魔女の贄(3)
村の北側にある神殿の前には、すでに大変な人だかりができていた。人垣を縫って祭司達が飛び回り、連れとはぐれたと思しき参列者が焦り顔でうろうろしている。今日は、各地の集落から大勢の若人とその付き添い人が上ってきているのである。人生に一度の儀式に参列するために。
小さくこちらを呼ぶ声がする。喧騒から少し離れた物陰に、見知った三人組が並んでいた。三人とも礼装である。
「遅いぞ。本当に来ないんじゃないのかとやきもきしてたよ」
にこやかに笑う色黒茶髪の大女と、
「どうも」
淡白に一礼する色白青髪の細男、そして、
「…………」
目を合わせようともしない赤髪の小女。
土のラナ家、水のティーオ家、火のティウム家。一族宗家の周りを固める、四大分家の新成人が揃い踏みである。皆少女とは同い年であり、幼馴染でもあった。三者三様の反応を見せた彼らだが、シャルルには一様に頭を垂れた。
「朝から大変でしたねシャルル様」
「問題ない。後は頼んだぞ」
「お任せを」
大女のハイリが言う。自分のことだ、と少女は悟った。シャルルは今日一日公務に追われるため、少女の面倒を見ることができない。それで毎度の如く、この三人組に白羽の矢が立ったわけである。幼馴染の腐れ縁とはいえ、付き合わされる方もいい迷惑だろう。
少女を預けたシャルルは、大きく息を吸って吐き、空を仰いで呟いた。
「ようやくここまで来たか……」
誰も答えなかった。その言葉は、音量からは想像もつかないほどの重量を持って、全員の精神を圧迫した。不安なのはこの五人に止まらない。経緯や詳細はともかく、大まかな情報は国中に伝わっているはずである。
セカイ法を使えない娘が、成人の儀に参列する許可を得たらしい、と。
それも、この宗家の跡取り息子のゴリ押しによって。
「本当にいいんですか」
堪りかねた細男のルネが沈黙を破った。
「今ならまだ引き返せますよ」
「何度目だその台詞は。言っただろう、ここで止まる理由はない」
「こんな無茶をやらかして、将来の火種を蒔いたようなものです。後々あなたにとって、絶対に良くない流れを生むはずだ」
「何とでもしてやるさ、そんなもの」
シャルルは堂々と言ってのけた。そこには自制の影すら窺えない。誰もが閉口するしかなかった。
閉塞世界の秩序を維持する【壁守】たるアルメイド一族にとって、セカイ使いとしての成熟は一人前の証である。明確な定めこそないが、成人の儀に参列するからには、その要件を満たしていなければならない。出来損ないが成人を名乗るなど、決して許されないのだ。
この男はそれを覆した。説得と根回しを重ね、一族の意思決定機関たる長老会議を説き伏せるまでに至った。しかし、敵を増やしたのも事実だ。それまでの支持派や中立派からも、敵対派閥に回る者を出してしまい、元より反発していた連中との溝は決定的な深さとなった。些細な落ち度を切欠として、敵が大攻勢に出てくるおそれは否定できない。
「とにかく、今日一日はどんな小さな不祥事だろうと認められん。反対派の格好の的になる。いや、むしろ向こうから何か仕掛けてくるかもしれん。気を抜くな」
「はあ……それは構いませんけど。今日を切り抜けたとしても、ずっと同じ状況は続きますよ。やっぱりやめた方が」
あくまで食い下がろうとするルネに、シャルルは怒りをあらわにした。両手で掴みかかり、襟元を締め上げる。
「あいつがこの十数年、どんな思いで生きてきたかわかるのか。古臭い掟に縛られて、人間扱いさえされずに、どれほどの辱めを受けてきたか」
割って入ったハイリの豪腕が二人を引き剥がす。ルネは目を白黒させ、シャルルはというと呼吸も荒々しく、完全に目が据わってしまっている。ほとんど狂人の態である。ルネを背中にかばったハイリが何事か言おうとしたが、すぐに諦めた。聞く耳など持たないと悟ったのだろう。これまでにも、何度同じ状況があったかわからないのだから。
暫しの睨み合いの後、三人組を順々に見渡し、最後に少女を見やってシャルルが告げた。
「俺は彼女を守りたいだけだ。悪習を破壊することに、何の非もあるはずがない。俺はやるぞ」
言うが早いか、シャルルは鼻息も荒く、大股で去っていった。その背中に、見るからに不快な表情をハイリが向けている。少女の視線に気付いたのだろう、ハイリは振り返ると、やれやれと肩をすくめて苦笑いを浮かべ、おどけてみせた。やってられんわ、ということらしかった。
少女はただ頭を下げるしかなかったが、ハイリはそのごつい手で、少女の背中をばしりと叩いた。
「しっかりしなって。理由はどうあれ、成人した以上は一人前の大人として扱われるんだ。恥ずかしくないように振舞わなきゃ駄目だよ。……あたしはもしかすると、一緒にいてやれなくなるかもしれないし」
自慢じゃないけどな、とハイリは笑った。
神子は毎年、新成人の中から人材を抜擢する。ごく一部は側近の神官となり、他の多くは戦士として戦いに赴くのだ。セカイを囲む壁の外で行われる、世界の秩序を保つための戦いに。
ハイリはその候補の筆頭であった。家柄は言うまでもなく、成績も常に頂点を争うほどだったが、家を継げる立場にはないからだ。一族にとって、戦士への抜擢はこの上ない名誉であったが、今生の別れとなることも意味していた。
そうそう、とルネが相槌を打つ。
「あまり気に病まない方がいいと思いますよ。シャルル様がやったことなんですから。うちにも根回しがあったみたいですが……少なくとも僕は、君がシャルル様をどうこうしたなどとは思っていませんから、ご安心を」
おかしな胡麻すりはやめろ、と少女は言いたくなった。日和見主義のティーオ家の跡取り息子。今後シャルルの権勢が失墜した時、我先にと敵に回る可能性が高いのがこの細男である。今までも、シャルルにおべっかを使うためだけに、この出来損ないの娘と友達付き合いをしていたに過ぎないのだ。
少女の内心を察したのか、取り繕うようにルネが言う。
「君にどう思われてるのか、理解してるつもりです。でもね、聞いて下さいよ。さっきは苦言を呈しましたが、シャルル様の権勢はそうそう簡単に揺らぐものじゃありません。いくら敵を増やしたとはいえね。何せ宗家の跡取りは、シャルル様しかいないんですから。無事に宗家を継げた時、あの人がどうすると思います? 最終的には、君を『元の立場』に戻そうとするでしょうね。そうなれば、僕もティーオの跡取りだ、きっと付き合いは一生続きます。将来的には主治医になるかもしれない。その立場として忠告しますが――」
言葉はそこで途切れた。言いにくそうに口をもごもごさせ、肝心の部分が出てこずにいる。少女はその場を去ろうとした。皆まで言うなと訴えるように。それがかえって相手の言葉を促したものか、離れていこうとする背中に向かって、ルネがはっきりと言葉をぶつけた。
「受け入れる覚悟はしておくべきじゃないでしょうか。あの人のことを……」
「そのくらいにしといてやりな」
背後からの低い声が言葉を遮った。振り返ろうとしたルネの細首に筋肉質の腕が回され、圧し掛かるようにして肩が組まれる。
「そうは言ってもですね、ハイリ」
「今しなきゃならん話じゃない」
真横からじろりと睨まれ、ルネが思わず竦み上がる。その様子をちらちらと伺う少女に、ハイリは手振りと笑顔で気にするなと伝えた。後ろを向き、ほとんど締め上げるような格好で拘束している細男に耳打ちする。
「少しは女の気持ち考えろ。一歩間違ったら単なる嫌がらせだぞ」
「何を悠長な……」
大女の腕と自分の首の間に手を差し入れ、どうにか呼吸を確保したルネがほうほうの態で言った。情けない格好ではあるが、その目つきは先程より鋭さを増しているようである。
「このままシャルル様が宗主になって、彼女の本籍復帰が叶ってごらんなさいよ。今以上に熱を上げて迫るに決まってます」
「まだあの人が宗家を継げるとは決まってないだろう」
「……お宅のお父上はまだ粘ってるんですか」
「うん。もしさ、うちの女達にエルノー様が手をつけたら、あんたの親父さんはどうする?」
「そっちに乗り換えるかもしれません」
「日和見主義者」
「何とでも言って下さい。こっちも必死なんですよ」
腹の底を探りあうように顔を見合わせた後、二人は揃って大きく溜め息をついた。
現宗主エルノー=アルメイドには、かつて二人の夫人がいた。しかし故あって、その両名は――片方はシャルルの母であるが――すでにこの世の人ではない。その上、宗主の一粒種があの体たらくなものだから、新たな世継ぎ候補の誕生を望む声は多く聞かれた。
再婚は望むべくもない。それでも、宗主の種さえいただければ、あるいは――というので、腹となるべき女性を送り込む勢力も存在した。ラナ家がそうであった。侍女や乳母を始め、宗家の使用人を多数輩出している家柄ならではの策謀だった。だが。
「うちの親父も今回ばかりはヤキが回ったなあ」
ぼやいたハイリの、そしてルネの脳裏には、政務の大半を息子に任せ、部屋に閉じ篭って読書に没頭している老人の姿が浮かんだ。部下の問いかけにもかすれた声で答えるのみ、使用人の入室も最低限しか許さない。とてもとても、侍女の誘いに乗るような御仁ではなかった。
「腹、括るしかないのかな」
「だから言ったでしょう。彼女も覚悟を決めておくべきなんですよ。その方が幸福になれる。周囲の反発は今以上に大きくなるでしょうが、表立って中傷はできなくなる」
「いや、あの子は絶対に諦めないね。よしんば囲われ者になったとして、そこで終わりさ」
「どうでしょうか。今こそ抑え気味に振舞ってますが、あのシャルル様のこと、あんまりじらし続けると、力ずくで我がものに――」
言いかけたところで、二人はそろって顔から地面へ突っ込んだ。足を引っかけた相手に怒鳴ろうとして、ハイリは固まった。
「これは失礼」
赤髪の小女・ユニが、今日初めて口を開いた。平静を装ってはいるが、憤怒を抱え込んでいるのは隠しようもない。真紅の瞳がいつも以上に赤く見えた。その威圧感たるや、かの大女をして言い返すのを躊躇わせるほど。ルネなどはすっかり縮み上がり、今にも失禁しかねない様子である。
自分を凝視する少女をちらりと見やり、ユニは吐き捨てた。
「もう下らん姦計を働かせるのはやめろ。いつまでもこの出来損ないに関わっていると、いずれ身を滅ぼすぞ」
友二人への、嫌味とも忠告とも取れる言葉であった。
小女の姿が遠ざかってゆく。暫し呆然としながら、友二人はその背中を眺めていた。
少女は思考する。焦熱する精神の中で、畜生、くそったれ――と罵倒する。
口にこそ出さないが、あの女がシャルルに熱を上げている馬鹿どもの一人であることは周知の事実である。そしてシャルルがそのことを知りつつ、周囲の批判をかわすための形式上の正妻として、ユニを候補に上げていることも。
憤慨するのも当然の蛮行。ユニとしては、いや大多数の同族連中としては、何故こんな劣等者を尊い身分の男子が寵愛しているのか、と甚だ疑問に思っているだろう。ましてや、形の上だけの正妻として迎えられる側の屈辱たるや、いかばかりか。それも、当の本人は相手の男を心底愛しているというのに。
体裁を整えるためだけの道具。
誰も彼も、他人を利用することしか考えぬ。
ああ、これがアルメイドの血族。この黒き森の中で延々と同族間の争いを繰り広げてきた、愚か極まりない魔女の一族である。
ならば、そんな愚者の群に虐げられてきた自分は何だ。同じ血を引きながら力を欠いたがために、生まれ落ちて以来迫害されてきた自分は。さしずめ、痴れ者にも劣る塵、屑といったところか。まったく、笑わせてくれる。
豚め。
豚どもめ。