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その剣の意味(16)

 酒瓶を持ったザトゥマが隣に腰掛けた。カイラルは見向きもしない。


「しけた面してんなあ。こんな時くらい楽しくやろうぜ」

「うるせえ」


 一際激しい曲が流れている。『パーティアタックギャラクシィ』だ。カイラルの杯を満たしてやりながら、「いい曲だ」とザトゥマが言った。


「今日は出番なさそうだな、用心棒」

「それでいいんだよ。ひどい時は本当に面倒事ばっかり起きるからな」

「そうそう。お前、パンツ投げてくれって叫んだ客ボコボコにしたことあったよな」

「下らねえことばっかりよく覚えてんなあ……あれは注意した隣の客と喧嘩始めたからだよ。収集つかなくなったから、とりあえずぶん殴って放り出したんだ」


 活動初期の頃よりはましになったが、中傷や卑猥な野次も少なくない。客の中には躍起になって自治を広めようとしている連中もいるようだが、カイラルには欺瞞に思えた。本業への客引きを兼ねているのは事実なのだ。四人も割り切っているだろう。


 インサニティ。ハートスレイヤー。マッドリッカー。ネイルエクステンド。演目は順調に消化されていく。その合間に歓声が上がる。ステージの上では、ロゼッタがレイチェルに抱きついていた。この辺りがファンサービスとして許される一線か。調子に乗りやすいロゼッタのこと、そのうち舌でも絡め出すのではないかと、カイラルは気が気でない。


「お前、四人の中で誰が一番お気に入りだ? 墓守君」

「グレース」

「え? ババアなの? ロゼじゃなくて? 胸のでかさとかそういう話?」

「ババアとは何だババアとは。他の三人と大して歳変わらないだろ。あいつのピアノが好きなんだよ」

「マジになんなって。ババアは愛称だ、気にすんな。俺はやっぱレイチェルだな。あの何もかも面倒臭そうな表情が逆にいいのさ。本業の方はお察しくださいだけど」

「基本マグロな上にやることが全部事務的ってな。何故か俺のところに苦情が来たことがあるんだよ。俺はあいつらのマネージャーじゃねえっての」

「あっひゃっひゃ、アホ臭え。でもそれがたまらねえ、もっとゴミを見るような目で見てくださいって変態どももいるわけよ。くひひ」


 下卑た笑いだ。穴兄弟が何百人いるのかなど、カイラル自身にもわからないし、気にしたこともなかった。しかしこの男がその一人なのかと思うと、股ぐらが痒くなってくる。


「俺は人に言えないようなことばっかするからなー。反応がないとつまんねーんだよ」

「通報されるからやめろ。場合によっちゃキエルが飛んでくるぞ。どうしてもやりたかったらミーネに頼め。あいつ金次第で本当に何でもするからな。客が引くくらい」

「流石に詳しいねえ。あいにく、ちんちくりんは好みじゃねーんだよ。それに金払って演技させるとか舐めてんのか。俺が見たいのは本物なの。心の底から吐き出すような声が聞きたいの。わかる?」

「わけわかんねえ」

「そりゃあ残念。じゃあお前にもわかるように言ってやるよ。……そうだな」


 ザトゥマがステージを見た。肉食獣のような、ぎらぎらと光った目である。それはロゼッタに向けられていた。


「ああいうクソ生意気な跳ねっ返りが、涙鼻水垂れ流して助けを求める様はたまらねえ」


 カイラルはザトゥマの腕を掴んだ。横からセリアが何か言ったようだが、頭に入らなかった。骨の軋む音がする。殺人鬼の顔に苦痛の色はない。むしろ愉快げに「どうした兄弟」と嘲った。「ロゼはお気に入りってわけじゃねーんだろ」


「あいつは気に入るとか入らないとか、そういう関係じゃねえんだよ」


 その一瞬、セリアが身を強張らせたのに、カイラルは気づいているだろうか。


「なーるほど。こりゃ一本取られた」


 ザトゥマは手を引き剥がすと、セリアの体を舐めるように見回し、


「おい首切り嬢ちゃん」

「何か」

「お前、気張った方がいいぜ。こいつらの間に割って入りたかったらな。まあ、お前の持ち物はロゼより上みたいだから、その点じゃ見込みはあるぜ」


 声を上げて笑いながら、瓶の中身を飲み干した。セリアはただ、無表情を貫くことで、軽蔑の意を表しているようだった。



 祭りは最高潮である。『テンプテーション』が流れると、「ラストだ」とザトゥマが言った。最後はいつもこの曲なのだ。三人は黙って曲に聞き入った。人を魅了するためだけに生まれた言葉が、艶やかな曲に乗って歌い上げられる。カイラルはこの曲が好きだった。素人臭さの抜けない曲の中でも、これだけは世の中に通用すると思っていた。


 曲が終わるやいなや、会場は拍手と歓声で満たされた。礼と共に別れの口上を述べる四人。いつも通りならアンコール曲が残されている。故にまだ調子を下げていいはずはないのだが、ロゼッタの表情がどこか冴えない。客もそれを感じ取ったのか、拍手に戸惑いが生じ始めた。目を閉じてうつむくロゼッタ。再び上げられた顔は、何かの決意を固めたようだった。


「皆さんも知ってると思いますが、この前リバーブルグがまた大変なことになりました」


 会場の空気が変わった。ここでそれを言うのか。最初からこうするつもりだったらしく、他の三人も口を結んでいる。カイラルは渋い顔をした。


「皆さんの中にも、あの街から逃げてきた人が大勢いるはずです。そのことを忘れたくて来てくれた人もいると思います。嫌なことを思い出させてしまってごめんなさい。でも、これだけは言わせてください。言わなきゃいけないんです」


 ロゼッタが会場を見渡すと、観客はしいんと静まり返った。


「私達は、復興の手助けになればと思って活動してきました。それがこんなことになってしまって、ライブも延期せざるをえませんでした。活動をしばらく自粛しようかとも考えて、四人で何度も話し合いました。悩んで悩んで……やっぱり続けることにしました。ここで諦めてしまったら、今までやってきたことが無意味になってしまう。そう思ったからです」


 誰もが、まばたきもせずロゼッタを見ていた。


「今、リバーブルグからどんどん人が離れていっています。このままだと、ますます復興への道が遠のくことになります。仕方ないんだと思います。二度あることは三度あるかもしれない。だから皆さんに、命の危険を冒してまであの街に来てほしいとは言いません。それがわかるくらいには大人になったつもりです。避難した方がいいと言ってくれる人もいます。その気持ちはすごく嬉しいです。でも」


 大きく息を吸い込むロゼッタ。そして。


「――生まれた街をそう簡単に見捨てられるとでも思ってんのか!」


 演技ではない。魂の奥底からの叫びであった。その声はどんな曲よりも大きかった。


「私はね! あの夕暮れの景色が! 真っ赤に染まった川が! 目に焼き付いて離れないのよ!」


 ロゼッタの目から涙があふれていた。続けようとした言葉は、嗚咽に飲まれて消えてしまった。客席からもすすり泣く声がする。ロゼッタの叫びは、彼らの魂に根付いたものを、あの街に住む者なら誰もが持っていた感情を揺さぶった。


 復興は時間との戦いである。今は街から離れるのもやむをえないと、自分を納得させることもできる。しかし十年が過ぎ、二十年が過ぎ、五十年が過ぎた時、その気持ちがどこまで残っているのか。次の世代は、自分達の決意を理解してくれるのか。意思を継ぐ者がいなくなった時、復興の望みは潰えるのだ。


 だから、今は無理でも。せめて希望だけは捨てないでくれと。


 涙を拭い、「お願いです」とロゼッタは言った。


「私達に、いつかまたあの景色を見せてください。みんなと一緒に、見に行かせてください」


 割れんばかりの喝采が巻き起こった。ステージの照明が落とされても止むことはない。カイラルは、馬鹿野郎、とつぶやいた。どこかほっとした様な顔だった。セリアも惜しみない拍手を送っていた。二人は目を合わせて微笑んだ。


「白けるねえ」


 余韻を殺したのはザトゥマだった。寝所から這い出た時のように、タオルで顔を拭いている。


「あの街が復活することなんてありえねーよ。下らねえ希望持ちやがって」

「おい」


 カイラルが立ち上がった。すぐにもつかみかからんとする勢いである。セリアも今度は止めようとしない。


「撤回しろ」

「あん? 俺は思ったことを言っただけだぜ。用心棒が自分から喧嘩売るつもりかよ。むしろお前の方がよく知ってんじゃねーの? 自分らが生きてる間の復興なんて無理だってな」

「あいつらの気持ちを踏みにじるなって言ってんだ。あんただって仮にも復興連盟の一員だろ。それが――」


 言い終えることはできなかった。ザトゥマの突きが胸に食い込んでいた。崩れ落ちかけた体をセリアが支える。他に気づく者はいない。恐るべき速さで放たれた拳は、一瞬で元の位置に戻され、暴行の気配など臭わせなかった。


「おーい、大丈夫か? ちょっと夜風当たろうや」


 人事のように言い、セリアと反対側から腕を回すザトゥマ。セリアはそれを突き放そうとして、びくりと体を震わせた。殺人鬼の目が彼女を見据えていた。あの嫌らしい笑みとも、獣のような眼光とも違う。本物の殺意の塊だった。ザトゥマはあごをしゃくり、表に出ろ、と無言で命じた。


 再びステージに明かりが灯った時、三人の客がいなくなったことになど、誰も気づいていなかった。


 ロゼッタを除いて。

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