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介入の狼煙(1)

 グラムベルクは眠りから覚めようとしていた。リバーブルグから南に一つ下ったこの街は、滅んだ北の街に取って代わり、都市同盟一の商業都市となっていた。とはいえ早朝の静かな時間だけに、道行く人の数もまばらで、散歩する老人や商店の人々が見られるばかりである。


 そんな中、駅にも程近いビルの一室で、早めの朝食をとっている者達がいた。男女が向い合って食事をする部屋に、食器がすれる音だけが響いている。会話もなく、黙々と手を往復させる二人だったが、やがて男の方がフォークを置いた。パンも卵もまだ半分ほど残っている。


「味付けが悪かったかしら」


 女の問いに、視線をテーブルにやったまま青年が返す。


「シャロン」

「何?」

「助けてくれたことには感謝している。だが俺はいつまでここにいればいいんだ」


 顔を上げた青年――シャルルは、不安を抑え切れない様子だった。


 このセカイにやってきてから、すでに十日が経過していた。仲間とは散り散りになり、元のセカイへ戻ることもできない。どうしようもなかった。


 幸いだったのは、色々と事情を知っているらしいこの女、シャロンに拾われたことだ。お陰で自分の置かれている状況を早々に把握できたし、当面の寝床も確保できた。しかし、少しばかり面倒なことにもなっている。


「言ったでしょう。その時が来るまでと」


 食後の紅茶を淹れながらシャロンが言う。この女とその仲間は、シャルルの力を必要としていた。正確には、彼らの目的のために、強力なセカイ使いを求めていた。そこへたまたまシャルルが転がり込んできたというだけの話だ。


 シャルルはそれを承諾したが、交換条件として、自分と同じくこちらに来てしまった同胞がいれば、必ず引き会わせるように言った。特に一人の少女については、外見的な特徴も教え、全力で探すよう頼んだ。言うまでもない、出来損ないの娘こと、セリアであった。


 もちろん自分でも探しに行くつもりだった。それが外出は許可できないと言われ、この数日を悶々と過ごしていたのである。


「俺は一刻も早くあいつの無事を確かめたいんだ。それなのに……」

「怪しい人物がいれば、仲間の警戒網にすぐ引っかかるわ。闇雲に探し回るよりも効率的よ。もし見つけらなければ、こちらのセカイに来ていないだけなのではなくて?」


 シャルルは両の拳を握り締めた。それこそが、セリアと引き離されている可能性こそが何より怖かった。あの豚の首に刃が食い込む瞬間を、シャルルもはっきりと覚えている。もし生きたまま向こうに戻っているとすれば、彼女を待ち受けている運命は容易に想像できる。自分が一緒なら、まだ打つ手はあるだろうに。考えるだけでシャルルの魂は張り裂けそうになった。


 それを尻目に紅茶をすすりつつシャロンが言う。


「逃げたければ逃げてもいいのよ。あなたがその気になれば、どこへだって行けるでしょう」


 やれるものならな、と言わんばかりの口ぶりだった。


 確かに空間転移を使えば、今すぐにでもここから出ることはできる。誰にも追いつかれることなく、セカイの果てへだって行けるだろう。だが、ここは異セカイ。右も左もわからない未知なる場所だ。今後の身の安全を考えた場合、運よく手に入れた協力者を捨てるべきではない。そして彼らの側も、シャルルと敵対してしまうことは望んでいないはず。だから今のところ、隠し事はしていても嘘はついていないだろうと踏んだ。諸々の事情を鑑みて、シャルルは大人しくしていることを選んだのだ。今のところは、だが。


 それに、この女。自分を異セカイの人間、それもアルメイドの血族と見抜いた女。空間のセカイ使いであることすら言い当てた。閉塞世界の仕組みにも、かなり精通していると見える。そのくせ彼女自身については多くを語ろうとしない。


「一体、あなたはどこまで知っているんだ。あなたは、何者だ」


 シャルルが踏み込もうとしても、


「私はシャロン=エルロイ。ちょっとだけ物知りな社長秘書よ」


 軽くあしらわれてしまう。


 シャロンの仲間達とは、最初に顔合わせをして以来会っていない。通ってくるのはこの女だけだ。毎日一度は必ず顔を出し、食事の用意や掃除など、一切の面倒を見てくれる。このセカイの話を聞いたり、こちらの身の上話をするうちに打ち解けはしたが、不気味な印象は拭えなかった。知識もさることながらこの女、何をしていても一切表情が動かないのである。


 何より、彼女の体から滲み出る奇妙な閉塞力が、シャルルの警戒心を煽った。今後どうなるにせよ、近くにいて気を払っておいた方がいい、とシャルルは思った。


 とにかくあと二日か、三日。それまでに目立った成果が得られなければ、一度別れを告げることも考えねばならない。何も即座に敵対するというわけでもないのだ。もしセリアが見つかれば、一緒に戻ってきて頭を下げてもいい。それくらい軽く考えることにし、シャルルは残った朝食をかき込んだ。


 片付けをして去り際、シャロンは扉の前で言った。


「あなたは私が余計なことを知りすぎていると思っているのかもしれないけど、私からすればその考え方が滑稽だわ。自分達だけが世界の秘密を知っていると思わないことね。だってそうでしょう。あなた達アルメイドの血族は、あの閉じられた森の中しか知らない。一方的に与えられた知識だけにすがって、一生をあの森で過ごすはずだったのよ」


 その通りではあった。アルメイド一族の多くは、世界の秩序を保つ役目を担いながら、その実態をほとんど知らない。しかもシャルルは宗家の嫡子だから、将来戦士としてセカイの外に出る可能性もなかった。宗主のみが知ることを許された知識もあるのだろうが、それもどこまで真実に近づいたものなのか。


 シャルルは父エルノーを、神子マリアナを尊敬している。自分に特別な力を与えてくれた存在として感謝している。嘘偽りを教えられて育ってきたとは思わない。しかし同時に、すべてを知らされているわけではないことも承知していた。


 また来るわ、と言い残し、シャロンは出て行った。


 扉に鍵をかけ、部屋に戻ったシャルルは、壁に貼ってある地図を見た。先日、自分の要望でシャロンが用意したものだ。この大陸全体のものと、リバーブルグのものがある。いくつかの小さなチェックに混ざって、大きめの☓印があるのが、先日自分が迷い込んできた場所。そこから少し北に行ったところに、さらに大きく☓印が書かれている。十年前、障壁崩壊が発生した傷跡。今でもそこは障壁が回復しきっておらず、不安定な状態であるという。


 セリアと、もしいれば他の同胞達も見つけて、シャルルはあの地点を目指すつもりでいる。以前から相当時間のかかるものとして計画されていたらしいが、シャルルの出現を受けて、その予定は大幅に加速しそうだとシャロンは言っていた。戦闘力とは別に、空間使いである自分が歓迎されたわけがそこにあった。


 成し遂げてみせようではないか。


 彼らミンツァー一派と行動をともにすると決めた最大の理由。自分達の共通の目的。


 壁の向こうへの進出を。

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