その剣の意味(24)
セリアはゆっくりと服のボタンを外しだした。
「おい」
カイラルが声をかけるのにも構わず、服がまた一枚脱ぎ捨てられる。セリアは繰り返し「鍵を」と訴えた。慌てて扉に走り、外に誰もいないことを確認して、鍵をかけるカイラル。動悸の原因は興奮ではなく不安である。
これが純朴で真面目な好青年や、女に見向きもされぬわびしい男であったなら、あらぬ妄想に取り憑かれていたかもしれない。しかし彼はそうではなかった。物心ついた時には夜の女達の手練手管を味わい、街をさまよう不良娘達と浅からぬ縁を築いていた男である。今背後にいる少女が、男を誘うために自らを晒そうとしているわけではないことなど、とっくに嗅ぎ分けていた。
振り向いたカイラルの前で、セリアは最後の下着を落とした。
美しい裸体だった。そこには一切の無駄がなかった。女性的な曲線と膨らみを持ちながら、徹底して鍛え上げられた肉体。妖艶さと屈強さを一つの器で溶け合わせたもの。今まで抱いてきた女達とは決定的に違う、みだりがましい要素を超越した何かがそこにあった。
カイラルはふと気づいた。セリアの背中に、ぴくりと蠢くものが見える。虫でも這っているのかと思った。それは肩に、腰に、腕に、少しずつ増えてゆく。
自身を抱きすくめるように、セリアが体に力を込める。蠢く何かは瞬く間に全身を覆った。
それは無数の傷跡だった。切り傷に刺し傷、獣の爪で引き裂いたような痕。えぐれているのは肉を削ぎ落したものか。赤黒く爛れているのは火傷だろう。場所を取り合った傷と傷は互いを押し退け、あるいは重なりあって、肉を歪ませている。
最早、傷だらけの肉体とすら呼べなかった。歪な肉が人の形を成しているのだ。
「私自らつけた傷です」
セリアは静かに認めた。
「あなたに言いましたね。法の下に死ねなどという決断は、例え悪人でもその死を辛くて見ていられない人が下すべきなのだと。それは私自身についても同じです。罪人であれ、彼らがどんな苦痛を背負って死んでいくのかくらいは、身を持って知っておくべきだと考えました」
だから己の肉体で試した、と。およそ常人には理解し難い理屈を彼女は並べた。
「最初はこの体を焼けた火ばさみでつまみました。隠していたのですけど、すぐ周囲に知られてしまって。シャルルは半狂乱になるし、ハイリには本気でぶたれるし、ルネには泣かれるしで、散々な目に遭いました。ユニだけは白けた顔をしていましたけど」
至極当然な反応だとカイラルは思った。それは、他の四人や『村』の連中よりも、彼女自身の方が遥かに異常な存在だということに他ならなかった。
「結局、ルネの治療を受けて傷は塞がりました。ですが不思議なことに、傷跡が消えないのです。彼の力なら、跡形もなく治せるはずなのに。皆首を傾げていましたが、私には原因がすぐに分かりました」
セリアは、剣の収められたケースをちらりと見た。
「母から役目を受け継いだ時、恐るべき刑具の数々も継承しました。火ばさみ、鉄の処女、太陽の車輪、絞首縄、断頭刃。裁きの剣がそうであるように、閉塞前からずっと伝えられてきたものなのだそうです。あなたの呼んだ影を、私の剣は容易く切り裂いたでしょう? あの剣はかつての世界で、数多くの血を吸ったもの。別の世界があったことを知る証人として、あの剣そのものが閉塞力をかき消す力を帯びているのです」
即ち、セカイ使いを殺すセカイ法である死の力より、さらに上位に位置する力ということ。あの剣は、死の担い手を含めたあらゆるセカイ使いの天敵なのだ。もちろん他の刑具もそうなのだろう。それらを用いて、強い念を込めてつけた傷を、セカイ法で簡単に治療できるわけがなかったのだ。閉塞世界の仕組みから言えば、傷跡が消せないというより、傷がついた事実を否定することができないということか。
「ルネも色々と苦心して、肌の下に傷跡を埋め込んで、普段は見えないようにしてくれました。ですがこうして、気分が昂ると傷が浮き出てくるのです。もっと高位のセカイ使い――神子マリアナあたりなら完全に消せるのかもしれませんが」
そしておそらく、治療は逆効果だったのだろう。治せるということは、いくら傷つけてもよいということなのだから。彼女の自傷行為はさらに加速し、見かけ上消えた傷は、地層のように肌の下に堆積していったに違いない。
「人は私を気狂いだと断じるのでしょうね」
セリアはこちらを向いた。辛うじて乳房と下腹部は隠されているが、一糸まとわぬ姿を晒した。しかし、足の先から顔まで傷跡に覆われたその肉体は、生まれたままの姿などとは言えなかった。彼女は人としての姿を捨てたのだ。一本の剣に成り果てるために。
「ですが後悔はしていません。こうしなければ、私は首切り役人として成立し得なかったのですから。これはロゼッタさん達の歌のような、高潔で実行力を伴った覚悟ではありません。私がなまくら刀でないことを証明するための、ただの目印です」
狂人の理論だと思った。役目のために自らの身体を傷つけるなど、想像するだけで悪寒が走った。だが、根幹にある気持ちだけは、カイラルにも理解できた。狂っていると言われようと、セリア=カルタオグアにとっては必要な行為だったのだ。彼女が彼女であるために。カイラルが自我を維持するために死体を埋め、死に場所を求めてさまようように。
「……見苦しいものをお見せしました。私が示せる覚悟といえば、これが精一杯です」
セリアはそう言って、再び体に力を込めた。傷跡が巣穴に戻ろうと引き始める。
「待て」
カイラルは無意識の内に叫んだ。
「もっと近くで見ていいか」