非日常への扉
振り返り(適当):優紀ちゃん、DQNな同級生に我慢できずに仮病発動!保健室へ急げ!
優紀は透百合に連れられ、保健室への廊下を歩いていた。
通り過ぎた教室からは英語の朗読の声が聞こえてきた。次の教室では数学の解説をしている。
いかにも学校、という和やかな雰囲気。しかし、この二人の間にだけはそれとは違う空気ができあがっていた。
(……なんで何もいわないのよっ!)
優紀は小さく悪態をつく。
教室を出てから、二人の間には一切の会話はなかった。
元々人とのつきあいを避けていた優紀にとっても、これはなかなか辛い状況であった。
「あ、あの……」
意を決して、優紀は透百合に話しかけた。
校内で自分から会話を始めるなんて何時ぶりだろうか!
「どうした?」
意外にも透百合はあっさり会話に参加してくれた。
無視されることも考慮していた優紀としては少し驚くことだった。
「さっきの授業なんですが……あまりああゆう奴の相手をしてほしくないんです」
言ってからあわてて「勉強の妨げになるので」と付け加える。
(なんだこれ。これじゃあ私がコイツに気があるみたいじゃん)
「ああ、あの子ね……名前、何て言ったっけ?」
「えっ!?」
優紀の声は再び裏返る。「あの子」とは勿論女子生徒のことである。
「いやあ、どうにも興味のない相手の名前は覚えるのが苦手でね」
頭をかきながらさらりと酷いことを言う透百合。前を歩いているので表情は見えないが、その口調は嘘をついているようには聞こえなかった。
「……はははっ」
なんだそれ。アイツ、端から相手にされてもいなかったのか。
嘲笑とか、侮蔑ではなく、単純におかしかった。拍子抜け、と言ってもいいくらい。
女子高生にちやほやされて調子に乗っている軽い男が、やかましい女につきまとわれるかわいそうな青年に変わってしまった。
これは笑わずにはいられない。
「なんだよ、笑うなよ」
「いえ……ふふっ」
不満げな透百合の言葉がさらに優紀の笑いを誘う。静かな廊下の中で、優紀の小さな笑い声が響いていた。
××××××××××
「じゃあこれで。付き添い、いらなかったかな?」
二人は保健室の前に来ていた。
「いえ、楽しませてもらいました」
大いに。と優紀は首を振って答えた。
「頼むから彼女には言わないでくれよ?」
「わかってますって」
「本当かなあ」
心配そうに優紀を見る透百合。この数分の間に優紀の中の透百合の立場はだいぶ変わった。
誰にもでも優しいウジ虫野郎から、断れない腰抜け程度には。
何がどう変わったのか理解に苦しむような評価だが、優紀の中では大出世である。コイツとあの女の会話が、これからは違う視点で見ることができるのだ。
学校生活が楽しくなること間違いなしだ。
「頼んだからねー」
そう言って透百合は優紀に背を向け、歩き出す。廊下には優紀が一人、残された。
静寂が彼女を包むが、その心はいつもより晴れ晴れとしていた。五月の陽気を背中に感じながら、優紀は保健室のドアを開けた。
ぐにっ
少なくとも、優紀がこれまで生きてきた中では一度として聞いたことのない音がした。
踏み込んだ足の下に何かがあった。
柔らかい、しかしそれでいて芯の部分は強固なもの。
残念ながら、その正体を確かめる余裕は優紀にはなかった。
視界の先には真っ赤な地獄が広がっていた。
×××××××××
ベッドにしかれたシーツ。それらを区切る長く大きなカーテン。それらはズタズタに引き裂かれ、床に散らばっていた。
さらに目を引くのは清潔な保健室には似合わない、真っ赤な液体。そしてそれに混じっててらてらと光るいくつもの小さな塊。肉片だと気付くのにそう時間はかからなかった。
視線を落とすと、そこにはかつて何者かのものであったであろう手。
赤いマニキュアから、女性のものだったのだと分かる。
「ひっ……!?」
へなへなと倒れ込む優紀。
女子生徒の威嚇などとは比べ物にならない程の恐怖。非日常。
走馬燈は流れなかった。代わりに今朝見てきたニュースでのアナウンサーの一言が。
『今日は一日晴天です!平和な一日になりそうですねー』
「どこがよ!」
自分の記憶に殺意すら覚える。この真っ赤な部屋のどこに平和なんて単語が当てはまるのだろうか?
そんな優紀に追い打ちをかけるかのごとく、彼女の耳に音が聞こえた。
ごりっ……ごりごりっ……ぱきん
保健室の一番奥。唯一破かれてはいないカーテンの内側。何かが動いていた。
姿は見えないが、カーテンの揺れがそいつがベッドの上で何かを漁っているのだと教えているようだった。
(……確かめる…?)
ふと、そんなことが頭に浮かんだ。それと同時に優紀の足は部屋の中に踏み込んでいった。
頭の中では警報が鳴り響く。
見てはいけない!見てしまえば引き返せない!
それなのに足は止まらない。引き寄せられるように優紀は保健室の中を進む。血溜まりを避けることもなく、まっすぐにカーテンの前まで来てしまった。
警告音がガンガンと頭を打つ。それでも体は止まらない。
優紀の手は遂にカーテンにかかった。
(やめて!止まって!)
ふるえる手は、その持ち主の思いに反発するかのごとく、勢いよくカーテンを引いた。
××××××××××
そこにいたのは、一人の男。
中肉中背のサラリーマンと言った風貌だ。そしてもう一つ。そこにあったのは一体の女性。目を見開き。顔を恐怖に歪ませて絶命している。
なぜ死んでいるか分かったか?
答は簡単。喰っていたからだ。男がその女性の腹を割いてゴリゴリと骨を噛み砕いている。
「んー?」
ふと、男がこちらを向いた。
至って普通の顔。特徴がないのが特徴のような人間。
しかし口元は真っ赤に染まり、いましがた女性の腹から噛みちぎったであろう何かを租借していた。
「ああ、すまんね、喰い散らかしてしまってね」
何かをゴクリと飲み込み、男は優紀に話しかけた。
すれ違いざまに挨拶を交わす。そんな程度の話し方に、硬直していた体に一気に神経が通った気がした。
今になって体中をぞわぞわとした悪寒が駆け抜ける。
死ぬ
たった二文字。頭に浮かんだ。
次の瞬間、優紀は走り出していた。
(いやだいやだいやだ!!)
あまりにもリアルな命の危機。胸を突く吐き気をこらえ、ドアに手を伸ばす。
(やった!)
逃げきれる。そう確信する優紀。その腕に優しくかかる何者かの手。
「えっ……」
「まあ待ちなぁ」
横には先程までベッドで死体を貪っていたあの男。
ベッドの上から起き上がり、全速力の優紀に追い付くためには、どれ程の速さを必要とするのか。
「どう……やって?」
「せっかく来てくれたんだし」
優紀の質問には答えず、男は話す。さも雑談でもするかのように。
「ちょっと食べられていけよ」
瞬間、男の口ががばっと広がった。常人なら顎を外したとしても不可能なサイズ。優紀の頭など、軽く包み込んでしまいそうだ。
見開いた優紀の視界に、サメを思わせるのこぎりのような牙が並ぶ光景が映る。
「いやあっ!!」
抵抗しようともがく優紀。しかし男の腕は離れない。
万力に固定されたと錯覚を起こすほどのパワーだ。
がほっ!
そんな音とともに、優紀の視界は赤く染まった。
××××××××××
「がっ……はぁっ!?」
「えっ?」
優紀は自分を疑った。まだ意識があることに。
(死んだ!?ここはあの世なの?)
普段あの世なんて世界を信じることのない優紀だが、今日ばかりは違った。
あるに違いない!そうでなければ自分に意識があるはずがない。
(だって今そこの男に頭を喰われて……)
「あれっ?」
「が……ああっ……」
男は優紀の拘束を解き、床に伏していた。その大きな口と左腕、そして腹部から血を流して。
「畜生……いてぇっ!!」
男は腹を押さえてのたうち回る。優紀には何がなんだか分からなかった。 誰がこんなことを?
がらり
戸が開く音がした。見ると、
「透百合……先生?」
「すまない、遅れてしまった」
入り口で分かれたはずの透百合教諭。少し息を切らせているが、先ほどと全く変わらない格好。
しかしその手には非常識を握らせていた。
「何……ですか?それ……」
「これか?俺のじゃないからわからないな」
そういって透百合は右手に持った拳銃をふって見せた。
回転式、というのだろうか?
その手の知識が全くない優紀にはそれくらいしかわからないが、確実に法の外の物であることだけは理解できた。
「てめぇ……やりやがったなぁっ!」
「なんだ、まだ生きてたのか」
見ると男がゆっくりと体を起こしたところだった。
血の流れる腹を押さえ、ふらつきながらも立ち上がる。
「ぶっ殺してやる……!」
男の威嚇に対し、「やってみろよ」とでも言うかのように透百合は静かに銃口を向けた。
「蛍袋さん」
目線は男を見据えたまま、優紀に話しかける。
「大丈夫だから、離れてな」
「……はいっ!」
優紀は跳ねるように立ち上がり、部屋の隅に隠れた。
透百合が無表情に放った『大丈夫』という言葉に、優紀は不思議な説得力を覚えた。
母親と雑談しているような安心感。この人に任せておけばいい。そう確信できた。
そして殺し合いが始まった。
状況の描写が上手くできませんorz