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その剣の意味(27)

 驚きに目を見開いたのもわずかなの時間のこと。しばらくは黙って様子を見ていたが、いつまでも離れようとしない女が汚らわしく思えてきた。やがて忌々しげに眉をひそめ、ベッドに突き飛ばしたものである。体を起こしたシャロンは、相変わらず感情のない顔のまま、指先で唇をなでた。


「初めてというわけではないでしょう?」

「戯言を。ミンツァーの差金か? あの男が何を考えているのか知らんが、女を使って俺を籠絡しようというのなら、見当違いだと言ってくれ」

「誰かの命令でこんなことをするほど落ちぶれてはいないわ。それとも、私は好みではなかったかしら」

「茶化すな。俺の心は、元よりセリアにしか向いていないんだ」

「そんなにその出来損ないの娘が大事?」

「大事だ。命よりも、この世界よりも」


 会っていくらも経たない女の前で、包み隠すこともなくシャルルは言い放った。彼はその感情を己の柱として、まったく恥じる色がなかった。今なお行方の知れない少女のことを想うと、胸が締め付けられるようだ。


「あいつは世界に疎まれて、重い宿命を背負って生まれてきてしまった。おかげで随分屈折した性格に育ったものだ。わがままで生意気で暴力的で……美しく悲しく愛しい娘だ。あいつは一人では生きていけない。誰かが側にいてやらなければならないんだ」


 そしてその『側にいる誰か』の役目を他人に譲るつもりなど、シャルルには毛ほどもなかった。他の誰かではなく、自分がいなければならないのだ、と。


(だが、こいつらは結局どこまでつかんでいるんだ?)


 実のところ、ミンツァー一派がセリアをとっくに確保している可能性はある。その上でセリア捜索に協力する姿勢を見せているのだとしたら、とんだ食わせ者だ。もっとも、それを覚悟で彼女の重要性を打ち明け、捜索を頼んだのだが。ミンツァーは人質の扱いを間違えるような人物ではないだろう。あの廃墟の街で隠れ潜んでいる方が余程危険だ。


 ミンツァーは閉塞世界に仇なす血筋だという。本来ならば、世界の守護者であるシャルルにとっては駆逐すべき敵だ。それを知りながら手を結んだのは、【穴】の向こうに進出することで村への帰還が叶うかもしれない、という期待からだった。しかし、閉塞世界そのものを破壊しようとするミンツァーの目論見にも、興味を示せる部分がなくもない。哀れな首切り役人の娘が迫害されたのは、世界と直接対話する力に欠けていたからだ。ならばそんなしがらみ、世界ごと破壊してやるのも一興ではないか。


 シャルルにとって、命を懸けて守るべき存在はセリアただ一人であり、一族の連中や世界の仕組みなどは二の次だ。尊敬する神子マリアナや父エルノーでさえも例外ではない。自分とセリアさえいれば、血を残していくことは可能なのだから。一族の血を誇るが故に、自ら第二の始祖となることをも是とするのが、シャルルという男であった。


 それでも、一族の長となるべく生まれてきた者として、最低限の責任感までは見失っていない。世界の破壊とやらがどこまでのことを指すのかはわからないが、ミンツァーがアルメイド一族と敵対するならば、自分は一族の側に立つつもりでいる。あの男の要求をどこまで受け入れるかは――そもそも、世界の仕組みに則って世界を破壊するなどという芸当が可能なのかは、検討もつかないが――自分にかかっているとシャルルは思う。その時のために、自分の最大の弱みであるセリアを、ミンツァーが手に入れておこうとしても不思議はない。


(しかし、この切り札は扱いが難しいぞ。すぐに切る訳にはいかないが、いつまでも隠したままでは抑止力になりえない。実際今も俺は出て行こうとしたし……。確保できていないのは事実と見るべきか。といって、何も情報をつかんでいないとも思えん。ブラフでどこまでも引っ張ろうとするほど馬鹿ではないだろう。……捕捉はできているが手を出せない? 連中と対立する組織に先に確保された、とでも?)


 まったく狐と狸の化かし合いである。しかし悪い気はしない。幼い頃から老害どもに囲まれ、権力闘争の中心にいたシャルルにとっては、腹の探り合いは望むところだった。どこまでも白々しく笑顔で手を握る。今はそれでいい。


「心配せずとも協力はしてやる。俺にとってもあなた達の存在は大きな助けだからな」

「それはありがたいことね」

「その代わりに、とは言わんが」


 シャルルが壁の鏡を指差すと、シャロンはつられてそちらを見た。


「俺の好みかどうかは別として、あなたは十分に魅力的だ。だからせめて、もう少し感情を表に出せ。辛気臭いし不気味で敵わん。笑顔の一つでもできるようになれば相手をしてやる」


 シャロンはじっと鏡をのぞき込んでいた。まったく表情は変わらず、恥じらう様子も腹を立てる気配もない。だが、静かな波の音をシャルルは聞いた。池に投げ入れた小石が生み出すものより穏やかだったが、感情を持たない女の内で、何かが確かに揺れ動いていた。


「そう。じゃあその時は、さっきの続きをしましょう」


 それだけ言い残して、シャロンは出て行ってしまった。どこか逃げるような足取りだった。


「……少し、もったいなかったか」


 据え膳は下げられてから惜しく思えてくるものだ。不憫な少女への想いを別格として考えれば、シャルルは年増が嫌いではないのである。久々に焚き付けられた感情は、実に鬱陶しいものだった。何かに集中していないと消えそうにない。食料を片付け、読みかけだった本を貪るように読む。服は明日の楽しみに取っておこうと、そのままにしておいた。


 分厚い学術書が閉じられた時、日付は変わろうとしていた。寝間着に着替え、電気を消して窓の外を見る。人々の灯す明かりはまだ消える気配がない。グラムベルクは眠らない街だ。あの魔女の村にはまったくなかった概念である。そして夜の世界に男と女の関係はつきものだ。今も街のいたるところで、劣情が発散されているのだろう。


「まあ、せいぜい頑張るといい。俺はまたの機会を待つとしよう」


 街中の男女に手を振り、シャルルは身を横たえた。

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