介入の狼煙(14)
疲れ果てた三人の帰還は、歓声を以って迎えられた。キエルに尻を蹴られ、カイラルは無理矢理に笑顔をこさえて、シャベルを振り上げた。実情がどうであれ、自分はさらわれたセリアを無事奪還したのだ。これを味方の景気付けにでもしないとやっていられない。
ロゼッタやペリット、私兵達に誰一人犠牲者がいないことを確認して、カイラルはようやく安堵した。無数の蜘蛛はどこかへ散ってしまい、撃ち殺した何匹かも床に吸い込まれて消えてしまったらしい。また出てきたらどうしよう、とロゼッタが泣きじゃくっていた。なだめて帰らせるのに小一時間はかかった。
ミンツァーへの追求をしない決定については、私兵達も納得がいかなかったようだ。それでも、先日の件と相殺だと言われると、誰もが黙りこんだ。カイラルは、ただただ情けなかった。
警備の見直しなどは行われなかった。ショックの大きかった一部の兵士を勤務から外しただけだ。相手がセカイ使いであるなら、常人の兵士など何人いようが無力のもの。彼ら自身もよく理解したはずだ。代わりに、キエルが極力事務所を離れないことで決着がついた。こんな急場しのぎの措置が、いつまで続くのか。
結局、自分の身を守るのは自分の力しかない。
遅い昼食を食べながら、カイラルは改めてそう思った。
その日、カイラルは残る時間を一人で過ごした。床に座り込んだり、部屋の中をうろうろしたり、ベッドに寝転んだり。真夜中近くまでひたすら考え続けた。
【セカイの中心】として、自分が何を成し遂げたいのか。
「わかるわけねえだろ」
ぼやくと同時に、扉が叩かれた。寝間着のセリアだった。湯を浴びた後なのか、黒髪がしっとりとして、石鹸の匂いがしている。そんな格好でも剣は忘れていないが。
「どうした、こんな時間に」
「いえ、あの」
「まあいいや、入れよ。俺もちょうど話がしたかったんだ」
椅子を勧め、自身はベッドに腰掛けて、カイラルは言った。よく見れば、剣が鎖から解放されている。
「外してもらえたんだな、それ」
「もう、いいだろうと、言われました」
「そうだな。あんなことがあった時に抜けないんじゃ」
今日の一件で、セリアが身内であるという意識が兵士達の間にも芽生えたのかもしれない。元より保護の対象として見る向きが強かったのだ。残っていたわずかな警戒心も、ミンツァー一派への敵意に転化されたことだろう。
「どこか変なところないか、体に」
「大丈夫、です」
「ならいいんだけどな。ハイリも言ってたぜ、あの女には気をつけろって。何かこう、時間が経ってからどうこうなるような、そういう力ってのもあるんじゃないのか?」
「あると、思います」
「……どんだけおっかないんだよこの力は」
右手に力を込めると、黒い霧が染み出てきた。今日の騒動のおかげで、自分の意志で力を引き出すことはできるようになった。まだまだ使いこなすまでには至らないが、確実に一歩は前進している。
だが。
「俺は、何をすればいいんだ?」
セリアに言うでも、独り言ちるでもなく、カイラルは呟いた。
これが物語であるというのなら、その【主人公】である自分には、何らかの成すべきことがあるはずなのだ。それが定まらなければ、行動の起こし用がないではないか。今は終着点どころか、目先の目標すら見えていない。
今日のことにしても、すべては受け身なのだ。何かが起こってから、それに合わせて動いている。そんなだから、キエルの言うところの『物語の主導権を握られ』ている状態になっているのだ。自分はあくまで話の中心にいる存在であって、常に物語を導いているわけではない。このままでは、ミンツァーのいいようにやられっぱなしだ。いや、仮にミンツァーがいなくなったとしても、別の誰かが話を引っ張っていってしまう。
自分の生死を誰かが握っている。
それは、今までもずっと、忌むべきこととして避けてきたはずなのに。
「俺は、ただ無様に死にたくないとだけ考えて生きてきた。そうならないうちに、死に場所を見つけたかったんだ。だから、……だから成すべきことがあるのなら、きっとそれなんだ。でも、それじゃ今までと変わらない」
これまでと同じことを繰り返すだけなら、こんな力は必要ない。これほどの恐るべき力を授かったのなら、それに見合うだけの何かをしなければならない。考えて考えて、カイラルが思い至ったのはそこだった。だが、わからない。
「戦争にでも行けってのかよ、畜生……」
力を抑えつけるように、左手を右の拳に被せる。黒い霧はすっと消えた。
「お前は、ないのか」
「え?」
「やりたいこと。成し遂げたいこと。ないのか」
突然の振りに、セリアは戸惑いを見せた。カイラルも、別に本気で聞いたわけではない。ただ、ハイリのあの言葉が、ずっと引っかかっていた。
自分の想像もつかないほど、深い闇を抱えている。
その一端と思しきものを、カイラルはすでに見ていた。ミンツァーとの会話で見せた、あの表情。果てしない憤怒と、それに混ざる歓喜と。同じ年頃の少女が見せていいものではなかった。そして何より、あの暴漢の首をはねたこと。
身の上話は色々と聞いたが、肝心要の部分を明かしてくれていない気はしていた。カイラルも、強いて聞こうとはしなかった。しかし、ハイリの言う彼女の闇が、そこにあるのだとしたら。自分はきっと、それを知らなければならない。
カイラルの本意を感じ取ったのだろうか。
「これを」
決意を固めた表情で、懐から何かを取り出し、カイラルに差し出すセリア。受け取ると同時に「おやすみなさい」と呟いて、部屋を飛び出していった。
古ぼけた一冊の本だった。表紙にはタイトルらしき文字が書かれているが、半分ほどはかすれて読めない。見たこともない文字だったが、カイラルにはどういうわけか、その意味が理解できた。
「手記、か?」
わざわざ持ってきているとは、剣と同じほどに大切なものなのか。それとも、最初からこれを渡すつもりでやってきたのか。
カイラルはそっとページをめくった。