その剣の意味(5)
意味を理解するには少なからず時間を要した。
少女セリアの、ではなく。処刑人セリア=カルタオグアの、ということだろう。彼女の言う主とは。ならば、それに求められているものは。
「俺は人を雇えるほど金持ってねえぞ」
カイラルは苦し紛れに言ったが、セリアは応じない。はぐらかしは許さぬ、正面から受け止めろという圧力である。
「お前の仕事は処刑人だろ。俺は裁判官でも検事でもないぞ。ご主人様にしてどうするんだよ」
「……これは、私の持論混じりですが」
セリアは剣を下ろし、ゆっくりと立ち上がった。
「刑罰というのは、法で定められた通りに与えられすればいいのです。それを誰が定めるか、誰が裁くかは集団によりけりです。私の国では、裁判官などティウム家の世襲でしたから。何よりも、今のこの世界自体が、支配者達によって巨大な法を押し付けられているのです」
「どっちにしろ俺には関係ないだろ」
「忘れたのですか。あなたは【セカイの中心】なのですよ」
カイラルは、しばらくぶりにその立場へ引き戻された。それは、一度は真剣に向き合いながら、あの夜以来すっぽりと頭から抜け落ちているものであった。
「立ち回り次第では、セカイを掌握することもできるのです。私にとっては、十分剣を捧げるに値するお方です。ましてやあなたは閉塞世界に仇なす血筋。この閉じた世界を殺せる可能性だってあるのですから」
「ミンツァーの計画に乗れって言いたいのか」
「……私もあの男を好きにはなれませんが、やろうとしていることには賛同します。ただ、彼らはあくまでも彼らの目的のために動くでしょう。あなたをいつ切り捨てるかもわかりません。ならば私は、あなたに懸けたい。あなたが主導権を握れるよう支えたい」
セリアは再び跪くと、静かに願いを口にした。
「どのような形でも構いません。死に場所を探すと仰るのなら、その道すがらでも構いません。このセカイの支配者になってください。あなたが新たな法を作ってください。その下であれば、私はいくらでも刃を振るえます。あなたが再び手を汚す必要はありません。すべて私が引き受けます」
それは、ひどく魅力的な提案に思えた。この先に広がる物語は、命の奪い合いがまた起こらないほど甘くはあるまい。戦うだけ戦って、誰も殺さずに済ませられるとも考えていない。場合によっては、一度と言わず二度と言わず、この手を死に染めなければならないのだ。その時、今度こそ自分が壊れないという確証はなかった。
ならばせめて、『とどめ』だけでも他人に譲れるのなら。そして、未だ明確な目標が見つからないというのなら。彼女の望む存在になってやるのも一興かもしれないが。
「随分と都合のいい話だな」
カイラルはそう言って立ち上がった。
「お前はつまり、自分を迫害してきた連中と、その原因になってる閉塞世界に復讐がしたいんだな。処刑人っていう要素を利用して。法に則って堂々と」
「そう捉えていただいても構いません」
「だから俺に協力しろと。世界を殺す道具として自分を使ってくれと」
「結果的にはそうなります」
「そして俺に、人を殺す命令を出せってのか」
「……はい」
「ふざけるな」
握り締めた拳を、机に叩きつけていた。木製の机に、みしりと亀裂が入った。
「間接的にでも俺に人殺しになれだと? お前に人を殺させろだと? 今までの話聞いてたのか? 大体何だ、お前は自分の仕事が憎いんじゃないのか。嫌がらせで今の役目に就かされたんじゃなかったのかよ」
激昂のままにカイラルは叫んだ。完全なる侮辱であった。そして、失望であった。この少女に抱いていた印象が崩れ去っていく。
「きっかけはそうでした。しかし、例え辱めとしてであっても、与えられた役目は最後まで務めろと……母にそう教えられましたので」
セリアは上目遣いにカイラルを見た。
「私はただの人斬り包丁ですから、自分一人では何もできません。振るってくださる方が必要なのです。理解してくださる為政者にいてほしいのです。急進的な為政者が、と言いましたが、むしろその出現を待ち望む気持ちもありました。私達を正しく使ってくださるのなら、それは私達を解放してくださるに等しいことだからです。その人次第では、むしろ望んで刃を振り抜けるのです。母も遂に役目を果たすことなく逝ってしまいましたが、きっと同じ気持ちだったでしょう。ですから」
激しい音が言葉を遮った。蹴り飛ばされた椅子は、セリアの横を抜けて壁にぶち当たり、歪になって転がった。「馬鹿にすんな」拳を震わせてカイラルは言った。
「恥ずかしげもなく言いやがって。他人に求めることかよそれが。結局同じだ。お前も先祖や一族と変わらねえ。自分さえよければ周りがどうなろうと知ったこっちゃないんだな。セカイ法が使えなくったって一緒だ、お前も立派なセカイ使いじゃねえか。自分は違うみたいなこと言うな」
声を荒らげ、怒りに任せてカイラルは吐き出した。言葉とは裏腹に、恥ずかしさがこみ上げてくる。死の恐怖から逃れるために死体を埋めるような人間が、これほどの決意を秘めている少女に向かって、何を偉そうな。今まで一度でも、自分の行いについてここまで考えたことがあっただろうか。
キエルの言った通りだった。カイラルはセリアに自分を見ていた。あまりにも身勝手でおぞましい。しかし程度で言えば、すでにセカイ使いと化している自分の方が、ずっと悪質に決まっている。
セリアはうつむき、押し黙ったままだった。カイラルの荒い息だけが響いていた。それが小さくなった頃、セリアは口を開いた。
「返す言葉もありません。ですが、私はただ」
剣の柄が、強く握り締められる。
「法の下に死ね、などという決断は……例え悪人でもその死を辛くて見ていられない、そんな人が下すべきなのだと……そう思っただけです」
もう罵声をぶつける気にはなれなかった。本音なのだろうとは思った。例え歪んだ願いとして現れても、根本にあるのは純粋な思いなのだろう。
先日ペリットが自分を評して言ったことを思い出す。自分は死者が気の毒でしょうがないだけだという。この少女も同じか。純然たる正義の意思があるだけなのか。
カイラルは大きく息をつくと、その場に腰を下ろした。
「なんつうか……限界だな、お互いに」
鬱憤が溜まっているのは確かだった。建物から出られず、一方的に襲撃を受け、その後はこの有り様だ。普段からあまり遊び歩く方ではないカイラルだが、息抜きの一つもしたくなる。
ふと思い当たることがあった。そこへ、騒ぎを聞きつけた衛兵がやってきた。一言謝り、大丈夫だからで押し通すと、カイラルは一つ質問をした。答えを得たカイラルは、セリアの下へ戻ると、剣を握る手に自分の手を重ねた。セリアがはっと顔を上げる。
「すっかり忘れてた。給料日だったんだ」
そんなことを考えている余裕はなかったし、日にちの感覚も怪しくなっていたので、忘れるのも無理はない。別段使い道も思い浮かばないが、いい口実にはなる。
問題は山のようにあるが、今日一日は後回しにして。
「出かけるか」