二発目
静かな森の中を一頭のイノシシ型の魔物が鼻息荒く闊歩している。
立派な牙を具えたその魔物は、しかし、肉食の魔物が少ない森の中で比較的平穏に暮らしていた。
だが、昨日から森に新しいにおいが混じっており、その為、群れの長たるこのイノシシは警戒心を露わにして巡回を密にしているのだ。
「ブモ?」
そんなイノシシの視線の先に、何かキラキラと光る物体が目に入った。
魔物の脳内を警戒心が駆け巡る。
森の中にあのようなものは存在しない。外から――つまりは人間が――持ちこんだ物に違いない。
イノシシは警戒しながらその陽光を反射する物体に近づこうとして――瞬間、足元が抜け落ちた。
落とし穴か、と気付いた時にはもう遅い。
穴の中には先端を上向けた竹槍が乱立し、イノシシの腹を散々に刺し貫いていた。
「ブモオオオオ!!」
それでも尚、魔物の生命力は死を許さない。
イノシシは力を振り絞って短い四肢を振り回し、槍を抜こうとあがいた。
直後、風を切って飛来した矢がイノシシの額に突き刺さった。
皮と頭蓋を突き破られた魔物は暫く痙攣していたが、やがて静かにその命を終えた。
「やった!! 大物です!!」
歓声と共に木から降りてきたのはリノンだ。
手に持つ短弓は先日、武器屋で強奪したものだが、どうやら魔法武器の一種らしく少女の非力な腕でも苛烈な威力が出せた。
「今日は何にしましょうか? 鍋は昨日しましたし、干し肉にしてもいいですね」
魔物の注意を逸らしていた鏡を回収し、その場でイノシシを切り分けながら、リノンはほくほく顔で昼ごはんに想いを馳せていた。
街を飛び出してから既に三日。
リノンは順調に野生に還っていた。
一方のユミエは本日の拠点と定めた湖のほとりで思索に耽っていた。
勿論、考えているのは己の権能、爆弾生成のことである。
憂うように黙考するその身には、能動的に火事場泥棒して獲得した海竜の皮を使った軽防具にミスリルの小手。腰には店頭に飾られていた雷撃属性の付与された魔法の短剣を佩いている。
装備だけ見ればそれなりの冒険者に見えるだろう。
とはいえ、ユミエは剣についてはまったくの素人だ。これから戦っていくにはやはり爆弾生成をいかに活かすかが重要になると分析していた。
(しかし、これは中々奥が深い能力ですね)
ニンマリと笑いながらユミエは爆弾のイメージを練り上げる。
爆弾生成はユミエの予想以上に拡張性の高い権能だった。
その場で爆弾を作れるというのもあるが、それ以上に威力や効果を好きに変更できるというのが大きい。
また、機能付与は複雑な効果の再現は難しいが、逆に言えばかなり抽象的なイメージでも形にさえなっていれば機能するということでもある。
イメージがきちんとできていれば、例えば爆弾でありながら[凍結]という機能を付与することも可能なのだ。
「――セット、[遠隔操作]、1個、生成」
ユミエは手の中に生まれた爆弾を湖に投げ込み、最大距離の10メートルまで離れる。
「それっと」
そして、サムズアップのように構えた親指を押し込む。
その動きに連動して、炸裂音と共に湖の中ほどで巨大な水柱が上がった。
「おお、壮観ですね」
飛び散る飛沫で陽光を透かし、湖に虹がかかる。
それと共に、湖のほとりにぴちぴちと魚が打ち上げられる。
本人的には爆弾漁のつもりだが、威力的な意味で似て非なる何かになっていた。少なくとも爆心地の魚は木端微塵であろう。
「ユミエさまー!!」
「お帰りさない、リノン。こちらもいい所ですよ」
「わあ!! こんなに魚が一杯!! 今夜はお魚パーティですね!」
「そっちのお肉と併せて一部は燻製にしましょう」
「お任せください!」
帰ってきたその足で調理場代わりの切り株に肉を置くと、リノンは早速下準備に取り掛かった。
ユミエも魚を拾ったり、威力を抑えた爆弾で火を付けたりと手伝う。
「ユミエさま、味付けはこんな感じでいいですか?」
「ええ、おいしいと思いますよ」
「ありがとうございます」
リノンが調理の手を止めず、朗らかに笑う。
少女も武器屋を強盗したその日はさすがに怒っていたが、夕飯を食べて一晩寝ると機嫌は治っていた。
あまり過去のことを気にしない性質の娘らしい。今ではもうユミエ以上にサバイバル生活に適応している。まったくいい性格をしている。
(しかし、街からの追跡はないですね。多少は食らいついて来るかと思ったのですが)
予想通りとはいえ、ユミエは改めてこの世界の詰み具合を実感していた。
街から逃げ出した強盗を追う戦力がないということは、街の維持と対魔物以外に割く戦力がないということの証明である。
ユミエは思考する。
自分の能力はこの世界では魔法使い的な何かと看做されるらしい。
そして、辺境には魔法を使える者は少ないことは確認済み。
加えて、目と鼻の先には火の四天王という大物が陣取っている。
これらの情報から見て、街の者が採るであろう手は二つ。
防衛戦力としてユミエを留め置くか、あるいは四天王に特攻させるか、だ。
今まで200人の先達が失敗してきたことを考えると、後者の可能性が高いだろう。
つまり、最も避けるべきは、衣食住を支配された状況でまともに準備できずに戦闘に突入する場合だ。
特にユミエには[人間不殺]の縛りがある。数人なら爆弾で昏倒させられるが、数を頼みに雪崩れ込まれると押し切られる可能性が高い。
「ままならないものですねえ」
「ん? ごはんならもうできますよ?」
「そうですか」
小首を傾げるリノンに和みつつ、ユミエは次の手を考えていた。
◇
「おや、爆弾生成のレベルが上ったようですね」
食後、様々な使い方を試している内にユミエの脳内でファンファーレが鳴った。
どうやら権能というのは使い続ければレベルが上るようだ。
魔物を倒さなければ上がらない可能性も考えていたので、ユミエは脳内で計画を微修正した。
「どれどれ――」
思考を巡らせ、視界に爆弾生成の小窓を開く。
・爆弾生成 レベル2
あなたは一日に[20個]の爆弾を生成できる。
最大威力:[完全武装した騎士が粉微塵になる]程度
操作範囲:[20]メートル以内
機能付与:[2つ]まで
恒常機能:[神殺し][人間不殺]
(イマイチ威力がわかりにくい表現ですね)
だが、大体の感覚は掴めてきたのをユミエは自覚する。
この小窓に書かれていないルールもいくつかあるのだ。
ユミエが気付いたのは
・ユミエが触れれば起爆までの時間は延長できる
・爆弾は威力を増やすごとに巨大化する
・生成個数は夜明けと同時に回復する
・人間には自分とリノンも含まれる
といった点だ。
最後は特に大事だ。
自爆を気にせずに使えるだけで爆弾の使い勝手は格段に上がる。試した甲斐があったというものである。
(あとは対四天王を見越して魔物との戦闘経験を積みたい所ですね)
「ご主人様ー、お魚とってくださーい」
「今行きます」
思考を切り上げて湖のほとりに戻ると、リノンがぶんぶんと手を振って待っていた。
街の中にいる時よりも元気に見えるの気のせいだろうか、などとユミエは益体もないことを考えた。
そんな野生の107歳児の背後に組んだ薪の上に木箱のような物が吊るされている。
「簡単ではありますが、燻製の準備が出来ました」
「さすがですね、リノン」
「木製ですので時間がかかります。日没までには準備を終えたいです」
「では、すぐに魚を獲りましょうか。――セット、1個、生成」
ユミエは手の中に爆弾を生み出し、本日二度目の爆弾漁を開始する。
投げ込んでからきっかり10秒で爆弾が爆発し、大量の飛沫と共に魚が打ち上げられた。
「――うっさいわね!! さっきから何よ!?」
そして、魚に混じって何かよくわからない者も上陸していた。
「……は?」
「誰よ!? ヒトの聖域で好き勝手やってるのは!?」
唖然とする二人の前に立ちはだかったのは、薄い羽衣を纏い、全身を青色に染めた女性だった。
人間でないのは微かに向こう側が透けて見える半透明の肉体から察せられる。
しかし、黙っていれば美しいであろうその容貌も、柳眉を逆立てて怒声をあげていては全く以てだいなしである。
「まったく、近頃の人間は神に対して何をしてんのよ!?」
「神? 神は魔王になっているのでは?」
神という単語に反応したユミエが問うと、女性は水の滴る髪を掻きあげながら鬱陶しげに返答した。
「それは最高神さまね。私は各地に派遣された下級神の一柱よ」
「成程」
「それで――って、アンタ何で魔王が最高神さまって知ってるのよ?」
「魔王を倒そうと思ったらその位の情報は集まるものですよ」
ユミエは曖昧な笑みで誤魔化した。
まだ、互いのスタンスが定まっていない内に勇者であることを明かすのは危険だと判断したのだ。
(というより、コレは――)
「……そう。良きにはからいなさい」
面倒事の気配を察した自称女神は踵を返そうとするが、その時には既に湖への道をユミエが塞いでいた。
「貴女は魔王なうな最高神を諌めたりはしないのですか?」
「無理無理。どんだけ神力差あると思ってんのよ」
「だから、勇者に丸投げ、と。へえ、そうなんですか」
瞬間、場の気温が数度下がった。
思わず後ずさる自称女神に向けて、ユミエはこれ以上ない獰猛な笑みで牙を剥いた。
「――リノン」
「えっと、異世界の手引きによりますと、偉そうな割に無能な貴族などがいたら説教して更生させるとよい、とのことです」
「偶にはその手引きも役に立ちますね。まあ、説教は閻魔様にお願いしますが」
「え、閻魔って、あなた――まさか!?」
ようやくユミエの素性に気付いた自称女神が慌てて己の聖域、つまりは湖に戻ろうとして――その腕をユミエにがっちりと掴まれた。
「な、何であんた私に触れ――しまった!! [神殺し]の――」
「さあ、同じ神のケツも拭けない駄女神はしまっちゃいましょうね」
「ちょ――」
「――セット、[封印][冷凍]、1個、生成」
ユミエの手の中に子供の頭部ほどもある爆弾が生まれた。
男の笑みと手の中の爆弾を見て、本能で危険を察した自称女神は青い肌をさらに青色にした。
「は、放して!!」
「起爆まであと3秒。遺言あったりしますか?」
「にょわ、やめ、許し――ぐわああああ!!」
悲鳴は爆音に消えていった。
爆心地には小さな氷の欠片のような宝石だけが残った。
それを感情のこもらない目で見下ろしながら、ユミエは肩を竦めた。
「冴えない遺言でしたね」
「えっと……ターマヤー」
「はい、お粗末さまでした」
いつもの笑顔に戻ったユミエを見て、リノンはほっと息を吐き、いそいそと燻製の準備に戻っていった。
([封印]ですか。やってみるものですね)
朝から試していた内の一手が成功したことにユミエは心中でほくそ笑んだ。
爆弾魔は宝石を拾うと、それが溶けたりしないことを確認して懐に入れた。
自称下級神相手でも自分の爆弾は機能する。
それは対四天王、そしてその先の魔王戦を考える上では大きな一歩だった。