その剣の意味(1)
「……そうか。わかった」
葉巻を灰皿に置きながら、カダルは電話口に言った。拉致騒動があった日の夜のことである。
「申し訳ありません。電話で済ませられる話ではないのですが」
「いや、これでいい。今は迂闊にそこを離れるべきじゃない」
キエルからの報告は、大方の予想通りだった。ミンツァーはカイラルが挑発に引っかかったと思っているようだが、逆だ。こちらが様子見に徹して動かなかったからこそ、向こうが痺れを切らして先に動いたのだ。腰を据えられては弱る。じっくり考えられては困る。典型的な高速展開指向。それが確認できただけでも十分だ。
しかし、とカダルはグラスを煽り、机に叩きつけた。
「ダウルの野郎、やっぱり腹に一物持ってやがったか。ミンツァーの若造よりも始末に負えねえ」
「どうするべきでしょうか」
「変に敵視はするな。今まで通り付き合っておけ。あいつの行動は読めそうで読めん。どんな手を打ってくるか知れたもんじゃねえ。自ら脱落を選んだあいつだからこそな」
それで自分と袂を分かったというのに、この期に及んで干渉してくるつもりか。単に孫可愛さ故か。それとも何か、焚きつけられるものがあったのか。先日までなら放っておいたが、今のダウルは強力な手駒を得ている。こうなっては、捨て置くわけにもいくまい。
「とにかく、今日はもう休め。お前の負担を減らす方法も考えておく。このままじゃ体が持たんだろう」
「そちらこそ、事後処理で大変なのでは」
「酒と煙草の量が増えて仕方ねえや」
「ご自愛ください。総代を失っては、セカイの均衡にも関わります」
「わかってる。……俺まで早死にするわけにはいかねえさ」
机に飾られた写真を見ながら、カダルは受話器を置いた。若い頃の自分と、数人。かけがえのない者達が写っている。その中に一人、顔を黒く塗り潰されている者がいた。
「難儀だなあ、皆。ええ、そうだろう」
カダルは窓を見た。夜の街が煌々と輝いてる。
あれから数日、リバーブルグからは人の流出が止まらない。このグラムベルクにも、大勢の住民が避難してきている。規模が小さいとはいえ、十年前と同じことが同じ場所で起こってしまったというのは、人々の不安を決定的なものにしただろう。
もともと強引に進めてきた復興だ。今度こそもう終わりなのか。
否。こんなところで止まっていいはずがない。これはただの復興ではなく、世界を支配する者達との戦いなのだ。勝利しなければならない。そう、どんな手を使ってでも。
「始まっちまった以上、手遅れかもしれねえが。……やれるだけやってみるさ」
紫煙をくゆらせながら、カダルは呟いた。
ひとまず隔離してはおいたが、もう頃合いだろう。キエルの負担も限界まで来ている。いい加減、己の足で立って歩いてもらわねば。聞けば昼から、何やら思い悩んでいるという。本人の自覚と、力の制御と。二つがそろったのであれば、次の段階に進ませるべきか。
葉巻がなくなりかけた時、扉を叩く者があった。足早に近寄り、耳打ちする部下に、カダルは一言「通せ」と言った。「ボディチェックはいらん」と付け加えた。
少しして、再び扉が開く。
「やれやれ、申し訳ございませんね。このような夜更けになってしまいまして。ご壮健で何よりです」
姿を現したのは、まだあどけない顔の少女だった。見慣れない服装をして、先端を袋で包んだ長い棒を持っている。これが異国の僧服であるとわかる者は少ないだろう。非合法組織の長に相対しているというのに、まったく臆することなく、調度品をべたべたと触っている。
「しかし少々不用心が過ぎますね。私のような者を見張りもつけずに入れてよいのですか? 得物も取り上げずに」
「毎度毎度わかって言ってんだろ小娘が。お前がその気になれば、俺達が何人いようと無意味じゃねえか。言葉だけで人を殺せるお前ならな」
「そうですか。それで、遅参しておいてなんですが、早めにご用件をお願いします。明日も朝から予定がありますので」
「相ッ変わらず口の減らねえガキだ。まあいい」
葉巻を灰皿に押し付け、カダルは尼僧を睨んで言った。
「仕事だ、セカイ使い。お前には舞台へ上がってもらう」