その剣の意味(10)
ルネは口をつぐんだ。それは、目をそらしていた最善手だったのだ。
「お前の力なら、死んで間もない人間を蘇らせるくらいはできるだろう。わしが撃たれようと構わず仕掛ければよかった。いっそ、わしごと薙ぎ払ってもよかったんだ。最初からそれくらいの気構えでいれば、あの女の気配にも気付けただろうさ」
「でも……その、戦って勝てるとは」
「お前はあの【森の魔女】の血を引く者だぞ。地力で勝てるセカイ使いなんぞ、そうはおらん。あの女の力は確かにお前にも通じるだろうが、正面から戦えばやられはせん」
何もかも、経験の薄さと覚悟のなさ故だったのか。
あの神父の狂気じみた信念を見せつけられた後では、否が応でも自分が小さく感じる。しかし、ルネには死への恐怖を捨てることなどできない。ましてや、他人の命を補充が利くモノのように扱うなど。
「嫌なんです」
最善手を捨てた理由は、結局それだけなのだ。
「人が目の前で死ぬのは」
「あの魔女の縁者にしては、肝が小さいことだ」
「村でもよく言われました」
ルネは力なく笑った。
「多かったんですよ、そういう『肝が太い』人。森の怪物を相手にした訓練なんかもやりましたけどね。なまじこんな力が使えるものですから、皆、自分の身を大事にしないんですよ。焼かれようが刻まれようがお構いなしというか……後で治してもらえること前提なんです。まあ、僕なんかは勝手に再生するどころか分裂もできるわけで」
肉体が人から離れていくごとに、己が一個の人間だという意識はむしろ強くなった。
アルメイド一族は、世界の秩序の担い手とされている。しかしそれは、一族を統率するための方便だ。宗家に近い人間は実態を知っている。両親から漏れ聞く話では、外界に送り出された戦士の扱いなど、雑兵に近いというではないか。自分達は最初から、使い捨ての駒として量産されているにすぎないのだ。それが神子マリアナの担当する、閉塞世界の管理者としての役目なのだと。
ふざけるな。自分は人間だ。
そう考えることすら、セカイ使いとして力を引き出すために利用されているのかと思うと、心が壊れそうになる。
「先生」
「何だ」
「さっき言ったことは、本当ですか」
カイラルの味方だと。夢も希望も枯れ果てた年寄りには、孫の成長を見守るくらいしか生きがいがないと。およそ反逆の血統らしくもない言葉だった。
「本当だとも」
ダウルは背を向けて言った。
「誰もが使命や宿命のために命を懸けられるとは限らん。落伍してしまう人間もいるということだ。力のあるなしに関わらずな」
ルネは胸の辺りを強くつかんだ。自分のことを言われているようだった。
「わしは自ら降りた。それだけでは逃げになると思って、軍医になって戦争にも行った。仲間の死体を見るのにも飽きた頃、どういうわけか家族もできて、終の住処も見つけた。これでようやく平穏な暮らしができると思った。束の間の夢だったが」
十年前のことで、何もかもご破算になってしまったのか。
「どうしてこうなったんだかな。わしはただ、静かに余生を過ごしたかっただけなのに」
すべてが血の為せる業というのなら、降りることを選択したのはきっと正しかったのだろう。そんなものに付き合う義理などない。ただ、間が悪すぎた。逃げ切ることができなかっただけだ。今の立場は、半生の結論なのだろう。一度は拒絶した宿命に、形を変えて立ち向かおうとしている。
「傲慢だとはわかっとる。自分にできなかったことを孫に押し付けるなんぞ。だがそれでも、わしはあいつを争いの渦から引きずり出したいんだ」
差し伸べられた手を取り、ルネは立ち上がった。ダウルが歩き出しても、うつむいたまま立ち尽くしていた。結論はまだ出ない。あの神父のような信念もなく、この老人のような経験もない。どこまでも中途半端な自分が、一個の人間として何をすべきかなど、わかるはずもない。
だが。
「先生」
わからないというのなら、尚更縮こまっているわけにはいかない。
「僕は、どうすればいいですか」
ダウルは足を止めた。しばらく黙った後、そうさな、と呟いた。
「ほどほどに活躍する脇役でも目指してもらおうか。何、下手に逃げ回るよりも生き残る確率は高いさ」