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魔女の贄(6)

 儀式そのものは滞りなく進んだ。


 まずは全員の名が読み上げられ、次いで宗主の訓示がある。その後は祭司達による儀礼用の音楽と舞が披露され、参列者達はその間中祈りを捧げねばならない。やることといえばそれだけで、最後に神子の御言葉をいただいて終わりである、


 祈りを捧げる間、参列者達は様々な思考を巡らせる。その多くは神子に関することだ。神子は参列者が並ぶ祭壇の、さらに一段高いところの椅子に座しており、儀式が始まってからというもの、一言も発しない。


 神子ことマリアナ=アルメイドは、この森に住む人々の始祖とされ、千年の時を生きていると言われる存在である。実際の統治こそ、子孫の中心であるアルメイド宗家と、その脇を固める四大分家、行政機関たる長老会議に委任している形ではあるが、一族の頂点に立つのは間違いなく彼女なのだ。普段は森のどこかにあるという聖殿に住まい、多くとも年に数回しか姿を見せない。聖殿の場所を知っているのも面会の資格があるのも宗主のみで、しかもその宗主でさえ必要最低限の目通りしか許されないという。


 そんな神子が年に一度、必ず姿を現すのが成人の儀だ。これは宗主以外の人間が確実に神子の姿を拝むことができる、またとない機会と言える。


 姿の見えない存在は否が応でも興味を惹く。


 あの偉ぶった宗家の連中が平伏する神子様とは一体どんな御人なのか、しかとこの目で見ておきたい――。


 そのような考えに至る者が多いのも当然であろう。



 舞が始まった頃、少女は薄っすらと目を開け、前方斜め上をちらりと見た。何しろ最前列なので、少し顔を上げれば神子の姿が目に入ってしまう。神子は薄布で顔を覆っており、その容貌や表情を窺い知ることはできなかった。しかし。


 何なのだろうこの薄気味悪さは。


 自分の体が侵食されている感じ。神子には目に見えない無数の手があって、それが纏わり付いてくるような。


 率直にそう感じた少女だったが、実際それに近いことをされているには違いなかった。神子は今、最後の品定めをしている。直属の神官となる者、戦士として戦いに赴く者、その選定をしているのだ。資料は渡っているのだろうが、直接話すことなどは一切なく、ただ壇上から眺めることによって最終決定をするという。


 気になって何度も顔を上下させているうち、一瞬神子と目が合った気がした。慌てて首を引っ込め退散する。そんな馬鹿なことがあるか。相手は顔を隠しているというのに。


 それきり、不気味な感覚に耐え切れず顔は上げられなかった。


 やがて舞も終幕、儀式は神子のお許しを残すのみとなった。それを促すのは宗主の役目である。シャルルが車椅子を押そうとすると、エルノーはそれを制した。儀式の締め括りくらいは自分の足で立って迎えたいというのだろう。シャルルは承諾し、老いた父の肩を支え、立ち上がるのを補助する。杖を突き、ゆっくりとした足取りで前へ出るエルノー。壇上の神子に会釈し、若者達を見渡す。


「最後に、神子様より御言葉をいただく」


 ずっと座っていた神子が立ち上がった。


「――皆さん。今日という日まで、よくぞ辛い修練に耐えられました」


 透き通るような声であった。


「あなた方の一部は、世界の秩序を維持する戦士として、セカイの外へと旅立つことになるでしょう。そして残る方々はこの国に留まり、後進の育成に力を注ぐ役目を与えられるでしょう。別れの時は近くまで迫っています。それまでは、しばし体を休め、悔いの残らぬよう充実した日々を送って下さい。……ただし、これだけはお忘れなきよう。例え住むセカイが異なろうと、あなた方の魂は繋がっている。皆さんには、誰一人として欠けることなく、同じ血が流れているのですから」


 静寂の中で、涙をすする音がする。感慨深さにもらい泣きしてしまったのか。彼らは己の血に誇りを持ち、命を賭して使命を全うするに違いない。まさに、アルメイド一族として相応しい品格を備えた、一人前のセカイ使いである。


 だからこそ彼らは、決して理解することはないだろう。


 同じ血を引きながら、才能を欠いた者の苦悩など。


「では――」


 宗主へ顔を向け、最終確認をする神子。頷き返すエルノー。


 遂にこの時が来た。若者達が姿勢を正し、瞬き一つしない両目を神子へと向ける。


 少女は斜め前を見た。シャルルが直立不動で目を閉じている。


 こうして。


「これを以って、この場に列席する若人を、成人と認め――」


 めでたい門出の宣言となる神子の言葉は。


「――お待ち下さいませ!」


 唐突な叫びによって掻き消された。



 びりびり、という感覚が少女の全身を襲った。心臓が飛び出るかと思った。それほどの不意打ちだったのだ。隣のハイリも、その次のルネも、前方のシャルルとエルノーも同じ様子だった。誰もこの状況下で絶叫する者がいるなどとは思っていないから当然だろう。しかもどういうわけなのか、声の主は少女の右三人目に立っているあの女ではないか。


 赤髪の小女は続けて叫んだ。その声は言葉を遮られた宗主ではなく、壇上からこちらを見下ろす神子へと向けられている。


「火のティウム家が嫡子、ユニにございます。出過ぎたこととは存じますが、神子様に申し上げたき議がございます」


 もちろんそんなことが許されるはずがない。唖然とする参加者達をよそに、祭司達は青い顔でユニへと掴みかかった。儀式の場、それも神子の眼前で無礼を働いた不届き者を摘み出そうというのだ。ユニの小柄な体は瞬く間に祭司達によって囲まれ、両腕を捻り上げられた。悲鳴が上がる。そこへ。


「お待ちなさい」


 祭壇の上から、穏やかな声が響いた。一斉に視線が集まる。声の主は突然の事態にも取り乱すことなく、眼下に居並ぶ者達を一瞥する。神子マリアナその人であった。


「ティウムは四大分家の一つ、司法を司る正義の体現者たる家系。その嫡子が儀式の場を乱してまで直訴したいと言うのです。何か余程のことがあるのではありませんか」


 言葉はそこで止まった。遠回しではあるが、要はユニの発言を認めるということだ。あえて強い口調を避けたのであろう神子の言葉は、静かな威圧感となって行動を促してくる。


 祭司長は部下に命じユニの拘束を解かせると、押し込めた声で言った。


「神子様の御意向により、特例として発言を許可する」


 祭司達が離れていく。ユニの父は、へなへなと座り込んでしまった。寿命が十年は縮んだろう。当のユニは、ほっとしたような、そして勝ち誇ったような顔で歩み出た。片膝を突き、目を閉じ手を組んで祈ること数秒。立ち上がるや両手を広げ、興奮に任せて一気にまくし立てた。


「成人の儀を迎えるに当たっては、セカイ使いとして成熟している必要がございます。すべては我らアルメイド一族の誇り高き血を保ち、世界の秩序を維持するため。それは神子様もご存知のはず。然るに――」


 言葉を切って背後へと振り向く。憤怒を込めた視線は一人の人物にぴたりと合わさる。標的となった少女の身が固まる。一瞬の間に、その場にいた全員が続く言葉を容易に想像しえた。早まるな。やめろ。誰もがそう思った。しかし一度火の着いたユニは止まらない。誰かが割って入る間もなく、彼女は堂々と事実を口にした。


「閉塞世界を紡ぐ力を持たぬ者が、この場に列席していることは納得がいきませぬ」


 場が静まり返った。


 これまで一族の誰もが認識しながら、黙認を強いられてきた事実を言い放ったわけだ。一族の統率者たる神子の前で。


 無論、神子は事実を知らされているだろう。自身の血を引きながら才能に欠けた娘が生まれたことも、その娘の成人を認める決定を長老会議が下したことも。


 だが、その裏で暗躍する男がいたことは、果たしてどうなのか。


 すべてが次期宗主の暴走であると知れば、態度を変えるのではないか。


 こうなっては神子の反応を待つしかないのだが、当の本人は相変わらずだんまりを決め込んだままで動こうともしない。が、代わりに罵声を浴びせた者がいた。


「ユニ!」


 それまで静観していたシャルルが、立ち尽くす祭司達を突き飛ばして猛進。我を忘れたかの如く怒気を撒き散らしてユニへと迫り、頭一つ分は背の低い彼女を見下ろす。ユニは一瞬身を震わせたが、負けじと怒りの篭った瞳でシャルルを見上げる。


 周囲そっちのけで両者の言い争いが始まった。


「撤回しろ! 今の発言がどれだけ侮蔑的なものかわかっているのか!」

「私は間違いを言ったつもりなどありません!」

「今回のことは宗主(ちちうえ)と長老会議、そして他ならぬ神子様の認可も得ているんだ! お前に口を出す資格はない!」

「何を馬鹿な! それはあなたが汚い根回しをした結果でしょう!」

「何だと……」


 両者は一歩も引かない。ユニは自身の正当性を疑わず、シャルルは入念に準備して作り上げた舞台を台なしにされたことに憤慨している。少女も驚きを隠せなかった。原因がシャルルにあるのは確かだが、あの女もあの女だ。まさか神子に直訴するとは、捨て身にも程がある。しくじれば家系そのものの権威が失墜しかねないというのに。


 だが、それ以外に方法がなかったのも事実だろう。現状、シャルルの真上から意見をぶつけられるのは、神子をおいて他にいないのだから。すべての危険を承知の上で、覚悟の直訴に及んだに違いない。


 そこまで自分が憎いのか。


 想いを寄せる男が溺愛する、この出来損ないの娘が。


 少女の思いをよそに、言い争いは激化の一途をたどる。遂には本題を忘れてしまい、やれ体型が貧相だの、やれ女たらしだのと臆面もない個人攻撃が始まっていた。そこへ。


「双方、静まりなさい」


 ようやく発された神子の一声で二人の動きは止まった。遠慮の欠片もない言い争いを止められたことで流石に気恥ずかしくなったのか、素直に引き下がる両名。


「大方の事情はエルノーから聞いています。シャルル、あなたがその娘の成人を認めさせるために奔走していたことも。確かに、重要なのは一族に貢献できる人間かどうかであって、セカイ使いでなければならない理由はありません」

「では」

「私も迷った末に許しを出しましたが……ええ、その『例外』が一度たりとも存在しなかったこともまた事実なのです。いい機会でしょう、ここで試してみようではありませんか。その娘が成人を迎えるに相応しいか否かを」


 からんと何かが転がる音がした。老宗主エルノーが杖を取り落とし、膝から崩れ落ちていた。慌ててシャルルが駆け寄り、父を車椅子へと座らせる。震える声でエルノーは呼びかけた。


「神子様」

「私も心を決めましょう。本来であれば、私が(まつりごと)に口を挟むのは控えるべきですが、やむをえません。今ここで私が、直に審判を下します。この場に居合わせる者すべてが証人です。今から起こることについて、一切の嘘偽りが囁かれることのないように願います。――よろしいですね」


 優しく諭すような言い方だったが、この場を制するには十分であった。居並ぶ者達はすっかり萎縮してしまい、上から押さえつけられたようにうつむき加減になり、すすり泣きを始めた者もいる。異様な雰囲気に、耐え難い恐怖を覚えたのだろう。


 無理もなかった。参列者の大半は、今日成人を迎えたばかりの若者なのだ。このような異常事態に遭遇するなど、誰が予想し得ようか。祭司も、長老会議の重役も、四大分家の当主達までもが、顔面蒼白となっているというのに。


 少女は、言い知れぬ不安が膨張してゆくのを感じた。


 こうして、厳かな儀式の場は、神子を判事とする審判の場へと変貌したのである。

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