表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

一周年企画:ある夏の日の出会い

「ふぅ~、つっかれたぁ」


 古めかしいオフィスチェアに深々と座って、腕を真上にあげぐーっと背伸びをする。背筋が伸びると共にイスからギーッと耳障りな奇声が発されるのにも、もう随分と慣れたものだ。

 今朝一番の仕事が終わり事務所に戻ってきた私は、額に汗をにじませながら部屋の天井に付いているクーラーからの冷気を満喫し始めていた。


「マリエちゃ~ん、お疲れ様~」


 私の右側にある机の後ろから、工藤店長が顔の横でペン回しをしながら声を掛けてくる。書類に目を通しながらの声掛けだったので、目線は下を向いていて少しくぐもった声だった。 


「お疲れ様です。今は何をしてるんですか?」


 私は背伸びをしていた体勢を元に戻し、工藤店長の方を向いて尋ねる。


「いやぁねぇ? 見ての通り、大事な大事な仕事の案件をみていたところだよ~ぅ」


「その割には、随分と気楽にペンを回すんですね」


 図星を突いたのか、工藤店長の動きが一瞬硬直し回していたペンが机の上に落ちていった。この人はすぐに顔や体に出るので、見ただけで大体わかってしまうのが悲しい。


「……大事な案件なら、もっとしっかり読んでくださいよ?」


「い、いやぁ……あはははは……」


 工藤店長は頭を掻きながら、苦笑いをしてお茶を濁す。恐らくそう重要な案件ではないはずだが、大きな仕事だと思わせておいていかにも仕事してますっていう雰囲気を出したかったのだろう。この人の悪い癖である。


 この店長とのやり取りも、もう随分とこなしてきたものだ。思えば、ここに入ってから今年で三年くらいになるだろうか。


 私が猫の手に入社したのは、約三年前。当時は大学を卒業してそこそこの会社に就職が決まるも、上司からのパワハラやセクハラの毎日に耐えられなく、ついキレてしまってオフィスで背負い投げをしてしまったことからクビになり、そこからフリーターとしてバイト漬けの生活をしていた。そんな時たまたま見つけた万事屋スタッフ募集のチラシを見て、面白そうだったからと応募してみたのがそもそもの発端である。

 当初は、今よりもっと真面目そうな雰囲気だった工藤店長の上手い話術に乗せられていざ入ってみたものの、ふたを開けてみれば思っていた以上に人手が足りなくて色々なことが中途半端な有様であった。それを何とか一つ一つ片付けていき、結局自分のデスクにちゃんと座れるまでに一週間もかかったのだ。


 それから約数か月、私は万事屋の仕事をこなしながら同時に事務作業を受け持つようになり、今では万事屋の重要な仕事である運営にまで手を出せるようになっていた。元よりデスクワークは得意であり、事務作業を苦と感じない方だったので仕事自体はスムーズに行えている。問題は、外に出て依頼をこなす方だった。


 万事屋と言うのは、文字通り万のことに長けていなければならない。それは庭掃除から要人のボディーガードまで幅広く、そしてある程度の技術と知識を求められる。しかし、学生時代は勉強と柔道しかやってこなかった私にとって、特に家事や雑務などの云わば女性的な役割の仕事はてんで専門外であった。そのため入りたての頃はそこでよく失敗し何度も怒られることが普通だったが、そこは持ち前の根性と度胸でなんとか乗り越えていき、今ではそこいらの同い年よりは上手に料理や掃除なんかができるようになったと思う。さらに工藤店長流の仕事の受け方も相まって私の知識と経験は増えていき、今では万事屋の大事な人手となり得ているのである。


 今日の午前中の仕事は商店街の八百屋さんからの依頼で、腰を痛めた店主の代わりにに運びをしてほしいという物だった。なぜか私の所に来る依頼は力仕事や警備などの肉体労働が多いのだが、工藤店長曰く『マリエちゃんは細かい作業よりも身体を張った仕事の方が向いてるよ~』とのこと。事実、仕事を始めた当初から力仕事には一定の評価があったし、何より自分の持ち味を生かせる仕事だったので進んでやっていたというのもあった。


「こんな暑い日に力仕事はきついわね……」


 私はデスクの上に置いてある書類の束を取り、うちわのように仰ぎながら大きく息を吐く。


「本当なら雅稀に任せるはずだったんだけどね~ぇ、マリエちゃんがあの仕事だめっていうからさ~ぁ」


 工藤店長は机に肘をつきながら、ニヤニヤと私の方を見て嫌味ったらしく答える。


「うっ……だって、苦手なものは苦手なんですから……」


 あの仕事というのは、昨日後輩の雅稀くんに任せてしまった大きな依頼のことである。それは、幽霊を退治してきてほしいと言う町会長からのものだった。しかし、私は幽霊が大の苦手なのだ。虫だって触れるし、魚も捌けるのだが、どうしても"幽霊"だけはダメなのだ。よくある心霊テレビやお化け屋敷は勿論、夜の怪談や修学旅行の夜の話す怖い話ですら耳を塞いで泣きたくなるほど怖くてしょうがないのだ。

 そのため、本来なら大きな仕事はわたしが受け持たなければならないところを雅稀くんに代わってもらい、その代わりに雅稀くんの仕事を受け持つようにしてもらったのだった。


「マリエちゃんにも苦手なものがあるなんてね~。これは予想外だったよ~ぉ」


「私にだってそれくらいありますっ!」


 ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべる店長に文句の一つでも言いたかったが、事実を突かれているため反論ができない。


「まあ、雅稀が受けてくれてよかったじゃない。アイツはやってくれるよ」


 ゆっくりと立ち上がった工藤店長は、腰に手を当てて反り返りながら答える。


「そう、だといいですけど……」


 雅稀くんのことだ、きっといつものように『面倒だった』なんて言いながらちゃっかりこなしてきてくれるだろう。それを託した今の私にできるのは、雅稀くんの仕事をしっかりこなしておくことだけ。事の結果を心配するより、今は彼を信じて待つ方が上司らしい振る舞い方だと思う。


 工藤店長は反っていた背を戻すと、入り口のドアの方に向いて歩き出した。


「どちらへ?」


「下のコンビニ。昼飯買ってくるわぁ」


 後ろ手に手をひらひらとさせながら、工藤店長はのっそりと入り口のドアを開ける。しかし出ていこうとした時に、「あ、そうだ」と一声があってその場で振り向いた。


「朝も言ったけど、午後の仕事はないからこれから自由にしてていいよ~」


 そう言い残して、工藤店長は炎天下の世界に吸い込まれるように出ていってしまった。工藤店長が出ていってから一人残された私は暫く自分の席に座って静かにパソコンと向き合い、午前の仕事分の報告書を書き上げた。それを工藤店長のデスクの上に置いてから、奥のキッチンに向かって行き冷蔵庫の中からアイスコーヒーを取り出しながら午後の予定を考える。

 コップにコーヒーを注ぎつつ今必要なものの買い出しや見たい服などのことを考えるが、いかんせんこの一週間ずっと仕事詰めだったので自分の家の状態をあまり把握していなく、何が必要で何が見たかったのか思い浮かばない。


「オフって言ってもなぁ……」


 考えれば考えるほど頭の中がぐちゃぐちゃしてきたので、コップに注いだコーヒーを一気に飲み干す。キリッと冷えたコーヒーが熱く火照った喉を急速に冷やすと同時に、煮詰まっていた頭の中がすっきりと晴れていきどんどんと整理がついていく。考えが煮詰まった時や、気分を変えたいときにアイスコーヒーはもってこいなのだ。


 これと言って自慢できるような趣味は無いし、夏服は去年買ったから今はそれほど重要ではない。昨晩はそうめんで終わらせたので食材の在庫はまだあったはず。となると、後やるべきことは……、


「あ、シャンプー切れそうだったんだ」


 今朝シャワーを浴びた際に、愛用のシャンプーが残り少なかったことを思い出した。折角のオフならそれを買いに出て、それから早めに帰って休んだ方がいいかもしれない。


 そうと決まれば行動は早い。コップを流しで洗いかごに入れてから、自分のデスクの横に掛けてあるショルダーバッグを手に取って足早に事務所を飛び出しす。外の階段を下りる途中で工藤店長とすれ違った際、「どこか行くの~?」と声を掛けられた。


「買い物にでも行こうかと。お先に失礼しまーす!」


「ほ~い。いってらっしゃ~い」


 工藤店長はコンビニのレジ袋ぶらぶらと左右に振りながら、私の背中に微笑みかけてくれた。うだるような暑さの中、私は階段を駆け下りた勢いそのままに通りに走り出て真っすぐドラッグストアに向かって走っていった。



――……。


――……。


――……。



『ありがとうございましたー』


 相変わらずやる気の感じられない店員の挨拶を小耳にはさみながら、私は悠々とドラッグストアを後にする。お目当ての商品はすぐに見つかり、そのほかにいくつか買い物をしてからサクッと会計を済ませることができたのだ。


「さて、これからどうするか……」


 買った品物をバッグにしまいながら、この後のことを考える。


「どこかでお昼食べようかな」


 思えば、今日の昼ご飯を何も考えていなかったのだ。いつもならコンビニ弁当で済ませているのだが、折角外に出てきたのだからたまにはいいものを食べたい。しかし、こう暑いと食欲は湧いてこない。


「う~、悩むわぁ……」


 ドラッグストアの日陰であーでもない、こーでもないと考えていると、遠くからつんざくような女の子の悲鳴が聞こえた。


「何事っ!?」


 バッと顔を上げて悲鳴の聞こえた方を向くと、ドラッグストアの駐車場の先、白いワンピースを着た背の低い女の子が道端におろおろとしているのが見えた。


「あの子かなっ?」


 私は自分の考えを後回しにし、とっさに物陰から飛び出して一目散に女の子の元に駆け寄った。


「あなた、大丈夫? 何があったの?」


 両肩の上に小さなおさげをした女の子は、その可愛い顔に泣きべそを掻きながら必死に道の先を指さしていた。その方向を向くと、大柄の男が女の子の物であろう青いバッグを持って走り去っていくところだったのだ。


「あれ、あなたの?」


 私は女の子の方を向いて、再度尋ねる。


「うぐっ、えぐっ」


 女の子は眼に溜まった涙を頑張ってぬぐいながらコクコクと頷く。これで事態はおおよそ把握した。

 私は女の子の頭にポンと手を置き、にっこり微笑んで見せる。


「大丈夫。お姉ちゃんが取り戻してくるから」


「えっ……?」


 女の子がポカンとして聞いているのを横目に、目の前を遠ざかっていく男の背にしっかりロックオンする。そして、体勢を落して左足を後ろに伸ばしクラウチングスタートのポーズをとった。


「せー、のっ!」


 左足に目一杯力を込めてアスファルトを蹴り上げ、その反動を全身に伝えた猛ダッシュをかける。文字通り風を切って道を駆け抜け、数十メートルはある距離をあっという間に詰めていく。そして、ついに背中を掴んだと思えば全体重を腕にかけて男を思い切り前へ突き飛ばした。


「おぅわぁっ!!」


 野太い声を発して道に押し倒された男は、地面に這いつくばり一瞬何が起こったのかよくわからない顔をしていた。


「さぁ、女の子から取ったものを返しなさい!」

 

 私はあれだけのダッシュをしたにもかかわらず息切れ一つ起こさず、目の前に倒れている男に向かって手を付きだす。


「ク、クソッ! 女ごときが邪魔すんじゃねぇっ!!」


 男は振り返って私を見るや否や、顔を真っ赤にして暴言を吐き散らかすとその大きな図体で勢いよく飛び掛かってきた。しかし私は冷静に距離を見計って息を吐き、伸びてきた腕を掴んで勢いを殺さずに肩に担ぎあげた。


「おりゃあああっ!!」


「な、なんだぁぁぁ!?!?」


 そして、担ぎ上げた身体をそのままの勢いで地面に叩きつける、文字通りのきれいな一本背負いをして見せた。自分の体格の倍近くある男を見事なまでに投げ飛ばしたその光景は、まるで映画の出てくる俳優のようだった。


「ぐへぇっ!!」


 男は背中から落ちていったため呼吸が乱れてしまい、フガフガともがきながら道の上に伸びてしまっていた。


「フンっ、女だからって甘く見ないでよね!」


 私はフゥとため息をついて手に付いたホコリを落し、悶え苦しむ男を見下しながら手に持っていた青いバッグをひっぱり取り返す。


「あの、誰かこの人交番に連れていってください」


 私はその場に居合わせた人たちに声を掛けてから、元来た道を歩いて戻っていく。そして元のドラッグストアの前まで来ると、あの女の子がこちらを見て立っていた。

 私はそばに寄っていって、二コッと歯を見せて笑い取り返してきた青いバッグを差し出す。


「はい、これ。取り返してきたよ」


 女の子は眼を見開いておずおずと両腕を伸ばし、バッグを掴み取ると笑顔で大事そうに胸の中に抱きしめた。それを見て私は、ほっと一安心し肩をなでおろした。


「あ、あのっ」


 突然、女の子が私を見上げて声を発した。驚いて女の子に視線を落とすと、何やらバッグを抱きしめたままモジモジとしている。


「ん? なあに?」


「えっと……おねえちゃん、ありがとうっ!」


 女の子はまだ少し赤い鼻頭を上に向けて、精一杯の笑顔でお礼を言ってくれた。


「いえいえ、お安い御用よ。ちゃんとお礼が言えて偉いわね」


 私は膝を曲げて女の子と同じ目線になると、笑顔に笑顔で返しながら頭を撫でてあげる。


「エ、エヘヘ……おかあさんに、ちゃんとありがとうをいわなきゃダメだよっていわれたからっ!」


「そうなんだ。いい子だね。それで、そのお母さんは?」


 頭をなでながら、ふと気になったことを尋ねる。そう言えば、この子を最初に見つけた時から周りに親らしき人が見当たらなかったのだ。今もこうして私を一人で待っていたということを考えると、少し腑に落ちない。となると、理由は大体一つしかないだろう。


 おかあさん、と言う単語を聞いた途端、今まで笑っていた女の子の顔色が急に曇り始めた。


「お母さん、どこにいるの?」


「……わからない」


 女の子は俯いたまま、私の質問に弱々しく答える。


(もしかしなくても、これは迷子ね……)


 私の予想は大体合っていたようだ。つまり、この付近で親とはぐれてしまったあとにあの男にバッグをひったくられたのだろう。災難とは立て続けに起こるものである。


「……うぐっ、ひっく、えぐっ」


 女の子は親が恋しくなったのだろう、段々とその眼に涙を浮かべ始め、出会った時のようにすすり泣き始めてしまった。


(これは色々マズいことになったわね……)


 泣き始めてしまった女の子の頭をなでながら、ふと自分の中で仕事の血が騒ぎだすのを感じ取った。困っている人が居たら問答無用で手を差し伸べるのが私の働いている職場のやり方であり、またその店名の由来でもある猫の手を差し出さなくてはならない場面だと頭の中で私が囁く。


(よしっ! こうなったらとことん付き合ってあげましょうか!)


 私は折っていた膝を伸ばして立ち上がると、腕を胸の前で組み始めあのポーズをする。


「大丈夫。私が見つけて上げるわ」


「えぐっ、ふぇ……?」


 女の子はまたポカンと上を見上げ、私の顔を覗き見る。私は自分の右手で左腕の上腕二頭筋を掴み、左腕を胸の前に斜めに構え拳を握るポーズをとっていた。これは万事屋『猫の手』に伝わる依頼承認のポーズで、依頼を正式に受け取り誠心誠意込めて仕事に当たるという約束の証でもあるのだ。


「その依頼、万事屋『猫の手』の雲井マリエが心して承りました!」


 二カッと歯を見せて笑いかけ、約束の証でもあるポーズを女の子に見せる。


「ぐずっ……うん、うんっ!」


 泣き顔を見せていた女の子も徐々に笑顔を取り戻していき、なんと私と同じポーズを真似して見せてくれた。


「うん、大丈夫! 一緒にお母さん探そっ!」


 私は笑顔の女の子の手を取って、先ず怪しいと睨んだドラッグストアに向かって一緒に歩き出した。



――……。



 中に入ってから辺りをぐるっと見回してみる。再びやる気のない店員の声が聞こえた他は、特に誰かを探しているような人は見当たらなかった。


「おねえちゃん……?」


 女の子は私の手を握ったまま、不安げに顔を見上げる。


「大丈夫よ。行きましょう」


 店の奥に行けばもしかしたら見つかるかもしれないと思い、女の子の手を引いて店の奥に向かって進んでいく。このドラッグストアは全国にチェーン展開している大きな総合店で、個々の店舗は特に大きくホームセンター並みの規模を誇っている。そのため、奥までといっても相当くまでいかないと壁にはたどり着けないのだ。


 それから私と女の子で店舗の中を隅から隅まで捜し歩いたが、これといって女の子の両親のような人影は見当たらなかった。この子を探しに、既に出ていってしまった後なのだと思う。

 再び出入り口まで戻ってきたとき、私はふと気になって女の子に訪ねた。


「ここには何しに来たの?」


「おかあさんとお買いもの」


 女の子は、私の顔を見てはっきりとした口調で答える。


「そっか。歩いてきたの?」


「うんっ」


(となると、そう遠くまではいかないか……)


 ここから徒歩圏内で考えると、商店街か公園の辺りが妥当だろう。しかしこの炎天下では、帽子をかぶっていない私たちにとって無暗に出歩くのは危険すぎる。かといって他に思い当るようなところもないに等しい。


 私が顎に手を当てて考えていると、私の服の袖をつんつんと引っ張って女の子が呼ぶ。


「おかあさん、見つかる……?」


 女の子はまた不安そうな顔を私に向けて、今にも泣きだしそうに目を潤ませていた。私はまた泣かせてはいけないと思い、膝を折って女の子の目線に合わせると頭をなでながらニコッとほほ笑んだ。


「大丈夫っ。私が付いてるんだから! ねっ?」


 女の子は不安を隠せない表情をしたままコクンと頷く。きっと、まだ心配が残っているのだろう。


「そう言えば、あなたのお名前は?」


「……みずき」


「そう、みずきちゃんね。お母さん、他に何か買い物に行くって言ってた?」


 みずきちゃんは少し考えてから、はっと思い出して眼を見開いた。


「おゆうはんのおかいものするって言ってた!」


 夕飯の買い物、と言うことは商店街で間違いないだろう。これで行く当ては付いた。

 私はスッと立ち上がって、不安そうな顔をするみずきちゃんの手を取る。


「よしっ! じゃあ商店街に行きましょう。お母さんもきっとそこにいるわ」


「うんっ!」


 みずきちゃんは雲が晴晴れた様にニコッと笑顔になって、私の手を強く握り返してくれた。



――……。



 ドラッグストアはそもそも商店街の中の一角に建っており、広い駐車場を抜ければそこはもう老若男女が行きかう商店街になっている。この子のお母さんも、きっとそこに出て行って探していると思う。なぜなら、ここ以外に徒歩で来れて夕飯が買える場所なんて無いからだ。


 私達は駐車場を抜けて商店街にたどり着くと、先ず辺りを見回して探し人をしている女性がいないか確認する。


(ここら辺にはいないわね……)


 私は一度深呼吸をして呼吸を整えると、それから大きく息を吸った。


「みずきちゃんのお母さんいませんかーっ!」


 腹に力を籠め、商店街中に通るような大声で叫んだ。周囲にいた数人が私の方を振り返ったが、そんなことは一切お構いなしに続けざま、


「迷子の女の子がいまーすっ! 探してる人いませんかーっ!」


 今度は空いた手を口元でメガホンのようにして、さらに声を張る。夏の風が全身を暑く撫でていくが、今はひたすらに我慢をする。


 しかし、私の叫びは空しく人ごみの中に消え失せてしまい、反応をした人々もすぐにまた自分のことに戻っていってしまった。


(ここじゃダメかぁ……)


 私が少し肩を落とし始めた時、今まで横で見ていたみずきちゃんが前を向いて息を大きく吸い始めた。


「おかーさーんっ! みずきはここだよーっ!」


 予想以上のことだったので、私は思わず目を点にさせぱちくりと瞬きしてしまう。するとみずきちゃんはわたしのそんな顔を見てニコッとほほ笑んだ。それを見て、私も再びやる気が湧き上がってきて頷きながら微笑み返した。


「みずきちゃんのお母さーんっ!」


「おかあさーんっ!」


 私達はそれから二人合わせて声を張りながら、商店街を端から順番に練り歩いた。途中、買い物に寄りそうなお店を見つけては中に入り、店内を隈なく探しながらみずきちゃんのお母さんを探した。


 しかし努力空しく、日が暮れるまで捜し歩くもそれらしき人物は見つからなかった。最後にもう一度ドラッグストアに戻ってきて初心に帰ってみる。みずきちゃんも休まず叫び続けていたので、足取りもおぼつかずクタクタになってしまっていた。


(このままだとマズいわね。もう警察に届けた方が……)


 お店の陰に置いてあるベンチに横にさせ、膝枕をして休ませてあげつつ私はこの後のことを考えていた。正直私もかなり限界に近く、昼以降水しか採っていない身体はさっきから腹の虫を鳴かせていた。このまま見つからないようであれば、いっそ警察に届けた方がいいのではなかろうか。


(でも……)


 みずきちゃんとは、お母さんを絶対に見つける約束を交わしている。万事屋として、一度した約束は何が何でも守り通さなくてはいけない。だから、最後の最後まで粘ってみようと心に決めたその時だった。


(ん? あれは……)


 駐車場の端の方、車の陰から一人の女性が顔を出している。辺りをキョロキョロと見回していて、何かを探しているようにも見える。これまでどこに行っても見当たらなかったその動きで、私の中でビビッと何かを感じ取った。


「ねっ、ねっ! あの人違う?」


 私は膝の上で休んでいたみずきちゃんに、高まる気持ちを抑えながら声を掛けた。


「んぅ……あっ! おかあさんっ!!」


 みずきちゃんは眠たげだった眼を見開きがばっと体勢を起こすと、一目散に遠くの女性の元に駆けていった。


「おあかさんっ!」


「えっ……? 瑞樹っ!」


 お母さんはみずきちゃんに気が付くと膝を折って屈み、飛び込んでくるみずきちゃんを受け止め抱きしめた。私はゆっくりその光景を見ながら立ち上がり、二人の元に歩み寄っていく。


「もうっ! どこ行ってたの! 心配したんだから……」


「ごめんなさい……」


 お母さんは心配の裏返しか、大きな声でみずきちゃんを叱る。しかし、その抱きしめえる腕は決して緩まず、むしろ一層強く力が込められていた。


「でもよかった……どこも怪我してない?」


 抱いていた腕をゆっくりと離しながら、おかあさんはみずきちゃんの身体をあちこち見て確認する。


「へいきだよっ! おねえちゃんといっしょだったから」


「おねえちゃん?」


 お母さんはきょとんとして言葉を繰り返し、それから立ち上がって辺りを見回した。そして、二人の後ろに付いていた私と目が合う。


「あの、ウチの娘がご迷惑おかけしました。本当にありがとうございます」


 お母さんは深々と頭を下げ、お礼の言葉を述べる。


「いえいえ。みずきちゃん、お母さんを探すために一生懸命頑張ったんですよ。おうちに帰ったら褒めてあげてください」


 私は少し謙遜しながら、今日起こったことをありのままお母さんに話した。


「……そうですか。バッグを取り返してくれただけでなく、一緒に探し回ってくれたなんて。なんてお礼をすればいいか……」


「お礼は要りません。それが、万事屋の仕事ですから!」


 そう言いながら、私はニカッと歯を見せて笑いながら例の万事屋ポーズを取った。すると、それを見ていたみずきちゃんも、私のポーズにつられて自分も同じボーズをして見せた。


「エヘヘッ」


「うふふっ」


 そうして二人笑いあった後、みずきちゃんはお母さんに連れられて夕暮れの商店街に消えていってしまった。去り際、


「またね! よろずやのおねえちゃんっ!」


 と、みずきちゃんは今日一番の飛び切りの笑顔で手を振ってくれた。私はそれに応えるように微笑んで、


「もうはぐれちゃだめよ! またどこかでね!」


 と、大きく手を振り返したのだった。



――……。


――……。


――……。



 数日後、私はいつものように事務所で自分の仕事を行っていた時、不意に工藤店長から呼び出しの声がかかった。


「なんですかー?」


 呼ばれた私は一旦手を止めて、工藤店長の座っているデスクの前に歩いて行く。


「今ねぇ、郵便物の確認をしてたんだけど、マリエちゃんあてに一通来てるんだよ~」


 工藤店長は複数ある郵便物の中から、ひときわ目を引く大きな茶封筒を引き抜いて私の前に差し出した。


「私宛、ですか?」


「うん。送り主が書いてないんだけど、何か心当たりある~?」


「さぁ……でも見てみますね」


 私は茶封筒を受け取り、自分のデスクに戻ると赤渕の眼鏡を掛けて封筒を確認する。確かに送り主はどこにも書いていなく、表面に『よろずやのまりえさんへ』としか書かれていなかった。よくこれでここまで届いたものだと感心するが、何かのイタズラにしては少し変である。

 ここは思い切って中身を確認するのが良いと思い、引き出しからはさみを取り出して上部を切り取る。


 そして、中に入っている紙らしきものを引き抜いて開いてみると……、


「わぁ……」


 クレヨンと色鉛筆で色とりどりに描かれた大きな女性と小さな女の子の絵が、画用紙一面に堂々と描かれていたのだった。絵は決して上手とは言えない出来だったが、それでも作者が心を込めて精一杯描いたであろう意思が伝わってくる。さらに絵の中には、『おねえちゃんありがとう!』と拙い文字で書かれていて、絵の作者の感謝の言葉がつづられていた。


(みずきちゃん……)


 私は自然と笑みがこぼれてしまい、心の中がとても温かな気持ちになるのを感じた。この絵は一生の宝物にしようと、そう誓えるほどに。


「ん~? 何かいいことでも書いてあった~?」


 工藤店長が私の顔を見て不思議そうに、デスクに顎肘を立てながら尋ねる。


「いえ、なんでもっ」


 私はそうきっぱりと答えてから絵をまた封筒にしまうと、それを大事にデスクの一番下にある引き出しの中にしまい込んだ。それから腕を高く上げ、背筋をぐーっと飛ばしてイスに体重を乗せる。ギーっと鉄の軋む音が聞こえたような気がしたが、今はそれすらも耳には入らなかった。


「ん~っ、はぁっ! さてっ、今日も頑張りますかっ!」


 首を左右に曲げてから肩を一回りさせ、気合を注入して目の前の書類の山を微笑を浮かべながら睨んだ。


 デスクの上に置いてあるアイスコーヒーのグラスから、ぽとりと結露した雫が落ちる。その雫は太陽の光を受け虹色に輝きながら、下に敷いてあるコルクのコースターに吸い込まれて行ってしまった。






おわり。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ