てめぇーーー!」

 吊されていた若者が、スーに体当たりしよようとした。スーがひょいと避けると、若者は器用に身体をひねり、足でスーを蹴飛ばした。

「ひょぇーーー!」

 5メートルほど弧を描いて落下。地面をゴロゴロと転がった。若者は地面でうつ伏せになって動かないスーのところに駆け寄り、背中を足でゲシゲシと踏んだ。

「オレを隊長に売りやがって!」

 スーがクルリと反転した。上を向き、ひょいと起きあがった。蹴られたダメージはないようだ。

「ボクしゃん、売ってないしゅ」

「風魔法でオレをロウントゥリー隊長に向かって吹っ飛ばし、自分はその隙に細い亀裂に逃げ込んだろうが!忘れたとは言わせないぞ!」

「ボクしゃん、売ってないしゅ。隊長さんにプレゼントしゅ」

「死にやがれ!」

 見事な蹴りで、スーが再び宙を飛んだ。

 蹴飛ばした若者は、地面に倒れているスーを一瞥すると、ピーターとレイアのところにやってきた。

「あのさ………」

 何を言われるのだろうと身構えたピーターとレイアに笑顔で言った。

「これ、取れない?」

 両腕を固定している鋼鉄製の手枷を持ち上げた。

 見ただけでわかった。

 魔法協会が使う特殊な魔法錠だ。

 ピーターもレイアも首を横に振った。

「そっか。ま、このままでもいいか」

「いいのか?」

 ピーターは驚いた。

 頑丈な手枷だ。はめられている間は、両手がほとんど使えない。

「しかたないさ」

 若者が笑顔で言った。強がりでなく、本心から気にしていないようだ。

 上空から男の戦闘魔術師が降りてきた。

「手を出せ」

 若者が手を出すと、短い呪文を詠唱した。錠が外れ、重々しい音を立てて手枷が地面に落ちた。

「ありがとうな。さすが、戦闘魔術師部隊の良心、テートさん」

 若者は嬉しそうに手首をさすっている。

「なにが、テートさんだ。さっさと始末しろ」

 テートと呼ばれた男の戦闘魔術師があきれたように言った。

「オレにはできませんよ。剣も魔法も使えないんですから」

「わかりきったことを言ってどうする。あれを使って何とかしろ」

「その前に、あっちをなんとかしてくださいよ」

 テートが『あれ』と呼んだのは、転がっているスーらしい。

 若者が『あっち』と呼んだのは、上空に浮かんでいるロウントゥリー隊長らしい。

「隊長は手を出さない」

「ブラックドラゴンには出してください。ついでに倒してください」

「できないから、お前達を呼んだのだ。魔法協会だって桃海亭なんぞ使いたくないんだ。毎回、毎回、甚大な被害を出しやがって………出すのだから」

 テートの感情が一瞬むき出しになった。

 よほど苦労しているらしい。

「呼ばなければいいでしょうが。今回だって、別ルートで餌を巻いて、オレ達をおびき寄せるなんて卑怯ですよ」

「呼んだら来るか?」

「来ません」

 テートがブラックドラゴンを指した。

 さっさと倒せと言うことらしい。

「しかたない。やるか」

 怠そうに若者が言うと、スーが起きあがった。

「やるしゅ」

 ダラダラと歩いて来たスーが、レイアを見上げた。

「逃げるしゅ」

「逃げると危ないと、そちらの人が言っていたわ」

 レイアが言うとテートは顔を上げて、周りを見回した。

「危険であることは変わらないが、先ほどよりは逃げられる確率が高い。脱出するか否か、判断は各自に任せる。私としては逃げることを勧める」

 最初に動いたのはシェナン村の男達だった。リーダーが走り出すと、すぐに全員が後を追いかけた。

 最後に走って逃げていく男が、振り向いて叫んだ。

「極悪コンビ、覚えていろよ!」

 若者が首を傾げた。

 その仕草で、レイアは若者の首にまだ縄が掛かっていることに気がついた。

 若者が遠ざかっていく男達を見ている。

「誰だ?」

「シェナン村の人しゅ」

「シェナン村?」

「あれしゅ」

「どれだ?」

 先ほど地面に転がったブラックドラゴンが起きあがった。

「傭兵村しゅ」

「傭兵村?記憶にないなあ」

「先月、空飛ぶ島の時しゅ」

「あ、もしかして、オレがうっかりあれを落とした村か?」

「そうしゅ」

「怪我人はでなかったんだろ?」

「でなかったしゅ」

「住むのには問題ないと思うんだけどなあ」

「ボクしゃんも、住めないことはないと思うんしゅ」

「そうだよなあ」

 若者が腕を組んで、首を傾げている。

 ブラックドラゴンはゆっくりと、スーやレイアや戦闘魔術師のいる方近づいてきている。結界はもうない。高温のブレスを吹かれたら即死だ。

 逃げようか迷っているレイアの腕をピーターが引っ張った。

 それだけでピーターが何を伝えたいのかわかった。

”スーの頭にいるチェリースライムを捕まえよう”

 自力で捕まえることは不可能だが、スーの頭にいる時ならば、強靱な捕獲網で捕まえられるかもしれない。

 若者の尻を、テートが軽く蹴った。

「倒してこい!」

「いや、いま理不尽な怨恨について考察しているところで」

「強烈に甘い香りのミロンの香水を100リットルも上空からぶちまけられたんだぞ!住んだら、頭がおかしくなる!」

「テートさん、知らないんですか?ミロンの香水は高いんですよ」

「値段じゃ………いいから、倒してこい!あれが見えないのか!」

「見えますよ。オレ、目はいいですから」

 レイアもピーターも、ドラゴンが見ていた。

 近づいてくるにしたがってブラックドラゴンの巨大さに気圧されそうになる。

「行け!行かないと隊長を呼ぶぞ」

「汚い脅しだよな」

 若者が怠そうに歩き始めた。

「しかたないしゅ」

 スーが後をついて歩き始めた。こちらも怠そうに歩いている。だが、若者と違い、詠唱を始めた。何を詠唱しているのかは、小声でレイアには聞こえなかった。

 スーが顔を上げた。

 張りのある声で言った。

「我はムー、我が声にこたえよ」

 召喚魔法だとわかった。

「我はムー、我が声にこたえよ。ティパス!」

 一瞬の静寂、次の瞬間。巨大な物体が出現した。

「あれは何だ?」

 若者に聞いたのはロウントゥリー隊長だった。

 上空にいたはずののに、いつの間にか若者の隣にいる。

「あー、あれは羊です」

 羊には違いない。と、レイアは思った。長い顔。モコモコの白い毛が身体を覆っている。足は細く、4本ある。牧場にいけば見かけるあの羊そっくりだ。

 巨大なブラックドラゴンより十倍以上大きいが。

「名前を知らないのか?」

「メガメーしゅ」

 スーが答えた。

「聞いたことないな」

「ボクしゃんが命名したしゅ」

「初めてきたモンスターなのか?」

 若者もスーも答えなかった。

 隊長は笑顔になった。

「私には『ティパス』と聞こえだぞ」

「隊長、ムーの成功率は2割ですよ、1回で来るはずないじゃないですか」

「あと何回やれば成功するのだ?」

「計算上は4回しゅ」

「あと3匹、正体不明のモンスターを呼ぶのか?」

「いえ、わかっているのもありますから」

「それで、こいつは何をするんだ?」

「何をって、人畜無害です」

 若者が断言した。

 巨大な羊はあたりを見回すと、木が密集している場所に近寄った。

「何をする気だ?」

「たぶん………」

 若者が言葉を濁しているうちに、羊は木をくわえた。首を軽く振ると木が根っこから抜けた。それをムシャムシャと食べ始めた。

「………食事かな」

 大きな広葉樹をあっという間に食べると、すぐ隣の木を抜いて食べ始めた。

「つまり、こういうことか?」

 隊長が薄く笑っている。

「半年前のルロン高原禿げ山事件、あれの犯人、いや犯モンスターはこいつだな?」

 若者はあさっての方を向き、スーは両手で目を隠した。

 巨大な羊の出現に驚いたのか、停止していたブラックドラゴンが動き出した。くるりと方向を変えると、木を食べている羊に向かって突進した。細い足に肩から体当たりしたが、羊にダメージはなく、マイペースで木を食べ続けている。何度も体当たりするが、ビクともしない。ドラゴンは口を開けると、足に炎のブレスを吹き付けた。足の色は変わらず、焼けているようには見えない。羊にはうっとうしかったのか、足でドラゴンを軽く蹴った。黒い身体が遠くに飛んでいった。

「召喚失敗モンスターだとすると3日間はいるな。どれくら食われる」

「たぶん、こっちの山とあっちの山は、土だけになるかなあ~」

「明日、本部の災害対策室に行け」

「ええっーー、なんですか!」

「発覚したら始末書は当然だ」

「やったのは、ムーですよ。オレじゃない」

 隊長と若者が、スーを見た。

「我はムー、我が声にこたえよ」

「待て!」

 若者が慌てて止めたが遅かった。

「我はムー、我が声にこたえよ、ティパス!」

 空気の変わった。若者や隊長の2メートルほど先にオレンジのものが出現した。真ん丸の身体。大きな目が2つ、身体についている。ウサギのように長い耳が2本、上に伸びている。

 可愛いと口に出しそうになったレイアは、空気が張りつめていることに気がついた。ピーンと切れる直前の糸のように緊張している。

 誰も動かない。誰も話さない。

 レイアが冒険者だから気づいた。町で暮らす一般人だったら、わからず動いていたところだ。

 オレンジの丸は長い耳をたえず動かしている。音を集めているように見える。全員が息を潜めて、オレンジの丸を見ている。

 目の端で何かが動いた。木を食べている羊のさらにその向こうから、黒い物体が飛んでくる。

 ブラックドラゴンだ。

 羊を攻撃するのはやめたようで、真っ直ぐにレイア達の方に向かっている。上空から近づいてきて、レイア達の頭上に来ると、口を開いた。赤い渦が口の中に見える。

 次の瞬間、オレンジの刃が刺さっていた。

 オレンジの耳が長く伸びて、ドラゴンの口の中に刺さっている。ドラゴンも攻撃に気づいたのか、避けたようで、オレンジの刃は口腔から頬を抜けている。オレンジの刃が縮んだ。ドラゴンの頬は破れ、血が滴っている。ドラゴンが方向転換した。オレンジの丸に背を向け、遠ざかろうと大きく羽ばたいた。再び、オレンジの刃が伸びた。ドラゴンの右の羽がざっくりと切られた。飛べなくなったドラゴンは地面に激突した。そして、ピクリとも動かない。

 視界が一瞬だけ曇った。すぐにクリアになる。

「よし、今のうちだ」

 若者がスーに言った。

「わかっているしゅ」

 スーが地面から尖った石を拾った。

 若者がピーターとレイアの方を向いた。

「いま、ロウントゥリー隊長が外側から防音結界を張ってくれている」

 スーが地面に何かを書き出した。

「あの辺りに移動して、動かないでくれ」

「何をする気だ?」

 ピーターが聞いた。

「ムーが捕縛の魔法陣を書いている。オレが囮になって、耳つきオレンジ丸を呼び寄せる」

 スーが書いている複雑な模様が魔法陣であることがわかった。

「手伝えることがあるか?」

 ピーターが言った。

「こいつを取ってくれないか?」

 若者が首の縄を指した。

「邪魔なんだよ。ズルズルして」

「動くなよ」

 ピーターが短剣で縄を切ると、若者は嬉しそうに笑った。

「ありがとう」

 レイアが小声で聞いた。

「ワットさん?それとも、ウィル・バーカーさん?」

 若者が恥ずかしそうに頬を掻いた。

「ウィルです。ワットはオレがウィルを名乗れない時の偽名です」

 スーがムーで、ワットがウィル、極悪コンビの2人が目の前にいる。だが、どちらも極悪という単語が似合わないとレイアは思った。

「できたしゅ」

「わかった。すみませんが、あちらに移動してください。オレが魔法陣に入ったら、隊長は防音結界を解きます。絶対に音を立てないないでください」

 ピーターとレイアは言われたとおり、魔法陣から離れた場所に移動した。それを確認したウィルは、魔法陣に入った。

 再び視界が曇り、晴れた。

 ウィルが手をパンと叩いた。

 オレンジの刃がウィルに刺さった。ように見えたが、ウィルは身体をそらせて避けた。刃が横にないだ。それも避けた。音の出どこを探すかのように刃は魔法陣の辺りを行き来したが、ウィルには触れられなかった。刃が縮んだ。

 パン!

 伸びた刃をギリギリで避けている。刃はすぐに縮まった。そして、オレンジの丸が芋虫のような動きで、ウィルに向かって移動を始めた。

 停止すると手を叩く。伸びてきた刃を避ける。オレンジの丸が移動する。繰り返して、オレンジの丸がウィルのすぐ側に来た。

 手を叩いたら、絶対に刃を避けられない距離だ。

 パン!

 刃が伸びた。

 だが、ウィルは後ろに飛んでいた。

 パン!

 音の位置が変わったことにオレンジの丸も気づいたらしい。さらに近寄るために移動した。

 強烈な光の円筒が上空に伸びた。

「捕まえたしゅ!」

「よっしゃぁ!」

 音に反応して、オレンジの丸は刃を繰り出そうとするが、光の壁にはばまれる。

「こいつは、あとでモジャにお願いするとして」

 ウィルが2人を見た。

「ムーを助けてくださってありがとうございます」

 噂とは異なり、礼儀正しい若者らしい。

「お礼を差し上げたいのですが、魔法協会はオレ達に礼金を払わずタダ働きさせるので、お金がないんです。手助けならできますから、困ったことがあれば桃海亭にきてください」

 再び頭を下げた。

「その……」

 言い出しにくかったが、今しかないとピーターは口を開いた。

「チェリースライムを………」

「チェリーが何かしましたか?あの性悪モンスター。さっきみましたよね?落ちたとき、ムーだとちゃんと受けとめるくせに、オレだとはね飛ばすんです」

 性悪モンスター。

 ピーターは予想外のことに思い当たった。

「その、チェリースライムは………」

 ウィルと視線を合わせた。

「………知能があるのだろうか?」

 透明なピンクのスライムだ。脳だけでなく、内蔵なども見えない。

「チェリーは頭いいです。だから、相手を見て態度を変えます。ムーは助けますが、オレのことはほぼ無視です。黒魔法を使う爺さんの言うことも素直にききます。まあ、親友のムーが最優先なのは変わらないですが」

「親友?」

「友達です」

 モンスターと友達。知能の高いモンスターとならばあり得る。

「そうか」

「どうかしましたか?」

「いや、なんでもない」

 友達を捕まえたくない。

 ピーターはレイアを見た。レイアが微笑んだ。

 同じ気持ちらしい。

「さてと、本番にいきますか」

「本番というのは」

「ブラックドラゴンの始末です。でも、始末する必要はないみたいですけどね」

 ウィルが上を見た。

「そうですよね、隊長」

「何を言っている」

「あれは異種じゃない」

 ロウントゥリー隊長が目を細めた。

 ウィルは気にせず、陽気な声で続けた。

「オレ達がブラックドラゴンを見たことないと思っているんですか?あのブラックドラゴンは人慣れしている。飼われていたドラゴンだ。おそらく、魔法協会の研究所で実験に使われ、巨大化したのでしょう。通常の攻撃魔法もきかなくなった。だから、始末することにした。殺されそうになれば、ドラゴンも必死で逃げる。殺そうとした人間を憎悪する。そして、ああなった」

 横たわっているドラゴンを指した。

「オレ達が引き取ります。それでどうですか?」

 隊長がゆっくりと降りてきた。

 笑顔だ。

「3日後に会いに行く。納得のいく着地点を用意しておけ」

「わかりました」

「終わったら、わかるな?」

 ウィルが真っ青になった。

「終わりません!終わりません!事件は続きます!」

「3日後、会うのが楽しみだ」

 隊長が一気に上昇した。

「別の人が来てください!テート、テートさんを指名します!」

 魔法協会の戦闘魔術師達は編隊を組んだ。高速飛翔に移行すると、すぐに見えなくなる。

「隊長除けのお守りとか、売ってないかなあ」

「売っていても買えないしゅ」

「そうだよなあ」

 ウィルがため息をついている。

 レイアが一歩前に出た。

「あの、私たちこれで……」

 戦闘魔術師達は帰ってしまった。だが、巨大な羊は森を食べていて、ブラックドラゴンは横たわっている。

 いつまでも、ここにいたくない。

 ウィルが顔を上げた。

「あ、ブラックドラゴンいりませんか?」

 返事に詰まった。

 すぐに冗談だとわかった。

「ブラックドラゴンを飼うには、家が小さいので」

 笑顔で答えた。

「大丈夫です。ムー、どれくらいまでにできる?」

「小鳥さん」

「ということで、鳥かごで大丈夫です」

 冗談ではないということがわかった。

「どういうことだ?」

 ピーターが聞いた。

「あのブラックドラゴン実験体として使われたようですから、今の身体はボロボロだと思うんですよ。再生することになるんですが………あとはムー、頼む」

「サリヴェンの細胞の再構成における魔法記述法について、知っているしゅ?」

「知らない」

「聞いたこともないわ」

「パリスターの細胞分裂と細胞の役割固定法においての魔法論は読んだしゅ?」

 ピーターとレイアは首を横に振った。

「つまり、そういう方法があるしゅ」

 一言で片づけられた。

「本当なのか?」

「できるみたいです。前に似たようなケースでやってもらったことがあります」

 ウィルが何でもないことのように言った。

「今回のドラゴンしゃん、ウィルしゃんの読み通りなら、すんごく弱っているしゅ。失敗も覚悟するしゅ」

「ということですが、やってみますか?」

 ブラックドラゴンを引き受けると返事していないのに、ウィルが聞いてきた。

「お願いします」

 レイアが言った。

「助けてあげて」

「わかりました。一緒に来てください」

 4人で倒れているブラックドラゴンのところまで行った。ドラゴンの意識はまだ戻っていなかった。口の部分は裂け、右の羽も大きく切れている。肩で荒い息をしていた。

「やるしゅ」

 落ちていた枝を拾った。尖っている方を地面に向け、ドラゴンの周りに円を描き始めた。

「ムーが魔法陣を描き終わるまで、少し時間がかかります。その間に、少しブラックドラゴンの今後について話し合いたいのですがいいですか?」

「話し合うと言うが、私はまだ引き受けるとは言っていない」

 ピーターが言った。

「ブラックドラゴンの習性をご存じですか?」

「だから、私は………」

「鳥に似ています」

「私の話を聞け!」

「最初に見たものに懐くんです」

 ピーターは、ウィルが何をいいたいのかわかった。

「最初に見たものを、親と思うのか?」

「知能が高いので、刷り込みとまではいきません。さらに再構成のブラックドラゴンですから、記憶はなくなっても感情のようなものは残る場合があります」

 円を描き終わったスーは、今度は記号のようなものを書き出した。

「作り終わったとき、側にいてあげてください。目を開いたとき、側にいれば、それだけでも懐きます」

 笑顔でウィルが言った。

 そして、続けた。

「たぶん、ですけど」

「なんだ、そのたぶんと言うのは!」

「やったことないんですから、仕方ありません。ブラックドラゴンの再構成は歴史上初めてだと思います」

 凄いことだというのは、ピーターもレイアもわかっていた。

 ただ、前にいるウィルのボンヤリとした顔を見ていると、凄い、という言葉と結びつかない。商店街のバーゲンで見切り品として売っている品物程度の価値に下がる。

「どうしますか?ブラックドラゴンを引き取らないというなら、オレ達が引き取って別の飼い主を捜します」

 ピーターとレイアは顔を見合わせた。

 ピーターとレイアは恋人だった。お互いに信頼していた。だが、結婚には踏み切れなかった。モンスターを狩る仕事だから、収入は安定しない

。命の危険もある。

 もし、ブラックドラゴンを飼うことになれば。

 想像できなかった。

 だが、そのことがピーターの背を押した。

「わかりました。引き取ります」

「ピーター!」

 予想できない未来が怖くないわけではない。

 だが、目の前いるボォーーーとした若者を見ていると、なんとかなるのではないかとピーターは思った。

 現れてから、この瞬間まで、何度も死にかけながら、緊張感の欠片もない状態でいる。デタラメな人生を、怠そうに生きているのだ。

「結婚しよう。そして、ブラックドラゴンと暮らそう」

 レイアと二人ならば、想像できない未来に向かって歩いていける。

 ブラックドラゴンは、二人が共に生きるきっかけを作るために現れたキューピットだ。

 レイアの目に涙が浮かんだ。

 両手で顔を覆う。

「あのー、始まりますから、あちらに」

 寝ぼけたような声でウィルに言われた。

 感動のシーンを邪魔するなとピーターは怒鳴りたかった。

「急ぐしゅ」

 スーが手招きしている。

 レイアの手を握って、二人でスーの側に行った。

「いくしゅ」

 スーの両手が高速で印を結び始めた。複雑な印を次々と結びながら、小声で詠唱している。

 天才ムー・ペトリ。

 通り名にふさわしい姿だった。

 ブラックドラゴンが分解されていく。ドラゴンの身体が泡になり、その泡が再びドラゴンにつく。それが繰り返されながら、少しずつ縮んでいく。

 終わったときには、鶏の卵ほどの小さなドラゴンが地面に丸まっていた。

 レイアが両手で包み込むように、そっとすくい上げた。

 先ほどのブラックドラゴンと頭と身体の比率が違う。頭でっかちで身体が小さい。身体も足も真っ黒だ。

 ブラックドラゴンが目を開いた。

 深紅の瞳がレイアを見た。

「キュゥーー」

 あまりの可愛さに、レイアが頬摺りをした。ドラゴンも身体を寄せてくる。

「大丈夫そうですね。そうそう、ブラックドラゴンは幼体では虫が主食です。バッタとかあげてください」

「わかった」

「オレ達は帰ります。お元気で」

「助けてくれて、ありがとうしゅ」

 スーが頭を下げた。

「スーちゃん、元気でね」

「はいしゅ」

 スーが元気に返事をした。ウィルが「よいしょ」とスーを持ち上げると2人は上空に飛び立った。見送る時間もないほどの早さで、すぐに姿は見えなくなった。

「帰ろうか」

「ええ」

 手にはブラックドラゴン。

 これから先、ピーターとレイアにはどんな生活が待っているか想像ができない。それでも、楽観的になれた。

 ピーターもレイアも、思っていた。

 これからも、色々なことにあうだろう。だが、鋼鉄の手枷をされて、首に縄を巻かれて吊されて、空中を飛ぶことはないだろうと。

 町に戻る道を、二人は寄り添って歩き始めた。




「これより、ブラックドラゴン巨大化事件の反省会を行う」

「待ってくださいよ、スモールウッドさん。なんで、いきなり、それも桃海亭の食堂でするんですか?」

「9割は桃海亭のせいだからだ」

「オレ達が何をしたっていうんですか?魔法協会のバカ研究者が起こした事件でしょうが!」

「そうしゅ、そうしゅ」

「出席者は魔法協会災害対策室室長の私、ガレス・スモールウッドと桃海亭の店主、ウィル・バーカー。居候のムー・ペトリ。以上だ」

「オレの話、聞いていますか?」

「ムー・ペトリの先月魔法協会に提出したレポートが発端だ」

「はぁ?」

「あれがなければ、何も起こらなかった」

「ムー、何を出したんだ?」

「レポートなんて出してないしゅ」

「ブラックドラゴン討伐の報告書に添付してあっただろう」

「オレが書いた報告書につけたやつですか。たいしたことは書いていなかったと思いますが」

「読んだか?」

「読みました」

「理解できたのか?」

「強そうに見えたけど、弱かった」

「…………信じられん」

「間違っていましたか?」

「あっている。あれだけ高度な分析を読みこなせるとは」

「分析なんて、書いてありませんよ」

「表がいくつも載っていただろう」

「載っていました」

「あれを分析したのではないのか?」

「オレはいいましたよね、読んだと」

「そうか、私の深読みか」

「ルブクス大陸の公用語で書かれていたのは、最後の結果だけです」

「わかった。とにかく、あの結論に怒った研究者がいたのだ」

「ブラックドラゴンの研究者しゅ?」

「そうだ。ゴールデンドラゴンをのぞいたモンスターでもっとも気高く強いモンスター。彼にとって、ブラックドラゴンはそういう位置づけだった」

「ゴールデンドラゴンの他にも色々いると思いますよ。たとえば、トレント。種類にもよりますが非常に頭がいいと思います」

「ムー・ペトリのレポートでブラックドラゴンを誹謗されたと感じた彼は、最強のブラックドラゴンを自らの手で生み出そうとした」

「あのブラックドラゴンはどこから調達したんですか?」

「彼が研究用に飼っていたドラゴンだ。世話は研究員達に任せきりだったようだがな」

「自分で育てたドラゴンなら、あんなむごいことできないです」

「今の説明でわかっただろう。原因はムー・ペトリのレポートにある」

「わかりませんでした」

「そうだ。ムー・ペトリ・モンスターの小型化に関するレポートを至急提出するように」

「めんどいしゅ」

「それから、先日、通達したようにモンスターの小型化は禁止する。わかったな」

「少しくらいいいじゃないですか」

「その様子だと、既に打診があったということだな」

「1匹あたり金貨20枚だそうです」

「するなよ。したら、魔法協会が1匹につき金貨100枚の懲戒金をとるからな」

「桃海亭が極貧状態なのはわかっていますよね?一匹だけでいいから見逃してください」

「例の羊か?」

「山の再生費用に金貨20枚持って行かれました」

「自業自得だ。あきらめろ」

「ブラックドラゴン、引き渡してもらおうかなあ」

「無理だろうな。スタッブス夫妻はブラックドラゴンを我が子のように可愛がっているらしい」

「子供が産まれたらいらなくならないかな?」

「ペットを飼ったことないのか?」

「もらうのは、あきらめます」

「いま、キクムの町はミニブラックドラゴンを見ようとする人で溢れかえっている。一時的なブームでもそれなりの金を落とすだろう」

「羊が食べた森の代金、安くしてくれないかな」

「金の算段をしているところ悪いが、ウィル宛の伝言を忘れていた」

「オレにですか?」

「ロウントゥリー隊長からだ。『今度約束を破ったら殺す』だそうだ」

「約束?」

「店に行くと伝えておいたのに、留守にしていたと嘆いていた」

「隊長が来るとわかっているのですから、留守にするに決まっています」

「気持ちは分かるが、一度くらい相手してやってはどうだ?」

「オレの代わりスモールウッドが相手してあげてください」

「まあ、いい。伝言はした。ムーにレポートを早く出すように言ってくれ」

「言っても無駄だと思います。『めんどいしゅ』だそうですから」

「人の未来にとって、有益な研究であることは間違いない。頼んだぞ」

「それなら、いっそムーを魔法協会に連れて行ってはどうでしょうか?いま、ちょうど寝たところです。しばらくは目を覚ましません」

「こんな危険物、協会本部に置けるか」

「頼みますよ」

「今からいうのは、私からのウィル・バーカーに対しての個人的な忠告だ」

「オレにですか?」

「その『不幸を呼ぶ体質を何とかしろ』だ」




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