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魔女の贄(4)

 少女は一人になっていた。


 ハイリとルネは役目を果たそうと側にいたが、断った。挨拶回りで二人に寄ってくる連中が鬱陶しいことこの上ない。向こうにしてみれば、邪魔なのは自分の方だろうが。実際、少女が離れた途端に、二人の周囲は人で埋め尽くされた。ユニはどこかへ行ってしまって姿もない。


 神殿の入り口付近に目をやると、シャルルが祭司達と話をしているのが見えた。祭司達、特に髭面の祭司長は渋い顔を隠そうともせず、焦燥感がありありと見て取れた。本当にいいのかだの、今ならまだ間に合うだの、とうの昔に議論し尽されたことを言っているのだろう。先刻のルネとまったく変わらない。


 シャルルの母は祭司の家系である四大分家の一つ・風のネリム家の出身で、現在の祭司長はその父。シャルルの外祖父というわけである。しかし立場上何かと口うるさいその老人に対しても、シャルルは物怖じ一つせず、二言三言告げただけでそそくさと背中を向けてしまった。祭司長はというと、去ってゆく孫の背中を呆れ果てた顔で眺めている。


 と、その視界に自分が入っていることに少女は気付いた。シャルルがこちらへ向かって来ているせいだ。祭司長も気付いたらしく、呆れ顔から一転、身内の仇でも見るかのような顔で、怒りに身を震わせている。


「この期に及んでうるさい爺さんだ」

 やってきたシャルルが舌打ちする。

「ああいう連中をすべて黙らせねばならない。お前の平穏のためにはな。見ろ、あれを」


 シャルルが顎をしゃくった先にはハイリとルネがいた。和やかに談笑しているが、親しげに会話していると言えるのは一握りで、後の連中はそれに相槌を打つのが関の山のようだ。媚を売りに来ているのが見え見えで、少女は吐き気を覚えた。


 シャルルが問う。


「お前は本来なら、あの輪の中心にいるべき人間なんだ。誰もがうやうやしく頭を垂れるであろう身分、だった。だのに、お前が畜生以下の扱いを受けている理由は何だ?」


 少女は答えず、人だかりを見つめ続けた。


「持たざる者だったからだ。皆が持っていて当然の力を持っていなかったからだ。神子様の血を引きながらそれを欠いたお前は、一族最大の汚点となった」


 その結果が今の身分だ。セカイ法を行使し得ないということは、アルメイドの者としての役割を果たせないということ。故に、お飾りとしての職務に従事する他なかったのだ。よしんば実務が存在していても、忌み嫌われることは間違いない、血塗られた生業に。


「俺は逆だった。皆が持っていないものを持って生まれた。ある者は俺を神童と呼び、ある者は怪物と呼んで恐れ敬った。何から何まで特別扱いさ。俺はそれが苦痛で仕方なかった。特に母親の偏愛ぶりは異常でな。親父もほとほと手を焼いていたらしいんだ」


 今までに何度も聞かされた話だ。この男は何かにつけて、少女とは対照的な半生を送ってきた自分の有様を語る。物質使いの一族に突如生まれ出でた、空間のセカイ使いとしての波乱の日々を。決して自慢げにではなく、むしろ悲壮感に溢れた顔で。


「だがな、ある時それじゃ駄目だと悟った。力があるならそれを利用すればいいじゃないかと思い至った。開き直ってからは楽だったな。周りの連中が自分にひれ伏すのが楽しくて仕方がなかった。遠慮する必要など最初からなかったんだ。だって俺は選ばれた者なんだから。神子様もお認め下さる、この上ない身分と天賦の才を持って生まれてきたんだからな」


 母親を失ったことが転機となったのだろう。引き篭もりがちだったシャルルの性格が変わり始めたのは、どうもその頃のことらしい。権力の意味を理解できる程度の年齢に達していたことも手伝った。政争の道具として過剰な期待をかける母親の手から逃れたことで、皮肉にもこのお坊ちゃんは、母親が望んだ通りの辣腕(らつわん)ぶりを発揮し始めたのだ。自分を縛りつけてきた一族の仕組みの、中枢部に居座って。


「お前は、他の時代に生まれていれば非人間として一生を終えたのかもしれん。だがこの時代には俺がいる。俺にはお前を救ってやれるだけの力がある。安心してついてこい」


 見ていろ、と言うやいなや、シャルルは肩を怒らせて突き進んだ。行く先はもちろん、変わらず談笑にいそしんでいる一団の下である。


 こちらに背を向けているハイリとルネの肩に手をかけ、無理やり正面を向かせる。渋い顔をするハイリ、固まるルネ。シャルルが睨みを利かせると、後ろにいた連中は震え上がり、我先にと逃げ去った。顔を覚えられてなるものか、ということだろう。


 残る二人を職務怠慢だと散々になじり、どうにか気を済ませたシャルルが引き返してくる。


「お前もあまり気負うな。いずれは連中の上に立つ身なんだぞ」


 シャルルはそう言うと、少女の耳元に口を寄せて呟いた。


「ルネとハイリもだ。今までは友人としてあてがってきたが、その感覚は次点に落とせ。ましてやユニ如きに気後れしている余裕はないぞ。あいつらは臣下だ。人を従えるという感覚を身につけろ。俺達二人で一族を支配するためにな」


 握り締めた拳が飛びそうになるのを、少女はどうにか抑えた。ここで手を出すのはまずい。また余計なごたごたを引き起こすことになる。そうなってもこの男は自分をかばうだろうが、それ自体が許せなかった。媚売りの連中を散らせたのもそうだ。結局、自分がそれなりに我侭を許され、身の安全を保てているのも、この男の庇護のお陰なのだ。自分を巡る諍いが起きるたび、少女はそれを認識させられるのだった。


 神殿の中へと消えてゆくシャルルの背を見届けながら、少女は思った。


 何故、自分の人生には、他者の介入という出来事しか用意されていないのか、と。



 そうこうしているうちに儀式の時が迫る。参加者は整列するように促された。並び順の法則は単純で、家柄のよい者が前、後ろに行くに従って格が下がり、同じ横列では左側が格上となる。試験の成績や過去の功績なども加味して細かく変動するとはいえ、生まれた瞬間には並び順までも決定しているわけだ。


 少女の位置は最前列の左端であった。これもシャルルのお節介なのだろうが、正直目立つ場所は落ち着かないし、儀式の間中、背後から視線を浴びることになってしまう。


 時を同じくして、四大分家の当主ら、主だった名士達が姿を現した。彼らもまた、見届け役として列席するのである。それを作り笑顔で出迎える祭司長。分家の位置付けの中では頂点に立つネリム家だが、今回は自身が責任者であるためか、あくまで低姿勢に努めている。その老獪さがこの老人の第一の得物なのだが。


 ハイリの、ルネの、そしてユニの父母である当主達が、順々に神殿の中へと入ってゆく。最前列のハイリ達は、その姿を間近で見ることができた。ハイリの父は娘を見つけるや、にこやかに手を振ってみせ、ルネの母は静かな眼差しで息子を一瞥した。動揺を隠せなかったのはユニの父である。娘同様、小柄で童顔のこの父は、娘の姿がないことに困惑したようだ。祭司長が上手く言いくるめて中に入れてしまったが、ばつが悪いとしか言いようがない。


 そしてその後ろから、車椅子に乗ってやって来る者がいた。車椅子は神殿前の石段で停止、押していたシャルルに肩を借り、杖を突き、乗っていた老人はどうにか立ち上がった。


 宗主こと、エルノー=アルメイドである。


 少女は瞠目した。体調を崩しているとは聞いていたが、自力での歩行も困難になっているとは。他にも知らない者が大勢いたらしく、重苦しい密談がそこかしこで交わされる。対照的に、ルネとハイリは黙りこくっている。二人は事情を知っていたのだろうか。


 肩を支えられ、ゆっくりと石段を登る老宗主の顔が、ざわつく若者達へと向けられる。自然、誰もが口を閉ざした。叱責されることを恐れたのではない。こちらを見る老人の表情に、夢だの希望だのといったものが欠片も見出せなかったのである。あるのはただ、無力さと絶望だけだった。


 この御人は今日を何だと思っているのか。我々を祝福する気はないのか。


 若者達の間に不信感が広まった。威厳も覇気も感じられない、このお方は本当に我らが宗主なのかと、本気で疑う者もいた。そしてそれは、ある意味正鵠を得ていた。この時老人はまさに、宗主の殻を脱ぎ捨て、己の無力さを悔い、詫びていたのだから。ある人物に向かって。


 宗主は石段を上る間、ずっと同じ方向を見つめていた。その目は虚ろなようでいて、しっかりと一人の人物を捉えている。


 そのまま段を上りきり、宗主は薄暗い神殿の中へと消えていった。


 少女は何も答えられず、ただうつむくしかなかった。



 その後、ユニがこそこそと列に入るのを認め、ようやく新成人達の出番が回ってきた。整列してからも周囲にいた家族や知り合いが、緊張する新成人達を激励して離れてゆく。付き添いはここまで。参列を許されるのは儀式の関係者のみである。


 祭司達に促され、少女ら最前列組が石段に足をかけた時、突如として轟音が響いた。


 雷鳴である。強烈な稲光を伴って炸裂したそれは、豪雨が降り注ぐ兆しであった。


 雨粒の空襲を避けようと、急ぎ足で石段を駆け上がる若者達。本心では我先にと突っ込みたいところだが、こんなときでも家系の序列を崩すわけにはいかない。最後尾に並ぶ末端の分家の者達は、儀式前にしてずぶ濡れになるだろう。少女は、今日この位置に陣取れたことを、ほんの少しだけ感謝した。


 蝋燭の明かりが照らす黴臭(かびくさ)い通路を進み、いくつか扉を抜けたところで控えの間に出た。この先にある祭壇の間こそが儀式の場であり、神子に拝謁できる唯一の空間なのである。


 そこへと延びる通路の前で、祭司長が白い服の女性と密談していた。彼女は神子の側近を務める神官である。立場としては宗主よりも上、軽んじてよい相手ではない。祭司長は丁重に言葉を受けていたが、どこか様子がおかしい。神官が通路の奥へ去った後も、眉間にしわを寄せ、首をかしげている。言づての内容を聞かされた祭司達の表情も冴えなかった。


 祭司達を散らせ、不安げな若者達に向かって、祭司長が言葉を放った。


「神子様のご到着が遅れている。しばしこの場で待機とする」


 突然の事態に驚く若者達。神子が遅刻だなどと、聞いたことがない。事前に連絡があったならまだしも、予定されていた開始時間は目前だというのに。


 分家当主ら、主だった出席者からも疑問の声が飛んだ。しかし祭司長は、それ以上のことは聞かされていないと繰り返すのみ。困惑ぶりから察するに、嘘をついているわけではなさそうだが、納得した者は少なかった。


 ともかく猶予が与えられたところで、これ幸いにと身なりを整える参列者達。少女もハンカチを取り出し、わずかに濡れた髪の毛を拭き清める。


 その脳裏に、一抹の不安がよぎった。


 そして宗主エルノーは、より具体的な形で悲劇の光景を思い浮かべ、天に祈った。


 かつての悪夢が、再び訪れることのないようにと。

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