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絶望と希望

母は言った。

「いい?人に頼ってはいけないのよ。頼ったら、頼った分だけ恩を返さなきゃいけないから」

夏穂は、母のことを思い出す度、この言葉が頭をよぎった。

母との楽しい思い出は殆どない。

ただ、母と二人で緑の丘に行って、芝生上に咲く可愛げな花を見つけて、一緒におにぎりを食べたことくらい。

その時の夏穂は、まだ幼稚園に通うことのできない4歳だった。

一方、父との思い出は一つとしてない。

夏穂が生まれたのは、父が家を出た後だった。

夏穂が補助輪無しの自転車に乗れるようになった頃、夏穂は段ボール箱の中に眠っていた。

それはまるで、捨て猫のようだった。

そして夏穂は、「親に捨てられた」と悟ったのだった。

その段ボール箱は、今でも大切に保存してある。

中には、学校の教科書や少なからずの食料などが入っていた。

夏穂はバス停の待合小屋の壁にながら、呆然とその段ボール箱を見つめていた。

いつしか、空想の世界へと飛ぶ。



雨が降った。

雨の音は、尚更夏穂の寂しさを増加させる。

隙間風に凍えながら小さく縮こまっていると、足音が近づいてくるのを感じた。

「だ……れ?」

夏穂は、小さな声で呟いた。

返事はなく、夏穂の前で足音がピタリと止んだ。

夏穂は、恐る恐る顔を上げる。

そこには、傘を持った一人の少年の姿が……。

彼は、ニコッと口元を緩ませた。

「行こう」

彼は、手を差し出した。

夏穂は、彼の手を取って立ち上がった。

彼の傘の中にお邪魔し、目的地が分からないまま着いて行く。

彼が突然、足を止めた。

そこは、この街にあるとは思えない程の大豪邸。

彼は一体、何者なのか?

夏穂は、彼の横顔をまじまじと見つめる。

彼の、女の子のように白く美しい肌と、優しげな目元が目に映る。

彼は夏穂の視線に気づくと、微笑んで、

「どうぞこちらに」

と、催促した。

洋風の彫りが施されたドアを開ける。

広い玄関を前にして、何人かの男女が出迎えてくれた。

「おかえりなさいませ」

廊下は学校のように長く広く、夏穂は雑巾がけがしてみたいと思ってしまった。

もちろん、雑巾がけをする必要などない程綺麗だ。

それから、夏穂はその少年とディナーを共にし、豪華な料理の数々に驚いた。



我に帰ったかと思うと、夏穂は急に恥ずかしくなった。

こんなこと、漫画の中でしかない話だ。

こんな絶望的な環境に置かれながらも、心のどこかに希望はあった。

夏穂は、希望だけは捨ててはいけない、そう思っていた。

親もいなければ、誰も頼る者もいない。

これからは、自分だけの力で生きていく。

誰にも頼らずに、自分だけで……。



夏穂は、いつものようにパン屋に向かう。

「あぁ、はいはい。持ってくるわよ」

夏穂がパン屋の出窓の前に立つと、おばさんは分かりきったように言う。

そして、おばさんは夏穂にパンの耳が入った袋を渡す。

「これだけあれば十分ね?」

夏穂は一礼した後、「いつもありがとうございます」と言ってパン屋を後にした。

途中、夏穂とすれ違った少年は、ピタリと足を止め、振り返り、夏穂の後ろ姿を見た。

少年は、夏穂を気にかけたが、夏穂は少年とすれ違ったことすら分からないように通り過ぎて行った。

「あの子、誰ですか」

少年は言う。

「貧乏人らしくてね、いつも“パンの耳”だけを貰いに来るのよ」

おばさんは、嫌味の込もった声で言う。

おばさんは、大変忙しそうだった。

「アンタも、ちゃんと仕事しなさいよ」

少年は返事をせず、

「パンの耳じゃなくたって、1日くらい賞味期限切れのパン、あげればいいじゃないですか」

おばさんは、首を横に振った。

「俺らにはいつもくれてるのに?」

「アンタはここでアルバイトしてんだから、当然でしょ。あの子はしてないじゃない」

「関係ないですよ!そんなの。お金がない人を助けてあげるのは、当然のことですよね」

少年はつい、カッとなってしまった。

「アンタも、そんな文句垂らしてると、パンくれてやんないよ」

おばさんは、静かに少年を睨んで言う。

「いいですよ。パンなんかいらないし。家でいくらでも食えるし」

「給料もね」

少年は、そこで黙り込んだ。

しばらくした後、「クソババア」と小さな声で呟く。

おばさんは、後ろを振り返り、

「何か言ったかい?」

「いえ」

少年は、笑顔で答える。

何かが、心に突っ掛るのを感じる……。



夏穂は、自転車で約1時間半の道を経て、学校へ辿り着く。

電車などにお金を掛けるのすら、勿体無く感じていた。

夏穂が通うのは、ここらでは最も秀才が集まるとされる、名門校。

夏穂は、猛勉強の末、学費の全額免除で入学した。

授業中、おしゃべりし合う子もいる。

たぶん、その子達はお金の力で入学したのだ。

この学校は私立校であるため、お嬢様育ちも多い。

夏穂は、絶対に私語などしないし、よそ見もしない。

そんなことをして、勉強を少しでも怠ければ、推薦で入った夏穂は退学させられるかもしれない。

スポーツも出来ないし、勉強以外何も誇るものはない。

勉強だって、元々頭がいい訳ではないから、少しの怠けが命取りになる。

常に、学年3位枠はキープしておかないといけない。

「終わったー。ファミレス寄ってく?」

「いいね!そうしよ!」

夏穂は、近くの席の女の子達が、楽しそうに話し合うのを聞いた。

頭の片隅では「羨ましい」と思いながらも、自分には関係ない話だ、とすぐに考えを正す。

ふいに、その中の一人と目が合ってしまった。

「あ、夏穂ちゃん」

夏穂は、軽い会釈をする。

「一緒に、どう?」

「ごめんね。私には、行けそうにないから」

友達は、少し考える様子を見せた後、

「あ、お金のこと?なら、大丈夫だよ!うちら奢るし!」

夏穂は首を振り、

「そんなの悪いよ。でも、ありがとう。またね」

教室を後にする。

残った皆は、顔を見合わせ、言った。

「貧乏人は、可哀想だね」



学校帰り、またパン屋に寄り道する。

おばさんは、憎たらしい表情で、夏穂にパンを渡す。

夏穂はそれを特に気に留めることもなく、いつものように一礼して去って行く。

「待って!!」

夏穂は、背後から掛けられた声に振り返る。

夏穂は、一瞬体を固まらせる。

目の前の少年は、夏穂が空想で描いていた少年に、そっくりな容姿をしていたからだ。

襟足が長く、女の子のようにサラサラの髪。

白く、綺麗な肌。

優しそうな目元、凛々しい眉……。

ただ違うのは、彼が雨の日ではなく、快晴の日に現れたこと。

そして、どう見てもお金持ちではなさそうだ。

どちらかというと、一般庶民に近い香りがする。

そして、その微笑みは親近感を沸かせる。

制服を着ているから、同じ高校生だということは分かる。

同い年には思えないけど。

「あのさ、これよかったら……どうぞ」

そう言って少年が手渡したのは、フレンチトーストの入った袋。

夏穂は袋を受け取りつつも、驚いている。

「え……」

「フレンチトーストは、好きじゃない?」

夏穂は首を振り、

「何で私に?」

「毎日、パンの耳貰いに来てるでしょ?パンの耳何かより、こっち貰った方が嬉しいでしょ」

それから少年は、ヒソヒソ声で、

「あのおばさん、ケチだし嫌味ばっか言うからな」

「これって、あなたへの差し入れじゃないんですか?」

夏穂は言う。

「受け取れません。」

優志は目を丸くする。

「何で?」

「私はバイトもしてない身だし、あなたががんばって働いて、貰ったものですから」

そう言ってパンを少年に返し、夏穂は歩みを進める。

「でも、賞味期限切れてるし、俺には食えないな~」

少年は、わざと聞こえるように、大きめの声で呟く。

夏穂は振り返り、彼の手元のフレンチトーストを見つめる。

「やっぱり、勿体ないから、いただいてよろしいですか?」

「どうぞ」

少年は、笑顔でそれを差し出した。



家に帰る途中、夏穂は嫌な視線を感じた。

よく、クラスに一人は目立ちたがり屋な奴がいて、「いつでも自分を見て欲しい」なんて出張してるけど、夏穂は人に見られることを極端に嫌った。

何故なら、夏穂に向けられる視線は、どれも喜べるものがなかったからだ。

すれ違う何人かの女子高生が、ヒソヒソと話す声に耳を傾ける。

「きったなっ」

夏穂は、ピタリと足を止めた。

そして、頭の中は停止した。

女子校生達は、爽やかな表情で、夏穂の横を通り過ぎて行く。

しばらくして、停止していた脳内に、どっといろんな感情が入り込んでくる。

怒り、悲しみ、絶望感、自失感……。

夏穂は、訳も分からず、“家ではない家”まで走った。

あんな速さ、どこに兼ね備えていたのだろう?

あまりにも早いスピードで家に着いた。

夏穂は、息切れしながら、その場に倒れ込んだ。

行き場のない感情が、胸の中を渦巻いて……。

夏穂の瞳から、涙が止めどなく溢れた。

夏穂は、強く壁を叩いた。

既に、剥がれ落ちた古い壁を。

何度も何度も叩いて、ひたすらに感情をぶつけた。

夏穂にとって、「汚い」という言葉は、相当胸に刺さるものだった。

夏穂は、貧乏ながら見た目だけは気をつけていた。

女の子なんだし、外見を否定されるのは一番傷つくのだ。

「汚い……汚い……私は……」

それから、夏穂は、「他とは全く違う自分」に違和感を覚え、やるせない気持ちになった。

いつの間にか、乾ききった涙と共に、眠りにつく……。



「お久しぶり」

少年は言う。

夏穂と顔を合わせてから、2、3週間が過ぎた日のことだった。

少年は、夏穂に大きな紙袋を手渡した。

夏穂は、その中身を確認する。

「え……こんなに?」

少年は、笑顔で頷く。

その中には、フレンチトーストだけでなく、フランスパンやサンドイッチ、デニッシュパンまであった。

「今日、おばさんいないからさ。好きなだけ貰っていいよ」

夏穂は首を振り、少年にそれを返す。

「賞味期限切れの奴だから。しかも2日も」

少年の爽やかな笑顔に、夏穂は、思わず照れてしまう。

照れ気味の顔を伏せながら、紙袋を受け取った。

それから、夏穂は一礼し、その場を逃げるように駆けていく。

その勢いで転んでしまい、空いたままの鞄の中から、教科書が数冊落ちた。

少年は、教科書を拾いながら言った。

「最近、会えなかったから心配したよ。かほちゃん」

夏穂は、少年の顔を見上げる。

「“かほ”じゃないです」

「え!」

少年が驚いたように言う。

「“かほ”じゃなくて、“なつほ”です」

「あぁ。なつほちゃんね!へー。いい名前だね」

少年は、感心したように言う。

教科書を夏穂に手渡す。

「ありがとうございます」

夏穂は、少年を見て、

「あなたの名前は?」

少年はそれに気づいたようで、

「え?あ、俺の名前?俺はゆうし。優しい志って書いてね」

「名前の通り、優しい方のようで」

夏穂は、自分なりに一生懸命微笑んで言う。

未だに、笑顔は得意ではない。

「そう……かな?そんなことないと思うけど。でも、ありがと!嬉しい」

優志は、太陽のように笑った。



「今日も来てくれて、ありがとう」

微笑む優志を前に、夏穂は顔を上げることができない。

「おばさんが来る前に早く!またね」

少女は一礼し、急いでその場を去る。

家に帰り、早速、袋の中を開けてみる。

中身は、全部サンドイッチ。

ちびちびと、少しずつ食べて、明日のためにもと、3つ程残す。

それから、夏穂はしばらく気づくことがなかった。

紙袋の中に、小さく折り畳まれた手紙が入っていたことを。



それから夏穂は、優志が仕事を終える頃になると、パン屋の近くで待ち伏せしていた。

自分がストーカーのようで、気色悪く思えた。

優志が仕事を終え、店から出て来る。

「待っててくれたの?」

優志は驚き、その後とびきりの笑顔を見せた。

「な、わけないよね」

優志は、寂しそうに笑った。

「待ってました」

夏穂は、微笑んで言う。

それから、二人はたわいも無い話をした。

その日から、夏穂は優志に夢中になった。

毎日、優志が仕事を終えるのを待ち伏せしていた。


最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

第二章もよろしくお願いします☆

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