ひたすらに広がるは田園(うた)
ドス黒い流れを感じる。
鈍く、重く、粘着質で、臭くて、そして黒い流れだ。
私の意識は痛みにより一旦覚醒に近づいた、と思ったら、再度潜り、暗い水の流れに流れるように揺蕩う。それが夢の中を泳いでいるのか、実際の水の中を泳いでいるのかはわからない。
ヘドロのように重く、生活下水や工業排水が溶けたような流れは、私の体と精神を蝕むように弄んだ。肺に汚れた泥が入りこむ。固い物が私の体の表面を通り過ぎ、傷をつけてゆく。
どこか遠くで少女が泣いている声がする。聞き覚えのある声だ。
次第にそれは大きくなり、そしてそれが過去からする声であることがわかった。
泣いている少女の前で少年が戸惑うように立っていた。
少年にとって少女は姉のような存在だった。少年はいつも少女に助けられていた。
そんな少女が今は泣いている。
少年の戸惑の感情はやがて怒りに変わった。拳を振り上げ、少女を傷つけた者達へ振り下ろした。反撃にあい傷つき、手の骨が折れても、それでもこうすることで少女が笑顔になってくれると信じて。
しかし彼女が見せた表情は笑顔ではなかった。泣き顔でも、恐れ顔でも、ましては怒り顔でもなかった。
少女は少年に憐れみの顔を見せたのだった。
少年は問う「どうしてそんな顔をするの?」
少女は答えなかった。
しかし少年はその答えに悩み、拳を他人に振り下ろすことが多くなった。
少女の顔の意味を知るその時まで。
始めは私の過去の夢かと思った。だが違う。
これは誰の過去だ?この過去は誰の物だ?
■ ■ ■
「がはっ」
胃の中の水分を吐きだした。血の赤い色と、泥の黒い色が交じっていた。体の全身を痛みに軋ませながら上半身を起こそうとする。しかし左腕が脱臼していることに気が付く。仕方なく、右腕だけで上体を起こす。
首を動かし、周りを見るとそこは川岸であった。下半身は川の水に浸かっていた。
今気が付いたとでもいうように、寒さにより体が震えた。
砂利を手で払いつつ、立ち上がり、重い足取りで一歩ずつ進む。後ろを見ると、川の大きさからして中流のようで、大き目の岩も多い。ヘドロのような水だったのは夢の中だけだったようで、透き通った流れだった。
周りは山々や木が多いが、一部開けた場所があった。しかし段差になっており、ここからはどうなっているのかよく見えない。彼方よりうっすらと大きな煙突のようなものが見えた。
空を見上げると、暗雲が立ち込めていたが、明るさからして、日は昇っているようだ。
井戸に落ちたのは夕暮れ時だったので、一晩も水中で気絶していたのだろうか。
それは、今の体力お衰弱具合を考えると矛盾はなかった。しかし今生きているのが不思議だった。
左腕を見ると、パンパンに腫れていたが、寒さにより感覚がほとんどなくなり、痛みは感じなかったので、念動力により間接をはめ込んだ。
少しずつ足を引きずって動かし、前に進んでゆく。
この季節にしては風が肌寒いように感じた。
段の上に登るとどこまでも続く一面の田園であった。
青田の絨毯は緩やかにうねり、幾重にも重なりながら地平線に消えていっていた。
見渡す限りの田、田、田、田。
それは田という概念が飽和しそうなほど、人工的に並べられたものだった。それでいてそれぞれの大きさは疎らであり、パズルじみて見える。
埃っぽい風により、稲穂が揺らいでいた。
その田園大きさを大海原と比喩するのなら、偶に見える小山が島のようにも見えた。
またその田と田の間の畦道は真っ直ぐに繋がっているというわけではなく、迷路めいて入り組んでいた。
先ほど見えた、靄に隠れた煙突のようなものの影は、それと呼ぶには大きすぎて、塔といったほうがふさわしかった。
少し光景に唖然としたが、田というものは人工的に作られるものだ。
つまり進んでいけばいつかは人に会えるということだ。アメリカやオーストラリアの巨大農園なみに大きくなければだが。
私は畦道を歩き始めた。
正直言って体力は限界寸前なのだが、生き残りたい一身で足を前に進めた。
歩いていく内に様々なことが頭の中を巡る。
何故井戸に落ちたのに、このような田舎の川の中流に流れ着いたのだ。
あの井戸が地下水脈とつながっていて、この場所へ流れついたのか?ありえそうだが、どうもしっくりこない。この景色はどう見ても京都市内より標高の高い場所のように思える。
ならばここは何処だというのだ。
一晩ほど意識が飛んでいたとはいえ、あまり遠くへは来ていないはずだ。
ふと私の頭に亀岡という言葉が頭に浮かんだ。
いやそんなはずはない。先ほど先ほど京都市内より標高が高い場所には行きようがないと結論付けたばかりではないのか。そもそも亀岡市とて、田畑は多いもののここまでではない。体育大会の開会式に一度いっただけだが。
しかしどこかこの光景に既視感を感じていた。
昔の記憶が思い起こされる。
『え~。お前長岡京出身なの~。じゃあ京都生まれじゃないな!』
『おい!やめろよ!ウチの爺さんの実家馬鹿にすんな!長岡京も宇治も京都だよ!まあ亀岡は京都じゃないけど!』
ちなみにどちらが私というわけでもなく、ただの男子生徒三人の会話が聞こえただけであった。
その後『勘違いしないでほしい。これは京都市民の性格が悪いということではない、俺の性格が悪いんだ!』という謎のフォローをしていたが。
一応言っておくが亀岡も京都府である。
何故こんなどうでもいいことを思い出したんだろう。本当にどうでもいい。思考力が弱っているのがわかる。
ただひたすら同じような風景を前に進んだり、曲がったりを繰り返していると、精神が腐っていきそうだ。
どれくらいの時間歩いただろうか。日は昇っておらず、携帯電話も水に濡れて使えないので、時間の感覚が上手くつかめなかった。空腹のはずだが、感覚が麻痺してしまってそれすらわからない。
もういっそ田んぼに侵入して真っ直ぐ進もうかという考えが浮かんできた。非常時なのだし、農家の方も許してくれるだろう。
と、そんなことを悩んでいるうちに、どこからともなく生き物の鳴き声が聞こえたような気がした。
鼠のような、羊のような、蛇を飲み込んだ蛙のような鳴き声であった。
逆ではない。
目をあげてみると、そこで初めて薄く霧がかかっているのに気が付いた。先ほどまで見えていた、小山の姿が隠れて見当たらなかった。
「+++++++」
声はするものの、姿はまだ見当たらない。しかし確実にその声は近づいてきていた。
嫌な予感はしたが、昨日に会った人外のような者のことがあったので、もう今更めったなことでは驚かないだろう。昨日会った影の化け物と声質も似ていた。
だからこそ、今まで目をそらしていたここが『異なる世界』であるということを認識せざるをえなかった。小人は『蛾坩堝界』と言っていたが。
霧の中から現れたのは山羊のような生き物だった。
私の知っている山羊と大きく違う所は、足が六本あること、そして表面に毛が生えておらず、魚類のように滑りをを含んでいる所だろうか。眼球が飛び出そうなほど、目を見開いていて、視線もどこか虚ろであった。
風が吹けば倒れてしまいそうなほど細く、足取りはおぼつかない。その姿に、私は今の自分を重ねた。
(食えるだろうか)
という考えが一瞬浮かんだが、あれを解体する体力もないし、あんな得体の知れないものを食べたら、何が起こるかわかったものではない。なので、無視をすることに決めた。幸いあちらがわも私に敵意はないらしく、畦道をすれ違う形となった。
ふと、ある考えが浮かび振り返る。
「すみません。もしや貴方言葉が分かるんじゃないですか?」
あの山羊のようなものは昨日の小人の肌の質感が似ていた。ここが異なる世界だとしたら、話すことができる山羊がいてもおかしくないのではないか?そう考え、話しかけたのだった。
しかし山羊のようなものは私の言葉にはまたく反応せず、そのまま歩いている。
そして力つきたのか、山羊のようなものは、倒れ、畦道から外れ、田んぼに落ちてしまった。
次の瞬間耳を劈く警報音が田園中に響き渡った。
◇ ◇ ◇
サイレンが鳴っている。
あまりの音の大きさに私は耳を塞いだ。音は先ほど見た塔のようなものの方向から聞こえる。
続けて地響きが遠く地下から鳴り響く。
これは足音だ。それもかなりの数の。統制と取れたその音は、軍隊の行進にも似ていた。
それは確実に、この地点、いや、倒れた山羊の方向に向かっていた。
どこからか声がする。
「殺せ」「侵入者だ」「貪り食え」「骨さえ残すな」「肉だ」「エサだ」「仕事だ」「しゃぶりつくせ」「肉」「肉」「晒せ」「転がせ」「屠れ」「解体せ」「吊るせ」「違う」「何も考えるな」「ただひたすらに喰らいつくせ」「了解」「了解」「天才」「了解」
獰猛さに、下品さを加えたような声だ。声は地響きとともに大きくなってゆく。
そして丁度私の足元に到達した次の瞬間、何か小さい泥色の生物の群れが、田の端からあふれ出てきた。群れはその区画の水田を一色に塗りつぶした。とはいっても似たような色だったが。
「何日ぶりだ?」「一か月!」「半年」「十年!」「嘘つけ」「十日」「おれ目玉から食う」「おれは口入っての中から」「内臓が美味い」「メスは子宮が美味い」「おれはケツの穴から」「嘘つけ不味いよ」
よく見ると、群れの正体は鼠だった。声の主も鼠たちだ。
大きさは溝鼠と同じくらいだろうか。
鼠たちは先ほどの山羊のようなものに群がり、山を作った。獰猛なピラニアを思わせる勢いで、山羊のようなものを音をたてて、貪り食っていく。あまりの激しさから、肉や泥が跳ねる。臭いからして、糞尿を垂らしながら食っている奴もいた。
跳ねた血や泥が私にかかった。
彼らの食事はあっという間だった。
数分もしないうちに鼠たちは潮のように帰っていった。
後に残ったのは数匹の鼠の死体だけだった。どうやらあの状況でも共食いはしなかったようだ。稲には傷一つなかった。
水田の中に入らなくてよかった、と安心しながら私はまた、道の先へと足を進めた。
◇ ◇ ◇
遠くから小山と思っていたものは、近くにくると思ったより大きく見えた。とはいっても一時間ほどあれば、頂上につけるだろう。
このまま田園を歩き続けるか、山に登るか迷ったが、ずっと変わらない景色に嫌気がさしたので、変化を求めて、山に登ることにした。
実を言うと、畦道を歩いている途中コンバインのようなものを見かけた。ようやく人に会えると、喜びながら大声で話しかけながら近づいたのだが、どうも反応がない。訝し気に近づいていくと、それは私のしっているコンバインとはかなり形が違っていた。
タイヤのあるべき部分には多くの脚がついていた。人間の脚やゴリラの脚に似ていて、一つ一つが違う動物のもののようだ。全体で見ると芋虫のようにも見える。上体部分はいかにもな芝刈り機だが、あちらこちらによくわからない太い管のようなものが這っていた。それは金属的なものから、肉のような有機的な管まであった。表面に血管のようなものが這っており、動くごとに脈打っていた。
もう一度話しかけてみたが、またも反応はなかった。
仮にあの機械が全自動の無人機であれば、この田園は私の思っている以上に広いということになる。
仮にあの機械が有人機で、中の人が他人と話すことを禁止されているとすれば、以後私が人間と合っても、話を聞いてもらえるかは怪しいところがあった。
だがら私は山に登ることにしたのだ。明らかに、人の通っるように整備された道もあった。これは登るほかあるまい。植生は広葉樹が多かった。
と、数歩脚を踏み入れると、足に何かが引っかかったような違和感を感じた。見ると足元に細い糸が引かかっていた。光の加減次第では全くと言っていいほど見えない糸だった。
それに続くように、竹を打つのに似た音が山に鳴り響いた。
おそらく侵入者用の鳴子の罠であろう。
先ほどの警報音に比べたら、優しい音だった。一瞬人に会えるのなら、見つかった方がいいのではと思ったが、先ほどのことを考えるとそうはいかないかもしれない。ちゃんと意思疎通が図れる生物に会って、助けてもらえたらいいのだが。
そんなことを考えていると、突如、半液体状のものが頭にぶつかった。少し口の中に入ったので、急いで、吐きだした。
それは糞便のような茶色で、糞便のような異臭がしていて、糞便のような触りごこちで、おそらく糞便のようなものであろう味がした。と言うか糞便そのものだった。
それに気が付いて、私は胃の中のものをすべて吐きだした。
「やい!この野菜泥棒!」
頭上から声がかかった。
見ると、怪し気な仮面をかぶった、子供が岩の上に立っていた。
おそらく一枚の布からできてるであろう、和服のようなボロ着を着ていた。
「お前!今日という今日は許さねえ!いつも、いつもどっさりと盗みやがって!」
どうやら泥棒と勘違いされているようだ。
誤解だ。といおうと思ったが、吐いたばかりの胃液が喉に詰まって上手く話せない。
子供は木の棍棒を構え、こちらに向かってきた。
体力的にこのまま相手をいなすのは困難であった。
私は子供とは反対側の方向で走り出した。
「誤解だ!私は今日初めて迷い込んだだけだ!かってに侵入したことは謝罪する!」
「泥棒はみんなそう言うんだ!」
「泥棒じゃないやつもみんなそういう!」
「じゃあ手形版を見せてみろ!」
それに答える暇もなく、すぐに追いつかれ、頭を強打された。
意識が飛びそうだ。
しかし、ここは堪え、そしてさらに気絶した振りをすることにした。
「なんでえ、あっけない」
子供は私の前に立ち、頭に足を乗せた。草鞋を履いているようだ。
そして、私の懐を探り始め「なんだこれ?」といいながら壊れた携帯電話や、財布を眺めた。
「やっぱり手形がねえんじゃねえか。なら決定だな」
そして、笛の音が響いた。おそらく少年が吹いたもので、仲間を呼んだのだろう。
しばらくすると、人の気配が二人ほど増えた。仰向けに倒れ、目を瞑っているので、様子がよくわからない。
「わあ!左泥陽、やっと野菜泥棒を捕まえたんやね!」
「ああ、やっとだやっと。これで上手くいけば来年までは飢えずにすむ」
「で、どないするんよ。やっぱりここで叩き起こしてて尋問なりはじめるん?」
「いや、一旦村に帰って豚姫様の指示を仰ごう」
「しっかし、あない昨日今日現れたもん信用してええんかいな」
「豚姫様はええ人やと思うよ!なんたって食べ物分けて貰えたからね!」
「せやけど、なあ。まあええわ。担架持ってきたさかい、縛って運ぼか。左泥陽は足側持って。私は肩側を持つさかい。漢弐釣は邪魔な木の枝どかして」
「わかった」
「ええよ!」
増えた二人は、少年のような声と、少女のような声のする者だった。私を殴り倒した者は左泥用と呼ばれているらしかった。変な名前だが暗号名のようなものだろうか。
気絶した振りというのは本来何の訓練もしていない、大学生がするのには、かなり困難なことだ。他人に触れられて、運ばれるという、状況では尚更だ。
ではどうしたか。簡単なことだ。
眠ったのだ。
しつこいようだが、今私の体力は限界寸前なのである。だから横になれば何時でも眠ることの可能な状態だった。
無論、寝ている間に危害が加えられるという危険が付きまとった。だから、私は出来るだけ寝たり起きたりを繰り返すと言う方法を考えたのだが、この場合は、起きる時に彼らに気づかれる可能性が高なる。
ではどうしたのだというと、諦めて、ずっと寝ていたのであった。
◇ ◇ ◇
余程疲労が溜まっていたからか、私は運ばれていた途中は全くと言っていいほど目を覚まさなかったようだ。
村とやらについたと同じ時期、私は目を覚ました。といっても目を閉じたままで、脱力して気絶した振りを続行したわけだが。
「大丈夫?」
枝をかき分ける係りの少年の声だ。
私を運んでいる二人は息をきらしていて、返事もできないようだ。ただ、私はあまり体重の重いほうではないが、それでも大学生を二人だけでここまで運べるというのは並外れた体力だ。
彼らの仲間と思われる人々が私を運んできた者達に声をかけるのがわかった。しかし、聞こえてくるのは子供のような声ばかり。大人はいないのだろうか?
「豚姫様。言われた通り連れてきましたよ」
瞼の裏に感じる太陽の光が消えた。どうやら室内に入ったらしい。
埃っぽい臭いと、何かの発酵した匂いが交わり、何とも言えない気分になった。
「おお。捕まえたか。よお運んできた。さっそくやけど、起こしてやってくれ」
若い女の声がした。くぐもっていて、どこかで聞いたことのある声だった。
というか子の声は……
少年が女に「はい」と返事をし、外に向かう足音がした。
しばらくすると同じような足元が戻ってきて私の横にに止まる。
次の瞬間、顔に水が降ってきた。
私は慌てて目を開け、せき込む。
「どうや?担架の寝心地はよかったか?」
縛られたままでむりやり暴れようとしたが、どうもうまくいかない。
首を動かし、あたりを見回すと、壺や樽などが置いてあった。木造の建物で、狭い窓から光が入りこんでいた。地面は土で湿っている。
どうやらここは倉庫のようだ。
子供たちが、鬼のお面のようなものを被り、黙って私の方を見ていた。
私に声をかけた女の方向を見たら、そいつは、積み上げられた木箱の上足を組んで座っていた。
小学生が図画工作の授業で紙粘土で作ったようなお面を被っており、着ているものは和服……だと思うが、ベルトがついていたり、裾が短かったりして少し変な服だった。
豚姫様とか呼ばれていたもで、てっきり太った人を想像していたが、子供たちよりは身長が高いが、小柄ぎみで、耳が尖っているのが特徴的だった。
……これは
私は何か言おうとした。
しかし、女がさり気なく、口をチャックする仕草をした。
女は子供たちの方向を向いて、言う。
「お前達、ご苦労さん。あとは私が、ある特殊な方法を使って尋問するさかい、畑仕事に戻ってええよ」
しかし、子供たちは黙っている。顔は見えなくても不満だ、という雰囲気が漂ってきた。
「野菜泥棒は、数年前から悩まされてきました。そのせいで飢え死んだ仲間もいます。食事を分けて貰ったり、今日あの場所に来ると予言してくれたことは感謝してますが、ここは俺たちに任せて貰えないでしょうか」
意見を発したのは私を殴った少年だった。赤色のお面をしている。
「そうしたいんは山々なんやが、実行犯は一人やないんやろ?せやから確実に吐いて貰わんとあかんから、私がやったほうがええ、というこっちゃ」
「左泥陽、遠回しにまどろっこしいこと言ってないで、こう言えばええやろ。あんたは信用できひんさかい、わたしらがこいつを痛めつけて吐かす、ってな」
豚姫様とやらに立てついたのは、黄色いお面をした少女の声だった。
「山沙弁……昨日助けてやった恩もう忘れた言うんか」
豚姫は頭を抱えていった。
「助けてもらった言うたかて」と少女はいう「たかだか擦り傷負うことを回避したぐらいで、恩着せがましいこと言われてもこまりますわ」
「ちょっと二人とも!ここは豚姫様の言う通りにすべきやと思う」
枝をかき分ける係りをしていた少年の声が叫ぶ。水色のお面をしていた。
「確かに豚姫様は昨日来たばかりで、信用するのは難しいかもしれん。せやけど貰った恩は恩やし、返すべきや思う」
「おお、よううゆうた漢弐釣」と女「まあ二人の意見もようわかる。せやからここは多数決で決めようやないか」
「多数決ゆうたかて」と黄色いお面の少女は言う「ここには四人しかおらへんさかい、数が分かれんで。外に一人呼びに行ってもかまへんのやけど」
「ちゃうちゃう、五人おるやんか」
と、女は私の方を指さした。
「はあ?どういうこっちゃ?」
「つまりこの野菜泥棒にも、意見を乞うんや。どっちに拷問して欲しいかってな」
「そない泥棒の意見なんて聞いてどないすんの。まだ村の仲間集めて多数決とるほうが建設的やわ」
「ということは、多数決には賛成なんやな」
「まあそりゃ」
「よし決定やな。漢弐釣外のみんなを集めといで!」
女の手を叩く音が倉庫内に響いた。
◇ ◇ ◇
結果からいうと、私は豚姫様とやらに尋問を受けることになった。
村には様々な歳の子供が二十人ほどいた。赤ん坊を抱いている子もいる。
そして大人である人間は、私と豚姫を除くと、一人しかいなかった。そいつは太っていて、がたいがよい男で、子供たちの後ろでじっと立っていた。
どうやら少女が思っているよりずっと豚姫は信用されているようだった。それに気づいてなかった少女の裏をかくために、わざと変な提案をし、多数決に持っていった、といった所か。
文字通りの子供だましだが。
一応約束は守るようで、少女は悔しそうに倉庫から去っていった。
「さて」
と、女は溜息をつきながら
「これでやっと話が出来ますね」
聞きなれた声で言った。
縛られたまま言う。
「説明してくれますね」
「ええ、もちろん」
彼女はお面を外す。
そこには昨日泣き顔に染まっていた顔があった。そして、子供のころから見慣れた顔だった。
豚姫様と呼ばれていたのは、余部香澄子だった。