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病み上がりの闇(4)

 再びまぶたを開けると、白い天井が佇んでいる。


 自分が目を覚ましたことに気づき、跳ね上がるように起き上がった。ずきりと体が痛む。見知らぬ部屋のベッドの上。側にはダウルがいた。こちらに目もくれることなく本を読んでいる。生きているという実感が得られるまで数分を要した。帰ってきた。壊れずに済んだ。それを理解した瞬間、口が開いた。


「あいつは」

「心配いらん。別の部屋におる」


 目覚めるなり他人の心配をした孫を、ダウルはどう思ったのか。矢継ぎ早に質問を投げかけてきそうなカイラルを制し、瞳孔を見、脈を取り、あちこちを触診する。最後は気付けとばかりに、両手をばちんと顔に叩きつけた。


「どうやら、無事に帰って来おったな。いや、無事とは言えんか。前とは色々と変わってしまっとるはずだからな」


 カイラルは両の手の平を見た。色も形も人間のそれだ。黒い霧もまとっていないし、後ろに巨大な死神が立っているということもない。


「出せるか? 自分の意志で。もっともここで暴発されても困るがな」


 手に力を入れ、拳の開け閉めを繰り返す。いくらやっても、あの黒い霧は出て来なかった。しかし鏡を覗いて、カイラルは自分に確実な変化が起こったことを知った。目に光がない。薄暗い部屋の中でもそれとわかるほど、まったく光を反射していない。いや、飲み込んでいるのか。


 死者の瞳。カイラルはそう思った。


「俺の体はどうなったんだ」

「言ったろう。世界からの授かりものだと」


 差し出されたコップの水を、カイラルは一息に飲み干した。意識が洗われてゆく。


「この世界はそういう仕組みになっとるんだ。素質ありと見込んだ人間に、世界を書き換える力を与え、そいつを中心とした物語を展開させる。そんなことを千年近くも繰り返してきた」

「千年」

「そう。千年だ。それ以前はまた別の世界があった」


 ポットを火にかけながら、ダウルは語り出した。


「旧世界に、一人の極端な思想を持つ人間がいた。今も昔も、ただ【教授】と呼ばれとる。実際に学者だったらしいがな。そやつにどういうわけか、【世界の意思】とやらが接触してきた。それがすべての発端だ。【世界の意思】から力を授けられた教授は、仲間を集め、世界を自分の理想とする形に作り替えた。それが今の世界――閉塞世界だ」


 閉塞。閉じられた世界。どこかこの街を思わせる響きだった。


「戦乙女ナリーヤの話くらいは知っとるな? 教授が研究し、信奉しておったのはその類の神話らしい。閉塞世界で力を授かるのは、えてしてそういう思想を持った人間だ。視野が狭く、社会を嫌い、極端な考えに走る。自分がちっぽけな存在であることは理解しとるくせに、自身の生死と世界の存亡を直結させ、ごくごく閉じられた範囲で世界を揺るがすような物語を展開したがる」


 胸を針で刺されるような気分だった。お前のことだ、と言われている。


「自らの視界から社会を排除し、世界と己の魂を直結させ、世界を書き換える。それが閉塞の力、セカイ法であり、それを操る者こそがセカイ使い。閉塞世界に囚われ、人として進むべき道を見失った愚か者どもだ」


 静かな怒りと侮蔑が混ざっていた。


 愚か者。そう呼ばれて、カイラルは自分が何をしたのか思い出した。あの力を使い、人型の何かを屠り、人ならざるものを消し去り、そして人そのものを。


 ひどく冷静だった。手の震えさえない。何故だ。自分は狂って壊れるのではなかったのか。心のどこかで、そう期待していたのではないか。少女を救って満足し、このままぷっつりと糸が切れたように死にたいと。


 湯気を立てたカップが置かれる。砂糖も入っていない黒い液体を、カイラルは恐る恐る口に運んだ。舌が焼けるほど熱く、しびれるほど苦い。一口すすっただけで、カイラルはコーヒーを置いた。


 熱さも冷たさも痛さも苦さもある。


 自分は、生きている。


 あの悪夢のような状況でさえも、自分の死に場所ではなかった。生きながらえたという事実が、とてつもない重圧となって襲ってくる。自らを抱くように、ぎりぎりと音を立てて体を掴む。耐え切れなくなったカイラルの口から、言葉が押し出された。


「ダウル」

「ん」

「俺、人を殺したよ」

「そうか」


 罪の告白はあっさりと受け入れられた。うずくまる孫の頭を、ダウルはぐしゃぐしゃと撫でる。無理しおって、とかすれた声が漏れた。


「だが、それでもお前は真実を知らなきゃならん」


 カイラルが驚いて顔を上げる。一瞬優しさを見せた祖父の顔は、厳しさに覆われていた。不安に襲われる孫に、ダウルは冷徹に事実を告げた。


「今のお前はセカイの中心。そしてお前の姓はヴェルニー。かつて教授の元に集い、ともに閉塞の思想を学び、やがて袂を分かったセカイ使い、閉塞世界に仇なす者の血脈だ」

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