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放たれた殺意(1)

 それに出くわしたのは、人探しを諦めて脱出を急いでいた時だった。見覚えのある男が、別の何かを組み伏せている。背中を踏みつけ、左腕を取って完全に動きを封じていた。


 異形だった。腕には鋭利な棘が並び、間接は明らかに常人より多かった。昆虫の手足に似たそれは、すでに三本が体を離れている。そして残る一本が、今まさに音を立てて引きちぎられようとしていた。


「よう、お疲れ」


 こちらに気づいた男が言うと同時に、異形は最後の手足を失った。男はちぎったものを放り捨てると、泣き叫ぶ異形の頭を躊躇いなく踏み潰したものである。


 凄惨極まる光景に、流石のキエルも顔をしかめた。この男の行くところ、常に殺戮が起きる。恐るべきは、異形などよりこの男の方だった。この異形――障壁屑は、閉塞世界の機能の一部にすぎない。しかしこの男――ザトゥマは、自らの意志で死体を作り上げる。相手が人間だろうと障壁屑だろうと、それは変わらなかった。


「ペリットの許可は得てるんでしょうね」

「ああ。すっげえ嫌な顔されたけどな」


 屑の体がちぎれた手足ごと崩れ始めた。それが地面に吸い込まれ緑色の染みとなるのを見届け、ザトゥマは言った。


「しかし一長一短だな。殺し合いは楽しめたが、あの化物はただの閉塞力のカスみたいなもんだろ? 何匹殺そうが、ある意味じゃ蟻を潰す以下の意味しかねえわけだ。いや、殺すって言い方すらもおかしいのかもな」


 重みのない魂をいくら壊しても意味がない。


 それがこの男の持論であり、より陰惨な殺戮へと駆り立てる原動力になっていることを、キエルはよく知っていた。そして、ミンツァーに与えるには危険すぎる存在であることも。


「シャロンを見なかった?」

「知らね。会ったのは化物どもだけだぜ」

「突然いなくなったのよ。しばらく二人でいたのに」


 姿を消した理由は想像がついた。迂闊としか言いようがなかった。そうさせないために行動を共にし、移動の補助にかこつけて射程に入れていたというのに。


 とはいえ、あの女が本気を出せば、自分のセカイ法など一瞬で掻き消されてしまうだろう。それをわかっていて、体よく利用してくれたということか。しかし状況は甘くない。障壁屑が沸いて出てきているのだ。自身にも周囲にも悪影響を及ぼすあの女のセカイ法を使いつつ、人を抱えて脱出できるのか。


 お前の思い通りにはいかない。今はそう考えるしかなかった。


「とにかく捜索は打ち切り。退却するわよ」

「いいのかい? そりゃまずいんじゃねえの」

「これ以上は私達も危険だわ」

「そうじゃねえよ。あんたの息子が」


 ザトゥマの言葉は最後まで出なかった。砂利を踏んだ音が、二人の注意を引きつけた。


 見慣れない服を着た、焦がした茶色の髪の少女だった。ぽかんと口を開けたまま、二人を見ていた。キエルは気づくことができた。彼女が障壁屑ではなく、確固たる魂を持った人間であることに。そして恐らくは、先刻最期を看取った少年と同じ血を引く者であることにも。


 今度は先程とは違う。関わってはならない。自らを重力で弾き飛ばして退散する用意はすぐにできた。しかし少女は、みるみるうちに顔を歪ませ、絹を引き裂いたような声を上げた。見えざる力が二人を運ぼうとしたのと同時だった。体が宙に浮いた瞬間、キエルは真下に巨大な敵意を感じた。


 地面を突き破って無数の何かが飛び出してくる。正体を掴む前に、セカイ法の使い道を変えなければならなかった。普段の方向に向かって強化された重力は、飛び出してきたものを力任せに叩き落とした。重力の加護を失った二人は、慣性に従って放り投げられた。体をしたたかに打ちつけたところで、襲ってきたものを見る。小さく鋭利な鈍色の刃だった。


 少女は錯乱しているようだった。なだめる術を、恐らく自分達は持っていない。ならばやることに変わりはない。キエルが再び逃走を試みようとした時、抱えていた爆弾が作動した。


 ザトゥマは飢えた獣そのものの笑みを浮かべていた。開いた距離を一息で詰め、少女に踊りかかる。重力の槌が届くのがわずかに遅れた。自分の首を掴んだ男の顔に、少女は何を思ったのだろうか。押し倒されながら、その細い首に野獣の指が食い込む。硬いものの砕ける音が響いた。自分を殺したのが誰なのかもわからないまま、少女の生は途切れた。


 沈黙の時が流れた。のろのろとザトゥマが腰を上げ、溜まったものを放出したような顔で帰ってくる。そして目の前に来た男の顔を、キエルは手加減なしに殴り飛ばしたものである。


「何すんだよ」

「それはこっちの台詞よ。自分が何をしたかわかってるの?」

「先に仕掛けてきたのは向こうだぜ。正当防衛だろうが。それに姿を見られた以上は、殺っちまった方が面倒もなくていいだろ? ああ畜生、あんたがいなけりゃ犯してから嬲り殺しにしてたのに」

「平然と言ってるんじゃないわよこの外道! 抵抗しなくたって同じことをしたくせに。殺したって私達と会った事実は消せないのよ、あなたのやってることはただの虐殺だわ」

「虐殺、ねえ。俺は俺なりに自分のセカイを守ってる気はあるんだがな。趣味と実益を兼ねてるのは否定しねえけど」


 ザトゥマは頬をさすりつつ、変わらないにやけ面を浮かべている。反対側にも一発食らわせてやろうとして、キエルは拳を止めた。自分のセカイを守る。その言葉が重く圧し掛かった。


 隠そうともしない残虐性を知りつつ、普段からこの男を戦力として当てにしていたのは自分だ。いずれこんなことが起きる予感はしていたにも関わらず。すべては自分の認識の甘さだ。こうなった責めは自分も負うべきなのだ。


「まあ、あんたがどう思おうが知ったこっちゃねえよ。けどな、そんな甘いこと言ってる余裕あんのかい? ヤバそうなのは全部潰した方がいいんじゃねえの? でないと、大切な誰かが大変なことになってるかもしれないぜ?」


 意味ありげな口調だった。どういうことだ、と言いかけて、キエルの目の色が変わった。そもそも何故、ペリットはこの男に進入の許可を与えたのだ。それほどの緊急事態が発生したということではないのか。


 その様子を楽しむかのように、ザトゥマが見聞きしたことを語り出す。すぐには信じられなかった。だが、いくらこの男の言うことだろうと、嘘でないことくらいはわかった。


 突きつけられた現実に、抑えていた不安が怒りへと変貌した時である。


『天井』が音を立てて崩れ落ちた。落下した破片が人の形を成し、障壁屑へと変貌する。相当な数だったが、それだけではない。亀裂の入った『天井』から直接屑が生え、ばらばらと降ってくるではないか。瞬く間に逃げ道が塞がれる。


 感情の爆発に任せ、キエルは圧殺の波を叩きつけた。


「そこをどけえ!」

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