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邂逅、悪夢にて(3)

 崩壊から数時間が過ぎた。


 修復のめどはまったく立っていない。どころか、被害範囲はさらに拡大していた。神殿は完全に吹き飛んでしまい、残骸が障壁間に散乱しているという。そして、あの場にいた者達も。すぐに脱出できたのはマリアナと神官達くらいで、多くは安否不明の状態である。


 何しろこの崩壊は、死の閉塞力の暴走を中心としたものだ。その性質上、六つのうち最も厳重に扱わねばならない力が、よりにもよって半壊した障壁の中心で炸裂した。解き放たれた死の閉塞力は、傷口を広げつつ落下。マリアナにとっては地面である側の障壁をも突き破り、壁間通路を横断、向かい側の障壁を貫いたのである。それは即ち、局所的にセカイが混ざり合っていることを意味していた。


「予想以上の成果でしたね」

「あなたは何を言っているんですか」


 神官長の叫びは悲鳴に近かった。観測室の画面に映し出された光景は、見るも無残である。


「まさか貫通するなんて。だから私は嫌だったんです。事の真相がコロキアムに知れたら、どんな罰則を科されるか」

「落ち着きなさい。まだ慌てるような状況ではありません」


 言いつつ煙草に火をつけるマリアナ。神官長の叱責にも耳を貸さない。


 一番驚いているのは自分だ、とマリアナは思っていた。ティウムの娘の直訴から始まった流れは、まったく想定していないもの。後で件の娘を呼び出してセカイ使い化を煽ってやるつもりではいたが、あの場でどうこうする気はなかったのだ。それが、話がおかしな方向に進み、乗ってやった結果ああなった。娘の秘めたものとあの状況が絡み合い、予想以上の閉塞力を引き寄せたのだろう。


 大幅に筋書きが変わってしまったが、一応は思惑通り。後はどう落とし込むか。


「神子様」


 通信担当の神官が言った。


「コロキアムの皆様から、緊急会議への参加要請が再三来ております。これ以上お待たせすると面倒なことになりそうですが」

「また借りを作ってはたまりませんね。後のことは頼みます」

「お願いですから、会議での発言には十分にお気をつけ下さい。これ以上仕事が増えたら、私達の身が持ちません」


 神官長の懇願を背中で聞きつつ、マリアナはさらに階段を下った。その突き当たり、聖殿の最深部の扉を開くと、暗闇に包まれた空間が広がっている。しばらく真っ直ぐに歩くと、一つの椅子が現れた。暗闇の中で、それだけがはっきりと浮かんでいる。腰掛けると、鋭い光が走り、視界が揺らいだ。


 視界が安定した時、目の前に照らし出されたのは、六角形の卓であった。辺の部分に、四人の人間が腰掛けている。色黒白髪に背広の男と、長い黒髪の女、赤いくせ毛の男に、黒い肌の長身痩躯の男。


 千年共に世界を支え続けた、コロキアムの仲間である。


「控えろ、お前達。神子様のお着きだ」


 茶化すようにディオンが言う。一礼して椅子に腰掛け、全員を見回すマリアナ。


「お揃いのようですね。迅速な援護をありがとうございました。皆さんの対応に感謝します」


 社交辞令的な言葉に、きつい睨みをぶつけてきたのは詠子である。


「何を言っているのよマリアナ。お前の膝元で起こったことなのよ。よくもまあ、のこのこと最後に顔を出せたものだわ」

「申し訳ありません。私自身が崩壊に飲まれたものですから。……ですが、今回の責任は私だけのものではなさそうですよ、詠子」


 詠子は何も言わず、視線を卓に戻した。


「二人とも、喧嘩は後にしてくれ。話を進めるぞ」


 議長役のオズワルドが、卓の中央に投影された資料を示した。


「現在、崩壊した部分を中心に、かなり広い範囲で死の閉塞力が暴走している状態だ。率直に言って危険すぎる。これを止めるのが先決だろう」

「あたしの部下にやらせる。後は総がかりで修復して頂戴」

「念のために聞いておくが、詠子。心当たりはないんだな」

「ない」


 崩壊の原因のことだった。最初に崩壊が発生したのは、マリアナの作業遅延によって物質の閉塞力が不足したためだろう。だが、それでは残る五つの力のうち、死の閉塞力だけが暴走した理由が説明できない。原因を特定できなければ、同じことを繰り返しかねなかった。


 障壁の詳細な記録(ログ)を見ることはできた。しかし、余程危機的な状況でもない限り、それが採択されることはなかった。コロキアムはすでに、閉塞世界の厳重な管理から手を引きつつあった。そういう誓約だったのだ。


「先生がいなくなったせいだ」


 ぼそりと言ったのは、沈黙を守っていたフォルスである。


「僕らは六人揃って初めて柱になり得るんだ。その一人を欠いて、十分な力を発揮できるはずがない」


 その視線の先、マリアナの右隣には、ぽっかりと隙間が空いていた。頂点の一つを欠いた六角形は、単なる形状の問題を超えて、ひどく頼りなく思えた。ふん、と鼻息混じりに詠子が吐き捨てる。


「何を今更。だから残る五人でその分を埋め合わせているんでしょう」

「そうだね。一番苦労しているのは君だろ詠子。拮抗する相手を失った今、死の壁は不安定極まりない状態だ。お陰で他の障壁にまで影響が」


 だん、と机を打つ音が言葉を遮った。


「戯言も大概にしなさい。あたしのせいで壁が崩れているとでも言うつもりか」

「そうは言ってない。むしろ君はよく持ちこたえてくれていると思うよ。でなければとっくに閉塞世界という仕組みそのものが崩壊している。誰も賞賛こそすれ、責めやしないさ」


 マリアナが疲れ切った息を吐いた。


「今の会話も何度繰り返したものでしょうね」

「外野面で言えた口か!」

「詠子、もう少し抑えてくれ。マリアナも煽るんじゃない。それにマリアナ、俺が一番危惧しているのは修復作業のことじゃないんだ」


 オズワルドが手元を操作すると、映像が変化した。


「最大の問題は、崩壊の発生地点が君の直轄セカイだということなんだ。つまり、十年前に発生したものと関連性が高いと推測される」

「恐らくその通りでしょう。あの一件はいまだに尾を引いていますから」

「お前の子孫から出来損ないの娘が現れたというあれのこと? 十年前に張って、ぐだぐだになっていた伏線が今更機能し始めたとでも?」

「引っ張りすぎたというのは承知しています。ですが結果的に、これ以上ないタイミングで発動してくれました。今日は件の娘が成人を迎えましたので」

「まだるっこしい。何の関係があるのよ」

「出来損ないと呼ばれてはいますが、それは私の血族としてのこと。常人として見れば、むしろ素晴らしい素材でした。つまり、舞台さえ整えばセカイ使い化することは十分ありえるのです。他の多くの世界で起こっているように」


 一瞬、冷めた空気が漂った。詠子の顔が引きつっている。


「今の状況がわかっていながら、世界から力を降ろしたというの? そんなことをすれば崩壊が起きるに決まっているでしょう。まさか意図的に」

「そこまで大胆ではありませんよ。私はただ、この機会に伏線を有効活用しようと思っただけです。ですが、彼女のセカイ使いとしての素質は、私の想像を超えていました。あなたが死の化身、冥府の王であるように、あの娘は法に認められた殺人者なのです。故に死の閉塞力を呼び寄せ、暴走を引き起こしたと」

「お前ふざけるのも大概に……」

「まあ待て」


 ディオンが手を打ち鳴らした。


「このまま放置すれば、向こう側のセカイに我々の身内が迷い込むことになる。それも、我ら六人の一人マリアナ=アルメイドの血を引き、十年間じっくりと熟成された魂の持ち主がだ。まず間違いなく、【セカイの中心(主人公)】に近い存在として配役されるだろう。これは一種のギャンブルだな。もしかすると、想像以上に面白い展開になるかもしれんぞ」


 閉塞世界の守護者であり、外部からの観察者であるべき壁守を、物語の登場人物として組み込む。六人ともが想像しながら、閉塞世界の根幹を揺るがすものとして固く禁じてきた行為であった。これまでにも似たような事態が起こるたび、コロキアムの直属部隊が、あるいは各セカイの壁守が、該当者を抹殺することで未然に防いでいた。それをディオンは肯定しようとしている。


 確かに、思い描いた通りの物語が展開すれば、結果的に莫大な閉塞力が得られ、揺らぐ閉塞世界を今一度磐石にできるかもしれない。しかし、あまりにもリスクが大きい。


 オズワルドはしばし腕組みをして考え込み、下を向いたままディオンに問うた。


「向こうのセカイの状況は?」

「十年前の崩壊が原因で、大規模な被害が出ている。それに呼応していくらか伏線が張られたようだが、物語の本筋はまだ始まっていない。主に出回っているのは【ナリーヤ書】だ」


 全員を囲むように、巨大な本棚が出現した。そこから一冊の本が飛び出し、卓の中央でページを開いたものである。


 かつての世界、その遥か昔より伝わっていた閉塞神話。当時すでに人類の歴史から消え去ろうとしていたその神話の数々を、教授と彼ら五人は読み解き、一つの長大な物語として編纂した。この【閉塞神話体系へいそくしんわたいけい】こそ、教授の思想の原点にして到達点であった。


 性質によって六つに分けられ、六人がそれぞれ原本を所有し、様々な形で各セカイに伝えられている神話達。件のセカイの主流は、愛のためにすべてを敵に回した女神ナリーヤの物語。このセカイで展開する物語は、必然的にこの神話の影響を受けることになる。幼い頃から虐げられ、受け継いだ使命と復讐にすべてを懸けた少女とは、性質が合致するかもしれない。もしそうなら、遠からず運命の相手と巡り合うだろうか。あるいは、すでに。


「二つに一つだ。このイレギュラーな展開を許容するか。それとも排除するか」


 誰も答えなかった。そのまま時が流れ、顔を上げたオズワルドが全員を見回した時、結論はもう決まっていた。



 解散して小一時間も経っただろうか。ディオンは変わらず暗い空間に腰掛けている。その二つ左の席が揺らいだ。


「忘れ物か」

「そういうあなたは」

「お前が戻ってくるような予感がしたんだ」

「私もあなたが待っているような気がしました」

「ふん」


 ディオンはマリアナの手を取って立たせると、襲いかかるように唇を合わせた。そのまま重なって倒れる二人。抵抗もせず、じっとりとした目でしばらく過ごしたマリアナだったが、上着にかけられた男の手は、そっと掴んで拒絶したものである。


「そういうことは片割れとやってください」

「本音を言えば今のお前ともしたくない。俺は完全なお前が欲しいんだ。半分だけで我慢できるほど辛抱強くはない」

「千年経ってもわがままな人」


 無表情に言い、倒れたまま自分の二つ左の席を見るマリアナ。


「安心しろ、詠子は来ない。あいつもプライドが高いというか、責任を手放そうとしない女だからな。お前が何をしようと、自分の制御が完璧なら暴走は起こらなかったはず、と信じているだろう。当分は修復作業にかかりきりだ」

「真面目な人ですからね。……救援に片割れを寄越したのは、私への当てつけですか」

「本人から言い出した。自分が巡回に出たいと。今日は何か起こる気がすると」

「随分と早い救援だと思ったら、そういうことでしたか」

「半身の地元の行事予定くらいは把握しているようだな、あれも。予想通り、自分の魂から大切なものを弾き出した神子様は、随分とえげつないことを考えておられた」


 皮肉めいた言い方だった。しかしマリアナはあくまで動じず、ディオンを押しのけて立ち上がる。


「焦っていたのは事実です。十年前は今以上に余裕がありませんでしたので。ところが、最後の最後で落ちをつけられずに失敗してしまった。歯がゆい限りです」

「だがその残りカスを利用する機会ができた。詠子にも一泡吹かせられた。さぞかし気分がいいことだろう」

「まさか。ここで喜んでいては十年前の二の舞です」


 マリアナの姿が揺らぐ。消える直前、凍るような表情で神子は言った。


「エンディングまでは泣きも笑いもしませんよ」

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