平凡な朝
第二章スタートです
2225年5月25日
新聞配達のバイクの音。それを聞いて蔓穂慎一郎は目を覚ました。
二階建てのアパートの一室。そのベッドから体を起こす。
脇の窓からは朝の日差しがカーテン越しに部屋に差し込んでいた。
慎一郎は窓に近づき、カーテンを引き、窓を開けた。
五月のまだ肌寒い風が部屋に流れ込む。外の木の枝には雀の親子の姿があった。
「これが、庸介の言っていた……」
何かを思い出したのか、慎一郎はつぶやく。
「朝チュン、と言う奴か」
謎の勘違いをしてしまった慎一郎。
そもそも一人で朝チュンは成立し得ない、基本的には。
何かを納得したらしい慎一郎は、満足げに窓を閉めた。
「ユリカ?」
そして慎一郎は部屋を見回してもう一人の住人を捜す。しかし、その声に返事をする者はいない。
「……ああ、まだ林間学校か」
同居人の不在を思い出した慎一郎。
いそいそとベッドを整え、洗面所に向かった。
××××××××××
「いってきます」
慎一郎は朝食も食べずに家を出た。
その服装はジーンズにジャケットをはおるスタイル。
最近まで教師として潜入していた時とは違い、どちらかというと大学生のような印象だ。
カンカンと鉄製の階段を下りたとき、慎一郎の目の前に、一人の女性がいた。
「あ、おはようございます!蔓穂さん」
「おはよう、華島さん」
「紅葉でいいですって!」
慎一郎よりもいくらか若く、小柄な体格の女性。
慎一郎の下の階に住む華島紅葉だ。
地毛らしい茶髪が彼女の動きに合わせて揺れる。残念なことに揺れるほどの胸はない。
「今日は大学行くんですね!」
「普段は行っていないみたいな言い方は止めろ」
「行ってたんですか!?」
日本人にしては大きめの慎一郎と、世界的にみても小さい紅葉。並んで歩く二人は兄妹、下手をすると親子にすら見えてしまう。
「そういえば、今朝の新聞見ました?」
「なにかあったのか?」
「……新聞とってないんでしたね」
はあ、とため息をつく紅葉。
こう見えて彼女は某有名私立大学の学生である。
体格が中学生並なため勘違いされやすいものの、新聞、テレビなどからの情報収集は欠かさないそうだ。
「隣町の高校の校庭にでっかいクレーターができていたそうなんです!」
「……そうか」
「どうしました?汗がひどいですよ?」
「いや……」
何とコメントしていいかわからず、とりあえず顔をそらした慎一郎。なぜだろう、汗が止まらない。
「噂の新型UMAの仕業とか言ってましたよ?」
「……そう…か」
正しくはその新型UMAの討伐のために慎一郎が作ったのだが、まさかそんなことを一般人に漏らすこともできない。
何ともあいまいな受け答えをする慎一郎。素は無口なので、話題をそらすこともできない。
会話が途切れたまま、十字路に着く。大学の違う紅葉は、ここで別れることとなる。
「じゃあ、また……」
「……あのっ!蔓穂さん!」
「ど、どうした?」
急に声を荒らげた紅葉に驚きつつ、慎一郎は答えた。
紅葉は世話しなく体を動かし、もじもじとしている。
「あ、明後日なんですけど、その…予定……空いてますか?」
「明後日?……夜にユリカが帰ってくるくらいか?」
「……!」
ぱあっ!と、紅葉の表情が明るくなった。
「そ、その…一緒に行きたいところがあるんですけど……どうでしょうか…?」
頬を赤らめ、下を向く紅葉。
そんな可愛らしい仕草に、慎一郎は気付かない。
「いいよ、行こうか」
特にやることもないしな、と言う慎一郎。
ふわぁっ!
紅葉の笑顔が満開状態。本当に花が咲きそうだ。
「じゃ、じゃあ詳しいことはまた連絡しますねっ!」
それでは!と言って紅葉は走り出す。
今にもスキップを始めそうな足取りで、紅葉は角を曲がって消えていった。
××××××××××
「初々しいねぇ」
紅葉が角を曲がると、慎一郎のすぐ後ろの電信柱から、声がした。
慎一郎は振り返らず、そのまま紅葉とは逆方向へ歩き始めた。
「あっ!ちょ、待って!」
ぽこんと音がして、男の手が現れる。
手は腕、肩、上半身とそのサイズを広げ、一人の男の姿になる。
「相棒を置いていくとか、酷くない?」
「こんな街中で能力を使う奴は知らん」
「大丈夫だって!誰も見てなかったし!」
緊張感のないおちゃらけた口調、肩まで伸びたオレンジの髪。甘菜庸介である。
庸介は何事もなかったかのように慎一郎の脇に立って歩き始めた。
比較的落ち着いた格好の慎一郎に対し、この男、タンクトップである。
細身ではあるが、筋肉質な腕がよく似合っている。しかし、慎一郎と並ぶとどうにも違和感の塊にしか見えない。
「そもそも、お前が不用意に街中で俺の名前を呼ぶから、鹿島に俺の本名がばれたんだろうが」
「いいじゃん!あんな可愛い女子大生と知り合いとか!」
「可愛い…ねえ」
他人、特に女性とは目を合わせずに話すのがデフォルトな慎一郎としては、紅葉が可愛いかどうか比較する対照が少ないのだ。
「そもそもお前は……」
慎一郎の小言が飛びそうになった時、目の前をどこかの学生が横切る。
「チッ」
「舌打ち!?」
一般人の前でできる話ではなかったのか、慎一郎は話を中断する。
面倒事から抜け出せた庸介は、その名も知らぬ学生に心の中で親首を立てた。
××××××××××
都内某所にある私立七宮大学に着く。
二人は真っ直ぐ一つの建物へと向かった。
「記念図書館/神秘生物学研究所棟」と書かれた古い施設に足を踏み入れた。
エレベーターに入り、妙に手垢の少ないB1のボタンを押す。
旧式のエレベーターは、キシキシと嫌な音を出しながら下に降りていく。
暫くの下降の後、チン、という音と共に扉が開いた。
「相変わらず変な趣味してるよ…」
「………………」
口には出さないが、慎一郎も全くの同意見だ。このフロアにあるのは蛍光灯が半分しかついていない廊下と、トイレ(共同)。そして「仮眠室」と書かれた部屋。
最後に、一番奥。「神秘生物学研究所」という薄汚い札が下げられた扉だ。
慎一郎たちはそのまままっすぐに奥の部屋へと向かう。
扉の前に立ち、ノックしようと手を伸ばした時、二人の頭上から声が降ってきた。
「どうぞ、開いてるわよ」
「………………」
「………………」
しばしの沈黙の後、慎一郎は錆のついた扉を押し開けた。
その中も、外の雰囲気と違わず酷いものだった。
床はドアの半径数メートルまでしか見ることはできず、後は何やらわからない本やら資料の束やらが折り重なってかび臭いにおいを放っている。
一応両側の壁に本棚はあるのだが、まともにそこに入っている本はわずかだった。
あとは本物かと思わせる化け物の小像や、水かきのついた人の腕のはく製、気味の悪い建造物のレプリカのようなものが所狭しと並べられていた。
「わざわざお疲れ様」
入り口で聞こえた声がした。見ると、本の山の中にかろうじて机の表面が見て取れる場所があった。
机を挟んで慎一郎の反対側に、回転式の椅子がある。その椅子は、不規則に揺れ、誰かが座っているのだと分かる。
「いえ、元々学生ということになっているので」
椅子に座る人物に向けて慎一郎は話す。庸介はさっきからずっと黙ったままだ。何やら青い顔をしている。
「まあ、いいわ」
椅子がくるりと慎一郎の方を向く。そこに座るのは女性。
黒い髪に黒いパンツスーツ。さらにはおっている白衣も黒く染められているので、薄暗い部屋の中では全くその姿をとらえることができない。おまけに口紅もダークカラーだ。
唯一、その口にくわえたたばこの火が、女性の顔を照らす。
「変な趣味で悪かったわね」
そう言って不敵に微笑むこの女。名前を擬宝珠初伊。
表の顔は七宮大学神秘生物学部の若き教授。裏の顔は慎一郎や庸介の直属の上司。《機関》第七支部室長その人である。
…………年齢不詳。独身である。
ヒロイン、出ましたね!
……もちろん最初に登場した方ですよ?




