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始まりの謡(うた)

 

挿絵(By みてみん)

 

 京阪祇園四条駅の地下から出ると、湿度を持った熱気に出迎えられた。

 連日の日照りではあるが、盆地故の土地柄か蒸し暑い。私は今重い荷物を持ってるため、その暑さがいっそう煩わしく感じた。それは両手で持ち、胸が隠れるほどの大きさの、正方形のダンボールに入った荷物だった。このあたりでは少し大きなものを持っていると目立つかもしれないが、気にしてもしかたがあるまい。そもそも誰も私のことなど気にしてはいまいだろう。

 東華菜館に見下ろされた四条大橋は、観光シーズンほどではないが、それなりに人でごった返していた。橋の下で鴨川と平行して河川敷を挟み、みそぎ川が流れて居ており、その上に川床をしいている料理店が並んでいた。それを背にアベックが等間隔に座っているが、かつてこの場所が処刑所だったことを考えるとその風景は奇妙に見えなくもない。

 昔『京都に観友人光に着たが、駅を出たらでかでかとしたヨ○バシカメラに迎えられテンション下がった 』という話を友人から聞いた。

 大抵の県ではその県の名を冠した駅の周りというのは一番栄える事が多い。だが京都はそうではないので、駅の周りの地方都市のような趣がよく目につくという。ではどこが京都で一番栄えているのかというと、このあたりの、四条川端通りから烏丸通りのあたりであろう。だから人が多いのだ。とはいっても景観などの理由で高い建物が建てられないので外見上にさしたる差ないのだが、観光客がイメージする『京都らしい風景』、すなわち古びた街並みというのはこのあたりのほうが京都駅周辺よりは多いだろう。

 四条通を進み、高瀬川に合わせて右に曲がると飲食店の並ぶ通りに出る。主に飲み屋が多く、さらにそこから裏路地に入ると、風俗店が並んでいるのが見受けられるが、私はそのまま川に沿って歩く。ここの所雨が降っていないので高瀬川はすっかり干上がっていた。


 しばらく歩くと目的地が見えた。川の向こう側に様々な店が並ぶ中、薄汚れたビルが建っていた。私は橋を渡り、そのビルの中に入り、階段を上った。二階にはこの無骨なコンクリートのビルには不釣り合いな、木製の引き戸があった。その扉の面の壁だけ色が違って、まるでビルの中に一軒家の店をそのまま持って来たようだった。隣の看板には喫茶緒庵おあんと書かれている。

 引き戸を開けようとすると少し、軋む音がした。この店はできて数年なので、この軋む音は人工的に作ったこだわりらしい。こだわる部分が少しずれているとは思ったことはあったものの、頭の上がらない先輩の店なので、あまり強く言えないのだった。

 室内に入ると冷房により、汗が引いていくのがわかった。店の中は和風な雰囲気で統一されており、黒い木のカウンター席と畳の座敷席に分かれている。

 

「いらっしゃませ、ってあなたでしたか」


 カウンターの向こうから声がかかる。

 声はすれど、姿は見えず、ではなく食器や花瓶の陰に隠れて女性店長兼オーナー————余部香澄子あまるべかすみこが見えなかっただけだった。

 

「お久しぶりです。ちょっと置きますよ」

 

 そういいながら私は荷物をできるだけ邪魔にならないような隅に置き、カウンターに腰かける。


「最近店に来ないので、てっきり何かあったのかと、大学辞めたとか」

「縁起でもないこといわないでください」


 私は顔をしかめながら香澄子を見た。少し眠そうな顔をしているが、それはいつものことだ。軽くウェーブのかかった薄い茶色の毛の両端を三つ編みでくくっていた。身長はあまり高くないが、私も人のことをいえるような背丈ではない。白いワイシャツの上から黒に近い茶色のエプロンをつけていた。日本人にしては尖ったような高い耳をしている。

 周りを見たが今の客は私一人のようだ。


「ところで」と私は言った「待ち合わせてたのですが梅ケ谷うめがたには来てなかったですか?」

「来ていないですね。今日は見逃すほど混んでいたわけでもないですし」


 そう自虐めいていう彼女は口を歪ませた。どうやら笑ったらしい。

 私はとりあえずコーヒーとベーグルサンドを頼むと、彼女は鼻歌交じりに料理を開始した。私は特にやることもないので、とりあえず篠林にメールを入れて、店を見回す。

 ビルの一室そのものを改造したもので、内装もしっかりしており、とても20歳そこそこの人間が用意できるような店ではない。それでいて繁盛している様子もない。

 以前私は香澄子に実家が金持ちなのか、と聞いたが、笑ってはぐらかされただけだった。

 彼女は私とは幼馴染なのだが、実を言うと彼女の正確な年齢を知らない。子供のころは一緒に遊んでくれるお姉さんといった感じで、少しだけ年上なのだろう程度に思っていた。しかしながらこんな場所に店を構えたりしたので、私の思っているより年上なのではないだろうか、という考えが、沸々と湧き上がるこの頃であった。ただ見た目だけなら私より年下にも見える。見ようによっては中学生にも。

 一時期あまり会わない時期があったが、その時と何か関係しているのだろうか。昔から彼女は自分のことを話したがらない人物だった。

 

 彼女は厨房に入り、しまらくすると注文した品をもって出てき、私の目の前に置いた。

 こげ茶色のべーグルにトマトのレタスとチーズと卵サラダが挟んである。コーヒーの香りはあまり良くはない。泥のようなコーヒーとはこういうのを言うんだろうか。


 私はコーヒーを啜った。「いつもどおり、缶コーヒーを入れ替えて煮たただけの味ですね」

「それが?」

「いえ、何も」


 メニューにもそう書いてあるし、値段も二十円ほど上乗せしてあるだけなので、特に文句はない。褒められたことではないかもしれないが。


「それはそうと」


 彼女は私の荷物を見て言った。


「なんですそれ?」

「炊飯器ですよ」

「炊飯器?なんでまた?」

「両親に誕生日に買ってもらったんですよ。ちょっと今の大学入った時はごたごたしてまして,

入学祝い買ってやれなかったって。何が欲しいって電話で聞かれたんですが、ちょうど炊飯器が壊れていたので。まさかこんな高そうなのを買ってもらえるとは思いませんでしたよ。そんで、最近学生寮に引っ越しまして。ですが手違いでこの炊飯器だけ元の住所に届いたみたいでしたので、ついでに持って来たんです」

「御幾らくらいなんです?」

「十万くらいですね」

「十万!」


 彼女は手を挙げて、大げさに驚いた。

 私はベーグルサンドを頬張った。パン事態から香ばしさとは別の良い匂いが漂う。ベーグルを湯がく段階で工夫がしてあると以前聞いたことがある。

 このコーヒーと食事の質の差は何なのだろう、というのが以前からの疑問であった。

 彼女は腕を組んで、話を続ける。


「それで今日は嬉しそうだったんですね」

「嬉しそう?よく『お前表情の変化乏しいな』って言われますけど」

「同じ無表情でも感情の違いはわかりますよ。長い付き合いですからね」

「……」

「あ、今『幼馴染気取りでうぜえなこいつ』思ってるでしょう」

「思ってませんよ……。明るく被害妄想しないでください……」

 

 本当に思っていない。幼馴染気取りってなんだろう。

 彼女がくすくすと笑ったことから冗談のようだった。


「ただ、そうですね」私はカップを揺らし、コーヒーの波を眺めた「嬉しいのは嬉しいんです。ただ」

「ただ?」

「実をいうと炊飯器が欲しいと言ったのは両親にあまり頼りたくなかったからなんです」

「ふむふむ」

「いえ、こういうと両親のためみたいですけど、結局は自分のためなんです。こうよくしてもらっては就職する時に失望されるのが怖くて。大学の学費も出して貰ってる身で今更って感じもしますが、いまだに何になりたいか決まってなくて」

「ありきたりでつまらない悩みですね~」


 私は目を瞑り、コーヒーを喉に流し込んだ。


「あ」と彼女「今舌打ちをこらえつつ『相談なんてするんじゃなかった』って思いましたね?」

「その通りですよ」

「テーブルに唾を吐きつつコーヒーをわたしにかけるのを堪えましたね?」

「その通りですよ」

「怖!『コーヒーをかける』の部分は冗談やったのに!」

「私も一部冗談です」


 私はできるだけ微笑み顔になるように言った。笑うのは苦手なら下手な冗談を言わなければいいのにと、私は少し自己嫌悪する。


 そんな私のそぶりを気にもせず「ふーん」と彼女は顎に手をあてて思案した。どこまでが冗談かは聞いてこないらしい「本当にやりたいことはないんですか。今所属しているサークルに関係してる仕事をするとか。えっと、なんでしたっけ」

「今入ってるサークルといえば」と私は言う「オカルトサークルのことですか?」

「そうそれ」


 正確な名前は『第一ミステリー倶楽部』だ。

 何が第一なのかというと、私の通う大学には二つのミステリー倶楽部という名のサークルがある。

『第一ミステリー倶楽部』はUFOやUMA、超能力や陰謀論などの超常現象について語ったり活動したりするサークル。

『第二ミステリー倶楽部』は推理小説のことについて語ったり、書いたりするサークルだ。

 なんでもはじめはオカルトについてのミステリー倶楽部しかなかったのだが、推理小説のサークルを作ろうという話になった時、両者が良く分からない意地を張りあったのことだ。

 オカルトサークル側の意見としては、こちらがすでに名乗っているのだからそちらが別の名を名乗るべきだ。今更変えられない。また『オカルト倶楽部』や『超常現象倶楽部』では胡散臭さが増してしまうというもの。

 推理小説サークルの意見としては、ミステリー小説の定義は広い。冒険小説やハードボイルド、探偵小説、SFミステリーなど。このサークルは推理小説という枠組みにとらわれず、様々なミステリー小説について活動していくことを目的としているからミステリーサークルという名前でないと駄目だというもの。

 そういうわけで紆余曲折あって今の形に落ち着いたのであった。

 ちなみに私は両方のサークルを掛け持ちをしている。ただ今現在第二ミステリー倶楽部は人数が少なく、活動も少々おごそかになっているのである。


 私は言う。「オカルト関係の雑誌というと。怪しい雑誌の記者とかですかね」

「怪しいて。いや、怪しいですけど」

「マスメディア関係は今ちょっと景気が悪いって聞きますが」

「そうなんですか?」

「いえ、詳しくは殆ど知りませんが。ただそれを調べようと思うほど興味がわかないというか、オカルトが好きなのは趣味でなので、それを仕事にすることは思い浮かびませんね」

「本当にオカルト好きなの?」

「程々にはですね」

「ほどほどかー」

「ほどほどですね」


香澄子は会話に困ったのか、テーブルに肘を付いて外を見る。

 私は既にベーグルサンドを食べ終り、コーヒーも飲み終わったのだが、やはり特に用事もないのに相談してもらっている途中で店を出るのは感じが悪いかなあ、と少し迷っていた。昼であれコーヒーを飲み過ぎると、夜に眠れなくなる体質なので、無料でもないコーヒーのおかわりはあまりしたくない。


「実をいうとやりたい仕事がないわけでもないんですよ」


 私は沈黙に耐え兼ね言葉を切り出した。

 彼女はこちらを見て「ほう」と洩らした。


 私は本音を話すということが嫌いだ。

 苦手なのではない、嫌いなのだ。憎しみさえ覚える。反吐が出る。吐き気が押さえらえない。

 人は誰しも心に壁のようなものを持っている。それは厚いようで、ひどく薄く脆い。例えるなら服のような。

 いくら厚着をしても、社会と言う名の刃物により簡単に破かれる。

 それを自ら脱ぎ捨て、本音で話すという奴は露出狂(フッシャー被虐性欲者マゾヒストかつ自殺志願者スーサイドワナビーだ。

 しかし社会で生きていくということは、それは絶対に必要なことだ。

 このことから言えることは、人間とは変態と嘘つきで構成されているということだ。

 嗚呼!本音で話すという概念を釣り師上げろ!油を加え、火にくべろ!自らの拒否感を牙とし、狩りつくすのだ!


「大丈夫ですか。汗がすごいですよ」


 思考により捻じ曲がっていた視界が戻っていくのが分かった。大量の汗が気化し、冷房によって私の体が冷えていった。

 どうやら自分の世界に入り込んでいたようだ。彼女の言葉によって引き戻されたのか。

 

「ああ……。すみません」


 最近よくあることだ。

 確かに本音で話すことは嫌いだが、そこまでは思ったことはない。何か自分の思考が誰かに乗っ取られているような錯覚を覚えた。


「大丈夫ですか?体調悪いですか?」


 いつのまにか彼女がこちらに来て、顔を覗きこんでいた。


「大丈夫。大丈夫です。頭は大丈夫です。大丈夫です」

「そうは言ってませんが、心配になってきた……」

「……大丈夫です」

 

 耳をすませると遠くから自動車のエンジン音が走り去るのが聞こえた。クーラーの前に吊してある風鈴が音を立てていた。

 

 私は静粛を払うように咳払いをした。「すみませんもう帰りますね」

「そうですね……。そのほうがいいかもしれませんね」


 私は微笑んで見せたが、彼女はそれを見ると余計不安そうな顔をした。


「ちょっと一昨日まで山に登ってまして、疲れが溜まっているようです。体を休めればすぐ直りますよ」

「山?」

「えええ、第一ミステリー倶楽部の合宿みたいなものです。それぞれ同時期に別のパワースポットに行こうって話で。高校生のころ登山部に入ってたので石川県の白山に行ってこいって。ほかは鞍馬寺とかなのに。今日は梅ヶ谷とそのことの報告の話し合いをしようとのことで待ち合わせたんですが、来ないようですし帰りますね」


 私はそのまま荷物を持って、「お大事に」という彼女の声から逃げるようにその場を後にした。

 引き戸についた鈴が鳴り響いていた。


 ◇ ◇ ◇


 京都の夜景の名所といえば比叡山ドライブウェーや京都駅などがあるが、私が好きなのは五条から三条までの鴨川沿いの景色だった。

 対岸に川床をしいた和風の外観の料理店が並んでいる。その光達を流れる川は、おぼろげに映していて、その姿は巨大な屋形船のようにも見える。料理店の裏が話に見えるビルも含めて、だ。

 京都といえど、この界隈の木造建築の建物の大部分が歴史ある家というわけではない。観光用に建てたレトロ風の家も数多くある。

 それでも……いや、だからこそ夜帰宅途中に見るこの風景は日常的にも思え、安心を与えてくれた。


「なにしてんだか……」


 私はそんな風景を見ながら一人ごちた。

 帰宅途中に拾うを感じたために、少し河川敷で休むことにした。しかし、何か色々考えているうちにかなりの時間になってしまった。

 そこまで疲労を感じる、または精神に不安を感じるのなら、一旦病院に行った方がいいとではないかと、他人事のように考えていた。しかし、長時間休んだら疲労もなくなったようなので、多分明日にはいかないだろう。明日また疲労を感じるようであれば、病院へ行くことにした。

 とりあえず帰るか、私は炊飯器の入ったダンボールに目を向けた。

 十万円の炊飯器というのは自分のお金で買おうと思うことは一生ないだろう。しかし、だからといって、これを不要だとか、もっと安いのでよかった、などと思うつまりはない。私は食に五月蠅いとかいうことはないのだが、やはり十万円の炊飯器で炊いたご飯の味が気にならないわけではない。

 今日の夕食のことを考えていると、今自分が空腹であることがわかった。

 私は両親に感謝しつつダンボールを持ち上げた。


(ん……?)


 私はそれに違和感を感じた。いや、それは違和感というには大きすぎた。

 思い違いであることを祈るように再度、地面に置き、そして持ち上げた。

 しかし、違和感は消えない。私の認識などあざ笑うかのように。

 心臓の音が暴れ始める。自己の不安により視界が歪んだ。脳の中で虫のようなものが這いずり回ている錯覚に陥った。

 

 軽い。そう、軽いのだ。

 まるで中に何も入っていないかのように。『まるで』などという言葉が馬鹿らしいかのように。この場合ふさわしいのは『確信』という言葉だ。私はその重さにより中身に何も入っていないのを確信していた。

 しかし中身を確認しないわけにはいくまい。鞄からカッターナイフを取り出し、ダンボールを切り裂き、中身を確認した。

 しかしそこには当然のように、何も入っていなかった。緩衝材や、取扱い説明書でさえだ。

この季節だというのに冷たい風が通り抜けた。

 私はふとそこで何故かこの状況だというのに、空を見上げた。月の光が雲を染め上げていた。その雲はゆったりと夏の空を流れていた。

 それを見て『月夜に釜を抜かれる』という言葉が頭に思い浮かんだ。



私は目を瞑り、川の流れる音や、仄かな雑踏の声に見を委ねながら、今日の出来事を反芻する。

 十万円の炊飯器を無くしたことだけが問題なのではない。どう考えても起こりえないことがおきたことが問題なのである。

 炊飯器が消えた、考えられる理由。それは三つある。

 一つ目は私が黄昏ている間にダンボールごと取り替えられたということだ。

 しかしこれは考えずらい。いくらぼけっとしていたとはいえ、意識ははっきりとしていたし、なにより貴重な物なので、ずっとダンボールの上に手を置いていた。入れ替えられたのならすぐに気が付くだろう。(そんなに貴重ならさっさともって返ればよかっただろうと、指摘されては言い返すことはできない)

 二つ目は私がおかしくなったということだ。実は私が今日持ち歩いていたのは空のダンボール箱だったということだ。この可能性がないとは言い切れない。この、自分がおかしくなった、という結論が正しければ、一つ目の原因も成立する。

 だからこそ今、私は自己への信頼の不安定さに足を震わせている。

三つ目は普通は無視すべき可能性なのだが、オカルト系サークルとしてはそれはできないことだった。

 つまり超常現象的なことがこの炊飯器に起こり、消え失せたということだ。

 超常現象は私の入っているサークルとしては歓迎すべきことかもしれないが、とてもそういう気にはなれない。しかし『私はオカルト系サーク第一ミステリー倶楽部に所属している』と心の中で唱えると少し気が晴れた気がした。

 

「ギィィ……」


 私は突如した金属のこすれるような音とも鳴き声とも言えないものに驚き、思考を中断し、目を開いた。

 その音に私の皮膚に鳥肌が走る。

 その感覚は幼き頃のカマドウマを握りつぶした時の不快感にも似ていた。

 そこは相も変わらずの鴨川が流れている。音がしたのは堤防を降りた場所の草むらからだった。

 私は恐る恐るその場所に近づいた。

 この鼓動の高鳴りは恐怖のためか。それとも興奮のためかはわからない。

 草の根の隙間から私を見ているものがあった。

 それは人間の子供のように小さかった。

 しかし顔はむしろ老人のように皺が刻まれており、眼球がどび出るかの思うほど目を見開いていた。服のようなものは一切着ておらず、暗くてあまり見えないが皮膚の色は赤に近いように見える。体毛らしきものは生えておらず、股間を見ると、それは男のようだが、真っ先に私の頭に浮かんだそれの性別を表す言葉は『雄』だった。皮膚の下の太い血管が脈打っている。濡れているのか、体が月の光をてらてらと反射していた。

 そして、小脇に値段の高そうな炊飯器を抱えている。私がさっきまで持っていた炊飯器と同じ機種だ。いやかなりの高確率で私が持っていた炊飯器だろう。


「お前はなんだ?」


 私の口からそんな言葉が漏れた。脈拍は早いが、意外にも私の頭は冷静であるように思えた。いや、こんなものに出会って冷静であるとは思えない。おそらくハイになっているのだろう。

 そんな他人事のような自己分析をしている私をよそに、歯をむき出しにし、右手を胸に当て、頭を下げた。

 知性を感じる動作だ。しかし、その馬鹿丁寧な動作はこちらを小馬鹿にしているようにも見える。『雄』という評価も未だに覆す気にはならない。

 次の瞬間、それは目の前から消えていた。

 それの顔は笑っているように見えた。

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