最後の平穏
読みづらい名前が多いです。多分名字の辞典とかには載ってないです。
23世紀、東京。科学の進歩はこの数世紀、ほとんど平行線をたどっていた。
「最後の大戦」と言われた第二次世界大戦を最後に大規模な戦争が起こることはなく、世界は長いこと平穏を保っていた。
平和な社会になっても解決しない問題もあった。地球温暖化、人口の増加・・・・・・。
数えればキリがない。しかしそれらは解決を先延ばしにされすぎ、もはや人々の関心からは離れていた。
人々は何も変わらないこの社会つかり、変化することを忘れたかのようだった。
そんな人々を知ってか知らずか、この数年、かすかに、しかし確実に広まる噂があった。
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2225年5月24日
「ねえねえ、今日のニュースみた!?」
「みたー!今度は渋谷で見た人がいたってぇ!」
入り口に固まり、甲高い声で騒ぎ立てる女子生徒たち。それを鬱陶しそうに横目で睨みながら、蛍袋優紀は教室に入っていった。
肩口で綺麗に切りそろえた黒い髪が靡く。顔は一般人にしてはかなり整っているように見える。
しかし今、彼女はその顔に不快の表情を張り付けていた。
(またその話なの?ばかばかしい)
彼女は心の中でひっそりと悪態をつき、自分の席につく。
たかが噂話に踊らされて!ただでさえキンキン声のくせにそれ以上高い声だして、何がしたいのか。
「どんな感じなのかな!やっぱり漫画のモンスターみたいな見た目なのかな?」
「えー、なんか人間の男の人の姿だっていってたよー?」
「えっ?イケメン!?」
「そんなの分かるわけないじゃーん」
耳障りな噂話は止まらない。
(イケメンだったら何だって言うの!?襲われてもいいってこと?)
思わず喉まで言葉がでそうになる。そんな化け物にイケメンも何もないだろう。
優紀は気を紛らわすように教科書を広げ、予習を始めた。今日の一時間目は地理。世界の四大陸の特徴を頭に入れておかなくてはいけない。
(そもそもいる訳のない奴らの話で盛り上がれるなんて、どこまでおめでたい頭してるんだか……)
いる訳のない奴ら。それが噂の正体だ。
人のような姿をしているが、全く人とは違う存在。
山火事になったヨーロッパの山岳でとられた映像。そこに写り込む炎の中を悠然と歩く人影。
アメリカの都市に設置された監視カメラ。その先にはビルを軽々と飛び越える謎の存在。
世界各地でその姿が捉えられはじめて、数年になる。
(どうせ合成映像でしょ、全く)
この言動を見てわかるとおり、優紀は全くもってこの話を信じる気になれない。
第一、それらの写真や映像を残した人物は未だにメディアに顔を出してこないのだ。どうせ偽物だと論破されるのが怖いのだろう。
優紀の言うように、作られた物だと主張する専門家も多かった。しかし、それを無視するかのごとく、目撃証言は増えていった。
新しいUMA、改造人間、宇宙人・・・・・・諸説は既に50を越えるまでに至った。
長く続く平和な世界を退屈していた人類にとって、この存在は『数百年ぶりの変化』とも称された。
この機会を逃すまいとマスコミは大忙しだ。ネット上のそれらしい目撃情報をあさり、いい情報には報酬まで用意した。世界は今、その生き物たちに大きな期待を寄せていた。
最近ではそいつらを信仰する宗教まで出来上がったとも聞いた。
そしてついに今年のゴールデンウィーク、つまりはおよそ三週間ほど前、この東京の地から彼らの目撃情報が出たのだ。どうもそいつらは東京を移動し、各地で目撃されているらしい。
「どうなっちゃってるのかしら、この世界は」
優紀は教科書をめくりながら先程の女子生徒たちを見る。イライラの原因である彼女たちの話題は、既に別の所に向かっているところだった。
「イケメンっていえばさぁ!先週入ってきた臨時講師、メッチャクールでかっこよくない!?」
「透百合先生でしょ!あたしこないだ宿題みてもらったんだー」
「えーちょっとずるいよぉ抜け駆けなんてぇ」
「そんなの知らないもーん!」
駄目だ。やっぱりイライラする。
(そんなことを話しているくらいならさっさと席に着いてよ!あんたらのせいで毎日授業開始が遅れるのよ!)
今日はいつにも増して騒がしい。そのUMAもどきと臨時講師、二つの噂が運悪く重なってしまったからだ。どちらにも関心のない優紀にとっては実に迷惑極まりない。
(トイレ、いこ……)
我慢ができない。授業が始まるまで一人になりたかった。
しかし、そんな彼女の願いはあっさりと打ち砕かれる。優紀が教室のドアに手をかけた途端、それは自然にがらりと開いた。
自動ドア?そんなわけがない。
開いたドアの先には男が立っていた。180を超える身長、端正な顔つき、何より目を引く真っ白な髪の毛。
「おはよう、蛍袋さん。授業始めるよ?」
「……おはようございます……透百合先生」
間違いない。噂の臨時講師、透百合一輝だ。
目敏くもそれを見た例の女子生徒共が「キャー!」と黄色い悲鳴を上げる。答えるように軽く手を振る透百合。それに対してまた「キャー」……。
「……はあ」
優紀は肩を落とし、席に着きなおした。
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「先生、保健室に行ってきます」
授業開始から僅か5分。優紀の我慢の臨界点はとっくに限界を通り越していた。
この透百合には殆ど非はない。この教師の授業は中々面白く、しかも解りやすい解説をしてくれるので優紀自身楽しんで受けることが多かった。問題は例の女子どもにある。
始まりのあいさつからの透百合への無駄話。それはなんとか我慢できた優紀だった。しかし
「じゃあ宿題にしてたヨーロッパの特徴的な工業地域についての問題なんだけど……」
という透百合の質問からの
「あっそれ私が書きますぅ」さらには「先生が教えてくれたから楽勝ですよぉ」
というさっきの女子生徒の露骨なアピール。
(気持ち悪っ!)
流石の透百合ですらこれには少々苦笑いだ。
もう嫌だ。授業が聞けなくなるのは痛いがこんな空間に居続けるよりはましだ。
実に古典的な仮病ではあるが、優紀のようなふだん真面目な生徒ならあまり怪しまれないという利点がある。
「具合が悪いのか?」
「ええ、何だか頭が痛くて」
演技する気にもなれず、さらりと答える。優男っぽいコイツなら、これくらいでも十分だろう。
「何アイツ、あたしの透百合先生になんて口きいてんのよ!?」
「そういえばさっきも先生があいさつしてくれてるのに、いやそうな顔してたー」
「ムカつくー!」
(ムカついてんのはこっちだよ!ひそひそ話がでかいのよ馬鹿どもが!)
女子高校生としてはいささかお下品なセリフを吐き出す優紀。
叫ぶのを我慢しただけ、頑張ったといえるだろう。
(もうすこし、もうすこし我慢よ優紀……っ)
「……わかったよ」
我慢の表情を体調の不具合と受け取ったのだろうか、透百合は優紀の仮病を見逃してくれた。
「じゃあ、そういうことなので」
さあ、とっととこの不快極まりないこの空間から脱出だ!
意気揚々と優紀は教室から出ようとする。仮病してるなんてすっかり忘れているご様子だ。
しかし、ドアに手をかけたところで彼女の手は止まることとなる。
「とりあえず付き添ってくるから、みんなちょっと自習しててね」
「はぁっ!?」
透百合の予想から大きく外れた一言に、教室の空気が一瞬にして氷点下にまで落ち込む。
流石の優紀も、この奇行に対して驚きの声を上げずにはいられなかった。
(何なのコイツ?まさかさっきのを本気にしたんじゃあないでしょうね!?)
もしかしたらとんでもなく純粋だったり!?それともただの馬鹿?
「じゃ、行こうか」
「えっ、ええっ!?」
大いに混乱する優紀。そんな彼女を教室から押し出す透百合。凍結しっぱなしの教室。
優紀が教室を振り返ると、例の女子生徒と目が合った。
「やばっ」
凄まじかった。憎悪、嫉妬、侮蔑、ありとあらゆるマイナスのオーラを湛えたその双眸は、しっかりと優紀をロック・オン。
化粧が崩れるのではないかと心配してしまうような表情を浮かべている。
もし彼女が手にハンカチを握っていたとしたら……二十世紀の少女漫画よろしく噛みしめ、さらには噛み千切ってしまうことだろう。
(こっ殺される……かも)
恋を知らない少女優紀であったが、恋をした女の嫉妬深さと執念深さはよく理解していた。それ故に、決して自分から視線をずらすことができなかった。
(ずらしたら、視界から外してしまったら……間違いなく殺られるっ!!)
永遠に続くかとさえ思われたその(ほぼ一方的な)にらみ合いは、その原因である透百合本人の閉める扉によってあっさりと断ち切られた。
バトルはまた次回