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放たれた殺意(8)

 黒猫の亡骸とごろつきどもの死体を埋葬し終えたところで、二人はとうとう力尽きた。


 夢と現実の境で、カイラルは不思議な光景を見た。あの黒い人間達が、自分の顔を覗き込んでいた。その中に、昼間自分が埋葬した男がいた。彼だけではない。今までに自分が埋葬してきた人々の姿が、数多くあった。


 ふと、動物の鳴き声が聞こえた気がした。見れば、黒い人間に混ざって、黒い猫が一匹いた。やはり、揺らめく炎のような体を持っていた。


 二人同時に目を覚ましたときには、黒い人間も猫も消えていた。まだ立つ気にはなれず、墓地の中で大の字になって空を見上げる。カイラルが呟いた。


「やっちまったな」


 何が、とは言わなかった。だが、少女もカイラルの言わんとすることには気づいていた。


 彼は人を殺したのだ。今日、生まれて初めて。


 カイラルは右手を見つめた。奇妙な感覚だった。今の自分は、昨日までとは違う存在になったのだ。ぼんやりとした頭の中は、同時にひどく冴え渡ってもいた。


「お前も俺と同じか」


 少女は答えなかった。「そうか」と小さく言って、カイラルは話すのをやめた。沈黙は肯定と受け取るしかなかった。自分と同じ年頃の少女がすでに殺人を犯したことがあるなど、想像したくもない。かといって、先程初めて手を汚したのであれば、それを自分が手助けしたことになってしまう。止められるものを止めなかった以上、自分は少女の殺人を認めたのだ。


 あれほど抱いていた死体への恐怖を、自分は克服したのだろうか。そう思って、あの死者の幻を思い浮かべてみると、危うく吐きそうになった。やはり、それとこれとは別らしい。


 もしかすると、自分はとっくに壊れていて、少女を救うという目的の糸だけが、人形のように体を動かしているのかもしれない。ならば成し遂げた瞬間、その糸はぷっつりと切れるだろう。


 悪くない、と思った。駄目で元々、試してみるのも一興だ。ようやく死に場所に出会えたようで、彼の胸は高鳴りさえした。


 そして、もし無事に帰れたら、そろそろ真正面から向き合ってみようか。あのエセ神父の言うように。


「それじゃ、行くか」


 カイラルは立ち上がると、少女を助け起こして歩き始めた。が、少女には付いてくる様子がない。見ればまたも膝を突いている。


「お前、具合悪いのか」


 少女は小さく頷いた。精神的な疲労が大きいのかもしれない。状況を考えれば当然だった。見知らぬ土地で何人もの暴漢に襲われる恐怖。それはどれほどのものだったろう。


「よし」


 カイラルは自分の得物を差し出した。わけもわからず受け取る少女。するとカイラルは、少女の下にするりと潜り込み、半ば強引に背負い上げた。


「心配すんな。医者の当てはあるから、連れて行ってやるよ」


 言いながら、すでに足を進めている。


 少女は赤面した。男に負ぶわれるなど、赤ん坊の頃以来である。それも、自分と年も近いであろう少年の背に。


 あまりの気恥ずかしさに、少女は目の前の背中を叩いて拒否の意を示す。しかし背中の主は止まろうともせず、むしろずり落ちないように背負い直した。


「遠慮せずに乗っかっとけ。俺は馬鹿な理由で、危うくお前まで殺すところだったんだぜ。これくらいはして当然だろ。それに、お前のお陰で壊れずにすんだらしいからな。これで貸し借りなしだ」


 さっきは助けてくれてありがとう。


 遠回しにそう告げる、不器用な言葉だった。


 だが、それは順序が逆ではないのか。昨日彼が自分を救ってくれたからこそ、自分はここにいられるのだ。こちらはまだ借りている側である。


「一つだけ約束しろ。もう二度と自殺しようなんて思うんじゃねえぞ。せっかく助けた奴に自分から死なれちゃ、俺もその、何だ、困る」


 目の前にぽとりと水が落ちた。雨かと思ったが、違う。少女は自身の両目から、とめどなく涙が溢れているのを知った。


 もう躊躇はなかった。少女はただむせび泣いた。そして感謝した。まともな感情を持った人間が、まだこの世に存在していたことに。あの人を失って以来初めて、自分を人間として扱ってくれる人に出会えたことに。


 カイラルは何も言わない。背中を涙と鼻水だらけにされても文句一つ言わず、泣きたいだけ泣かせてくれるその心遣いに痛み入り、少女はさらに涙した。


「……ああ、そうだ。忘れてた」


 一しきり泣いて涙も枯れ果てた頃、カイラルが不意に言った。


「名前だよ、名前。お互いの名前も知らないと不便だろ。俺はカイラル、カイラル=ヴェルニー。お前は?」


 少女は戸惑った。あの国で自分は、決して交わってはならぬ存在として、その名と顔が広く流布されていた。故に、名を問われる機会など皆無に等しかったのだ。


 言いたい。だが、言えるのか。あの人を失って以来、他者を拒絶するために、自らの意思で封じたこの口が。最早、少女の肉体は声を生み出す術を忘れていた。


 喉の奥、腹の底の筋肉を震わせ、全身から搾り出すように音を紡ぎ出す。


「……せ」


 聞こえた。

 十年に渡って封印されてきた自身の肉声が。


「せ?」

「せ、せ、せせせ」


 まだ上手く発音できない。十年の空白期は正確な発音すら困難にするのか。


 違う。妨げになっているのは発音方法などではなく、封印を解き放つことへの恐怖だ。他者との交わりを持ってしまうことへの。


 だが、今前にいるのは彼だ。危険を顧みず、自分を救ってくれた彼なのだ。何を恐れることがあろう。


 言え。言ってしまえ。そう、我が名は、


「――セリア。私の名前は、セリア」

「セリアか。よろしくな、セリア」


 それきり言葉は交わされなかった。ただ、穏やかな時間だけがあった。壊れた世界は、徐々に元の姿を取り戻そうとしていた。時刻はすでに夜明けを迎えていた。


 再生してゆく空に朝日が昇る。二人の前に、さっと光が差した。彼らの行く道に、まだ希望が絶えていないことを示すようであった。


 雲の切れ目の、ほんの一時の晴れ間であったけれども。

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