池に垂れ流れる油(うた)
再び私は無限に続いているかと思うほどの田園を、軋むリアカーを引いて歩いている。
空は相変わらずの雲模様。香澄子は蛾坩堝界の空は常に灰色に淀んでいると言っていた。偶に雲の薄い部分から日の形が分かる程度だと。
京都中心部の数多の工場の煙突からでる排気瓦斯が原因だとのことだ。
成程たしかにこの吸っては吐いている空気も、どこか臭気を感じる。
遠くに見える私が煙突のような塔と比喩したものは、やはり実は巨大な煙突らしく、黒煙を空に舞い上がらせていた。まるでこの曇った空を形作っているのと見まがうほどに。
機械音がしたので右を向くと、農作業機が畑仕事をしていた。ただ畑仕事に疎い私は何をやっているのかはわからない。何かが回転し、何かが水を巻き上げ、何かが草をむしり取る。
『開拓者』と呼ばれるもの。
全自動自立型開墾兼稲作機。ああやって畑仕事をするだけでなく、山を削り、道を潰し、土を耕し、どんな場所でも水田にしてしまう。それは誰ともわからない許可を携えて、一切の慈悲もなく、鋼のごとく冷徹に開拓し、開墾していく。
故に『開拓者』。そう呼ばれている。
この開拓者が誰の持ち物なのかは香澄子も知らなかった。ただ『中央管理局』という組織のものだという噂もあるし、そうでないと言うものもいる。この米達がどこ行くのかは誰にもわかっていない。市場に流れるのはほんの一部分だけだそうだ。そして水田に侵入するものは兵隊鼠に食い散らかされる。
なので、京都市外の者は開拓者が開拓仕損じた山などに村を作って畑を耕すしか術がない。
そんな機械を見ながら私は畦を歩いていた。今回は一人ではない。
「権兵衛ー。置いてくよー」
少年の声が聞こえた。
見ると少年が二人、私の少し前を歩いていた。一人は手を振り、私の方を見ている。もう一人は腕を組み、仁王立をしていた。二人とも、和服のようなボロ着を着ており、奇妙なお面をつけている。背中に背丈の倍ほどの長さの槍を背負っていた。
初めは誰が呼ばれたのかわからなかった。
一瞬だけ考え、権兵衛というのが私のここでの名前であったことを思い出す。
私の新しい名。ペットとしての名。
権兵衛。
権兵衛て。
やはり権兵衛はない。
それでも決めてしまったものは仕方がなく、今更色々言っても打ち消せるものではない。
今日は彼らが、香澄子から私を借りた、という形で、狩りの手伝いをすることになっている。牧羊犬のようなものらしい。
サークル仲間を探す手伝いをしたかったのだが、今は情報を集めている段階で、私に出来ることはないのだそうだ。だからこうやって、いざと言う時に子供たちに手伝ってもらえるように、狩りの手伝いをしているのだった。
私は小走りで彼らに追いつく。
「ったく、使えねえな」
「そんなこと言って。豚姫様のペットなんだし、あんまり雑に扱っちゃだめやで」
悪態をついたのは左泥楊とか言ったか。偽名でも暗号名でもあだ名でもなく本名なのだそうだ。この世界ではこれが普通ならしい。では権兵衛はどうなのだと、香澄子に聞いたらペットの名前なんて割と適当でも何とかなる、と言っていた。
左泥楊。
私を殴り倒した少年。倒れたのは自分でだが。
お面を外した所を見たことがあるが、固そうな短い黒い髪で利発そうな顔だった。そして、肌が赤かった。赤人というその名の通りに。私達地球の人間が赤面した時よりさらに赤かった。
そしてもう一人が漢弐釣。私を運ぶ時に枝をかき分けていた少年だ。お面を外した顔は中世的な顔立ちをしており、少女と見まがうほどだった。彼もまた肌が赤かった。
「じゃあ今日は採取場と狩場に行くけど、足手まといになるなよ」
左泥楊は私を睨みつけて言った。お面の下からはそれはわからないはずだが、それでも私はなんとなく睨みつけられているとわかった。
私はそれに答える。
ただ今の私にに許された一つの言葉を。
これ意外の言葉を発すると、一か月はこの世界で生きることがかなり困難となると言われた言葉を。
三日前の香澄子の言葉を思い出しながら答える。
「はい、私のご主人」
◇ ◇ ◇
「この世界で戸籍のない者は人扱いされません。これは比喩です。それと同時に話すことの出来ない者は人扱いされません。これは比喩でなく文字通りです」
一昨日の香澄子の言葉だ。
彼女にはあれから様々なことを教えてもらった。
そろそろ日が暮れるのではないか、と問うたが、ちゃんと儀式は一日以上かかる皆に伝えてあると彼女は答えた。
「しかしながら、戸籍がないだけの人をペットにすることは、この国の法律でも倫理観でも許されません。ですが話す能力を持たない人をペットにするのは許されています。ですから貴方には口を聞けない振りをしてほしいのです」
「説明の順番を何段階か飛ばしていますよ」
私の言葉に香澄子は顎に手を当てて『ああそうか』というようような仕草をした。
戸籍が無い人が比喩的に人扱いされないのはわかった。
話すことの出来ない人が文字通り人扱いされないのはわかった。
しかし、何故私がペットになる必要があるのかは答えて貰っていない。
「例えばですね」と彼女は言う「鴨川の橋の下のホームレスのおじさんと、お金持ちのペットの犬、どちらが良い生活をしていると思います?」
「ホームレス」
「またまた捻くれた答えを……確かにそういう場合もあるかもしれませんが、今回はペットの犬のほうが良い生活をしているものとします」
なら今の質問の意味はないのでは?
と思ったが、引っ掛けを考えて逆を言った私も悪かったようなので黙っておいた。
「この世界では種族として人間の形をした話せない動物がいるんです。家安生って呼ばれてるんですが」
「ヤアフ?ガリバー旅行記ですか?」
「ガリバーかジョナサン・スウィフトが実際にこの世界へ来て、それを本にした……のかもしれませんね。蛾坩堝界には話す馬もいますし」
「信じがたいですね……」
「まあそれはそうとして、家安生の知能はそんなに高くありません。イルカ程度ですかね。ですから泥棒は無理なので、必然的に貴方の疑いは晴れることになります。そして豚姫たる私のペットにしたということにすれば、手荒に扱うものはいないでしょう」
「話すことができないと家安生扱いされる、というふうにあなたは話しましたが、病気で会話が出来ない者も人扱いされないのですか?」
「手話や筆談、及びボディランゲージ等が出来れば人扱いされます。それさえもできないと家安生扱いですね」
そもそも会話出来るか出来ないかで分けるのがおかしいのではないか?
そう問おうとして、私は言葉を詰まらせてしまう。
彼女は先ほど話すことが出来る動物すべてを人とすると言った。そして人語を解す馬がいるともいった。それはつまり牛や豚も話すことが出来るということで、そしてそれらにも人権があるということだ。
では何を食べてているか。
簡単だ。話さない動植物をべればいい。だから人を話すことが出来る者と話すことが出来ない者にわけているのだ。
それはつまり人の形をしたものを……
「この国では家安生を食べるのは禁止されていますよ」
と、私が考え混んで黙ってしまった所に彼女が声をかけた。
「というと?」
「地球でも猿を食べるのは苦手だってう人は沢山いるでしょう。それと同じで自分と似た姿の動物を食べるのは嫌だって人は沢山います。ですので、この国では家安生を食べるのは禁止されています。同じように豚の国では豚を食べることを禁止していて、牛の国では牛を食べることを禁止したりしています。普通に共食いしている所もありますがね」
「豚飼とか赤人とか、人間に似た種族は沢山いるようですが、それらにそれぞれ話せない種族がいるんですか?」
「何故か家安生は人間そっくりの者しかいませんね。耳が高い喋ることの出来ない人は見たことがないです」
「病気でも?」
「ええ」
再度嫌な予感が頭に浮かんだ。
しかしそれは、何か思い出すのをためらうように、霞のごとく消えていった。
「というわけで」と香澄子「家安生のふりをしてペットになってくれれば悪いようにしませんよ。この村の人達も雑には扱わないでしょう」
私は言う「もっとほかにいい方法があると思うんですが。例えば正直に地球から来たって言うとか」
「あっちとこっちを繋ぐ門のことは、一般的には知れ渡ってないので信じてもらえないでしょうね」
「未来の技術があるのに?」
「あれは、あれは都の凄い科学者が作ったことになっています」
「尋問的な儀式をするって言ってましたよね。ならば仮にそれが嘘でも、香澄子さんが『こいつは盗んでいないと照明された』て言ってくれれば疑いは晴れるんじゃないですか」
「そうかもしれませんね。しかし手形のない人の扱いはかなり悪いですよ。ペットの方が何倍もましってぐらいに」
そう言われてもやはりもっといい方法があるように思える。恩のある彼女のことを疑いたくはないが、何か言いくるめられているような……。
しかし軽くこの世界のことを聞いただけで、地球とはかなり常識が違うと言うことは理解できた。
だから明らかに最善には程遠いように見えて、これ以外の選択肢はありえなかったりするのだろうか。
ペットとは言っても悪いようには扱わないと言っているし、ここは彼女に任せたほうがいいのではないのか。
あくまで振りでいいのだろうし。
「まあいいですけど、私は彼らの前ですでに声を出しているんですが」
「いいんですか!」
香澄子がお面を被ったまま顔を近づけてくる。
近くで見ると粗さの目立つお面だった。
「え、ええ。ですがすでに声を……」
「それなら大丈夫ですよ。協力者に頼めばね。いやー悪いですねー。幼馴染をねー。ペットにねー」
そう言いながら彼女は手を叩いた。
何かが暗がりを這う音が聞こえた。
そしてかなり下のほうから声が聞こえる。
「お呼びで?」
低い男性のこえだった。
しかし声はしても姿が見当たらない。
「ええ、実はかくかくしかじかで……」
そう言って香澄子は誰もいない地面に話しかけ始めた。
いや、違う。今何かが動いたような気がした。
丁度よく雲間に隠れた日が顔を出したのか、少し倉庫内が明るくなった。
「それなら任しといてくださいお嬢。つまりあっしがこの坊ちゃんの声を出したことにすればいいんですね」
そこにいたのは黒い蜥蜴だった。
蜥蜴が低い声で話していたのだった。
話す馬や鼠もいるのだし、そりゃあ話す蜥蜴もいるだろう。
話に置いてかれているような気がしたので私は慌てて、言葉を発した。
「すみません、もしかしてこの蜥蜴の人が協力者なのですか?」
「そうですよ」と香澄子「色々お世話になっている人です」
「これはこれは失礼。自己紹介がまだでしたね」
黒い蜥蜴は言葉と共に、体を少し動かし、私の目の前に来た。
私の手の平ほどの大きさの蜥蜴だった。
黒く見えるのはこの暗さだからで、実は緑とか青の類かもしれない。
蜥蜴は雑快付と名乗った。
その後私達は外に出、香澄子は子供たちにこう話した。
野菜泥棒と思われたこの男は家安生であったため、高度な盗みを行うことは不可能だということ。
そして左泥楊が聞いた声は、家安生の持ち主である蜥蜴が発した物だった。蜥蜴は手形を持っていたために、丁重に尋問儀式を行ったが、シロであった。今までずっと黙っていたのは、急にペットを殴られたことに驚いて今出れば自分も殴られるのでは、と思いタイミングを計りかねていた。
「そういえば、小さい動物とかの人なら隙間から入れたんちゃうの?」
そう尋ねたのは、先ほど香澄子につっかかっていた少女だった。殻煮釣というらしい。
彼女の意見は『鼠一匹通れないように密封した倉庫だ』という仲間の主張により却下された。
村を見回してみると、木製の小屋のような家と、トタン板を張り合わせてある家が疎らにあり、所々に柵で囲った畑があった。そのなかで不自然に目立つのが、錆びたコンテナが一個だけあった。あれが大事なものを閉まってある倉庫なのだろう。
巨大ゴミ捨て場が数キロ離れた場所にあるらしくそこから運んできたそうだ。
そのあと雑快付はこの家安生を売って、纏まったお金が欲しい、と言った。
それならと、香澄子が家安生――つまり私を買い取り、ペットとしたのだった。
村の子供たちの反応は様々であった。
そのまま信じて私を家畜として受け入れる者。疑わしそうに目を向ける者。何を考えているのかわからない者。
それでもこうして私はペットとしてこの村に住むこととなった。
◇ ◇ ◇
「今日の獲物はあれにしよう」
そう言って左泥楊は田んぼの中の開拓者を指さした。
それは比較的小さなもので、何か機械から蛸の脚のようなものが生えた農業コンベアーだった。
そこの田んぼはほかのよりかなり大きく、ちょっとした池のようにも見える。
そしてその近くに錆びた船のような鉄があった。
「んじゃ船を田に入れるぞ」
「わかった」
左泥楊は漢弐釣に言った。
二人は言葉の通りに鉄を田に入れようとしたので私は慌てて止めに入る。
「ああ?」左泥様は不機嫌そうに答えた「何で邪魔するんだよ」
「もしかして」と漢弐釣「入ったら鼠に食われる思ってるんちゃうん?」
「ああそうか。でも説明してもわかんのかこいつ?」
「イルカぐらいには頭いいし、ジェスチャーで見せればわかると思うんよ」
「めんどくせえな。えっとな」
左泥楊はこちらに向き直り、身振り手振を交えて説明すし出した。
「田んぼに入れば、サイレンが鳴り、兵隊鼠に食われる。それは周知の事実だ。だがな、それにもいくつか例外がある。それがあれだ」
そう言って彼は開拓者を指さした。
私はその方向に首を向けた。
「あれの内部には許可証代わりの機械が入っている。あれがあると田んぼに侵入しても、サイレンは鳴らねえし、兵隊鼠もこない。何か特殊な電波を出しているみてえだが、詳しいことはおれもわかんねえ。そんでもって、この船は開拓者の一部から作られていて、金属の間に許可証代わりの機械が入ってるんだ。わかるか?」
よくわかったが、念のために知能が低い振りをするために、わかってないような顔を作った。
左泥楊はいらただしげに、そして尚且つ丁寧に、もう一度私に説明をした。思ったよりマメな子のようだ。
「はい、私のご主人」
今度はわかったようなわからないような顔をしながら言った。この返事はオウムが言葉を真似するようなもの、と言う設定だ。
実際の家安生も一単語くらいは話すことができるそうだ。
「よし。じゃあおれと漢弐釣は船で開拓者を責めるから、権兵衛はもし田んぼ外に逃げたら逃がさないようにしてくれ」
「わかった!」
そう言って二人は田んぼの中に船を浮かべようとしたので私は慌てて彼らを止めた。
「今度は何だ!」
「ごめん、今度は僕にもわからん」
左泥楊が暴力に訴えて、私を言うことをきかせようとしたが、漢弐釣があわてて止めに入る。
「ちょっと、豚姫様のペットやで」
「だが、これじゃいつまでたっても狩りが始まらんぞ」
二人がその場で考え込む。
少し申し訳ない気分になったが、やはりここは止めざるをえない。
「もしかして」沈黙を破ったのは漢弐釣だった「他人のもんを勝手に壊したらあかんやろとかそういう……」
「あ~そっちか。ってどんな暮らししてたんだこいつ」
そう言いながら左泥楊はかちらを向いて先ほどのように身振り手振り交え丁寧に説明をし出した。
「開拓者と子の田んぼ『中央』の持ち物だと言われているが、本人たちは否定している。むしろ勝手に誰の物でもない山や野を耕して田んぼにしてしまうこいつらは、侵略者のようなものだとも言った。だから法律上あれを勝手に壊すのは禁止されていないどころか推奨されている。実際にあれに壊された村もあるから、おれらとしても壊した方が身のためなんだ。わかったか?」
「はい、私のご主人」
「本当にわかってんのか?」
「はい、私のご主人」
壊れたラジオのように言葉を繰り返す私に、彼は諦めたのか「まあいい」と言いながら二人で船を田んぼに入れ始める。
今度は止めに入らないかと、チラチラとこちらを見ていた。
徳川綱吉の時代のお犬様というのはこんな気分なのかな、とふと思った。違うな。
二人の狩りの手並みは鮮やかだった。
何度も同じことをしてきたことが伺えるように、無駄なく開拓者を追い詰めていく。
船は槍のようなものをオール代わりにして進み、稲穂を押し倒していった。どうやら開拓者事態に『目』はついていないのか、船にはまったく反応しなかった。後で聞いた話だが、やはり未来の技術を無理やり使っている状態なので、どこがどうなって動いているかわかっていない所も多く、技術にむらができているそうだ。
開拓者に近づくと、二人はまず横からひと突き、機械の隙間に槍を入れた。
そこで初めて、開拓者は農作業を止め、二人に向き直ろうとする。一回の突きでかなりのダメージを受けているのが分かるほど、ちぐはぐな動きをした。
『のうさぎょうモートヲ中止。自己防衛モードにキリカエマス』
ノイズ交じりの合成音声が開拓者より発せられた。
それでも二人は気にせず確実に、機械の隙間も縫って突いていく。触手のような物が二人漢弐釣に巻き付いたが、とても弱弱しかった。彼らに感情の変化はなく、淡々と仕事をこなしていた。
開拓者は五回ほど槍に突かれると、煙や火花を散らし、動きを止めた。
今気が付いたが、彼らは畦道に近くにた。おそらく引き上げやすいように誘導もしていたのだろう。
「よし、権兵衛。引き上げるのを手伝ってくれ」
「はい、私のご主人」
二人は船から、岸に降り、そして私を加え三人で、開拓者を引きずり上げた。
やはり二人の腕力は地球の子供たちに比べ、かなり高いようだ。おそらく、赤人特有のものだろう。
超能力は気づかれない程度に使っていいと香澄子に言われていたので、持ち上げる時に腕力の補助程度に使った。
畦道に上がった開拓者を二人は懐から出した、工具で、解体していく。
「この蛸の足みたいな部分は食べれるかな?」
「まあ大丈夫だろ」
「せやけど、燃料と交じってるっぽいで?」
「水に漬けといたらなんとかなるって。この部品は砦のおっちゃん達に持って行ったら何かと交換してもらえるかもな」
「このあたりは加工すれば盾になるかな?」
様々なことを言いながら二人はリアカーに解体したものを積んでゆく。
どうやら動物っぽい部分は食用にし、機械っぽい部分は再利用するようだ。
これが彼らのいう『狩り』か。想像していたのとかなり違う。地球での生活とに違いに驚くが、それを表情に出さないように努力をした。
部品はよくわからない物も多かったが、少し見覚えのある物も見受けられた。
あれは、人工筋肉のようなものだろうかとか。あれはモーターだろうかだとか。
色々なことが頭の中を巡る。
石油燃料で動いているのか、黒い液体が漏れ出ていた。触手のような部分からは赤い血が出ており、燃料の色と混ざっていた。
すべて解体し、リアカーに乗せるには半時間ほどかかったが、その時には二人は真っ黒だった。気温はあまり高くないとはいえ、汗と汚れが交じり煩わしそうだった。
荒れた泥色の田んぼに、畦道から流れ込んだ赤黒い開拓者の体液が広がっていっていた。
村のある山に帰る途中、左泥楊と漢弐釣話をしているのを、私は後ろでリアカーを引きながら、聞き耳を立てていた。
「今日はなかなか良い収穫だったんじゃないのか?」
「せやね。いつもあんな小型の開拓者がおればええんやけど」
「大型だと、さらに人数がいるからな」
「そう言えばおとん返ってくるの今度は何時ぐらいやったっけ?」
「一週間後ぐらいじゃないのか?」
おとん。
父親がいたのか。
香澄子からこの村や世界のことはかなり聞いた。それでも私自身が体力を消耗してたり、怪我の治りを待ったりしていたので、限られたことしか聞いていなかった。それに彼女は何かこの村の子達の傷を予言し、それを一人一人に言ったり、サークル仲間の情報を集め、書類と睨みあったりしていたので、忙しそうだったのもある。
そのせいで、何故この村には子供がほとんどなのか詳しく聞いてなかった。
『父親は出稼ぎに行ってるんです』
と彼女が言っていたが、父親が働いているのなら母親は何をしてるんだ。
最初は、外見が子供のようだが、実は年齢は大人だった、という仮説を立てたがどうもそうではないらしい。
「ん?」
不意に二人が足を止める。
どうしたのかと、前を見ると道の真ん中に人が立っていた。
人間の体に黒いスーツを着ており、長い足をしていた。痩せたスラリとした体躯で、針金を思わせるほど細かった。
そして特筆すべきは頭だろう。
蝙蝠のような頭をしていた。
上を向いた尖った耳。豚のような鼻。牙を携えた大きな口。
男はその大きな口を開けて、言葉を発した。
「門がこの辺りに開いたと聞いたが、どうやら当たりらしい」
甲高い声だ。それこそ蝙蝠の鳴き声のような。
子供たち二人は警戒してか声を発しない。
男は続ける。
嘲笑うように。挑むように。
「初めまして『呪い付』。あまり美味そうではないな」