いち。
改訂いたしました。28.1.31
彼は―――どうしようもなく動揺していた。
普段通りの姿―――高めの身長をすっぽりと隠すような長い黒のローブを頭から覆い、顔には銀の細かな細工が描かれている仮面を着けて日々を過ごす魔術師。
男の左胸には王宮の魔術師に所属している証しとしてローブの留め具にブローチが飾られている。それは王宮魔法師の象徴でこの国の象徴であるカスラムの花の形だ。それがなければ彼はかなり怪しい男となっていただろう。今でも遠巻きに近寄りがたい外見だが、そのブローチがもたらす権限は見過ごせるわけがない。それは彼の存在をはっきりさせるものなのだから。
彼の名はイルグルム・ラージェリオス。今年で二十五となる若者だ。
仮面とローブで姿を隠しているが中身は鈍い色を放つ金髪に影がさせば青にも見える緑の瞳。顔立ちは悪くない。むしろ美男子と誰もが言う整った顔だ。
すっぽりと覆っているローブのおかげで肌は色白。たまに見せる手は男の手で細くしなやかでもごつごつした手のひらは間違っても女の手ではない。しかし、いつも手袋をつけているのでその手をなかなかお目にかかる事はない。
体にはつねにローブ。顔は仮面。すべてを遮断するようなその格好には訳がある。今では誰か素顔を見たことあるか?と回りが首を傾げるほど仮面が馴染んでいる。それほどその姿は長年そうしていたと言えるだろう。
知っているのは彼の幼馴染みや育ての親。それと彼と一緒に行動を共にすることが多い一人の部下だけだろうか。
彼がなぜ姿を覆い仮面を着けているのか―――それは彼、イルグルムの生い立ちはが物語る。とても危険であるために―――回りには例えちょっとの影響でも許さないのだ。
イルグルムはこの国―――セルディーダ国で唯一無二の魔力保持者である。その魔力はどうやら底が知れず年々にして増え続けているほどだ。
きっかけはイルグルムの親にある。本当の彼は魔力がないに等しいほどわずかなものだったのだ。
ではなぜイルグルムが唯一無二の魔力保持者になったか………簡単な事。この世に埋もれる禁忌の生け贄となったからだ。
彼は現国王から見て甥に当たる。すでにこの世界にいない王弟の息子。当然、王位継承権などは王弟の代からすでになくなっている。イルグルム本人はそれがすごく嬉しいことであった。煩わしいものはすでに染み付いてしまっている。
―――人は強欲な塊だ。王弟はかなり強欲で王の座を欲するためにかなり裏にも手を出して現国王である兄を貶めようとしていたほどに。
この国は欲だけでは王になれない。他国から羨ましいと言われるほど豊かで上から下までも困窮する事なく潤っている国だ。当然、王がそのように動かして民に充実できる生活を与える。
逆にそこまで潤っている国ならば手に入れたいと望むのが他国であり、他国の襲撃に立ち向かうのも王である。
では、どのような人柄が王となれるのか。先代の王が掲げたものは自分が望む未来を次代の王に託せるかどうかだけで細かく提示はしていない。ただ―――遥かから残る戦果共々、遡る王たちがこの潤いの国を保たせた意味を理解しているのであれば十分であった。
『人の上に立つ覚悟があるならば回りを見よ。声を聞け。その目で見、頼る臣下と共に国を今時より現今の情勢を見極めよ』
結果は現在をもってわかるように王は“協力”を謳い頼れる臣下と共に歩み、王弟は豊かで平和の国に必要なのは“力”であると説き物理的な力で物を言わせるまでになったのだ。
その代償が息子のイルグルム。武力だけでは足りない。ならば魔術も充実させればいい。王弟である権力を用いて禁忌を漁り見つけた一つの歪み。多くの贄を捧げて一人に絶大な魔力を宿らせる禁忌………
気づけなかったのは臣下の大半が生温い平和に堪えきれなかった者だ。こればかりは足元を救われた先代王は王位を競わせた己の無念な事に嘆いた。
禁忌は文字通り忌まわしい禁じ事………多くの贄はその時に多発していた百に近い行方不明者と一致。やむ無く王弟と多くの臣下を粛清するしかなくなったのだ。
では犠牲の元に禁忌の糧となったイルグルムはどうして生き残っているのか。普通なら一緒に処分されてもおかしくはない。犯した禁忌を野放しにする事は出来ないのだ。
残りの臣下も早く処分するように言い募った。しかし、それでも出来なかったのだ。不確かなその禁忌を成功させてしまった故に―――
イルグルムの体の中心には魔方陣がある。それは禁忌の魔方陣で何をしても壊れる事はない。魔力増幅、魔力吸収、魔力製造、魔力拡張、魔力膠着………どれも複雑に絡まり、成立し、イルグルムから魔力が放出されているのだ。
濃い魔力は当てられて近づけない。それに抵抗できるのは魔力であり、魔力の保持量によって影響に違いが出る。抵抗があるもの、すなわち魔力が多い者は多少の目眩や軽い頭痛ですむが魔力が少ないものにとっては軽いもので済まされない。時には死に至る事ある。
贄となったイルグルムは当時十歳の少年。王弟からも道具のように扱われていたらしく、抵抗はなかったのだが殺せなかった。近づけるものがいないし、何よりイルグルムは無意識に強力な結界を張っていたので誰も何も出来なかったのだ。魔力に当てられた重傷者だけが増えていく結果となった。
それから月日が流れてイルグルムを説得。殺すのではなく生かす、と反発した臣下を説き伏せイルグルムにいくつもの条約を結んで生活を与えた。
その条約がこのローブと仮面である。どうやら肌を見せると溢れ出てくる、とまでは分かっているので隠さなくてはいけない。ならば隠すのに無難な魔術師をやらせ、このローブを着せることにしたのだ。このローブは今は亡き魔術師団長の最高傑作でローブの内側は実に細かく端から端までびっしりと魔方陣が描かれている物だ。
魔方陣の内容は指定された場所に魔力を転送させる仕組みのもので、魔力を食い止めるのではなく有り余っているなら使えば言いじゃないかと当初は斬新な発想でそれを実らせた成果だ。
この溢れる魔力は城や街の結界など常に必要なところに回れている。今もなお魔力は転送されているので先の数百年分ぐらいはイルグルムが魔力を送らなくても結界が維持できる計算である。
もちろん、蓄えができたのならば処分してもいいのではないかと言う声も出てきた。回りに影響が出にくくなった今殺すべきだと王に諭す者もいた。痺れを切らして自らの私兵を使って殺そうとする輩もいた。
それでもイルグルムを生かすと告げたのは先王と現王。イルグルムの魔力のおかげで結界が維持でき、数年に起こる大群の魔物の処理も仮面で隠れてわからないが嫌と言わずにやってくれる。他にも色々と貢献していいように使っているように見えるだろう。殺す必要があるのか、と聞けば口だけの家臣は返ってこない。
そんな過去を背負って現在は公爵の養子になりイルグルム・ラージェリオスは現在二十四の男に。王族とも養父母ともなかなか情が厚いのか穏やかに暮らせている。魔力のせいもあって若い魔術師団長となり、ほどほどの人間関係を築き上げていればかなりいい生活を送れているだろうと自負している。
そんな彼の悩み………と言うか養父母の悩みは二十四になって女の影がないこと。姿形で忌み嫌われている息子を思う養父母はかなり焦っていた。
養父母の年齢はすでに五十代半ば。本当の息子は王弟に荷担していたのですでにいない。ならばとイルグルムを養子にし監視する拝命を承った。最初こそは遠巻きにしていたが今では事情を聞いて実子に憤慨し、同情してしまった養父母は監視をそこそこにまだ幼かったイルグルムを我が子として愛情を注いで育てたのだ。十年以上も愛情を注げばもう我が子である。だからイルグルムの幸せを切に願っているのだ。
しかし女性に近づいて来てもらえないのが現状。このままでは嫁と仲睦まじい息子夫婦を拝めず、さらに先の孫にもあえない。つまりイルグルムの嫁がほしい。孫がほしい。だがこのままでは会えない。
年がら年中ローブも脱げず、仮面も外さず。肌を見せれば魔力が溢れ出て近くの人間を昏倒させる。必要な令嬢は魔力が高く、イルグルムの姿をよく理解し、度胸のある令嬢でなければむず無理だろう。
これでも必死に探したものだ。なんとか頑張って絵師に素顔を描かせ、条件に当てはまりそうな令嬢に声をかけた。養父母は公爵位なので断りにくい立場。それを利用して多くの令嬢と見合いをさせたのであった。
しかし会えば萎縮してしまう娘たち。仮面とローブで怪訝に睨む娘たち。姿は美形だがあの仮面魔術師となれば会う前に断る娘たち。ただ受けいれられない息子のおかげで見合いのすべてがなかった事になった。
ここまで来れば後は諦めるしかいないだろう。隣国からイルグルムを、とねだる話もあったが下手をすればイルグルムは兵器になり得る。戦争の発端になりかねないので簡単には手放すことはできない。
もう手詰まりなのだ。どうあがいても寄ってくる令嬢がいないし、稀のすり寄る令嬢は金と権力が欲しいと分かりやすい。
ため息がこぼれてしまのは仕方がないだろう。育ての親であるラージェリオス公爵夫婦は来る嫁と仲良くやりたいのだ。孫がみたいのだ。だがイルグルムの中ですでに“結婚”の二文字が消滅している。
ここまで数多の令嬢に嫌われているならば悟りを開いてしまうのは当たり前ではないだろうか。さすがに国中の令嬢とお見合いをしたわけではないが、低限の条件である魔力が高い未婚の花嫁候補がいないのだ。諦めるのだって容易い。
こんな風に過去を振り返って思い耽っているイルグルム。実は大変困惑していた。動揺のあまり少し………いや、かなりの時間を使って現状を把握しようとしている。
なぜ結婚の話まで浮かび上がってきたのかと言うと、胸の重みのせいだろう。暖かく少し重みがあり身動きがとれないから。体を少し動かせば上に乗っていた何かはずるりと落ちた。
よく見た。穴が空くほど、見た。それは女だ。イルグルムが初めて目にする珍しい黒色の髪。加えてどこまで伸びているのかと聞きたくなるくらいに真っ直ぐで長い。目蓋が閉じられているおかげで瞳の色はわからないが、髪のインパクトは拭えない。顔立ちも少し幼いようだ。見た目の年齢から判断すると十四、五歳くらいだろうか?
いや、でも、待てっ、とイルグルムの内心は極限までに上るほど焦る。上に乗っている者が女とわかった。寄りかかる体や足の上に乗る女の感触は実に柔らかいもので、それだけで女とわかるし、暖かみがある事から生きている。
女性―――それだけで理解に苦しんだものだ。言ってしまえば女性に触れると言う事が幼い頃の養母以外になかったのだ。突然こんな抱き合うような状況になれば混乱するものでないだろうか。おかげでイルグルムは過去を遡りすぎてどうしてこうなったか理解が遅れた。
「とりあえず………応援を、呼ぼう」
いつまでこうしていたのか定かではないが、ようやく落ち着いてきたのだから対処はした方がいいだろう。イルグルムが一人で見知らぬ令嬢を抱えるとかなり怪しむのでなぜかなついている副官を呼ぶことにした。
今思えば自分から副官ことジークスを呼び出したことはないな、と片隅に思いなら魔術師で呼ぶ。
―――これが仮面魔術師イルグルムと異界の女アカリの出会いである。そして………イルグルムの人生初とも言える恋の始まりでもあった。




