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その剣の意味(13)

「慕われていらっしゃるのですね」


 少し歩いたところでセリアが言った。


「別に。あいつらはただの腐れ縁だ」

「それでも、あなたのために泣いてくれる人達でしょう。あなたもすっかり肩の力が抜けたようです。ずっと神経を張り詰めていらしたのに」

「そうかねえ」

「あなたは、ご自身を不当に貶めていらっしゃる。ご家族にも大切にされ、神父様にも信頼され、兵士の皆さんの評判も悪くありません。何故死に急ぐのですか」

「そんなのは俺の勝手だろ」

「存在を認めてくれる人達の手を振り払ってまで、その勝手を貫くのですか。あなたはきっと、人を惹きつける何かを持っていらっしゃる。今はまだ原石かもしれませんが、人々を導ける器なのです。だからこそ私も」


「おい」思わず強い言葉が出る。「その話はやめろ」


 横を通った老人が、驚いた顔で振り向いていった。セリアはうつむき加減に、申し訳ありません、と言った。


 知り合いの数だけなら確かに多いだろう。スラムをうろついて数年、成り行きで人助けなどもやってきた。中にはカイラルを過度に英雄視する連中もいるが、彼女はあまりにも極端な例だ。今朝の言い争いを経ても、親しくしたい気持ちに変わりはないが、余計な期待を向けられるのはごめんだった。


「しかしまあ、意外だな。お前があんなもの見たいとか言い出すなんて」

「変、でしょうか」

「いや、うるさいのは好きじゃなさそうだと思ってさ」


 セリアはしばらく黙った後、「わからないんです」とこぼした。


「お祭り騒ぎが楽しいのかどうかなど。あの村でも祭事はしばしば行われましたが、堂々と顔を出せる立場ではなかったものですから。一緒に見て回るような人もいませんでしたし。最近はシャルルに連れ出されることもあったのですが」

「嫌々行く祭りほどつまらないものもないよな」


 友人と遊び回るなど、夢のまた夢。先程の下らないやり取りさえも、手の届かないもの。人と交わることを許されず、また自ら拒絶してきた彼女にも、それを羨む感情は残っていたのだろうか。答えは、彼女の言う通りわからない。


「じゃあ今夜は思い切り羽目外せよ。あいつらの曲、素人なりに聴き応えはあるんだぜ。安酒でよけりゃ、しこたまかっ食らっていいから。飲めないわけじゃないだろ?」

「お酒は……まあ、それなりに。でも」

「何だ?」

「女性に手が早いのは本当だったのですね。酔わせてどうなさるおつもりですか?」

「……お前、やっぱ思ったより性格悪いな」


 セリアが笑う。つられてカイラルも苦笑した。ようやく地金が見えてきたようだ。これまでの彼女は錆びついた剣だった。その錆が少しずつ剥がれ落ちていく。生真面目で誠実、気が強く頑固、しかし見た目よりわがままで、多少の毒を内包している。そんな少女。


 彼女に必要なのは、己を振るってくれる主ではなく、錆を落としてくれる刀匠なのかもしれない。飾り物であっても、美しいものは美しいのだ。彼女を説得する鍵は、この辺りにあるのかもしれなかった。



 グラムベルクは、かつてのリバーブルグと並べても遜色ない都市だが、その趣は少々異なる。伝統ある街並みを守りながらも発展してきたリバーブルグに比べ、都市機能を重視しているためだ。新しい建物も多く、最新の物品もいち早く手に入る。リバーブルグから引っ越してきた人々には、少しばかり生きづらいようだったが。


 カイラルにとっても久々の散策である。記憶を頼りに、よさそうな店や名所を梯子して回った。美術館は外から見るだけに終わったが、図書館の中を一周し、セリアの希望で本屋に寄って数冊買い込み、屋台のアイスクリームで小休止。場所は変わって、服屋や装飾品屋が居並ぶ通りへ。流行の服がガラス越しに自己主張するのを、セリアは物珍しそうに眺めている。日用品はキエルから与えられているはずだが、そう洒落たものもないだろう。奮発して一着買ってやろうかと思ったが、セリアがしきりに拒むので、またの機会になった。


 太陽が沈み始めた頃、二人は川べりへとやってきた。リバーブルグから繋がる、あの川である。赤く染まった流れは、どこまでも続いていくようだ。セリアは遠く対岸を見つめながら「きれい」とつぶやいた。


「ここもいいけど、リバーブルグの方がもっときれいだったんだぜ」

「本当ですか」

「十年前の話だけどな。まだ子供だったけど、あの光景だけは目に焼き付いてる」


 まぶたを閉じると、懐かしい情景が蘇る。幼い頃の自分も、スラム街の住人だった。隆盛を誇る都市の掃き溜めで、家族や幼馴染と肩を寄せあって暮らしてきた。そんな、社会の表舞台から切り離された自分達にとっても、あの川だけは平等だった。朝に昼に夜、春に夏に秋に冬、時間と季節によって姿を変え、船が行き交い鳥達が舞い踊り、心の中に無限の世界を描いてくれた。


 その思い出の地も、今は滅び。


 記憶の中には、あの、死体が。


(……時と場合をわきまえろよ)


 こんな時にまでお前が出てくるのか。記憶の底に眠っていろと首を振り、意識を現実に引き戻す。


 ふと横を見ると、セリアもこちらを見ていた。夕日に照らされたその顔は、川よりもずっと美しく見えた。


「あなたは、手負いの獣なのですね」


 真実を得たようにセリアは言った。


「傷を負って苦しんで、死を恐れるから敵意を振り撒いて、亡骸を晒したくないから孤独を選んでいて。でも人の痛みを理解できるから優しくて、本心では傷を舐め合える仲間を欲していて、態度とは裏腹に皆から慕われて。失われた故郷に思いを馳せて、いつの日かそこへ帰ることを夢見て、ただ死ぬことだけを見据えて彷徨い続けて。……本当、手負いの獣みたい」


 皮肉のような、褒め言葉のような、不思議な人物評だった。


 カイラルが何も言わずにいると、セリアはそっと手を重ねてきた。


「あの街を出ましょう」


 だからその話は、と言いかけて、カイラルは押し切られた。強い意志のこもった目だった。重なる手に力が入る。


「あなたがあの街を愛すればこそ、求める答えはきっとそこにないのです。あの廃墟の群れにそんなものが存在するなら、あなたはもう見つけている。現実はそうではなかった。旅立つ時が来たのです」


 そうなのだろうか。自分はずっと、あの記憶の中の死体と向き合おうとしてきた。それができなかったからこそ、無様な死を恐れ、死体を埋め、理想の死に場所を探してきた。すべての始まりにして手がかりがあの死体なら、答えもあの街にあるはずだと。それが間違っているというのか。


 一つだけ、セリアに誤認があるとすれば。カイラルは決して、あの街を踏破したわけではないということだ。スラムの最奥部へは危険すぎて近づけない。そう、あの【穴】の周辺部だ。ミンツァーは近いうちに調査に出るといった。参加すれば、新たな発見があるかもしれない。それは、自分の生き様を前進させるのか、はたまた後退させるのか。


 川べりの風は、少し冷えてきたようだ。


「行こう」答えることなく、カイラルは手をほどいて歩き出した。「そろそろ時間だ」


 セリアは温もりの残る手を握り締めると、名残惜しげに赤い流れを一瞥した。



 買ったものは宿に置き、会場へ戻ることにした。その途中、ある店の前でセリアが足を止めた。古びた雑貨屋のようだ。近くの時計に目をやると、ライブまでは少し余裕がある。最後にここに寄るか、と二人は店に入った。


 中は思ったよりも小奇麗で、若い女性客が数人いた。服やら日用雑貨やら何でも売っていて、それなりに質がいい上に値段も手頃ときている。どうやら結構な穴場のようだ。


 ぶらぶらと店内を歩いていると、真ん中の棚にセリアの目が吸い込まれた。金属製の小物が並んでいる。指輪に時計にピアス、安っぽいものからかなり古いものまで色々ある。セリアが見つめているのは、鈍い輝きを放つ鎖だった。腰に巻きつける類の装身具だ。


「お前、こういうのが好きなのか?」


 声をかけると、セリアは小さく頷いたが、目はそらさなかった。カイラルは値札をちらりと見、奥にいる店主に向かって「すみません、これ」と呼びかけた。


 セリアが驚いて顔を上げる。カイラルはすでに代金を取り出していた。


「え、その、そんなつもりでは」

「さっき本だって買っただろ。今更遠慮するなよ」

「あれはこのセカイの情報が欲しかったからです。こんな買い物までお願いするわけには」

「いいから気にすんな。服も結局買わなかったし、このくらいはな。……だけどお前、無一文じゃいざってとき怖いな。そこの財布も一緒に買おう。いくらか入れといてやるから。金の使い方も覚えないとな」


 ひたすら頭を下げるセリアに、カイラルは鎖を差し出した。おずおずと鎖を身に付けるセリア。地味目の服装に小さな花が咲いたようで、なかなか絵になっている。赤面しながらも、セリアは上目遣いに微笑んでみせた。


 入り口のベルが勢い良く鳴ったのはその時である。


「おーおー、仲のよろしいこって」


 耳障りな声が響いた。しかも聞き覚えがある。入口の方を見て、二人は顔色を変えた。背の高い男は、サングラスを外して不敵に笑った。


「よぉ、ご機嫌かい? お二人さん」


 不愉快極まるにやけ面。ザトゥマ=ズーがそこにいた。

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