病み上がりの闇(6)
二人は向い合って座っていた。もう十分も経つだろう。恥ずかしげにうつむくセリアを前に、カイラルは手をこまねいていた。部屋に入るなり抱きついてきた女に、どう声をかけるべきなのか。
「とりあえず」
状況を打開すべく、カイラルは口を開いた。
「改めまして、だけどな。カイラル=ヴェルニーだ」
「セリア、です」
「セリア……何て言うんだ?」
さらに言葉を引き出そうと話を繋ぐ。しかし、何かを言いかけたセリアは、またしても下を向いてしまった。
「言いたくないならいいよ。悪かった」
どうやら地雷を踏んだようだ。このまま黙られてはかなわないので、自分から流れを切る。彼女の気を引けそうな話題を探して、カイラルはとっさに言った。
「この前は助かった。お前がいなかったら、俺は多分、あのままぶっ壊れて終わってたと思う。ありがとな」
セリアはゆっくりと顔を上げた。いえ、と首を振り、表情を和ませる。
「まあ、お互い無事でよかったよな」
「はい」
「不安だとは思うけどな、逃げようとか考えるなよ。外の方がかえって危険だぜ? 色々物騒な街だからな。ここで大人しくしてれば、身の安全は保証できる」
「はい」
「……簡単にはいはい言われるとどうもな。騙されてるとか考えないのか?」
「信用、します」
「甘い。甘すぎる。一回優しくされたくらいで相手のこと信用するな。俺だって、態度が豹変して襲いかかってくるかもしれないんだぜ」
強い口調で言うカイラルだったが、セリアはそっと右手を取り、穏やかな眼差しで瞳を見つめてきた。あなたは私を守るために、その手を汚してくれた。だから信じる。信じさせてくれと訴えかけてきた。
それは違う、と言いたかった。二度も彼女を救おうとしたのは確かだ。だが、あの男を殺した時は、ただ殺意をぶつけただけだった。己のおぞましい感情を満たすためだけに、力を振るったのだ。
不思議と気持ちは通じていた。セリアは「それでもいい」と言った。「生きているから」と手に力を込めた。
生きている。その事実を、カイラルは改めて噛み締めた。ともに悪夢をくぐり抜けた証言者の言葉だ。自分も、彼女も、生きている。そう、人を殺してまで生き残ったのだ。
人を殺め、それまでとは違う存在になった。しかし、あの死神の言うように、自分の本質は何ら変わっていないのだろう。理想の死に場所を見つけるという命題は。ただ、条件の変更を認めただけの話だ。あそこは自分の死に場所ではなかった。無様な死を回避するためには、禁を破り、他者に身代わりになってもらうしかなかった。だから殺した、と。
終りを迎えなかった以上、すべてを受け入れ、また生きていくしかないのだ。しかしそれは、以前と丸切り同じというわけにはいかないだろう。ダウルや死神の言葉が真実だとするなら、自分は今、あまりにも多くのものを背負いすぎている。
「キエルがな、お前の同類らしい奴の最後を看取ったんだ。あの壊れた世界で」
セリアは身をこわばらせた。無理に何かを言おうとするのを、カイラルは制した。
「色々あったんだろ? この前のことで想像はつくさ。だから俺からも話せるんだけどな」
投擲用のナイフを取り出しながらカイラルが言う。
「世界に仇なす血筋なんだとさ、俺は」
セリアが息を飲んだ。
「千年前、お前らの親玉に逆らって、根絶やしにされかけた負け犬の子孫なんだとさ。世界の真実を知ってるのも俺らの血筋だけで、他は誰も認識さえできない。しかも俺は、このセカイで展開する物語の主人公だって……。笑えるだろ? いきなり言われて納得できるかよ」
苛立ちをぶつけるように放たれるナイフ。トン、と小気味のよい音を立てて、壁にかけられたカレンダーの、今日の日付を貫いた。無言で二本目を取り出し、セリアの前に示す。意味を察したセリアは、何も言わずに受け取ると、同じ方向へ投げつけた。すると、明日の日付を見事串刺しにしたものである。
「やるな」
「得意、だから。こういうの」
「それにお前、かなり鍛えてるな」
セリアの手をぐっと握るカイラル。単に運動が趣味の女とは違う、真の鍛錬を積んできた者の感触がする。先程の羽交い締めといい、引っ張り合いといい、相当な体を作っているのがよくわかる。
「そりゃ、あのでかい剣を振り回すくらいだからな」
「いえ……」
「何だよ、恥ずかしがるなよ。俺は腕自慢の女は嫌いじゃないぜ。生き残る力がある」
「この前の、その、女の人も?」
「ロゼのことか? あいつは駄目だ、懸垂一回できるかも怪しいな。俺の知ってる女はそんなのばっかりさ。ああ、キエルだけは別格な。あいつは男でも歯が立たないから」
カイラルが悪戯っぽく言うと、セリアも釣られてくすりと笑った。
「俺は今まで、ずっとそうして生き残ることばっかり考えてきた。無様な死に方だけはしたくないからな。だから、嫌いなんだ。周りでわけわかんねえこと起こってるの。巻き込まれてるのに自分は何も知らないってのが」
カイラルはセリアの両手を取り、強く握りしめた。その双眸からは、まだ戸惑いの色は消えていない。だが、戦うことを決めた人間の尊さがあった。
「俺もお前を信じる。だから、教えてくれ。お前の知ってること全部。この世界のことでも、お前自身のことでもいい。頼む」
セリアは力強く頷いた。