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魔女の贄(2)

 その部屋はだだっ広い屋敷の地下にあった。備え付けのランプの中では、持ち込んだカンテラから移した火が煌々(こうこう)と揺らめき、内部の様子を浮かび上がらせていた。部屋にはそこかしこに奇妙な器具が並び、一見して用途のわからないものも多い。


 そして奥の壁近くで椅子に腰掛け、黙々と手を動かす人物が一人。


「まだこんな所にいたのか」


 苛立った声が響く。扉が開いて、あの男が入ってきた。すでに礼装、準備は万全と見える。半開きの扉からは、付き添いの侍女がこちらを伺っているのがわかった。が、気づいた男によって即座に閉められ、施錠。向こうへ行け、と男が言う。


 そこそこの長身に整った目鼻。外見的にはまあ合格点である。女性としては言い寄られても悪い気はしない男なのだろう。事実、政略結婚云々の話を除いても、この男に近寄ろうとする女性は多いのだそうだ。


「もう成人の儀が始まるまで時間がない。俺が送ってやるから、早く着替えて神殿へ行こう」


 部屋にいた人物――黒髪の少女は振り向かない。言葉一つ返さず、何かを布で磨いている。ランプのわずかな明かりが照らす、冷たく薄暗い部屋の中で、無数の金属製の器具に囲まれながら。


 普段からしばしば入り浸っているこの部屋に、少女は今朝早くから籠城(ろうじょう)していた。男が焦るのも無理はない。本来ならばとっくに身なりを整え、今日行われる儀式の場へ参上しなければならないのだ。


 少女は憂鬱であった。そして憤慨していた。今日の儀式に自分が参列することが、神子マリアナの血族たるアルメイド一族にとって、どれほど異常なものかはよくわかっている。だからこそ国の権力者達は、議論の末に自分の不参加を取り決めたのだし、自分もそれでよいと思っていた。だのに、この男の余計なお膳立てのせいで。


「一度は否定されたお前の成人をどうにか認めさせたんだぞ。俺も随分と骨を折った。このままお流れにするわけにもいくまい。これはお前のためなんだ」


 すべては、一族宗家の跡取り兼少女の後見人であるこの男の手の上にある。床に()せている宗主に代わって実権を握っているこの男のために、政治は随分と混乱していた。その主たる原因が、少女の待遇を巡っての争いだというのだから、当人はたまったものではない。


 男の言う通り、今日執り行われるのは成人の儀礼。


 一族の将来を担う若者達の門出の日である。


「……どうしてわかってくれないんだ! 俺がこれだけ手を尽くしているのに!」


 何故この男がこれほど自分に入れ込むのか、その辺りの詳しい事情を少女は知らない。ただ一つ言えるのは、自分の身の振りに関わる一切の権利をこの男に握られ、少女の意向は何一つ反映されないということであった。


「いつまでも、こんな……」


 下らない玩具にこだわって、と(ののし)りつつ、壁際に置かれていた縦長の箱を蹴飛ばす男。しかし人間一人がすっぽりと収まるほどのその箱は鋼鉄製であり、遠慮なくローキックを食らわせた男の足は、当然ながら悲鳴を上げることとなった。男は痛みに顔をしかめながらも、さらに湧いた怒りをぶつけるべく、靴裏で箱の側面を蹴った。丸きり八つ当たりである。


 するとその弾みで、両開きになっている箱の蓋がきい(・・)と開いた。隙間から、蓋の内側にびっしりと生えた鋭い針が顔を覗かせる。中に人を拘束して蓋を閉じれば、全身に風穴を開け、死に至らしめるという寸法である。この箱はそういう用途のために作られた道具であると、今日まで伝えられているのだ。実際に用いられたのかどうかは定かではないが。


「物騒極まりないな、いつ見ても」


 箱の上側に付いている、女性の顔を模した装飾を睨みながら、男が吐き捨てた。


「お前はずっと、この忌まわしい屋敷に住んで、村の雑用と、体の鍛錬と、得物の手入れだけをして一生を終えるつもりなのか? 何なんだそれは。不名誉な上に実務がない、嫌がらせのためだけに存在する役職を受け入れるなどと……それはもう、妥協ですらない諦めだぞ。敗北宣言なんだぞ。わかっているのか」


 その言葉に反応し、手を止めた少女の背中に、男が指を突きつける。


 ありったけの皮肉をこめて、一字一句ゆっくりと、


「今のお前はただの無職の不良むす――」


 男が言い終えるのを待たずして、少女がすっくと立ち上がった。その手には、先程まで磨いていた物体が握られている。


 そして振り向きざまに放たれる円形の凶器。


 警戒もしていなかった男を目がけ、少女の投じた物体が飛来する。最初の一つは手元が狂って男の真横を通過し、扉に衝突した。派手な激突音と共に、外からけたたましい悲鳴が上がった。野次馬根性丸出しの侍女達が、しつこく聞き耳を立てていたものと見える。


 二つ目は男の頭を正確に捉えていた。直撃すれば間違いなく頭蓋骨を砕き、脳味噌をぶちまける勢いである。しかしそれは叶わなかった。いや、叶わないと知っていたからこそ、少女は遠慮もなしにこのような暴挙に出たのだ。


 激突の瞬間、男の姿が不意に黒く塗り潰された。出現した黒い壁は、物体の直撃にも微動だにせず、衝撃を完全に防いだ。弾き飛ばされた物体は、さらに天井、そして壁にぶつかって落下し、ごろごろと転がった後、ようやく大人しくなった。


 それは、一対の車輪であった。木製の本体に薄い鉄板を巻き付けて補強した年代物。今の衝撃で鉄板に多少の傷は付いたようだが、他はびくともしない。相当に頑丈で、重く、保存状態も良好なようである。


 しかし恐るべきは、そんなものをひょいひょいと放り投げた少女の怪力であろう。投げつけられた側としては、生きた心地がしなかったに違いない。例え、命中しないことがわかっていたとしても。


 引きつった顔で少女を見つめる男。何か言ってやろうと口をパクパクさせているが、言葉になりもしない。異状を察した侍女が外から問いかけたが、それも聞こえているのかどうか。


 それでも流石と言うべきか、いくらも経たないうちに多少は平常心を取り戻したらしく、衝撃で舞い上がった(ほこり)を払い落とし、侍女を一喝して黙らせた。


「とうとう大事な得物まで投げつけたか。嫌われたものだな」


 男はあくまで強気に、嫌味たらしい口調で言ったが、内心動揺しているようだった。普段、少女の拳や蹴りを浴びているのとは違う。この部屋に保管されているものは少女の管理下にあり、毎日のように丹精込めて手入れが為されている。それを投げつけられることが何を意味するのか、いかなこの男でも理解できただろう。


 男の目が恨むような眼光を湛えて睨んでくる。少女は負けじと(がん)を飛ばす。そのうち、男の方がすっと目を逸らした。睨み負けたのではない。そのまま腰を屈めると、少女が投じた車輪を何故だか拾い上げたものである。


 少女の頭に嫌な予感が走った瞬間、男の足元に、突如として黒い球体が出現した。


「こんな手は使いたくなかったんだがな」


 少女はすぐに男の目論見を理解した。だがもう遅い。二つの車輪は男の手を離れ、黒い球体に飲み込まれて跡形もなく消えてしまった。それだけではない。部屋中に黒い球体が次々と出現し、それが消滅すると同時に、その場にあった得物までもが消え失せているではないか。


「お仕置きだ。言うことを聞くまでこれは預かっておく」


 露骨な脅しと挑発に、怒り狂った少女が突進する。が、今度ばかりは男も冷徹に振舞った。


 少女が殴りかかると、その拳は男にたどり着く直前、突如としてあらぬ方向へと曲げられ、空を切ってしまった。体勢を崩した少女は、床に倒れ込みそうになるも踏み止まる。さらにそのまま片足を伸ばし、男の足元を後方から払おうとしたが、結果は同じ。完全に直撃の軌道に乗っていたところを、見えざる力によって逸らされる。不自然な動きを取った片足は、勢いよく後方へと抜けた。ちょうど凍った地面で滑ったような格好である。


 結果、少女は無様にも倒れ伏した。


 ただ、やはり見えざる力が働き、床との激突だけは避けられた。体がわずかに浮遊し、ゆっくりと下ろされたのである。怪我をさせるわけにはいかないからな、と男が言った。


「頼むから、俺にこんなことをさせないでくれ。お前に対してセカイ法を使うこと自体が心苦しいんだ」


 そう言った男の声は暗く沈み、心底苦しげであった。それでも、あくまで強硬姿勢を変えるつもりはないようだ。普段のやられっぱなしの態度など、余裕の表れというもの。いざ実力行使に踏み切ればこの通り。両者の力関係を如実に表したような、屈辱的な体勢を取らされてしまう。少女の持ち前の運動能力も、長年培ってきた体術も、この男には何一つ通用しない。


 車輪の衝突を防いだ黒い壁。


 得物を飲み込んだ黒い球体。


 そして少女の攻撃を尽く防いだ見えざる力。


 すべてこの男の――神子マリアナの血を受け継ぐアルメイド一族、その宗家の嫡子であるシャルル=アルメイドの――セカイ使いとしての空間操作能力である。一族の中でも他に類を見ないこの力の前では、少女の拳など無力も同然と言えた。


 シャルルが伸ばした手を払いのけ、少女は立ち上がった。代わって、自分から両手を差し出してみせる。言うことを聞くから得物を返してくれ、という意味だったが、シャルルは冷たく一言「駄目だ」と言い放った。


「安心しろ。一番大事なそれ(・・)だけは、奪らずにおいてやったから」


 言われて、少女ははっと気付いた。慌てて振り返ると、得物の手入れを始める前に腰から外しておいたそれは、変わらず壁に寄り掛かっていた。少女はそれに駆け寄ると、さも大事そうに、愛おしそうに抱きすくめ、シャルルをきっ(・・)と睨んだ。


 その長大な物体に秘められた意味合いは、少女にとって計り知れないものがあった。これを奪われでもしたら、それこそ家中のものを叩き壊すまで暴れるだろう。


 少女の凝視にもまったく臆することなく、シャルルは告げる。


「大体な、この部屋にあるものは、お前の得物であると同時に村の重要な文化財だ。実際に使われているのならともかく、維持と管理だけなら祭司の仕事の範疇でもある。わかるか? 他に管理者をこしらえることはいくらでもできるんだ」


 何なら俺でも、と。


 考え得る限り最悪の展開を口にされて、少女は図らずも及び腰になった。


 シャルルはなおも険しい表情で続ける。


「お前が執着する理由もわからんではない……だがな、こんなことをずるずると続けて、後に何が残ると言うんだ。暫定的にこの屋敷の管理を任せてはいるが、それもいつかは解決しなければならない。本職不在のままお前に代行させるわけにも……」


 その声は徐々に上ずり、震えを帯びていった。半分涙声である。


「何もかも、お前が完全に舐められているからだ。腹立たしくないのか。ここまで蔑まれて悔しくないのか、ええ――」


 目頭を押さえてうつむくシャルル。それきり言葉は出てこなかった。


 ――悔しくないわけがあるか。


 一族の恥と自分を蔑んできた連中への憎しみを、少女は一日たりとて忘れたことはない。彼らへの報復だけを日々の糧、唯一無二の命題として生きてきたようなものだ。


 本籍を追われ、目を合わせることさえ忌避され、人の嫌がる雑用ばかりをこなす日々。決してやってこない、真の役目を果たす日のために、得物を磨き、心身を鍛え、技術の向上に励む。夜は夜で、山と積まれた書物と格闘し、知識を深め、そして死んだように眠りにつく。


 あの人と二人支えあって、ぎりぎりのところで生き長らえたあの頃。


 そして一人きりになり、日々鬱積する憎悪を押さえ付けてきたこの数年。


 誰がこの苦しみを理解できるのか。


 やれるものなら、一族郎党滅ぼしてやりたい――。


 しかし、それも果たせぬ望みというもの。今や、少女の心の拠り所は、あの人から受け継いだこの役目のみになってしまった。少女が恐れてやまないのは、自分の処遇を巡る議論が再燃して、この役目さえも取り上げられ、一生涯の監禁や遠方への追放を言い渡されることだ。そうなっては最早、何にすがって生きていけばいいのかわからなくなってしまう。


 だからこそ屈辱に耐え、周囲の反感を煽るような真似をせず、息を殺して生きていこうとしているのに、この男は――。


 そろそろ頃合かと思って少女が振り向くと、シャルルはこちらを見ていた。目は赤く、頬には濡れた後がある。


「頼む。今日の儀式にだけは出てくれ。そうすれば俺も、当分はうるさく言わないし、奪った物だって返してやる。お前が今後、どんな役目を授かるにしろ、今の待遇だけは絶対に返上しなければならないんだ」


 そう言って、少女の両肩に手を置き、じっと双眸(そうぼう)を見つめた。


「この先お前に対する風当たりもきつくなるだろうが、安心しろ。矢面に立つのは俺一人だけだからな。誰が何と言おうと、俺が守ってやるから」


 置かれた手に力がこもる。痛いほどだったが、少女は振り払おうとはしなかった。力の問題ではない。異様な熱意のこもった視線に、少なからず飲まれてしまったのである。逃げ場を探した少女の目は、自然、下へと向けられた。


 本人は至って真面目なのだろう。出来損ないの娘一人のために、名誉をかなぐり捨てるつもりだ。男というのは皆こうなのだろうか。この男以外から言い寄られたことなどなく、そして未来永劫経験することのないだろう少女にとっては、確かめようのない疑問である。


 少女が深く溜息をつき、上を向いた時、すでに抵抗する気は失せていた。申し訳程度に頷くと、シャルルの顔に安堵の笑みが浮かび、両手でゆさゆさと肩を揺すってきた。そこには微塵の嫌らしさもない。わかってくれてありがとうと、礼を言っているようですらある。


 認めざるを得まい。この気持ちだけは、この男が自分に懸ける気持ちだけは、確かに本物なのだろうと。屈折した愛情ではあっても、この次期宗主様は、自分の幸福を願ってくれている数少ない人間なのだと。


 ああ、だからせめて――せめて、この男がまともな人間であったなら。


 自分の内に潜む苦悩と葛藤を(おもんばか)り、正当な形で待遇の改善を訴えてくれる、優れた為政者であったなら。


 それこそ自分は、この身を捧げてしまっても構わなかったというのに。


 そんな苦悶をよそに、シャルルは意気揚々と扉を開け、侍女に着替えと化粧の世話を任せて去ってしまった。一緒に行くと言ったからには、支度が整うまでこの屋敷にいるつもりだろう。時間がないのは事実なので、さっさと済ませないとまた面倒なことになってしまう。


 覚悟を決めて扉を潜ろうとした時、少女は部屋の中心の、その下を見た。


 カンテラの明かりに照らされた石敷きの床に、どす黒いものがこびりついている。少女は、かつてこの部屋の持ち主だった人の名を呼ぼうとし、そして、



 何も言えぬままに扉を閉じた。

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