放たれた殺意(3)
「通信完了」
「よろしい」
ミンツァーがにんまりと頷く。ナクトの指先に繋がる数条の蜘蛛糸は、壊れた世界の中へと伸びていた。その後ろで椅子に座る白衣の老人が一人。
「言われたことは伝えましたよ。二人とも戻ってくるようです」
「便利なもんだな。全部あの蜘蛛にやらせればいいんじゃないのか」
「そう都合のいいものではありません。色々と制限も多いので。実際いくつか障壁屑に潰されてしまいましたよ」
「実害が出んのなら十分すぎるわ。……キエルの奴め、無茶しおって」
三人は、他の人々からは離れた場所にいた。ロゼッタとダウルの相次ぐ帰還で兵達は色めき立ったが、外の状況は大して変わっていない。
ペリットは友の危機を知ってザトゥマを送ったらしいが、もうその必要はない。むしろカイラル自身が歩く爆弾のようなものだ。本人に目的があるなら、無理に連れ戻しても危険なだけ。したいようにさせてやるのが最善の対処だ。余計なことをされる前に撤退させようと使いを出したが、ぎりぎりだった。まあ、大人しく従ったということは、キエルも現状を悟ったのだろう。可能であれば、腕ずくでも引っ張ってくるだろうから。
「シャロンはどうした」
「さて。単独行動中なので何とも」
「鈴くらい付けておけ。あの女、どこまで知っとるのやら。嘘をついているとは思わんが、隠し事はいくらでもあるだろうな。女狐め」
「承知の上ですよ。我々はお互いに利用し合う関係ですから」
飼い慣らすのは無理だが、同盟は可能。ミンツァーがシャロンに下した評価はそれだった。重要なのは利害が一致していること。向こうの正体が何だろうと問題はない。
ともかく、撤退だ。できる限りのことはした。カイラルについては、もう本人と世界の加護に任せるしかない。
それよりも。
「あの青い髪の若造、な」
「どうでした?」
「わしはセカイ使いとしてはほぼ死んどる。その辺はお前さんと変わらんよ。あまり詳しくはわからんが……まあ、なけなしの力で調べた限りでは、おかしな点はない」
ダウルは手ぶらでは帰らなかった。途中で青い髪の少年を回収していた。今はミンツァー社の所有する建物に隠している。外見に不自然さを感じた者はいただろうが、まさか別のセカイの人間などとは想像すまい。
「しかし、よろしいんですか? キエルの方針に反するのでは」
「大分こちら側で見つけたからな。あのまま崩壊が収束しても、こっちに取り残されとったろう。不穏分子になられるくらいなら、手の内に抱え込んだ方がましだ」
ただ、とダウルは目をかく。
「あれな、どうもマリアナ=アルメイドの関係者らしい。うわ言で名前を呼んどった」
「それはそれは」
「どうしたもんかな、これは」
ただの異セカイ人なら懐柔もできただろうが、よりにもよってあの六人の関係者だ。自分達が閉塞世界と戦う身であることは、いずれ知れる。右も左もわからない敵地で無謀なこともしないだろうが、大人しく従うとは思えなかった。
「また捨ててくるのも気が引けるしな」
「我々に引き渡してもらえれば、責任は持ちますが」
「そしてこの子と同じ目に遭わせる気か。人の魂を弄ぶのも大概にしろ。それにな」
ナクトに肩を揉ませながら、ダウルが語る。
「お許しください、と言っとるんだ。あの若造」
「マリアナ=アルメイドに対して?」
「何かやらかしおったな、あやつら。それで崩壊を引き起こしたか」
だとしたら、あの少年に聞き倒すことはいくらでもある。それこそシャロンに魂を弄らせればいいのだが、心情が許すものではない。
ダウルはしばし思案の後、思い切ったことを口にした。
「あの若いの、わしに預けちゃくれんか。何、お前さんの不利益にはさせん」
「それは、先生の拾い物ですから。ですが大丈夫なので?」
「上手くやるさ。昔、同じようなことをした経験もある」
その時はゲリラの少女兵士だったわけだが。つくづくこういうことに縁がある、とダウルはぼやいた。
「それに、壁守は横のつながりが薄い。よそから来たならよそ者なんだな。このセカイの同胞に出会ったところで、異分子として排除されるおそれさえある。安息の場なんぞない。だったら先に飯と寝床をやった者勝ちだろう」
「それにしても大胆な提案をなさる。やはり私は、キエルなどよりあなたの方が恐ろしいですよ」
「わしはキエルやカダルとは立場が違うでな。世界が揺らいどるとはいえ、介入できる力があるわけでもなし。せめて老後を静かにすごしたいとしか思っとらん。孫に小遣いやるのが何より楽しいくらいのつまらん生活をな」
ナクトの頭を撫でてやり、駄賃をやってダウルは立った。
「死体なんぞ、軍医時代に見飽きた。これ以上胸糞悪いものを見せんでくれ」