もう一人の兄弟
「夏穂ちゃん、悪いけど、優志を起こしに行ってくれる?」
「分かりました」
夏穂は笑顔で返事をし、優志の部屋へと足を運ぶ。
部屋の戸を開けると、優志はタオルに包まって寝ていた。
夏穂はそのタオルをめくり、
「おはようございます」
夏穂の声は優志に届かなかったようで、夏穂はもう一度言った。
「おはようございます」
今度は、ずっと明るく、大きな声で。
「うおわっ」
優志は、ビックリして飛び起きる。
「ノックくらい、してくださいよー」
「しました」
夏穂は微笑を浮かべる。
優志は、夏穂の容姿全体を眺めまわし、
「夏穂ちゃん、支度早いね」
夏穂は、既に制服に着替え、髪も整えてあった。
余裕な笑みを浮かべて言った。
「普通です」
「夏穂ちゃん、助かるわー。これからもよろしく頼むわね」
それは、朝の何処にでもあるような、食卓の風景だった。
「任せてください」
「夏穂ちゃん、何でそんなに得意気なの」
優志が言う。
「優志さんを起こすことに関しては、得意な気がします」
優志は困ったような顔をして、呟くように言った。
「まぁ、母さんと姉ちゃんに起こされるよりはいいか」
夏穂は、お味噌汁をすすった。
「わっ。このお味噌汁、美味しい~」
「お母さんの得意料理」
瑞季が言う。
「そうなんですか。すごく美味しいです」
「あら。嬉しいわね」
母は、相変わらず若い笑みを浮かべていた。
優志は、未だ寝ぼけ眼で、ご飯をゆっくり口に運んでいた。
「行ってらっしゃい」
母と姉に見送られ、優志と夏穂は家を後にした。
二人は、しばらく話しながら歩き、途中の分かれ道で手を振った。
「じゃ、頑張って」
「優志さんも」
それから一人、夏穂は考えた。
優志のことを。
優志と夏穂は、家族であり、兄弟として生活しているが、自分はこのままで満足するべきなのだろうか?
確かに、今の生活に何の不満もないし、むしろ、夏穂には幸せすぎるくらいだ。
けれど、何かが違う。
何かが……。
「久しぶり」
「久しぶり~」
教室中を、この一言が飛び交う。
夏休み明けは、皆、新鮮な気分でいるものだ。
この期間に、イメージチェンジを遂げた者もいたりするのだから。
「夏穂ちゃん?」
一人の女子が、声をかける。
夏穂は、その女の子の方に振り向く。
「わー。夏穂ちゃんだ!すごい。可愛くなってるー!」
一人が声を上げたことに、皆が集まって来る。
「髪、切ったの?何処で切ったの?すごい変わったねー!」
一気にたくさんの人から質問され、しばし夏穂は戸惑う。
「えっと……」
「すごい!前髪、くるるんってなってるー!可愛い~!」
次々に、教室中を「可愛い」の声が飛び交う。
夏穂は、さすがに居心地が悪くなる。
「可愛い」と言われるのが嫌な訳でもないが、反応に困るのが難点だ。
ただひたすらに、照れ笑いを続ける。
「おーい。席に着けー」
キャッキャッ騒ぐ女の子達の声の中に、一人、野太い声が聞こえる。
その声に反応して、皆が席に着いた。
「テストすっぞー。夏休み明けだからって気ぃ抜くなよ」
「夏穂ちゃん、テストどうだった?」
テストが終わり、隣の女の子が話しかけてくる。
夏穂にピン止めを借した、あの子だ。
「えっと、まぁまぁ……かな」
夏穂は苦笑いする。
「そっかー。難しかったよね!てかさ、何で夏休み明けからテストなのー?って感じだよね」
「うん。そうだよね!!」
夏穂は、何だか嬉しくなった。
そして、少しだけ得意気になった。
今の私、何だかクラスに溶け込めてる気がする……!
そして、いかにも「普通の女の子」って感じ!
傍から見たら、私が貧乏人だったなんて思われまい。
「夏穂ちゃん、今日の帰り遊べる?」
「えっ」
予想もしなかった言葉に、夏穂は驚く。
自分がお出かけに誘われる事なんて、とても希な話に思えたからだ。
「えっと……ごめん。今日は……」
「じゃあ、明日にでも。どう?私は、いつでも大丈夫だから」
「えっ」
普通なら、ここで諦めるであろうと思っていたので、尚更驚く。
「うん。ごめんね。考えておく」
夏穂は、精一杯の笑顔で答えた。
夏穂は一人、家路を歩いた。
頭の中は、友達のこと、優志のことでいろいろだった。
貧乏なせいで、できるべき友達が作れずにいたのは確かだ。
それは確かに、夏穂を孤独な思いにさせたが、夏穂は特別何かしようという気でもなかった。
優志がいれば、ただそれだけでいいと思っていた。
優志の存在が、夏穂にはとても大きかったからだ。
けれど、友達はやっぱり欲しい……。
あと、1年と半年しか高校生活を送れないけれど、最後に少しだけでも、「青春」というものを体験してみたかった。
普通の女の子として、ごく当たり前の学校生活を楽しみたかったのだ。
それと同時に、優志との関係が気がかりになる。
優志さんと一緒にいる時間が減る。
優志さんとたくさんの時間を過ごしたい。
けれど、優志さんにだって、自分の友達といたいと思うことはある。
ならば、優志さんのためにも、友達を選ぶのが大事じゃないのか……?
いや、でも、優志さんともっと……。
もっと、親密な関係になりたい……。
「わー。何考えてるんだろう!私!!」
夏穂は、思わずかぶりを振った。
自分の体温が、こんなにも高まっていることに気づく。
クスッと、微かな笑い声が聞こえた気がした。
夏穂は、その声の方に振り返る。
気づくと、優志の家の前に、一人の少年の姿があった。
夏穂は小首を傾げ、その少年をまじまじと見つめる。
自分と同じくらいか、そんなに歳の差は感じない。
派手なピンク色のパーカーに、動きやすそうなカーキ色のパンツを履いている。
お洒落なスニーカーから細い足首が覗いていた。
パーカーのフードから黒い毛先がピョンピョンはみ出している。
長い前髪を分け、額が露になっている。
険しい眉を潜め、黒々とした、意味深い瞳が夏穂を見つめた。
「探したよ。夏穂」
夏穂は、初めてその少年の声を聞いた。
とても大人びた声に、夏穂は驚いた。
その少年は、身長158cmの平均的な夏穂に対し、4、5cm上か下かくらいの身長差だったからだ。
“少年っぽい”少年。
そして何処か、自分と似たような寂しさを感じさせる。
それが、夏穂の思う第一印象だった。
「あの……あなたは」
夏穂も、初めて少年に向けて、声を発した。
緊張のせいか、声が不安定だった。
「俺は、夏樹。同じ“夏”が付いてるんだよな。それなのに、二人共夏生まれじゃないっていうな」
夏樹と呼ばれる少年は、何処か意味深な笑みを見せた。
「何で、私の名前を?」
夏樹は答えず、夏穂の手を引いて、何処かを目指して歩き始めた。
「えっ。あの……えっと……何処に行くんですか?」
「大丈夫。俺、怪しい人とか違うから」
いや、十分怪しいでしょ。
夏穂は思った。
だけど、声に出すこともなく、ただ無言で付いて行く。
しばらく歩いて、街頭の近くで、夏樹は歩みを止めた。
夏穂の目に、一台の高級車が映った。
何処からどう見ても、それは高級車だった。
あの、「執事がお迎えに参りました」みたいな……。
夏穂には、到底未知の世界だった。
夏樹が車の前に立つと、自動で車のドアが開いた。
「おーお」
思わず、夏穂は感動の声を上げた。
夏樹はクスッと笑い、
「乗れよ」
「えっ。え。私……が?」
夏樹は微笑み、「あぁ」と頷いた。
夏穂は、遠慮がちに車に乗った。
「し、失礼します……」
「夏穂様、シートベルトをご着用ください」
運転席に座る男が、ミラー越しで夏穂を見ながら言った。
ダンディで、品の良さそうなその男性に、夏穂は思わず看取れてしまった。
「夏樹様も」
夏樹は、一切着けようとしなかった。
「めんどくせーなぁ」
まるで、自分が王家の娘になったようだ。
執事なんて、漫画の中だけの話かと思っていた夏穂には、唖然とするしかなかった。
車窓から見える、いつもの景色が、段々見慣れない町並みへと変わっていく。
たくさんの家と、たくさんの店が並ぶ中、その家だけは浮いていた。
家の前で、車が停止した。
「着きましたよ」
男は、夏穂を促す。
「どうぞこちらに」
圧倒的な大きさの豪邸に、夏穂は目が眩みそうだった。
これが、本物のお金持ちというものなのか……。
人生の内、こんな大豪邸にお邪魔する事何てないんだろうなーと思っていたけど、本当にあるんだな。
夢みたいな話。
男は先を歩いて、洋風の繊細な彫りが施されたドアに手を伸ばした。
ん?何だろう。この感覚……。
この感じ、何処かで見たことがあるような……。
男がそっとドアを開けると、数人の男女達が出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ」
その光景を目にし、夏穂は思い出したのだった。
そうだ。夏穂が、いつしか頭の中に描いていた世界だ。
バス停の待合小屋の壁にもたれながら、空想したあの豪邸と、全く造りが同じなのだ。
特に、あのドアに施されたデザイン……鮮明に覚えている。
夏穂は、夏樹との出会いに、重要な意味があるような気がしていた。
そして、あの空想は、それを伝える前触れのようなものだったのか……。
夏穂は、夏樹の背中をジッと見つめる。
「何、人の背中まじまじと見てんの」
夏樹が振り返り、言う。
夏穂はハッとして、思わず俯いた。
「さぁ、中へお入りください」
大きな二つの引き戸を開けると、男は言った。
夏穂は顔を上げ、唖然とした。
一体、何人用だろう。
それくらい、大きなテーブルの上に、数々の豪華なディナーが置かれていた。
チキンにステーキ、フレンチサラダ、おまけにデザートのティラミスやポタージュスープまで揃っている。
「す、すごい……」
夏穂が未だ唖然としている中、男は夏穂を促した。
「さぁ、こちらの席に」
夏穂は、言われるがまま、席に座った。
真向かいに、夏樹の姿があった。
家政婦らしき女の人が、夏樹の首元にナプキンをかけている。
その姿が、いかにも「坊ちゃん」を思わせた。
「だから、何まじまじと見てんだよ」
「あ、すみません」
怖い……。
夏穂は、夏樹が機嫌を損ねないよう、緊張していた。
こんな金持ちの力に及べば、何をされるか分からない。
「大丈夫。何もしないから」
夏樹が言った。
夏穂は、自分の考えていることが表情に現れているのかと、焦り、落ち着きを失くした。
「では、ごゆっくりどうぞ」
男は、ニコッと微笑んだ。
夏穂は、目の前のフォークを一瞬握り、そこで手を止めた。
「どうかなさいましたか?」
男が屈んで夏穂の表情を確認するも、夏穂は未だ落ち着かない様子だった。
早く家に帰らなければ、優志さんやお母さん達が心配する……。
それに、私の分の夕食だって、用意して待っているはず。
夏穂はうずうずして、フォークを握る手を震わせていた。
「夏穂……様?」
男が心配そうに夏穂の顔を覗く。
夏穂は強く両目を瞑り、何かを決心したように唇を噛んだ。
「私……私、料理をいただくことはできません!!」
「何故です?遠慮なさらないでください」
目の前の夏樹は、至って冷静な様子だった。
驚くこともなく、静かに料理をたしなんでいる。
「いえ。私、帰らなきゃ行けない場所があるから」
夏樹は顔を上げ、夏穂を見た。
夏樹の瞳の中で、何らかの想いが光ったように見えた。
「家族が……私を待ってるから」
男は察したように頷き、
「あぁ。でしたら、私が夏穂様の家族にお電話でお伝えしておきますので、ご心配なさらず」
「えっと……」
夏穂は、困ったように言う。
「私、やっぱり帰らなきゃ……!!」
夏穂は、勢いよく立ち上がった。
夏樹は言った。
「その必要はない」
「え?」
夏穂は怯えるように顔を上げ、夏樹を見た。
夏樹は、グラスに注がれた綺麗な青色のサイダーを揺らしながら、
「話は簡単だ。さっさと済ませよう」
男は言った。
「夏樹様、やはりこれは大事なお話ですし……。きちんと時間に余裕がある時に、お話した方がいいのではないかと……」
「それでは、ここに連れて来た意味がないじゃないか。夏穂、席に座れよ」
「は、はい……」
夏穂が大人しく席に座ると、夏樹はグラスのサイダーを一口飲んだ。
「話はただ、俺等が夏穂を引き取りたいということだ」
「えっ?」
夏穂は目を丸くし、口を開けた。
その言葉の意味を確かめるように、頭の中で繰り返す。
「つまりは、俺と夏穂が、兄弟だってことだよ」
夏穂は、声を発することもできなかった。
え……。
嘘でしょ?私と、この目の前の少年が兄弟?
どういう背景があって、兄弟という関係が生まれる訳……??
だって、私の母親は私を捨てた。
お父さんは、お母さんと離婚し、未だ世界の何処かにいる。
そして、私はこんなお金持ちとは無縁の、貧乏人であること。
それが、私とこの少年を繋げることのない、大きな壁となる。
「夏樹様」
男は、催促するように言った。
「あぁ」
夏樹は、静かに微笑した。
「1週間後までに、俺等と一緒に暮らすかどうか考えておいてくれ」
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
第八章もよろしくお願いします☆




