その剣の意味(14)
カイラルはセリアの手を引き、無言でザトゥマの横を通り抜けた。何も見なかったことにしたいところだが、夕暮れの中を叫び声が追いかけてくる。舌打ちをしつつ、カイラルは足を止めた。
「待て待て待て待て! 全力で無視するこたぁねーだろ」
「何であんたがここにいるんだよ」
「おいおい、うちの会社の本社はこの街にあるんだぜ? 当然俺の家もな。お前と違って健全なサラリーマンなの。毎日あのスラムにいるわけじゃねーの。たまの休日に遊びに出たら、お前ら見かけたから声かけてやったんじゃねーか」
健全な、という部分を全力で蹴ってやりたいが、言われてみれば今日は背広ではない。休日というのは本当のようだ。とはいえ、仲良しこよしが許される関係でもないだろう。ハイリが現れなければ、先日カイラルとやり合っていたのはこの男なのである。
「で、お前らこそ何でここにいる?」
「知り合いにライブの準備手伝わされてたんだよ」
「お? もしかしてこれ?」
懐から取り出した長方形の紙を、ザトゥマはぴらぴらと振ってみせる。そこにナイトレイドの名前を認めて、カイラルは頭を抱えた。「ファンなんだ」と満面の笑みを浮かべるザトゥマ。どうしてこう巡り合わせが悪いのか。
「安心しろ、ライブの邪魔はしねーよ。警察の世話にでもなったらミンツァーにどやされちまう。何より俺は、純粋にあの四人が好きなんでね。面倒な客がいたら、むしろ俺が叩き出してやるから」
「十分迷惑だから自重してくれ。火に油注ぐことが多いんだよ、そういうの。ちゃんと俺が始末するから」
「知ってるよ。お前も何度かライブで見かけてるんだぜ。雑用係兼用心棒代わり、作詞や作曲にもたまに口出ししてる。『ゴーストライト』のサビの部分もお前が考えたんだろ?」
「う……いや、あれはその……そうだよ」
何故メンバーしか知らないことをこの男が知っているのだ。横から何の気なしにつぶやいたら、四人の琴線に触れて採用されたというのに。頭の中で歌詞が繰り返し流れる。もしかすると世間に広まっているのだろうか。もうライブの客と目を合わせられない。セリアが笑いをこらえているのがわかった。先程の彼女より赤い顔を見ているだろう。
ザトゥマはそんな様子をにやにやと眺めていたが、思い出したようにチケットをしまい、
「そういや、ちゃんと名乗ったことはなかったな」
代わりにもっと小さな紙を差し出した。
【ミンツァー社 特殊警備部常駐警備課第一係 アルバート=アギオン】
長ったらしい肩書きだが、要はミンツァー直属の護衛係ということだろう。恐らくは、あの蜘蛛使いの少年も。これまでの振る舞いからして、この男が通常の業務に携わっているとは考えにくい。社員の皮を被った、ミンツァー個人の手駒というところか。
しかしそれよりも。
「アルバート?」
「ああ、それ本名な。役所や病院以外じゃ誰も呼ばねーけど。お前らも気軽にザトゥマ=ズーの兄貴と呼んでくれや」
「ザトゥマ……ズー」
今更ながらに、その名が記憶から蘇った。ちょうどあの大災害が起きる前、リバーブルグを震撼させていた殺人鬼だ。当時のスラムを根城にしていたとかで、幼き日のカイラルも悪名を聞き及んでいた。
「まさか本人とか言うつもりか? あいつは死んだって聞いたぞ。十年前から、ぷっつり話を聞かなくなったって」
「行方がわからないってだけだろ? 誰も俺の死ぬところを見たわけじゃねーんだ。それとも何か? お前が俺の死体を埋めてくれたのかい? 墓守君」
この程度の煽りは慣れっこだが、相手がこれでは苛立ちも倍増だ。品性皆無な分だけミンツァーよりたちが悪い。
「ま、お察しの通りあの災害でえらい目にあってな。しばらく活動休止状態だったわけ。シャロンとはその頃からのダチみたいなもんだ。知ってるか? あいつの初めての男は俺なんだぜ」
ザトゥマはけらけらと笑った。もう聞くだけ無駄だ。何を吐いても虚言妄言にしか思えない。ただ、カイラルは確かに嗅ぎ取った。どろりとした血の臭いを。通常の嗅覚とは別の部分で。
このザトゥマ=ズーは本物なのか。それとも、犯罪者を騙る気狂いか。確かめる術はないだろう。だが、どちらだろうと関係なかった。この男の素行はキエルから聞かされている。あの日、壊れた世界で何をしたのかも。そして今確信した。この男は紛うことなき殺人鬼だ。
ミンツァーの取り巻きの顔見知り。その程度の存在だと思っていた。今はもう、最悪の可能性を否定できない。実は密かに関わりがあったのだとしたら。自分が埋めてきた死体の中に、この男の手にかかった者達がいたとしたら。
「行きましょう」
今度はセリアに手を引かれた。早足で歩きながら、相手にしてはいけません、とささやかれた。カイラルは黙って足並みをそろえる。追求は次の機会だ。今日は余計なことを考えないと決めた。頭のおかしい人間に構ってなどいられない。
せめてライブが無事にすみますように。
カイラルはそれだけを祈っていた。