その剣の意味(20)
擦り傷を消毒され、打撲を氷で冷やされながら、悶々とした思考を巡らせる。どう説明すればロゼッタに心配をかけないだろうとか、二日後までに調子は戻るだろうかとか、今度ザトゥマに会ったらどうしてくれようとか、カイラルはそんなことばかり考えていた。気を紛らわせようとしたのだろう、セリアは今日の感想を色々話したが、カイラルの耳にはほとんど入っていなかった。
返事が「ああ」とか「うん」ばかりなのを聞いて、セリアは治療の手を止めた。何か言いたそうな顔で、背中をじっと眺めている。言葉に代えて、ぐいと押し付けるように湿布が貼られた。鈍い痛みが広がったが、カイラルはわずかに顔をしかめたのみで、努めて声を漏らさなかった。
「お願いですから」
唇を震わせながらセリアは言った。
「無理だけはなさらないで」
「わかってる」
「わかっているなら、こんなにぼろぼろにはなりませんよ。まだ傷を増やすつもりですか」
セリアの指がそっと背中をなぞる。もう薄くなっているものから比較的最近のものまで、カイラルの体は古傷だらけだ。刻まれた傷跡はこれまでの無茶の結果であり、切り抜けてきた危機の数でもある。
傷が増えるならまだいい。それは生き延びた証明なのだから。今日は、その数が危うく打ち止めになるところだったのだ。無理も無茶も通用しない、未知の怪物を前にして。
「あれも、セカイ法だよな」
先刻の戦いでは、不可思議なことが起こりすぎた。あの殺人鬼は、カイラル自身はもちろん、これまで見てきた連中とも明らかに違う使い手だ。まさに搦手と呼ぶべき力に、手も足も出なかった。体格はカイラルを上回っているが、扱う力は人間性通り、随分とねちっこいらしい。
「お前がいきなり俺をかばったり、俺が全速力で逃げ出したり。何だったんだ」
「相手に何かしらの行動を強制する……というようなものでしょうか。直接攻撃するようなものではないと思いますが、それにしてはあまりにも禍々しい、純粋な殺意を感じました。操り人形のように人を動かすだけなら、あんな妙な行動はさせないでしょうし。正体のつかめない、とてつもなく厄介な力です」
純粋な殺意。怒りでも悲しみでも、恨みでも憎しみでもない。人を殺したいという、ただそれだけの感情。自分が相手取ったのはそういうものだ。それこそザトゥマは、初撃で殺そうと思えば殺せたはずである。何も理解できない内に殺す。有無を言わせぬ初見殺し。そんなセカイ使いもいるということ。
予想通り、あの場で決着はつかなかった。そして結果的に、手の内を暴くという目的は達成できた。相手がその気だったら二人とも死んでいた、という惨状を以って。
「甘かったんだな」
自分も、セリアもだ。
セカイ使いとなってからこっち、言ってみれば負けなしだった。あの血まみれの刃を引きずる女も、猛禽の頭を持つ怪物も、経験値で遥かに上回るハイリでさえも打ち倒した。それが未だ飼い馴らせずにいる力のおかげだとわかってはいても、どこか無自覚な全能感があって、この物語を軽く見ていたのかもしれない。魂を削る恐るべき力、セカイ使いを殺すセカイ使い、という触れ込みがそれに拍車をかけていた。自分を犠牲にすれば、無理さえすれば何とかなると思い込んでいた。そんな簡単に行くなら、世界は千年近くも狂い続けていないだろう。
閉塞世界の管理者は、遥か高み。神子マリアナがハイリのようなセカイ使いを統率する存在で、それと同格の連中が他に五人もいる。カイラルが命を削って行使する力を、呼吸をするかのように扱う、神の領域に足を踏み入れた超越者だ。
そんな連中を滅ぼして、閉じた世界を殺せる英雄が、果たして生まれ出づるのだろうか。よしんばいたところで、それはきっと自分ではない。殺人鬼一人どうにかできない自分では。世界に仇なす血筋と言っても、所詮は生き長らえた敗北者。【セカイの中心】にしても、この小さなセカイに限った話。人の世に変革をもたらせる器とは思えない。セリアはカイラルという人間を買い被っている。
俺はお前の望むような救い主にはなれない。なるつもりもない。
最初から変わらずにいる答えのはずが、カイラルはどこか侘びしさを感じていた。