表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/124

邂逅、悪夢にて(6)

 シャロン=エルロイは壊れた街の中にいた。


 夜中に閉塞力の波動を感じて目を覚まし、マンション最上階の窓から外を見ると、リバーブルグの方から青白い光が漏れていた。直後にミンツァーから連絡、リバーブルグで障壁崩壊らしきものが発生したとの由。受話器を放り出し、一瞬で服を纏って夜空に飛び出していた。車も電車も待っていられないのだ。全速力で飛行したのは久しぶりだった。着地した後、しばらくは動けずにいた。


 指示を聞かずじまいだったが、恐らくは同じ行動を命じられただろう。障壁に最も精通しているのは自分なのだ。復興連盟としての仕事はミンツァーに、護衛は他の二人に任せておけばいい。あの男のことだから、指揮権は部下に渡してこちらに向かっているかもしれないが。


 例の『穴』が再び開いたとの予想はあっていたが、状況は十年前と異なるようだ。上空からは、巨大な刃物でずたずたに切り裂いたように、細長い光がいくつも走っているのが見えた。そのうちの一つは川の南側、新興市街にまで及んでいる。街は大混乱だろう。


 危険を承知で崩壊箇所に突入したのはいいが、移動は困難を極めた。歪んだ空間の中を歩き回るのは、道なき道を進むが如くである。時には急傾斜をよじ登り、つい先程通った場所が頭上に来ていることもあった。時空も物理法則も乱れに乱れている。十年ぶりに体験する異常事態に、体は悲鳴を上げていた。


 一息入れようと壁にもたれかかると、頭上で動く影があった。わずかな足場を軽快に飛び回っている。こちらの姿を認めたのか、移動をやめて落下。音もなく着地した。


「あら、奇遇ですね」


 隣国生まれを象徴する浅黒い肌。上司の昔馴染みにして好敵手の女性である。


「お一人ですか」

「仲間には入り口に近い場所を任せてあるわ。常人がこの空間にいるのは危険すぎる」

「でしょうね」


 会話もそこそこにキエルは踵を返した。


「手伝ってちょうだい。巻き込まれた人がいれば救助するわよ」

「正気ですか。この状況下で歩き回るのは危険すぎます」

「じゃあ何であなたはここにいるのよ」


 反論はできなかった。別の目的で行動していたことは、相手も百も承知だろう。だが、それを理由に今争うのは得策ではない。ハーウェイ・カルテルもこの女性も、完全に敵対するわけにはいかない存在なのだ。


 今のところは。


「協力はしますが、私も運んでください。疲れてしまって」

「自分で飛べばいいじゃない」

「私の力は燃費が悪すぎるんですよ。そうでなくとも性質上」

「仕方ないわね」


 ふわりと体が軽くなる。重力の負荷が軽減されたのだ。これによる機動性が、彼女の最大の戦力だった。シャロンの力でも似たようなことはできたが、体への、そして閉塞世界への負担が大きすぎた。この状況で使うのは危険極まりない。


「あまり時間はかけられないわ。迅速に行くわよ」

「息子さんは?」


 探さなくていいのか、ということだった。この時間なら自宅にいたはずだ。場所から言って崩壊に巻き込まれている可能性は高い。しばらく間を置いてキエルは答えた。


「運がよければ生きて戻ってくるわ」


 自分に言い聞かせるような、小さな声だった。



 地道な捜索が始まった。建物の陰から瓦礫の下まで調べた。道のりは無限に等しく感じられた。元々の広さなどはすでに無意味だ。どこまで空間が引き伸ばされているか検討もつかない。どの時点で撤退するかは、周囲の空気と相談するしかなかった。その辺りの判断は、キエルよりもシャロンの方が優れていた。


「これ、ただ脆くなっていた障壁が崩れたわけではなさそうですね」

「その場にいた人間から言わせてもらうと、外側から突き破られた可能性が高いわ」

「十年前と同じと」

「恐らくね」


 これは偶然なのか。考えている余裕など今はない。


 一時間以上が経過したが、成果は上がらなかった。被害者がいないのならそれでいいが、手の届かない場所に行ってしまった者もいるかもしれない。詳しい被害は後で調べるしかなかった。


「待って下さい」


 シャロンが動きを止めた。キエルもその意味に気づいた。空間が揺れている。遠くで黒い光が走った。


「嫌な感じです」

「急ぐわよ」


 来た道を戻りかけて、キエルは気づいた。


 呻き声がする。少し離れた建物の裏に走った。果たして、声の主はいた。


「しっかりしなさい」


 息子と同じくらいの年の少年だった。顔色はすでに土のようだ。かすれた声で、助けて、と言っていた。


「大丈夫、助かるから」


 励ましつつ手を握る。その言葉が嘘になるだろうということは、キエルにもよくわかっていた。溢れ出る血を止めてやっても、肉体の修復は不可能だった。それ以上に、彼は生命力を失っていた。忌まわしい力を浴びた気配が、キエルにもわかった。


「もう、だ、め」

「そんなこと言わないで」

「さい、ご、いい、お、れ」

「何? 何か言いたいの?」


 震える口に耳を近づけるキエル。搾り出すように少年は言った。


「アルメ、イド」


 少年の一生は、そこで終わった。


 手を胸の上で組ませてやり、祈りを捧げる。できればちゃんとした場所に葬ってやりたかったが、それも叶わない。緑色の目と髪、見慣れない服装。明らかに別のセカイの人間だった。こちらのセカイに連れ帰るわけにはいかない。そして、彼が自分と同じ力の持ち主であることを、キエルは感じ取っていた。


 少年の遺した最後の言葉を反芻する。聞き覚えのある単語だった。彼の外見と力がそれに結びついた時、一人の人間の名が導き出された。


「【森の魔女】マリアナ……」

 限られた者にのみ伝わっているその名を、キエルは噛み締めた。推測が間違っていなければ、自分達のセカイは今、あの女のセカイと混ざっていることになるのだ。


 ふと視線を感じて背後を見る。シャロンが立っていた。ひとまず撤退しようと言いかけて、キエルは異変に気づいた。


 黒い旋風が巻き起こる。キエルの制止も聞かず、シャロンは飛んだ。しばらく進むと、今度は若い女が倒れていた。先程の少年と同じような身なりで、すでに事切れていた。放り出してまた飛ぶ。狭い範囲で何人か同じような人間を発見したが、皆死んでいた。


 そして、一際開けた場所に出た時、彼はいた。


 黒い服の青年だった。服のあちこちが破れ、傷を負っていたが、生きていた。気を失っているその顔を、シャロンは引き込まれるように見た。


 何も考えられなかった。自ら封印した感情が激しく揺さぶられ、魂の奥底から突き上げてくるものがあった。それをどう処理すればいいのか、今の自分に方法がわかるわけもなかった。ただ、世界は二人だけのものとして閉じられていた。


 数分後、キエルがたどり着いた時、そこには誰の姿もなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ