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邂逅、悪夢にて(2)

 覗き見を続けられる状況ではなくなってしまった。


 とにかく様子を探ろうと街を歩き回り、人は愚か死体一つ見つからなかったことで安堵感を覚えていたところに、あの男が倒れていた。幸い脈も呼吸も正常で外傷も大したことはなく、応急手当を済ませて自宅に担ぎ込もうとすると、背後に人の気配がした。妙な悪寒が走ったので、男を寝かせたまま廃屋へ避難。後はすべてお見通しだったというわけである。


 で。


 目の前にいるこの妙な格好をした連中は、一体何なのか。


「お前に言ってるんだよ赤い髪。今、そっちの女殺そうとしたろ」


 怒りに苛立ちが混ざっていた。つい数時間前の自分を髣髴とさせる様を、目の前の三人が演じたからだ。違うのは、死体()が生きていることと、自分(少女)がそれを埋めるのではなく殺そうとしたこと、そして襲撃者(小女)の殺意が本物であることだ。少女に向けて放ちかけたナイフを一旦は止めたカイラルだったが、結局は止める原因になった小女に突き刺すことになった。


 小女はしばらく呆けた表情をしていたが、やがてナイフを抜き捨て、両手を挙げた。


「安心しろ。何もするつもりはない」


 そう言いつつ、横に寝かされている男を一瞥し、


「シャルル様の――この方の手当てをしたのは」

「俺だよ。かすり傷程度だったから安心しろ。でかいたんこぶは出来てたがな」

「そうか。厚意に感謝する」


 小女は深々と頭を下げた。


「しかし、本当に言葉が通じるものなのだな。私は一生試す機会はないと思っていたが」

「何のことだ」

「いや。……礼といっては何だが、忠告しよう。即刻この場から去れ。急がねば戻れなくなるかもしれん」

「戻れなく? どういうことだよ」

「いいから行け。あなたが来た方向へひたすら走れば、恐らくあなたの知る場所に抜けられるはずだ」

「何かお前、さっきまでとえらく態度違うな」

「私がその女を手にかけようとしていたのは事実だ。だが、無関係の人間を、ましてやシャルル様を助けてくれた者を、巻き添えにするわけにはいかん」

「じゃあ何か、俺がいなくなった後でその女を殺すってか」

「それは……」


 女が答えあぐねた時である。


 女の顔が硬直した。自分の背後に何かを発見したのだと勘付き、振り返ろうとした瞬間、カイラルは落ちた。麻酔ガスを食らったという自覚もなく、意識を喪失したのである。


 同時に、地面から生えた土の腕が、少女に挑みかかった。かわそうとした少女の手から、剣が弾き飛ばされる。自分目がけて飛んできた抜き身の剣を、危うい動きで受け止める小女。


 小女が――ユニが叫んだ。


「ハイリ、ルネ、何をする!」

「安心しろ、痛みも感じちゃいないだろうさ。あんたにやったのはお仕置きだと思え」


 自分よりわずかに背の低い少年を腕に抱え、憮然とした顔でハイリは言った。そして少年を丁寧に寝かせてやると、ユニをじろりと見据えたものである。気圧されつつユニが言う。


「いつからいたんだ」

「あんたの手にナイフが突き刺さる直前だよ」

「なんというかですね、遠くから御三方の姿が見えたんですけど、どうも非常にまずいことになってて。慌てて止めようとしたらナイフが飛んで、横からこの人が出てきて」


 ハイリの後ろから顔を出したルネは、あたふたと説明しつつ、ユニの手を握った。傷口は、そこだけが別の生物であるかのように蠢き、瞬く間に結合した。腕を伝う血までもが肌に吸収され、負傷の事実を消し去った。満足したルネは、そそくさとシャルルの横へしゃがみこみ、これまた治療を開始した。代わってユニの襟元を掴んだのはハイリである。大女の鬼のような顔が迫った。


「殺そうとしたのか」

「……先にやろうとしていたのは奴の方だ。シャルル様を」

「止めるだけで済んだだろう。裁きはお偉方が決めてくれる。ここであんたが手を下す必要はない。自分の都合を持ち出すのもいい加減にしろ」


 突き放すように手を離すハイリ。ユニはうつむいたまま、何も言わなかった。


「とにかく今は無事に帰ることを考えよう。また障壁崩壊が来ないとも限らない。他のことは後で」

「あ、え?」


 ルネの素っ頓狂な声が上がった。シャルルに続けて少年の様子を見ていたところであった。


「どうした?」

「いえ、その、この人も腕に怪我をしていたので。せっかくだから治療しておきます」


 多少不審なものを覚えたが、ハイリは追求しなかった。余計なことをしている暇はない。


「ついでに、三分後くらいに目を覚ますようにできないか? その間にさっさと逃げちまおう。誰もいなくなれば、その兄さんもユニの言葉に従わざるを得なくなるだろう」

「わかりました。シャルル様には当分眠っていてもらうことにしましょう。面倒なので」

「待て」


 事態を収拾しようとする二人に、ユニが割って入った。


「この女はどうするつもりだ」


 ハイリは少女とユニを見比べ、険しい表情で言った。


「連れて帰るさ」

「そしてどうする。無事でしたと皆の前に晒すと?」


 それがどういう意味かわかっているのか。


 ユニは暗黙にそう告げていた。


 少女の手に感触が蘇ってきた。あの豚の首に刃が食い込む、その一瞬の感触が。そしてはっきりと自覚した。自分は神子の首を刎ねた女なのだと。その事実の持つあまりの重さに、今更ながらに少女は震えた。


 神子は自分を殺すまい。奴隷のように酷使されることすら許されず、日の光の届かないカビだらけの格子の中で、一生を終えることになるだろう。


「その女はすべてを喪失した。これまで辛うじて自身の存在を保証していたものさえなくしてしまった。もう終わりなのだ」


 反論の声はなかった。ルネもハイリも、少女の顔を見ることができなかった。


 力なく崩れ落ちる少女。その前に、ユニが奪った剣を突き立てた。


「自害しろ。私が見届けてやる。それが最初から最後まで落ちこぼれだった貴様への、せめてもの情けだ。その剣も本来なら回収しなければならんが、あの世への土産として持っていくことを許す」


 ルネは止めなかった。ハイリは一瞬何かを言いかけたが、それだけだった。


 少女は震える手で剣を掴んだ。長大な刃を首筋へとあてがう。これで掻き切れば終わる。それが恐らく、今の自分にとって最良の選択なのだ。あらゆる希望を断たれ、一生を牢に繋がれて過ごすより、ずっとましではないか。


 そう思いつつも、少女の腕は動かなかった。


 こらえきれず溢れた涙が頬を伝い、刃を濡らした。これだけはやりたくなかった。あの人と同じ死に方など。かつてそう思ったからこそ、生きることを選択したというのに。結局は、こうなる定めだったのか。


 いいだろう。もう、終わりにしよう。


 引かれかけた少女の腕を、何者かがつかんだ。


「ふざけるな」


 少年であった。


「俺の目の前で自殺教唆かよ。いい度胸じゃねえか」


 驚異的な回復力だった。気力云々の問題ではない。全身麻酔をかけたはずなのだ。まだ意識が朦朧としているのだろう、開き切っていない目で、少年は少女を見た。


「お前、生まれてこの方他人の言いなりになって生きてきた口だろ。全身から辛気臭さが滲み出てんだよ」


 手に力が込められる。少女は痛みで剣を取り落としそうになった。そしてそれ以上に気圧された。何故死ぬ。死んでくれるな。そう訴える少年の眼光は、怒りと悲しみに満ちていた。


「教えてくれよ。死ぬ時まで他人の言いなりってのはどんな気分なんだ? 俺はそんな死に様は絶対にごめんだ。自分がそうなるのも、他人がなるのもだ」


 少年は少女の手を引き、三人から引き離した。


「お前らに任せといたら何されるかわかったもんじゃねえ。この女は俺が連れて帰る」


 ユニは歯噛みした。この少年、どこまで人がいいのか。


「それはできない。どうしてもというのなら、またあなたを気絶させるしかない」

「そうか」

「頼む。ここは引いてくれ。シャルル様の恩人に危害を加えたくはない。会ったばかりの女のために、体を張って何になる」


 説得を試みるユニだったが、効果はなかった。少年はナイフを抜き、臨戦態勢に入った。諦め顔でユニが目配せをする。ため息をつくハイリ。ルネは見ていることしかできなかった。


 ハイリが構えた時、不意に地面が揺れた。


 来た。少年以外の四人が同時に思った。意識が逸れる。その隙を見逃す少年ではなかった。


 一息に駆けた。少女を脇に抱え込み、三人を置き去りにした。少女は足をもたつかせながらも、どうにか並んで走った。


 気づいた三人が追う。だが、すぐに道が断たれた。地面を突き破り、巨大な閉塞力の塊が飛び出してきた。しかしそれは、彼らが予想したもの――さらなる障壁崩壊ではなかった。


 三人は、その姿をはっきりと見た。


 巨大な黒い影だった。朧だが、確かに人の形をしていた。ぼろぼろの布に身を包み、身の丈ほどもある鎌を担いでいた。影は逃げる二人に覆い被さり、その腕で抱え込んだ。見上げた二人は、それと目があった気がした。


 影を中心に光の爆発が起こった。黒い閃光はすべてを飲み込み、塗り潰した。


 周囲の空間が崩れ落ちる。


 世界が黒に染まった。

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