邂逅、悪夢にて(8)
何が、どうなってしまったのか。
混濁する意識の中で、カイラルはそれだけを考え続けていた。
一体、あれは何なのだ。この街の有様はまだ納得できよう。十年前のこともある。何か自分の認識を超えた天変地異が発生したと、飲み込んでやってもいい。だが、あの化物は。
ロゼッタを逃がしたのは間違っていなかった。見た途端、相手の異常さが肌で感じられた。単に外見だけの問題ではない。自分が狩られる側にしかなりえないことを、本能が教えてくれた。地面を紙のように切り裂いた刃は、あと一歩で自分を同じ目に遭わせるところだった。それは直前で阻止された。あの、黒い雨と霧によって。
化物は消えた。死んだのではなく、消えた。そこに死体が残らなかったことが、事態の現実味を奪った。やはりまだ夢の中にいるという感覚から、カイラルは抜け出せずにいた。
そして、再会を果たした相手は、自分と目が合うや背を向けた。見てはいけないものを見てしまったような、明らかな恐怖の表情だった。
カイラルは漠然と、一つの可能性に思い至った。何の根拠もない、冗談に等しい説である。しかしそれでも、こう思えてならなかった。
あの黒い雨を呼んだのは、この自分なのではないか、と。
「カイラル」
前から声がした。白っぽい人型のものが近づいてくる。それが白衣を着た祖父だということは何とか理解できた。目の前まで来ても、しばらくは何も言わなかった。上から下まで一瞥し、瞳をじっと覗き込んで、ダウルは口を開いた。
「カイラル。お前、浴びたな。それも取って置きのやつを」
何のことだ、と聞き返したかったが、かすれた声が出ただけだった。
「その状態で理解できるかどうか知らんが、聞けカイラル。……お前の浴びた力は、世界からの授かりものだ。身勝手で閉じた魂の持ち主だけが扱える力だ。遥か昔のわしらの祖先も、方法は違うが、その力を手に入れよった。この力を行使する上で、血縁は重要な要素だ。だから素質はあったんだな、お前にも」
迷惑な話だろうが、とダウルは言う。
「お前が生まれた時から、いずれこうなるかもしれんとは思っとった。異常事態だったからな。今になってヴェルニーとハーウェイが合流するなんぞ。自身の存在を危うくすることを閉塞世界が認めるとは……それを判断できんほど、世界の力が弱くなってきとるのか」
祖父が何を言わんとしているのか、カイラルにはわからなかった。理解する気力もなかった。
「わしは出口を探す。見つかるかどうかはわからんがな。お前の勘のよさで何とかならんか」
カイラルの頭は、暫し空白になった。ゆっくりと腕を上げ、一つの方向を指し示す。考えてなどいない。ただ何となく、その方向を指差しただけである。それがロゼッタを逃がした方向と同じであるということに、彼が気づけるはずもなかった。
「そうか。お前も一緒に来るか」
行きたかった。だが、行ってはいけないと思い直した。まだやるべきことがある。彼女は自分に恐怖していた。もう会わない方がいいのかもしれない。会っても拒絶されるだけかもしれない。しかし、それでも。
「女を捜す? ……そうか。止めやせんさ。好きにやってみるがいい。きっとどうにかなる。何しろ今のお前は、セカイの中心だ」
そう言い残すと、ダウルは振り返りもせずに去っていった。
言われるまでもなかった。どうにかなるでは済まされない。どうにかしなくてはならないのだ。壊れた街に飛び出す時に決意はした。取るべき最善の行動を取ると。自分とこの街に何が起こっているのか知らないが、できることをやるしかない。今はそう、あの少女を探すこと。
頭痛と吐き気が襲ってくる。言いようのない苦痛に耐えながら、カイラルは進む。
シャベルを引きずった跡だけが、延々と彼に続いた。




