病み上がりの闇(7)
カイラルが元いた部屋に戻ってきた時には、すでに夕方になっていた。
長い対話だった。二人は思いつくまま、色々なことを話した。仕事のこと、仲間のこと、故郷のこと、セカイのこと。多少聞きづらいこともあったが、遠慮はしなかった。その代わり、自分の恥も晒した。今はお互いを理解することが先決だった。
「どう? 首尾は」
部屋にダウルの姿はすでになく、替わってキエルがいた。カイラルはベッドに寝転がると、「つかみはまずまず」と吐き捨てた。そしてだらだらと、今さっき見聞きしたことを語り出したものである。
キエルは何も、感動の再会を演出するために二人を会わせたわけではない。セリアを懐柔するための手段として、どうやら心を許しているらしい息子を使ったにすぎない。しかしカイラルは、命令でやっているつもりはなかった。少なくとも、自分が彼女と語らいたかったのは、嘘偽りのない気持ちだ。
世界の実態について、必要最低限の知識はセリアと会う前にキエルから聞いていた。小一時間ほどの間に詰め込んだだけだったが、結果的にその『予習』は正しかった。セリアの口から語られたことの多くは、キエルの話と合致していたからだ。こうなれば、否が応にも認めざるをえない。それらが事実であると。
キエルは時折口を挟むだけで、ほとんどカイラルが語るに任せていた。一言一句聞き漏らさず、記憶に刻みつけようとしているようだった。何しろそれは、およそ千年ぶりにもたらされた外界の情報なのだ。
聞いたことをすべて伝え、セリアを預けて気を失うまでの出来事を語り終えたところで、キエルは話を止めた。
「おおよそのことはわかったわ。記録には残してないでしょうね」
「大丈夫だよ。メモだって取ってないさ」
「ちょっとこっち来なさい」
言われるがままにベッドから降りると、キエルが向かい合って立った。すると、公私の混ざっていた表情が、一転して組織幹部のそれになった。嫌な予感がした。
「カイラル=ヴェルニー君。今からあなたの身柄はハーウェイ・カルテルの保護下に入ります」
「はい?」
「勝手な行動は許可されませんのでそのつもりで。当面はここで生活してもらいます。今後のことについては追って連絡します。以上」
「ちょっと待てよ。何でそんなことに」
「私が申請したのよ。総代のお許しはいただいてるわ」
キエルが一枚の書類を突き付ける。そこには確かに、組織としてカイラルを拘束する旨の文章と、カダル=ハーウェイの名があった。
「あんたのことだもの、こうでもしないとまた先走りしそうだからね」
「ふざけるなよ! どうして俺が――」
「自分の立場くらいわきまえなさいよこの馬鹿!」
激昂したキエルが書類を握り潰すと同時に、部屋中に固いものがひしゃげる音が響いた。机が、椅子が、タンスにベッドまでが、一瞬にして圧壊した。
「あんたはね、もうまともな人間じゃないの。セカイ使いになったのよ。かつて閉塞世界から力を得た、この私と同じように」
語気を荒げてキエルが言う。カイラルは目の前の光景に呆然とした。今度こそ、自分は本当に何も知らなかったのだということを理解した。世界を閉じる力を持つ存在と、自分はとうの昔に出会っていたのだ。それも身の回りの、最も近いところで。
「あの障壁屑を倒した時のことを忘れたわけじゃないでしょう? 危なっかしくて放っておけないわ」
「……俺は危険人物だってのかよ」
「ええそうよ。それにあんた今、ミンツァーのとこの使い走りを殺して埋めてきたって言ったじゃない。その死体をペリットが発見して、ザトゥマが持ち帰ったのよ。明らかに変死体だし、ミンツァーはあんたを容疑者として、何があったのか詳しい説明を求めてきてるわ。もう相当面倒なことになってるのよ」
一気にまくし立てたキエルは、ため息をつくとベッドの残骸へ腰を下ろした。カイラルは反論もできない。
「ほんっと余計なことしてくれたわね。何でよりにもよって首なんか刎ねたのよ。顔面真っ黒とかさあ。ああ腹立つ」
「……悪かったよ」
「謝らなくてもいいわよ。かえってイライラするから。……それにしてもあの娘、何者? 剣士として結構な腕なのはわかったけど、何でわざわざ首を落としたのかしら」
「剣に触ったのが許せないとか何とか……。それで相手の腹に一撃入れて、体勢を崩したところをやっちまったんだ。こう、頭の上で剣を回転させて、一気に振り下ろして」
「ふうん……」
キエルはしばらく床に目をやっていた。何か思い当たることでもありそうな様子だったが、それ以上は何も言わず、「とにかく」と立ち上がった。
「ザトゥマにも見られてるし、どの道今回の件を秘匿することはできないわ。申し開きの場に出てもらう可能性もあるから、覚悟しときなさい。あと今日はもう休むこと」
「……わかった」
キエルが出て行こうとするのを見て、カイラルは背を向けた。粉砕された家具やベッドが目に入る。これをやった人間が当たり前のように身近にいたのだ。自分の知らないところで、ずっと戦いは繰り広げられていたのかもしれない。
ここにきてようやくわかった。いきなり真実を告げられても納得できないとか、巻き込まれているのに何も知らないのは嫌だとか、身の程知らずもいいところだった。自分は今まで、徹底して関わらないようにされていたのだ。あの人がそうしてくれていたのか。
ふと背後に気配を感じた。振り返ると、キエルが目の前に立っている。
「何だよ、まだ何か……」
言いかけた時、ふわりとした感触が体を包んだ。胸に顔を当て、背中に両手を回した母は、小さく優しい声で「おかえりなさい」と言った。セリアに抱きつかれた時とは違う、懐かしい温かみを感じた。顔は見えなかったが、きっと母親のそれになっているだろう。カイラルはそっと片手を背中にやり、「ただいま」と返した。そのまま表情を見せることなく、キエルは離れた。急ぎ足で扉から出ていくのを見届け、カイラルは部屋の真ん中に座り込んだ。
我慢しきれない、という様子だった。もしかすると、他のことは全部ついでで、やりたかったのは今の行為なのか。セリアと真っ先に会わせてくれたのも、自分を気遣ってのことなのかもしれない。打算があったのには違いないだろうが。
家を出、母と呼ぶのをやめて何年経っただろう。口では何と言おうと、やはり彼女は自分の母親だった。今思えば、家を出るのは認めておいて組織の仕事に関わらせるなど、微妙な距離を保とうと努めてきたようにも思えた。きっとこれが、あの人にとって受け入れられるぎりぎりの線だったのだろう。
母は異質な力を操る存在だった。以前ならそれを恐れもしたろうが、幸か不幸か、今や自分も同じ身だ。そして彼女にも、閉塞世界に仇なす血が流れている。これから物語が始まるというのなら、ますますその血の重要性は増すだろう。ならば、再び母と呼ぶ日が来るのだろうか。
そんなことを考えながら、カイラルは部屋の中を見回してぼやいたものである。
「床で寝ろってのかよ、今日……」