表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
97/124

その剣の意味(28)

 とある安宿の一室で、素っ裸の男と女が、折り重なってベッドの上にいる。体はぴくりとも動かず、息遣いさえ聞こえない。つい先程まで繰り広げられていたであろう狂態で、上から下から出せるものを出し尽くしてしまったのか。まるで死体のような――と呼ぶにはいささか間抜けすぎて、潰れた蛙と言った方が正しい。


「……何回やったっけ……?」

「五回……だな」

「馬鹿じゃないの……どんだけ溜まってんのよ……」


 ロゼッタが下から這い出そうとしたので、カイラルはごろんと体を転がし、仰向けになった。流石に精も根も尽き果てたと見え、口は半開きで、眼は焦点を結んでいない。それはロゼッタも同じだったが、仕事上の習慣からか、すぐに身を起こしてカイラルの股ぐらに手をやり、最後の一回の後始末をしている。


 よく考えてみれば、かれこれ半月ばかり禁欲状態だったのだ。カイラルとしては随分持った方である。ずっと部屋から出られなかったので処理しようとしてもできなかったし、他に考えることが多すぎて、そんな欲求は頭から消えていた。それがさっきのことで、一気に爆発したものと見える。


「せっかくいいホテル取ってあげたのに、こんなところで……こっちはライブの後でくたくただっての……腰痛った……」

「悪い……」

「いいわよもう……まさかあの娘の部屋の横でやるわけにもいかないしさ……水取って水」

「はいよ」


 ミネラルウォーターの瓶を開けて渡すと、ロゼッタは喉を鳴らして飲み干し、二本目を要求した。それも一息に半分ほど空けてしまうと、瓶をカイラルに返し、下着もつけずに煙草を咥えた。終わった後すぐに一服やるのはやめろと常々言っているカイラルだったが、今日は状況が状況だけに文句も言えない。紫煙の漂う中で、残った水をちびちびとやっている。


「どうだった? 今日のライブ」

「うん? ……まあ、やった甲斐はあったんじゃねえか」

「本当?」


 気の抜けた様子から一転、ロゼッタは声を弾ませた。


「来た連中にお前の気持ちは伝わったと思うぜ。それは保証する」

「よかった。それだけ聞けりゃ十分よ」


 ライブの目的は十分に果たせた。二度目の悪夢を見てなお、人々を勇気づけるだけの力があると証明できたのだ。あの大歓声が何よりの証拠だろうが、最も身近な男に認めてもらえるまでは、実感がわかなかったのだろう。


「けどなあ、ファンサービスもほどほどにしとけよ。女同士で抱き合ったりとか」

「あんたも嫌いじゃないでしょー?」

「大勢の前でやるなって言ってんだ。本業と区別つかなくなるだろ」

「うーん、観客受けはいいんだけどなあ」


 軽口を交わしながら、ロゼッタはすぱすぱと煙草を吸っている。ようやく不安から解放されたのか、疲れもどこへやら、今度は自分からカイラルに挑みかかってきかねない調子である。しかし、楽しい睦言も長くは続かなかった。緩みきった頬を引き締め、ロゼッタは切り出した。


「で? 何があったの?」

「何がって何だよ」

「しらばっくれないでよ。さっきのあんた、とんでもない顔してたわよ。結構ひどい怪我もしてるみたいだしさ。ライブの途中で抜け出して何やってたのよ」


 言われてようやく、カイラルの体に痛みが蘇ってきた。動けないほどではないにせよ、よくもまあ何度も女を抱けたものだ。


 仲間が助けに来てくれたのは、連れ出されるカイラルにロゼッタが気付き、ステージの上から必死に知らせてくれたおかげだ。ザトゥマが負けを認めたとはいえ、あのまま皆が乱入してこなければ、どうなっていたかわからない。これだけ心配をかけておいて、何も話さないというのは許されないだろう。かといって、すべてをありのままに伝える訳にはいかない。どう説明すべきか、カイラルは頭を捻った。


「ザトゥマの野郎と一悶着あってな」

「それはさっき聞いた」

「セリアに手当してもらって、しばらく話してたら、いきなり目の前で服脱ぎ出して」

「話の繋がりが滅茶苦茶な気がするけど、それで?」

「……指一本だけ触れて逃げてきた」

「ぷっ! あはははは!」


 ロゼッタは腹を抱えて笑った。


「何? 据え膳食わずに尻尾巻いて逃げたの? あんたが? そりゃあ収まりつかないわよねえ。誰でもいいから発散したくなるわけだわ」

「そうじゃねえよ。確かにちょっとだけ触っちまったけどな、あいつは俺を誘うつもりで裸になったわけじゃ」

「でもあの娘に欲情したのは間違いないでしょう?」

「それはまあ……いやだから違うんだって! そうだけどそうじゃねえんだよ! 上手く説明できないけどな!」

「わかってるって。……あの娘はどう見たって、男を誘惑するようなたちじゃないでしょ。これ以上は突っ込まないけどさ、色々事情があるのは知ってるわよ。姉さんからも聞いてるし」

「キエルが? お前、どこまで知ってるんだ?」

「あの娘がこの国の人間じゃないってことくらい? ああ、姉さんが見えない力で人間握り潰せたりするのはとっくに知ってたけど。この間私達を襲ってきた怪物のことだって、少しは聞いてたのよ」


 キエルがそこまで話していたことに、カイラルは少なからず驚いた。この女、ダウルやペリットの次くらいには、事態の中心に近いところにいたらしい。つい先日まで蚊帳の外に置かれていた身としては、自分を関わらせまいとした母の気持ちを再確認して、ありがたいような腹立たしいような、複雑な気分にさせられた。


「今、相当ヤバいことになってるんでしょ。あの娘がそれと関係あることくらいは嫌でもわかるわよ。だからあんた達の橋渡しにでもなればと思って、声かけてあげたんじゃない」

「そうか。……ありがとな」

「どういたしまして。貸しにはしとかないから安心しなさい。ここんとこあんたには面倒ばっかりかけてたからさ。ほら、この際全部吐き出しちゃいなさいよ。溜まってたのはあっちの方だけじゃないんでしょ」

「じゃあ、せっかくだから聞かせてくれ。お前から見て、セリアはどうだ。まだあんまり話してもいないけど」

「んー。……そうねえ」


 ロゼッタは煙草を深く吸い、細く長く吐いた。染みだらけの壁を眺めながら、しばらく考えを巡らせ、「いい娘よ」と言った。


「すごくいい娘。私みたいにスレてないってのは事実ね。品の良さは一目でわかったわ。礼儀正しいし。きっと育ちがいいんでしょうね。それに美人だし芯は強そうだし、人と話すのは苦手みたいだけど、言いたいことははっきり言うタイプ。相性が悪い人とは徹底的に悪いと思うわ。その辺はあんたと同じね。時間はかかりそうだけど、仲良くなれたらきっと楽しいと思う。……だけど、すごく危ういようにも感じる。私も散々ひどい目に遭ってきたし、世の中全部が憎くなったこともあったけど、そういうのとは全然別の……剥き出しの刃物みたいな気配を出してるわ。私が世間の荒波に揉まれてボロボロになったんなら、あの娘は逆にどんどん研ぎ澄まされて、何でも切っちゃう刃が残ったっていうか」

「屈折してるんじゃなくて、まっすぐになりすぎてる?」

「そういうことね。……踏み込んでいい一線を見誤ったら、マジで大変なことになるわよ」


 ロゼッタはセリアの詳しい素性を知らない。そんな彼女までもが、セリアの存在を一本の刃に例えた。しかし、二人の抱いた印象は真逆だ。カイラルはセリアを錆び付いた刃と感じたが、ロゼッタは研ぎ澄まされすぎた刃だと言う。それは、時折見せるセリアの狂気じみた部分が、後天的に与えられた歪みなのか、本質的な鋭さなのかという問題だ。そして先刻の出来事を経て、カイラルはロゼッタの意見を否定できなくなっていた。このまま自分が錆を落とそうと手入れを続ければ、狂気が先鋭化されていくだけなのではないか、と。


「ま、あんたも一人で抱え込みすぎないことね。私からも色々話したり、遊びに誘ったりしてみるわ。友だちになれそうって言ったのは、嘘じゃないからさ」

「頼む。俺もできるだけのことはする」


 言ってはみたものの、自分に果たして何ができるのか、カイラルは再び疑い始めていた。いまだ快楽の余韻が残る頭に、傷だらけの肢体が浮かんでくる。


 あれがセリアの覚悟の形なら、自分はそれにどう答えるべきなのか。彼女は、【セカイの中心】たるカイラルに、いずれ必要とされなくなることを恐れている。だからこそ、世界の王に見合った存在であることを示すために、己に刻んだ秘密を晒したのだ。しかしカイラルからすれば、彼女の行為はあまりに重すぎて、まったく逆効果だった。釣り合っていないのは自分の方だ。役目のために自身を傷つける覚悟も、それを晒す度胸もない。恐怖に怯えて死体を埋め、その真実さえも覆い隠そうとしてきた自分には。


 セリアは、諸刃の剣をまっすぐに振り下ろしてきた。それを受け止めてやれるだけのものを、カイラルは持っていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ