さん。
改訂いたしました。28.1.31
あ、とは誰が言った言葉だろうか………と考えるまでもなく一人しかいない。この部屋には運んでもらったジークスと部屋の主のイルグルム。招いたデュラミス宰相のみ。そのうちデュラミス宰相はこんこんとイルグルムを叱っているし、イルグルムが口を挟めるわけがない。ならば声を自由に出せるのはジークスのみ。
厳密に言えば未だ眠っている少女もだが、耳にする声は残念なからよく聞く声だった。犯人はすでにわかりきっている。
二人して音のする方に振り向けば少女がシーツを手繰り寄せて隅で怯えていた。腰を折って弁明するジークスがまさに怯えさせる元凶だろう。素早くジークスを回収してデュラミス宰相が前に出る。仮面の男よりまだ優しさを取り繕えるおじいさん顔の方がいいだろう。たぶん。
だが怯えは収まることなく続く。聞き出せるのだろうか?今思えば女性でも一人連れてこればよかったと後悔する。イルグルムだと声をかける事すら無理な話で怖がられたり逃げられたりするが、ジークスなら持ち前の人懐っこさで出来るはずだ。『忠犬』は伊達ではない。行ってこい。
頼むと言えば軽快よく出ていった。王宮の侍女なら………今更ながら仮面魔術師の部屋に入ろうとする侍女がいるのだろうか心配になる。嫌われものはまず近づかない。まあ、ジークスに任せてみようと一人で納得する事にした。
ジークスより少女だ。デュラミス宰相がなんとかやっているらしい。こちら側から手を出さずに語りかけているので、先程よりは怯えがなくなってきていると思う。代わりに警戒と―――困惑。………意外と肝が据わっている。
珍しいことに少女の瞳も黒だ。これは珍しいとしか言えない。艶やかな漆黒に同じ漆黒の瞳………吸い寄せられるような?目が離せなくなるのは確かだ。何かの魔術なのだろうか。今まで鬱陶しいと思っていたのだが珍しい髪と瞳のせいか興味があった。
先程から少しずつ他国の言葉を交えて話しているようだがどれも反応はない。ますます謎に包まれていく。そう言えば少女が降ってくるその前に強い光を浴びた。強い魔力を一瞬だけ感じたのだがこの少女からはそれが感じられない。
枯渇でもしているのだろうか?いや、魔力の枯渇は体力を失う。使いきれば使いきるほど体が重くなり、最後は指一つ動かせなくなって止まる。止まらなければまだ助かる。しかし少女は寝たおかげか十分に元気そうだ。回復したのかと思うが―――やはり少女の回りから魔力は感じられなかった。
魔力を溢れさせるイルグルムが感じ取れないのは元から備わっていない人間に対してだ。元から持ち合わせていない人間なのだろうか?しかしあの光は魔力が確かに感じられた。どういう事だろう?
「イルグルム。どうやら私でもわかりませんな。どの言葉も反応がない」
「影と言う類いはないのでしょうか?」
「ないだろう。記憶をなくしたとしてもそう言うのは体がしっかり覚えるものだ。警戒はしているだろうが戸惑いが大きい。何か事情があるとしか言えない」
「デュラミス宰相様、もう一つ………彼女から魔力は感じられますか?」
「君が感じれなったらないのではないか?」
「そうですか」
あの光は全く関係がなかったのだろうか。首を捻ってもわかりそうにない。ジークスもまだ来る気配がないようだ。
では今度は彼女に喋ってもらおう。反応が何も得られなかったのだからあちらから何か要求を出してもらわねば手詰まりだ。対応はデュラミス宰相に任せて喋るように促す。
だが喋り出さない。急に静まり返った部屋に何やらさらに怯えだした。どうすればいいんだとイルグルムは何も出来ないので耐えた。デュラミス宰相もまた少女の行動を逃すまいと見つめ続ける。
「―――、―――?」
「ん?」
「なんと?」
「いや………すまない、もう一度言ってくれないか?」
耐えきれずに何かは呟いたらしい。だが聞き漏らしたようだ。デュラミス宰相がもう一度と少女を見つめる。
「―――――――?―――――?」
「イルグルム。聞こえたかね」
「拗音のような複雑で………何かは聞こえはしましたが聞き取れませんでした」
「私もだ。何を言っているのかわからない。どこか私も彼女も知らない言語なのかも知れない。興味深いな。………一時的に魔術で言葉を繋いでくれないか?」
「わかりました」
魔術をするためには手袋越しは難しい。微かに滲み出るだけならそこまで他人に影響は出ないのだ。それに自分にかける魔術ならば何も弊害はないのだが自ら外に放つ魔術はどうしても阻まれて扱いにくい。無駄に抑えられるものだから暴走もしかねないので手早く魔術を練り上げて意識を作り上げる。
魔術は魔力としっかりとした意思と教えられる詩によって具現化し成り立つ。しっかりとした像を描き理解しなければ具現化、つまり魔術は成功しない。
例えるなら水がほしいとしよう。魔力を欲しいだけ集め、その魔力を具現化させるために像をしっかりと描く。水と言えば綺麗な川。この川の水がほしい。それはどんな色なのか。どんな形なのか。冷たさは………自分が感じたものをしっかりと刻み、魔力で形を作る。そうすれば頭の隅に言葉が浮かび上がってくるのだ。
魔力を形に変える詩。その昔、神が与えた詩と言われる言葉。『清めは青を溶かした水である』………頭に浮かんだ言葉を紡げば、そこに魔力を注いだ分の水が具現化する。より具体的に像を描くことが出きれば、魔術はとても優れたものになる。
言語を繋げるためには唇と音と他人と繋がるための頭。像を描くために相手と張り巡ぐるように数多の糸で繋いで魔力に馴染ませる。すると言葉が自然と浮かび上がるのだ。
さらりとそれを読み上げて少女に触れた。手には目に見えない魔力を感じながら額にそっと指先を触れるように。理解するのは頭だ。頭に魔術を入れるようにしなければ出来ない。なのでこうして額に触れたのだが………イルグルムは違和感を感じた。
魔力が感じないのだ。それは少女が魔力がないからだと思っていたのだが………自分の使っていた魔力も感じないのだ。これはおかしい事だろう。
額に触れたままさらにおかしな事に気づく。肌から放出しているはずの魔力が一部だけ感じられない。どこ、と言われれば指先であって………どういう事だろうか?とりあえず分かる事は魔術が失敗した、と言う事だろうか。
「イルグルム?」
「………失敗しました」
「え?君が?」
「はい」
何も感じられないとは不思議な気分なものだ。あれほど煩わしいと思っていたものが感じられないなど不思議でしかない。
さすがにいつまでも触れている訳にはいかないのでゆっくりと手を退ける。少女を見ればこちらも不思議そう顔をしていた。先程まで宿していた怯えと警戒が薄らいでいるように見える。
「待て、イルグルム。早く手袋をっ」
振り向けば焦るデュラミス宰相。軽い頭痛に悩まされている人のようにさっと頭を抱えて気分が悪いと表情を歪め促す。魔力のせいで回りの体調が悪くなるのを知っているので素早く手袋をはめて肌を隠し―――た?
動いたら少女がイルグルムの手を握る。怯えがまた浮かび上がっているようだがそれより何か探るような視線が向けられる。よくわからないがデュラミス宰相と私を見比べているようだ。何かわかったのだろうか?
「ん?」
「デュラミス宰相?」
「頭痛が治まっ、た?」
「はい?」
今日は元から頭痛でも患っていたのだろうか。貴族は少しの痛みなどなら巧みに隠せる。弱味を見せてはいけないのだ。隠すのは嗜みとして鍛えられる。
それがどうだろうか。今のデュラミス宰相はぽかんと口を開きながら瞬いている。こんな宰相、見たことがない。
よくわからないのは少女も同じだ。デュラミス宰相とイルグルムを交互に繰り返し見ていたと思っていたら今度はおずおずとイルグルムの手を握ったり離したり。首を傾げながらデュラミス宰相の様子を見る。
大変失礼だが………面白いことに手を離せば苦しみだし、手を握れば安堵の顔を交互にやってのける。何となくだが予測ができてきた。これも報告に書かなければ。
さすがにデュラミス宰相の身が持たないだろう。こうまで顔色を頻繁に変えては疲れるだけだ。手を握られたらすぐに握り返す。私より小さな手だ。ごつごつと固くない。女性の手はこんなに柔らかかったのかと改めて気づかされた。そして驚いたように少女の肩が跳ねた。なんだろう………小動物のように興味がまた湧き出す。
「人で遊んだな………?」
「彼女が」
「まったく!無駄に体力が削がれたっ………魔術―――いや、魔力を阻害しているのか?お前が肌を見せていられるなど初めてではないか」
「そう言えば―――どちらかと言うと魔力を消すみたいです」
「消す?打ち消すと言うことか?」
「それなら彼女から魔力が感じられるでしょう。外からは魔力がまったく感じられません」
「では中を確認するしかないが………」
その中とはどれを言っているのだろうか。まあ話の内容から体内と言うのがすぐに予想がつくんだが………魔力を診るために体内に触れなければならない。知識として持っているが実際にやった事があるはずがない。イルグルムがまず受け入れてもらえないからだ。方法としては色々とあるが………
それをやれと言うのだろうか………その前に彼女の話を聞くのではなかったのだろうか。まずは目的を明確にした上でどうするか決めた方がいいだろう。彼女はまた未知の部分があるが、すでにこちらの手中に囲われているようなもの。一度にすべてをやらなくてもいいと思う。
「私はこの後の時間が取れないので。聴取は交代だ。任せた」
デュラミス宰相が小さな机と椅子を占領して準備まで始めて書き出した。こういう切り替えが早いから隙がなく困るものだ。
握っていた手を離して手袋をはめる。しかし―――言葉が通じないのにどうやって聴取すればいいのだろうか………?
仮面越しに彼女を見やれば見つめ返され―――思い出したようにおどおどと距離を取り始めた。さてどうしたものか。とりあえず聴取に自分は向いていないな、と言うことがわかった。