礼儀を知らなくても人は死にません。
この文に寄せられた感想と、それに対する私の回答を、「あとがき」にまとめました。
多数のご意見、有り難うございます。非常に勉強になりました。
まず最初に、この文章の要点を申し上げます。
「ネット上に投稿されている小説は、無料であっても決して無償ではない」
その点を、以下で詳しくご説明しております。
*
ネット上で自分が創作した小説を公開している作者は、それを読んだ人から感想や評価が帰ってくることを期待しております。
こう断言すると、割と本気で、
「自分は好きなことを書いているだけだから、他人の評価なんて全然気にしていないよ」
と反論される方がいらっしゃるかもしれません。
しかし、それは公共の場所に落書きをすることと、意識レベルが同じではないか、と私は思います。
もちろん発端は落書きであっても、事後にその芸術性の高さが評価される可能性はあるでしょう。
ですが、認められなければそれは単なる迷惑行為にすぎません。
また、本当に、
「自分の好きなことをやっているだけなので、評価はどうでもよい」
と考えているのであれば、私家版としてこっそりやったほうが宜しいのではないかと思います。
わざわざ一般公開する必要がありませんし、一般公開した以上は、
「好きなことをやっているからいいでしょ」
という理屈では通らなくなるのが、世間です。
また、
「面白い小説を書けば評価は勝手についてくるのだから、いちいち気にするほうがおかしい」
と、これも割と本気で考えておられる方がいらっしゃるかもしれません。
前半部分は仰る通りだと思います。
反論するつもりもございません。
ただ、そこまで作品の質に自信が持てるのであれば、小説投稿サイトや個人サイトを利用する意味がないのではないか、と私は思います。
こんなところでワンクッション置いて時間を無駄に費やさず、速やかに作品を手書き原稿化して各種文学賞に応募なさればよいのではないでしょうか?
サイトに作品を投稿している大半の作者は、そこまで自分の才能に確信が持てないからこそ、
・マーケティングの手段
・自己練磨の場
・試行錯誤の一つの方法
として、ネットを利用しているのではないかと思います。
以上の二点から、作品に対する評価やアクセス解析の結果が気になるのは、その作品を作った本人として至極当然のことである、と私は思います。
それは生産者としての責任感によるものです。
たまに、
「自分は他人の評価を気にし過ぎているのではないか」
と懊悩されている方を見かけますが、堂々と、
「生産者なのだから、出来が気になって当然」
と開き直ればよいのに、と思います。
繰り返しますが、それは生産者としての責任感からくる、当然の思いです。
もちろん、評価やアクセス解析の数値に囚われてしまい、
「数字だけが上がればなんでもいいや」
という本末転倒な気分に陥ったとしたら問題ですが、数値の変化から改善すべき点を見出し、よりよい作品作りにつなげるのは、作者の責務と思います。
*
そのように申し上げた上で、具体的なケースから想定される『改善を要する点』と作者の心理状態、そして最後に『作者側からのお願い』を申し上げます。
ただし、大量のアクセスが集中する幸福な作品には、申し訳ございませんが以下のお話は適用することができません。
(その必要もないと思いますが)
< 時間毎のアクセス履歴が『1』ないしは『2』で終わっている >
短編作品であれば不思議ではありませんが、長編作品でこのようなことが頻発しているのであれば、それはあらすじか冒頭の部分で面白くないと判断されたことを意味しています。
せっかく途中から盛り上がって、さあここから面白くなるぞという作品であっても、冒頭で見捨てられてしまったり、さらにその前のあらすじだけで見切られてしまったのでは、どうしようもありません。
これは活字の場合も同様であって、名前で読者をひきつけることが出来る超有名作家ならばともかく、
・表紙(絵や帯も含む)
・あらすじ
・冒頭の数ページ
で、まずは読み手の心を掴む工夫が必要になります。
その努力をせずに、冒頭をないがしろにしているにもかかわらず、事後になって口コミで面白さが伝わってブレイクする作品、というのは確かにあります。
しかし、あるといっても少数かつ例外ですから、一般論としてはお勧めできません。
この点はいたるところで言及されておりますので、ここではもう繰り返しませんが、作者のテクニックの問題と言えるでしょう。
< 途中の数ページ目まで読まれたものの、先に続かない >
これもよく見られます。
途中まで我慢して読んでみたものの、面白くないために途中で力尽きたのでしょう。
あるいは、作家のテンションが途中で下がってしまい、作品の質も同時に低下してしまった可能性があります。
作品を最後まで読ませるだけの力が欠けていたと考えられるため、作者としては非常に申し訳ない気分になります。
これは、作者のテクニックに加えて、作品の質の問題と言えるでしょう。
< 最終ページまで読んだはずなのに反応がない >
まれにありますが、これが書き手として一番嫌です。
「最後まで読んだのに尻すぼみじゃないか。俺の時間を返せ、この野郎!」
と、怒られたような気分になります。
書いてすみません、とも思います。
「たかが素人の駄文なのに、なに大げさなこと言ってるの」
そう思う方がいるかもしれません。
しかし、ただの駄文でも書き手の労力は膨大にかかるものなのです。
物語をまるごと一つ作り上げるためには、相当な時間がかかります。
これは執筆速度(速筆、遅筆)だけでなく、構想段階も含まれます。
・アイデアを思い付いたが、膨らまない。
・プロットを整理すると、辻褄があわなくなる。
・実際に書き始めたら、なんだか展開がピンとこない。
・修正していると、前後に矛盾が生じ始めた。
作者はそんなことを延々と繰り返しています。
前後に矛盾が生じても気にしないという前衛的な小説でなければ、長くなればなるほど細部のつじつまをあわせるのが大変です。
後になって、前に書いた一文が障害になることに気が付いて、こっそり修正したりもします。
そういった苦労を乗り越えて最後まで書ききった作品には、怨念すら籠っています。
そういうものなのです。
だからこそ、その出来が当然気になります。
「自分なりにおいしく調理したつもりだが、一般的にはどうなんだ」
と考えます。
その評価が知りたいと思うのは、当然ではないでしょうか。
玄人の書籍であれば、買って頂いたその事実を評価と捉えることもできますので、分かりやすいと思います。
(逆に、シビアであるとも言えます)
しかし、サイトにある無料の個人小説は違います。
読者が何かを言わない限り、作者にはまったく伝わりません。
「ちょっとは楽しめた」
という思いは、風に乗って作者の元に届かないからです。
むしろ『反応がない=面白くない』と作者は判断せざるをえないのです。
ですから、ここで作者側の人間としてお願い致したいのですが、
少なくとも、最後まで読んだ時ぐらいは、何か評価を残してもらえないでしょうか?
このことは前にも別な場所で、別な表現で書いておりますが、実際に
「全然面白くなかった! こんなもの評価できるかい!」
と怒っている場合はともかく、暇つぶし程度であってもお役に立てたのであれば、その礼を言うのが礼儀だろう、と私は思うのです。
有料の書籍ならば、面白くなければ『金返せ』と自然に怒りたくなるでしょう。
無料の試供品だからと、礼も言わずに黙って立ち去るのは、スーパーの試食であっても無礼な行為ではないかと、私は思います。
それに対して、
「感想なんて面倒なことを、どうしてしなくちゃいけないの? 無料のサイトだから義務じゃないよね? 感想を書くか書かないかは個人の自由なんじゃないの?」
と、そう考える人がいるかもしれません。
その通りです。
サイトのどこにも読者の『評価しなければならない義務』は書かれていないでしょうし、強制ではなく個人の自由です。
しかし、読者側がそう主張するのであれば、作者側としてはこう問いたいと思います。
「どうして貴方の暇つぶしの手段を、私がわざわざ時間を使って無償提供しなければならないのか、その理由が全く分かりません。それに、頂き物を受け取ったら礼を言うのが当然でしょう?」
小説を『無料で読むことができる』ことと、『読んでも何もしなくてよい』ことは同じ意味ではありません。
作者側の一方的な視点からすれば、
「感想を聞かせてもらうことを前提として、小説の無償提供に応じた」
と考えることもできます。
ただ、システム上、作者側から、
「感想を書く気がないのなら、読むな」
と制限できないだけのことです。
ですから、最後まで読んで感想を述べないのは、店員がいないから食い逃げしたのと同じ意味ではないかと、私は思います。
書き手は労力を提供し、読み手は感想を提供する。
そのような暗黙の了解の元に小説投稿サイトは成り立っています。
もし、それが了解事項ではなく、小説公開が作者側の一方的な奴隷労働に過ぎないのであれば、そんな関係は長続きしません。
長続きさせたければ、読んだ後の最後のひと手間を惜しむべきではないのです。
そして、お互い様なのですから、一方的な物言いはやめたほうがよいのではないでしょうか。
*
以上、多少なりとも礼儀が分かっている方を想定して、作者側の一方的な論理の説明と、『トイレはみんなで綺麗に使いましょう』程度の簡単なお願い事を致しました。
全く礼儀を弁えていない方は、今後もご自由になさって下さい。
礼儀を知らなくても、人は死にません。
また、最近は、
「義務はちゃんと明記すべき。書いていないほうが悪い」
という言い訳を平気で口に出す人がいます。
それは、本来、
「私は一般常識を全く知らないので、書いて頂けないとさっぱり分かりません」
と言っているに等しく、人としてかなり恥ずかしいことです。
そのことも理解不能と言うのであれば、私は最早その方に語るべき言葉を持ち合わせてはおりません。
(終わり)
( 補足 )
読者からの感想(●)と私からの回答(〇)
●タイトルが本来伝えたい内容を現わしていないように思います。わざと目立つような内容にしたのでしょうか。
○タイトルは確信犯です。ただ、別な捉え方をされる可能性を全く認識していなかったので、少々焦っております。
●「作者をのせてくれれば、もっと面白いものを書くよ」という発言に留めてもよかったのではないでしょうか。
○その発言は、私がしなくても既に十分な量でなされているように思いましたので、一度過激なほうに振ってみました。思った以上に理性的な反応が多いことに驚いております。いろいろと首を傾げるような表現が見られる点は作者の不徳の致すところで、大変申し訳ございません。他に言い方が思いつきませんでした。
●読者としては「読んだ時間」も評価の一つです。また、実際の「評価」や「感想」は敷居が高くてやりにくいところがあります。
○確かに敷居の高さはあると思います。今は、その敷居の高さを思わず乗り越えさせるほどの「物語の面白さ」あるいは「物語の稚拙さ」がないと、なかなかやりにくいというのが現実ではないかとも思います。しかしながら、作者の「労力」と読者の「時間」のやりとりだけでは、お互いにクローズした自己責任の世界で完結しますから、それ以上のやりとりが生じません。(広がりがありません) また、作者にとっての評価は、
・泥の中を進んでいるのか
・プールで泳いでいるのか
・嵐の中で溺れているのか
を知る、良い手がかりとなりますので、是非お願いしたいところです。
●「評価するのが礼儀」は、過言ではないでしょうか。
○小説投稿サイトを「評価」という報酬のやり取りがなされる「市場」と捉えた上で、「やるのが当然」という発言を行ないました。「せりに出したのだから、値段を付けてくれ」という意味ですが、書き手のほうは「市場」と捉えている方が多いのではないかと思います。当然のことながら「市場」とは考えていない方も多数いらっしゃるので、過言と言われても反論のしようがございません。釣った魚の拓本をとってリリースする方に、「値段を付けるのが当然」といっているようなものですから、その点は非常に申し訳なかったと反省しております。この「立ち位置の違う両者」が共存できないものかと思います。「作者と読者は両輪」で、欠けると車は真っ直ぐ走りません。
●「評価」や「感想」で作者を傷つけることになるのは、本意ではない。
○その点については、作者側も「自分は低評価や厳しい意見でも大丈夫。本音が知りたい」と表明することで、評価しやすくできるかもしれません。
●後書き部分に「評価、感想要求」を載せるのは規約違反ではないでしょうか。
○運営に問い合わせた結果が届きました。
「過度な評価依頼については、利用規約十四条十五項にて禁止している。常識的な範囲で評価や感想を依頼することについては、積極的な対応はしていない。以下の内容であれば現時点では特に問題はない」
つまり、以下の記述であればグレーゾーンの白いほうということですが、
◆ この小説を読まれる方へ ◆◆◆◆◆
「評価」や「感想」を残して頂けると嬉し
いです。低い評価や厳しい意見でも結構で
す。それにより品質向上に繋げたいと思い
ますので、是非宜しくお願い致します。
◆◆◆◆◆◆ 作者からのお願いです ◆
多少トーンを落としたほうがよいと判断しましたので、修正します。
「評価」や「感想」を残して頂けると嬉し
いです。低評価や厳しい意見も結構です。