邂逅、悪夢にて(9)
逃げに逃げた。どこをどう走っているかなど関係なかった。一歩でも遠くへ行きたかった。あの死人の目をした少年から。
セカイの端まで行きかねない少女を止めたのは、ぬかるんだ地面であった。盛大に転ぶ。そのまま泥の中にうずくまって動かない。やがて痛みをこらえながら体を引きずり、近くの岩にもたれかかった。荒い呼吸を繰り返す少女。平静さを取り戻すにつれ、抱いた恐怖がより具体化した姿となって襲ってきた。
何の因果だ。あの少年が閉塞の力を授かるなど。
恐らくは、あの時。ユニ達から自分を逃がそうとした時だ。自分達を飲み込んだ黒い影は、閉塞世界の魔の手だったというわけだ。有無を言わさず与えられた力は、障壁屑との戦いで命の危機に晒されたことで、否応なしに爆発してしまったのである。
あれがセカイ使いになるということか。常人のそれを、少女は初めて目撃した。当然といえば当然である。アルメイド一族の持つ閉塞力は神子の血によるもの。皆が皆生まれついてのセカイ使いなのだ。その目覚めは内部から引き出されるのであって、外部から与えられるのではない。一族以外の人間との出会いを果たしたその日に、当人のセカイ使い化を見ることになるとは。
彼の放った力と、それに蹂躙された屑の姿を思い出し、体が震える。助けを求めるように剣を抱きしめた。自分の知る限り、アルメイド一族にもあれを行使する者はいない。地水火風の四大元素とは、明らかに次元の違う力だった。一族の異端児、空間使いのシャルルがそうであるように。
死人の目だった。まったく光を反射しない、生を否定するような色だった。命あるものすべてが本能的に恐れるものがそこにあった。剣を抜けなかった少女に、それはとどめを刺した。恐怖に立ち向かえなかったという現実を突きつけてくる双眸から、少女はただ逃げ出した。
この臆病者が。
今まで散々偉そうな態度を取っておいてこのざまか。
自分が動けていれば、セカイ使いとしての目覚めだけでも防げたかもしれないのだ。結果的に命は繋がったが、これから少年の身に降りかかるであろう災厄を考えれば、助かってよかったなどとは口が裂けても言えない。自分とさして歳も離れないような彼は、どんな人生を送ることになるのだろう。
情けなかった。命がけで自分を救ってくれた人に報いることさえできない。他者の死を恐れるなど、あの人を失って以来だというのに。果たせるはずの役割を果たせなかったことが何より悔しかった。それは、あの村の外でさえ自分の存在はこんなものだと、自ら認めたに等しい行為だった。
虚しさと疲労で、体が石のようになる。いっそこのまま地面と同化してしまいたかった。そうすれば、もう何も考えずにすむだろうに。
馬鹿げた思いを浮かべながら、抱きしめた剣のかつての持ち主に少女は詫びた。己の弱さと無力さを。 そして祈った。死に魅入られた少年の無事を。
泥まみれになりながら、少女は泥のように眠った。