その剣の意味(25)
この場で誰かが聞いても、決して認めはしないだろうが。カイラルは魅入られていた。あのおぞましい傷跡に。吐き気を覚えながらも、その体から目を逸らせないほどに。
セリアは答えなかった。ただ、再び背中を向け、少しだけ頷いたようだった。
カイラルは恐る恐る近づいた。薄暗がりの中のわずかな距離を、罠でも仕掛けられていまいかと探るように歩いた。一歩踏み出すごとに、艷やかで不気味な肉の花は鮮明に見えてきた。もう触れようと思えば触れられるところで、カイラルはしかし手を伸ばせなかった。それは、息を吹きかけるのすら禁じられた聖女の像か何かに思えた。墓土と死体を日夜世話している手で触れることは、あまりにも罪深く感じられた。
それでも欲望は打ち勝った。触れていいか、とは聞いていなかったが、答えを待つ必要はなく思われた。彼女はまったくの無防備だった。そっと、指先だけ、と考えていて、力が入りすぎた。勢い余った手が肩をつかんだ瞬間、セリアはびくりと体を震わせた。
「あっ……い、は、すっ」
女の体など触れ慣れているはずの彼が、その瞬間だけは、まったく童男のようだった。
「すまん!」
カイラルは叫びとともに駆け出すと、鍵のかかった扉をぶち破り、転がるように出て行った。
ぽつねんとして一人残されたセリアは、開け放たれた扉を見て、うなだれるしかなかった。
夜の街へ飛び出したカイラルは、ひたすら走り続けた。
ゴミ箱をひっくり返し、腕を組む男女を真っ二つに裂き、寝ていた酔っぱらいの足を踏みつけて絶叫を上げさせたが、気にも留まらない。逃げるとか、どこかへ隠れるという気持ちはそれほどなかった。ただ、この情欲とも征服欲ともつかないものを、燃焼させて消してしまわねばならないと感じていた。
坂を駆け下り、縦横に交差する路地を抜け、どこにいるのかもわからないままに走った。それが、ある小道から大通りへ出たところで、
「痛った!」
歩いてきた集団にぶつかり、カイラルはふらふらとよろけて止まった。
「……カイラル?」
向こうはこちらの様子がおかしいのに気づいて駆け寄ってきた。
「ちょっとあんた、あれからどうしたの? あの娘は?」
「……うわ、超怪我してんじゃん。全然大丈夫じゃないじゃん」
「顔色最悪だぞ、汗拭いてやれよ」
相手がロゼッタ達であることは辛うじて理解できたが、呼びかける声にも答えることはできなかった。心臓は爆発寸前で、顔を上げることさえ苦痛なのだった。
荒い呼吸を繰り返していると、ふわりと鼻に吸い込まれたものがあった。カイラルは目を見開いた。それは真っ白になりつつあった彼の精神を、一気に覚醒させるに十分な薬効を持っていた。走る燃料に変えて燃やし尽くそうとしていた感情が、極大まで膨れ上がる。激しいライブの後で、汗の始末をし着替えもしているのだろうが、カイラルははっきりと捉えた。女の香り、というよりは、雌の匂いであった。
カイラルはロゼッタの腕をつかんだ。その力の強いのにロゼッタは驚き、反射的に振り払おうとしたが、自分に向けられた目を見て、思わず身をすくませた。他の連中も、ひるんで身じろぎさえできなかった。
その様は、まさしく食われる寸前の小動物であり。
カイラルの目は、まったく肉食獣のそれだったのである